2007-04-08 [Sun]
▼ 更新再開
それほど忙しいという実感はなかったのだけれども、日記を更新する気力が起こらなかったということは、忙しかったのでしょう。4月から異動で多少気持に余裕が出てきたので、ひっそりと半年ぶりに更新再開します。
▼ ペルー産SF映画
まず、更新再開1回目は、日本では公開されていない非英語圏のSF映画を紹介するシリーズから。"Un Marciano llamado deseo"(2003)という作品。これはたぶん見たことがあるという人はいないんじゃないかと思う。なんと南米ペルー産のSF映画である。ペルーという国とSFという単語はどうも結びつかないのだが、果たしてペルーのSF映画とはどんなものなのだろうか。
タイトルはウェブ翻訳にかけると「火星の呼び出し欲求」。なんだかよくわからない。
台詞は全部スペイン語(ところどころで英語)で字幕なし。スペイン語が全然わからない私にはさっぱり理解できないのだが、解説サイト(スペイン語)をウェブ翻訳するなどして、なんとかストーリーをつかむことができた。
ストーリーはだいたいこんな感じだ。
主人公は、アメリカのライフスタイルに憧れ、米国移住を夢見るホルヘ。アメリカ大使館に行ってみるが、ビザ発給を断られてしまう。がっかりしたホルヘは、たまたま旧友のロペスに出会い、彼が外国の女性と結婚してグリーンカードを手に入れたという話をきく。そうかその手があったか、とホルヘは観光客の多いクスコへと向かう。しばらく空港で観光客の品定めをしていたホルヘは、アメリカから来たブロンド美人のシャーリーにひとめぼれ。ホルヘは、すぐに彼女をナンパするのだったが、シャーリーはこう言い放つ。「ただの人間には興味がありません」
実はシャーリーはUFOビリーバーで、クスコに来たのもUFOとの第三種接近遭遇を試みるため。彼女は、マチュピチュは宇宙人が作ったものだと固く信じている。シャーリーは、エゼキエルと名乗る怪しげな男が率いる「銀河間サークル」という組織(教団?)に属していて、ホルヘはその集まりに連れて行かれ、エゼキエル様のありがたいお言葉を拝聴。
なんだかなあ、と思うホルヘだったが、まだシャーリーをあきらめきれず、ツアーガイドを買って出る。ホルヘとシャーリーは、何泊かキャンプしながらインカ道を通ってマチュピチュまで歩く(普通は観光列車で行きます)。マチュピチュに着いたシャーリーは、座禅を組んで瞑想したり巨石に触れてストーンエネルギーを感じたり。どうすれば彼女を誘惑できるだろう、と悩んだホルヘは、友人のロペスに相談。ロペスのアドバイスに従って、ホルヘは宇宙人になりすますことにする。
月夜のマチュピチュで瞑想していたシャーリーの前に、全身を金色に塗りマスクをかぶった姿のホルヘが現れると、シャーリーは夢にまで見た宇宙人がやってきたと大感激。
「この地球には最低なものばかりでもううんざり。核兵器、テロ、そして何より最悪なのが男。お願い、私をあなたの惑星に連れていって!」とまるでティプトリーみたいなことを言ってホルヘを困惑させるシャーリー。ふたりは夜のマチュピチュで神秘的な結合を遂げる。
クスコに帰ってきたシャーリーは、銀河間サークルの集会で「私は異星人とセックスをした!」と爆弾発言。これは組織のために使える、とエゼキエルが判断したことから、シャーリーやテレビや新聞に引っ張りだこになり、ペルーは一大宇宙人ブームに。
その後も何度か宇宙人姿でシャーリーと密会していたホルヘだが、だんだん話が大きくなってきたのに困り果て、シャーリーに真実を告げようとする。だがまさにそのとき、UFOがクスコ上空に現れた!
とまあ、邦題をつけるなら、『ぼくの彼女はUFOビリーバー!』みたいな話なのだった。
SFというよりむしろコメディ映画(後半で現れたUFOにも非SF的なオチがつく)であるのだけれども、ペルーならではの映画に仕上がっていて、これはこれでなかなかおもしろい。特に興味深いのは、ペルー人が感じている、アメリカへの複雑な思いがかいま見られるところ。
前半で描かれるのは、アメリカンスタイルへの憧れと、グリーンカードを取って移住したいというペルー人の素直な思い。しかし後半になると、スピリチュアリズムに傾倒する観光客が皮肉混じりに描かれ(偉大なご先祖さまの遺跡を宇宙人ネタ扱いする無神経さ!)、ペルー男性として言い寄っても全然相手にしてくれないのに宇宙人のふりをしたらいきなり態度がころりと変わるなど、アメリカ人の傲慢さや身勝手さも痛烈な風刺の対象にされている。
クスコとマチュピチュという二大世界遺産でのロケも見物。ただ、外国の監督ならじっくりと名所案内するところだが、わりとそっけなくごく普通の背景として撮っているところがいかにも地元ペルーの映画らしい。
SFってのはそもそもアメリカのものだし、SF映画の本場も言うまでもなくハリウッド。だから、非英米圏でSF映画を撮るときには、どうしてもハリウッド映画を強く意識せざるをえず、作り手が意識しているかどうかに関わらず、できあがった作品はアメリカに対する批評になってくる。
特にエイリアンが登場する映画の場合は批評性がわかりやすくて、作り手自体がアメリカからみればエイリアンになるわけだから、作中での異星人の描き方からは、作り手のアメリカに対する微妙な距離感を見て取ることができるのだ。
以前見たトルコ映画の"G.O.R.A."も99%までは娯楽SF映画だけれども、最後の最後に率直なアメリカ批判を持ってきていたし、インド映画"Koi..Mil Gaya"では隙のないCGでハリウッド並の完璧な娯楽映画に仕立ててあって、アメリカへの言及が一切ないところに、逆に娯楽映画大国インドのアメリカへの強烈なライバル意識が見て取れる。
そのへんが非英米圏のSF映画を見るおもしろさのひとつですね。
旅行者シャーリーにひとめぼれするホルヘ。
ホルヘはシャーリーに、銀河間サークルなる集会に連れて行かれる。
集会を率いるのはあからさまに怪しげなエゼキエル。
マチュピチュでストーンエネルギーを感じるシャーリー。
瞑想するシャーリー。
ホルヘは宇宙人としてシャーリーの前に現れる。
シャーリーと愛を交わすホルヘ。
「アメリカ人観光客が宇宙人と遭遇!」みたいなことが書いてあるんだと思う。
変な格好をして宇宙人を待ち受ける人々。
クスコ上空に現れたUFO。
そしてホルヘも人々の前に姿を見せる。
ハッピーエンド(シャーリーは宇宙人に合わせて髪を変な色に染めてます)。
2007-04-09 [Mon]
▼ 幻のロシア宇宙計画ドキュメンタリー
非英語圏SF映画シリーズ、今日はちょっと趣向を変えて、ドキュメンタリー映画を紹介しよう。1930年代のソビエト連邦で極秘裏に進められていた幻の宇宙開発計画を描いた映画である。タイトルは"Первые на луне"(First on the Moon)。2005年に作られた作品で、第62回ヴェネツィア国際映画祭ホライゾン部門ドキュメンタリー賞を受賞している。
このドキュメンタリーで明らかにされるのは、ソビエト連邦では1930年代にすでに宇宙開発計画が進められており、しかも人間を月に送り込んでいたという驚くべき事実! にわかには信じがたいことだが、映画は当時のドキュメンタリーフィルムや生存者のインタビューを用いて、これまで秘密にされてきた幻の宇宙開発計画の全容を明らかにしていくのである。
映画はまず、古代中国に始まるロケットの歴史から語り起こされる。
そして1936年のロシアへ。
当時のニュースフィルム。
当時の宇宙計画で飛行士として選ばれたのは、女性1名、体重の軽い小人1名を含む4名だった。いちばん右の太った禿の人物が計画の責任者であるようだ。
これが建造されたロケット。機関車で引っ張っているのがわかる。
そしてこれが月着陸船である。
結局、ロケットには男性飛行士一名が乗り込むことになった。敬礼で送られる飛行士。
その後宇宙開発計画がどうなったか、一切記録には残っていない。ただ、1938年3月、各国の新聞は一斉に、チリに謎の火の玉が落ちたというニュースを報じている。近年の調査で、この火の玉はソビエトの宇宙船であることがわかったという。
さらに時代は下り、1940年代のシベリア。
日本人捕虜を捉えた映像の中に、髭だらけの奇妙な人物が映ったものがある。
ほとんど言葉をしゃべることもままならなくなっていたその男から、長い時間をかけて話をきいてみたところ、彼はロシア人であり、南米から太平洋を渡り、中国、モンゴルを超えてソビエトへと戻ってきたのだという。
この男はKGBに捕まり、その後精神病院に収容された。
果たして男は宇宙飛行士だったのだろうか? 事実は明らかにはされない。さらに、モスクワのフィルム倉庫には、奇妙なフィルムの断片が残っていた。このフィルムの意味するものは?
なんと、アポロ計画よりも30年も前の1930年代に、ロシア人が最初に月に降り立っていた!
という驚くべき事実を明らかにしたドキュメンタリー映画なのだが、これはもちろん全部嘘。この映画、実はドキュメンタリー形式による歴史改変SF映画なのだった。ただし、ヴェネチア映画祭でドキュメンタリー賞を獲ったのは本当。審査員もなかなか懐が深い。
残念なことにこの映画のDVD、ナレーションは全部ロシア語で英語字幕すらない。
言っていることがわかればさらに面白そうなのでぜひ日本でも公開してほしい作品である。
2007-04-11 [Wed]
▼ USA TODAYの選ぶここ25年の重要本ベスト10
全米ベストセラー本中心なので、日本では全然なじみのない本が入ってたりするのがおもしろい。1位の『ハリー・ポッターと賢者の石』にはまあ納得。2位のJacquelyn Mitchard "The Deep End of the Ocean"という本は聞いたこともなかったが、ジャクリーン ミチャード『青く深く沈んで』(新潮文庫)として訳されているよう。全米ベストセラーでも日本じゃダメだったか。
▼ My Top Albums
左側に、last.fmで生成してくれるMy Top Albumsというのをつけてみましたよ。なんか同じジャケットばっかり出てくるような。おすすめ本も更新しなきゃなあ。
2007-04-14 [Sat]
▼ サンシャイン2057
監督ダニー・ボイル、脚本アレックス・ガーランド、主演キリアン・マーフィという『28日後……』と同じメンバーで作られたイギリス製宇宙SF映画。
『クライシス2050』の続編。ではないのだけれど、設定がそっくりなので似た邦題つけたくなる気持もよくわかる(ちなみに、劇中では今が何年なのか一切口にされません)。
『クライシス2050』は、西暦2050年に太陽が異常に膨張して地球が滅亡しそうなので、反物質爆弾を打ち込んで太陽を正常に戻すため、人類最後の希望である宇宙船ヘリオス号が太陽に向かうという話。
『サンシャイン2057』は、今から50年後、太陽が死にかけていて地球が滅亡しそうなので、核爆弾を打ち込んで太陽を正常に戻すため、人類最後の希望である宇宙船イカロス2号が太陽に向かうという話。
瓜二つだ。
しかし、当然ストーリーは全然違う。
50年後の未来、太陽は死にかけ、人類も滅亡の危機にさらされていた。最後の望みを託されたのは、宇宙船イカロス2号の8人のクルー。彼らに託されたミッションは、太陽に巨大な核爆弾を打ち込んで再点火させるというもの……。すでにいろいろと言いたいことはあるけれど、本当にこれくらいしか背景は説明されないので、これはこれでいいとしよう。ここを受け入れないと話が進まないので。
ハリウッド映画と違うのは、キャラクターが全然英雄的じゃないところ。どいつもこいつも、太陽に魅入られたかのように情緒不安定で、死に取り憑かれているという、宇宙船クルーには不適格な奴らばっかりなのだ。画面には、禍々しい巨大な太陽が何度も繰り返し映し出される。だいたいイカロスという宇宙船の名前からして不吉ではないか。このへんの心理描写や終末感の盛り上げ方はいかにもイギリス映画らしくて、なかなかいい感じである。
そうした閉鎖空間の地味な密室劇が続くなら、それはそれでよかったのだけれども、後半からいきなりホラー映画じみてきて、太陽魔人とのバトルに突入するのはちょっと興ざめ。
さらに、SF的な説明のたぐいを最小限に抑えることで、映像のスピード感が強調されているのはいいのだけれど、描写や行動がいちいち科学の常識と食い違うので、何をやってるのかわけがわからず観ていて混乱する場面が多いのがなんとも。
特に後半は破綻がひどく、終盤の展開はあまりにバカバカしくてツッコミ所満載。ひとこと、太陽をなめるな、と言いたい。
映像センスはいいと思うし、ところどころには光る場面もあるのだけれど……監督も脚本家も、慣れないSFに手を出すのは止めといたほうがよかったんじゃないかなあ。
そういえば、主役の役名が「ロバート・キャパ」という人を食った名前だったのだが、いったいどういう意図だったんだろう。
2007-04-20 [Fri]
▼ アルゼンチンの数学SF映画
以前、ペルーのSF映画を紹介したことがあるが、今回紹介するのはアルゼンチン産のSF映画。タイトルは"Moebius"(1996)という。
舞台はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを走る地下鉄。ブエノスアイレスの地下鉄は歴史が古く、大正時代の東京で地下鉄銀座線を計画したときに参考にしたという由緒正しいものだという。
そのブエノスアイレスの地下鉄一編成が突然消失し、トポロジーを専門とする数学者である主人公が駆り出されることになる。主人公がたどり着いた結論は、地下鉄の路線がたまたまメビウスの輪のような構造をとり、列車は別の次元に落ちてしまったのだ、というもの。主人公は、失踪した数学教授が事件の鍵を握っていることを突き止め、教授の家にいた少女とともに消えた地下鉄を追うのだが……。
「地下鉄」と「メビウス」というキーワードで、おやと思った方もいるかもしれないが、これはA.J.ドイッチェの古典的な数学SF短篇「メビウスという名の地下鉄」の映画化である(この短篇は、アンソロジー『第四次元の小説』か『有栖川有栖の鉄道ミステリ・ライブラリー』で読める)。
なんでまたこの短篇がアルゼンチンで映画化されたのかはよくわからないのだけれども(原作ではボストンの地下鉄)、考えてみればアルゼンチンほど数学小説の映画化にふさわしい国はないかもしれない。なんせアルゼンチンといえば、かのホルヘ・ルイス・ボルヘスを生んだ国。この映画でも、主人公は「ボルヘス駅」という駅にたどりつき、ホームにいた老人の奏でるバンドネオンに導かれるようにして、消えた地下鉄に乗り込むのである。さらに地下鉄の中で、主人公は事件の鍵を握る教授と、ボルヘス作品を思わせる哲学的な会話を交わしたりするのだ。
実はこの作品、日本未公開ではない。日本では九八年に「バニシング・サブウェイ」というタイトルでビデオ化されている(DVDにはなってない)のだ。しかし、まるで鉄道パニックものみたいなタイトルのせいで、不幸にもふさわしい受け手の元には届かなかったよう。ウェブでも、サスペンスだと思ったのにがっかりみたいな評価が目につくし、原作があることに気づいた人も少なかったようだ。
正直言って低予算の地味な映画だし、展開もいまひとつ盛り上がらない。地下世界の描写も単調で『ミミック』のギレルモ・デル・トロなどには遠く及ばないのだけれども、なんとなく捨てがたい何かがある映画ではある。
2007-04-21 [Sat]
▼ ロシア音楽
我ながら妙な趣味だと思うのだけれども、最近はロシアのポップスをよく聴いております。ロシアのポップスはノリのいいダンスミュージックが多いのだけれども、その中にも一抹のロシアらしさというか、独特の翳りがあるところが魅力。
特に気に入ったのは、グリュコーザ(Глюкоzа)という女性歌手で、なつかしのグループサウンズっぽい音と機械的な声が素敵。PVはマトリックスのパクリっぽいけど。
歌唱力と楽曲の完成度では、ヨールカ(Ёлка)がすばらしい。
リガライズ(Лигалайз)はロシアのラップミュージシャン。PVがあまりにも日本アニメ調で、しかも妙にかっこいい。ロシアでもこんなアニメを作れるスタッフがいるのか、と驚いたのだけど、制作は日本のSTUDIO4℃であるらしい。
2007-04-27 [Fri]
▼ いろいろ
・CIA、SF映画『光の王』のロケ地探しと偽りイランで人質救出。以前、itaさんがyoutube動画を紹介してたやつですね。あとで読む。かもしれない。
・100年後の未来を描いた1900年ドイツの絵はがき。ドイツのチョコレート会社が作ったもの。水上一輪車、列車で運ぶ家、気象コントロール装置とか奇天烈なアイディアばっかりで素敵です。服装は19世紀のままなのは想像力が及ばなかったのか、当時のファッションがそのまま続くと思っていたのか。
・『フランケンシュタイン』はメアリ・シェリーが書いたものではない、と主張する本が登場。夫の詩人シェリーが書いたのだと主張しているそうな。今までなかったのが不思議なくらいの説なのだけれども、これはフェミニズム方面から激しくバッシングを受けそう。これもあとで読む、かもしれない。
これか。
The Man Who Wrote Frankenstein: Percy Bysshe Shelley John Lauritsen Pagan Pr 2007-06-30 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
Before...
_ ヴィトン バッグ [1 つのキーを必ず購入するレプリカではなく、本物の 1 つには。これは広大なブランドや髪名; をやって世帯おそらく食..]
_ vuitton 財布 [同じラインの個人の思考を使用して、あなたがダイエット計画をしているし、も癌弁護士のための必要性がさらにクラブをタック..]
_ ルイヴィトン [それは Kayne としてスミスのうちにはハード手です。真皮に関しては事前に affreux が対称性に適しても上に..]