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6月10日(月)

▼きのうのサッカー予選リーグの西サモア-西サモアの謎の試合について、さとのさん、古本ゴローさん、onoさんから掲示板で解答を頂きました。「サモア独立国」(旧西サモア)と「米領サモア」(東サモア)の対戦なのでは、とのこと。なるほどー。
 あと、「フェロー」は北欧のフェロー諸島のことではないか、とのこと。フェロー諸島には独自の議会があって、フェロー語という言語をもっているのだとか。なるほどー。
 しかし、だったらハワイだってアメリカとは別にチームを結成してもいいんじゃないかなあ。あとチベットとかチェチェンとかも(それこそ血で血を洗う戦いになりそうだけど)。

▼いろいろ本を買う。栗本薫『蜃気楼の彼方』(ハヤカワ文庫JA)、殊能将之『樒/榁』(講談社ノベルス)、ヴァーナー・ヴィンジ『最果ての銀河船団』(創元SF文庫)、ジュリー・M・フェンスター『エーテル・デイ』(文春文庫)、ボアゴベ『鉄仮面 下』(講談社文芸文庫)、うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』(3)(集英社)、久米田康治『かってに改蔵』(16)(小学館)、平井和正原作・池上遼一作画『スパイダーマン』(3)(4)(メディアワークス)、あずまきよひこ『あずまんが大王』(4)(メディアワークス)、黒田硫黄『茄子』(2)(講談社)。
 しかし、最近やたらと鶴田謙二表紙が多いなあ。いささか食傷気味なくらい。

ビデオゲームの中のポルノ風に見えるシーン集。脱力。

6月9日()

▼たぶん今日あたりはどの日記もサッカーの話題ばっかりなのだろうけれど、私はサッカーにはほとんど関心がないし、見ていても何がおもしろいのかよくわからない。だいたい、前から思ってるんですが、イギリスのチームだけなんで「イングランド」なんですか。このへんをみるとイギリスにはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4チームがあるそうなんだけれど、韓国と北朝鮮の合同チームを作りましょー、というくらいだったら、まずイギリスの4チームを統一しれ、と思ってしまうのだけれど、そうもいかんのか。
 ちょっと調べてみると、予選リーグには「グアム」とか「アメリカ領バージン」とか「イギリス領バージン」とか「フェロー」(ってどこですかいったい)とかいうチームも出場していたりするので、どうもワールドカップというのは国対抗ということではないようなのだけれど、予選にはこんな試合まであるのは理解に苦しむことである。どうなってるんですか。

▼ワールドカップ・サッカーということで、誰もが凡作として忘れ去ったはずの(笑)ペレ著(実は『ゴールド1/密室』のハーバート・レズニコウと共著)『ワールドカップ殺人事件』が、今再びわずかながら脚光を浴びつつあるのだけれど、レズニコウって、ほかにもフラン・ターケントンという人(アメフトの名プレイヤーだった人らしい)と共著で『スーパーボウル殺人事件』を書いたり、元ニューヨーク市長と共著で『市庁舎殺人事件』を書いたりもしてるんですね。うーん、色物ミステリ作家。
 あと、レズニコウが1997年に亡くなっていることも初めて知りましたよ。別に感慨は何一つありませんが。

▼なんかロシアはすごいことに

▼そういえば、MZTさんの日記が更新再開されていることに、今日はじめて気づいたよ。元気そうで何より。

6月8日(土)

『少林サッカー』観てきました。
 いやー、おもしろい。これは絶対に観るべき映画でしょう。今年1本だけ映画を観るとしたら、私はこの映画をお薦めしますね。
 ボールは焔に包まれ、人は宙を飛び、ゴールポストは捻じ曲がる。まさに島本和彦のマンガをそのまんま映画化したような作品である。そうだよ、これこれ。私が観たかったスポーツはこれだったんだ。分身魔球に人間ナイアガラと、超人的な技の登場するスポーツマンガばっかり読んで育ってきた人間にとっては、これぞ理想のスポーツ映画といえましょう。不満があるとすれば、必殺技の名前を叫ばないところくらいのものか。
 当然そこは香港映画なので、心理描写やギャグに独特の泥臭さがあるのだけれど、それもまたよし。『食神』のカレン・モクと『喜劇王』のセシリア・チャンがなぜか髭をつけてゲスト出演しているのもよし(いったいどういう役なのかさっぱりわからないんだけど)。
 最近ヒット作にめぐまれない香港映画だけれど、久々にこんなに大規模公開される作品が登場したのはうれしい限り。まあ、ほかの作品は単館上映やレイトショー上映ばっかりなので、この映画の人気が香港映画全体の人気にはつながりそうにないのだけれど(実は『拳神』も気になってるんだけど、単館上映、しかも2週間で終わりなのが哀しい)(★★★★★)。

ハインライン賞創設。宇宙開発もののハードSFに与えられる賞だそうな。選考委員はグレッグ・ベア、ジョー・ホールドマン、チャールズ・シェフィールド、ラリイ・ニーヴン、ジェリー・パーネル、Yoji Kondoなどなど。Yoji Kondoって誰かと思ったら、エリック・コタニという名前でSFも書いているNASAの物理学者近藤陽次のことなんですね。

6月7日(金)

▼病棟の歓迎会で看護婦さんたちと焼き鳥屋に飲みに行ったのである。
 この店のトイレは、階段部分の下に作られていて、天井が斜めになっているのである。この斜めな天井のせいでいろいろと不便なことがあって、たとえば鏡は斜め部分の下、というちょっと低い位置についている。おかげで、しゃがまないと自分の顔が見えない。しかも、便器に向かって立つとちょうど鏡に腰の部分が映るのである。つまり男性の場合、用を足している間、ずっと放尿する自分の局部を見続けることになってしまう。萎え萎え。
 これはつまり、立って用を足しちゃいかん、ということか。

6月6日(木)

▼最近全然本が読めてません。

ロナルド・シーゲル『パラノイアに憑かれた人々』(草思社)読了。なんか、これ読むのに1ヶ月くらいかかったような気がする。
 パラノイアというのは、きのうちょっと触れたように、猜疑心と妄想を特徴とする病気。「CIAから尾行されている」などという被害妄想や、「夫が誰かと不倫をしている」という嫉妬妄想が有名。以前書いたエロトマニア(恋愛妄想)もパラノイアの一種ですね。ただし、この本の著者は「パラノイア」を相当広く解釈しているようで、コカインによる妄想までパラノイアに含めているのはどうかと思う。実際、含めている、どころではなく、純粋な、病気としてのパラノイアの例はむしろ少なくて、ほとんどのエピソードが薬物中毒者の例なのである。
 この本の大きな特徴は、外から見た記述にとどまらず、パラノイア患者の心理にまで踏み込み、彼らをとても人間的に描いているということ。著者は治療者ではなく、検察側もしくは弁護士に雇われた鑑定人、という立場だからか、普通の精神科の治療関係では絶対にしないようなことまでして患者の心理に踏み込むのである。たとえば当人の家を訪れたり、一緒に車に乗ったり、食事をしたり(ま、鑑定人も普通しないけど)。
 さらに、ゲリラ部隊に襲われているという妄想を抱いて姉と赤ん坊を殺し、79時間にわたり寝台車に立てこもり、警察隊と銃撃戦を繰り広げた男の心理を探るため、著者の取る方法がすごい。列車の車両を用意し、自らコカインを吸い、男の声や銃撃の音を収めたテープを聞きながら、79時間の間寝台車の中で過ごすのである。しかも男と同じく寝台でズボンのまま放尿してみたりもする。私にはここまでやる必要あるとはとても思えないんだけど……。
 ただ、著者は彼らを治療することなど全然考えていないようで、たまに治療を試みたとしてもパラノイアにはまったく無効なことばっかりやっているのですね。
 例えば人工衛星から監視されていると主張する男に対しては、さまざまな反証を集め、彼のいう証拠を突き崩していくのだけど、そんなことで納得してパラノイアが治るものなら苦労はしない。論理的な反証が意味をなさないのがパラノイアというもの。結局男は著者のもとを離れてしまうのだけれど、そんなの当たり前だよ!
 それに、どのエピソードもなんだかノンフィクションというよりは小説のようで、物語としてうまくできすぎているのが気になるのも正直なところ。おもしろいんだけど、正確さには欠けるし、学問的にはいまいちの印象ですね。

6月5日(水)

▼このあいだの外来診察のときのことである。入院していた頃から担当していて、もう3年以上外来で診ている患者さんが、あるテレビ番組を見ていてパニックになりかけた、と話すのである。その番組というのが何かといえば、映画『サトラレ』。
 もう長いこと状態も安定していて、一見したところ病気には見えないような患者さんなので、この言葉にはちょっと驚いたのだけれど、よく考えてみれば、確かにそういうこともあるかも、と納得できる。
 ご存じの通り、『サトラレ』は、考えていることがすべて外に漏れてしまう特殊な人間の物語。その患者さんは、「自分も『サトラレ』かも知れない」と思って不安になってしまったのだという。笑ってはいけない。自分の考えが外に漏れてしまう、というのは「つつぬけ体験」といって分裂病の症状として有名だし、分裂病でなくとも、同じようなことを訴える人はけっこういるものなのである。
 たとえば、「自分の考えが外に漏れる」「自分の目からビームのようなものが出て人を傷つける」「自分は臭い匂いを発しているので人が避けて通る」「自分は醜いので誰もが顔をそむける」などなど(こういうのは「自我漏洩症状」といって、別に分裂病に限るものではなく、特に青年期に多い症状である)。
 そういう不安を抱いている人、ささいな徴候に敏感になってしまう人には、『サトラレ』はきっと、切実な物語として映るのだろう(『サトラレ』の原作マンガにも、自分をサトラレだと思いこむ青年のエピソードがあったけれど、たぶん作者のもとにはそういう手紙が何通も届いているに違いない)。そういう、いわゆるパラノイア傾向をもった人たちにとっては、荒井由美が歌うように「目に映るすべてのものがメッセージ」なのである(いや、荒井由美がそういう意味で歌っているんじゃないことは承知してますが、この歌詞、あまりにパラノイア的な思考にぴったりなので。実際に「目に映るすべてのものがメッセージ」に思えるとしたら、私なら気の休まる暇がなくてとても耐えられないだろう。我々は、「目に映るすべてのものがメッセージ」でないからこそ、こうして平穏に生きていけるのである)。
 こうした不安は精神病にも見られるけれど、別に精神病にかぎったものではない。軽いものであれば、普通の人にだってあります。たとえば「あー、今日は変な服を着てきてしまった」と思っているときには、電車の中の全員が自分を見て笑っているような気がしてくるものである。誰にだってパラノイアの根はあるのである(あんまり徴候に鈍感だと生きて行くのに不利になるので、こうした傾向には進化的な意味があるのだろう)。
 最初の患者さんの場合、すっかり回復して普通に日常生活は送れていても、やはりささいな徴候に対する過敏性は残っており、『サトラレ』によってそれが刺激された、ということになるのだろう。この人の場合、「ちょっとパニックになっちゃいました」といって笑っただけで済んだのでよかったのだけれど、ちょっとしたきっかけで調子を崩して入院、ということだってないとはいえないのだ。
 実際、患者さんというのは、ささいなきっかけで状態が変わるものである。たとえば同時多発テロをきっかけに興奮状態になった患者さんもいれば、阪神大震災をきっかけに悪化したうつ病患者もいる。かと思えば同じ震災をきっかけに改善したうつ病の例だって報告されているのだから、わからないものである。

▼J・K・ユイスマンス『さかしま』(河出文庫)、ラムゼイ・キャンベル『無名恐怖』(アーティストハウス)購入。今までデビュー作『母親を喰った人形』しか訳されていなかったラムゼイ・キャンベルの20年も前の長編がいきなり邦訳されてびっくり。

6月4日(火)

▼「週刊読書人」の5月24日号で、奥泉光さんが書評の中でSFセミナーについて触れています。「SFセミナー2002という集まりのゲストに呼ばれ、その後の『合宿』に少しだけ顔を出したのだけれど、数学小説について語る分科会に参加してみたところ、二人の講師の方が作成したブックリストを貰った。これは数学小説あるいは数学SFと呼ばれうる小説作品のリストであって、私が知らなかったものが多く含まれ、これもまた大いに知識増進の役に立った」とのこと。

▼すでにあちこちで話題のJR職員装い特急に無賃乗車というニュースなんですが、鉄道マニアで20歳男性と21歳女性のカップル、というのがうらやましいなあ、というのはさておき、注目すべきは記事の最後の文。「同署は、鉄道マニアの可能性もあるとみて、詳しい動機などを調べている」って何それ。鉄道マニアって、過激派か何かですか。

▼すでに何度か書いたように、このところ看護婦のことを看護師と呼ぶようになっているのだけれど、「看護師」だとなんだか白看護師、黒看護師がいそうである。白看護師は回復魔法を使えるが、黒看護師は攻撃魔法を使う。ポイズンとか。……すっかりFFXIに毒されてますな。

▼精神医学用語辞典のエロトマニアの項を訂正。「押しかけ厨=エロトマニア」説はすでに撤回したにも関わらず、まだ「押しかけ厨」関係でリンク張ってくる人がいるので。
 あと、日記で書いた「押しかけ厨」関係の文章をひとつにまとめました。用語辞典のフォーマットを使っているのだけれど、さすがに「押しかけ厨」は精神医学用語とはいえんわなあ。まあ、「ナポレオン」とか「心の闇」とかだってそうだから、別に辞典に入れてもいいか。

6月3日(月)

▼眠い。

▼アメリカのスラッシュ・フィクションのリンクサイトSlash Online。人気なのは、スタトレ、Xファイル、バッフィーなどなど。Xファイルではスキナー/モルダー、ヴォイジャーでは、パリス/キムが人気みたいです。
 珍しいところでは料理の鉄人ネタのSSも。舞台は富士山火口内部にある鹿賀丈史の城の主寝室(笑)。鹿賀主宰の台詞が全部「日本語で何か怒ったようなことをいう」みたいなのがおかしい。ほかにはBill & Steveなんて組み合わせも。壁紙もあります。

中学校長、女性方の天井裏侵入容疑で逮捕 山口。自分の部屋から天井裏に上り、同じアパートの2部屋先にある女性の部屋の天井まで伝って行き、天井に直径1センチほどの穴を開けたとか。まさに屋根裏の散歩者。

6月2日()

▼これまで「押しかけ厨」と自己愛について長々と書き連ねてきたのだけれど、そういうお前はどうなんだ、お前は成熟した自己愛とやらがちゃんと発達しているのか、と聞かれれば、うーん、自信ないなあ、と答えるほかない。ああ、そうですよ、私は昔っから人間関係が苦手だし、「かってに改蔵」の羽美ちゃんを見ていると、他人事とはとても思えませんよ。
 だいたい私は、『ギャラクシー・クエスト』の艦長からファンへの通信のくだりで感動しないやつとは友達になれないと思ってるくらいなのだ。私が言いたかったのは、「押しかけ厨」はまったく理解不能な存在ではない、ということ。
 私たちだって、どこかこの世ならざるところから聞こえてくる、艦長の「これは現実なんだ!」という声を待ちつづけているのではないのか。
 そして、キャラ萌えや同人誌づくりには、「厨」たちの前世と同じような、自己愛の傷つきを避けたコミュニケーション手段という側面はないのか。
 私たちも、心の中にある「万能の核」を満たしてほしいのではないのか。
 合宿所のスレでは、その性格上、被害者の立場から、「押しかけ厨」たちはあくまで敵として描写されているのだけれど、「厨」の立場からその肖像を描いたら、それは案外私たちオタクの見たくない部分を拡大した戯画になるんじゃないか、と。
 確かに「押しかけ厨」はどこかで線を踏み越えてしまっているけれど、それでも「厨」と私たちの間は、なだらかにつながっている。これまでの文章の中で、「自己愛性人格障害」という無味乾燥な診断名とその定義を使うのをあえて避けてきたのもそういうわけです(つい使ってしまったところもあるけれど)。

▼妻が、FFXIにはまっている。
 私もやってみたのだけれど(体格のいい半獣半人みたいな種族の戦士を作ってWorfという名前をつけました)、これは恐ろしいゲームである。広大なマップ、遅々として上がらないレベル、貯まらない金。こんなものをやっていては、いくら時間があっても足りない。特に締め切りの近いこの時期には、絶対に手を出してはならないゲームである。といいつつ、今日もUSBキーボードを買ってきて、数時間も遊んでしまったよ。ああ、そろそろ封印しなければ。

▼ハンドメイドのジュエリーを売るイザベル・ラッカーたんのサイト。なかなかかわいいではないですか。実はこの子、かのルーディ・ラッカーの娘さんです。

▼SF作家の親族つながりでいえば、フリッツ・ライバーの息子ジャスティンは哲学者で、『認知科学への招待』が日本語に訳されています。さらにその娘ヴィヴィアン・ライバーはロマンス作家だそうな。ヴィヴィアンの作品は日本でもハーレクインから数冊が訳されているようです
 ということは、ライバー家は、本人、息子、孫娘と3代にわたって著書が日本語に訳されていることになりますね。3人ともジャンルが違うので全員の作品を読んでるという人はまずいないだろうけど。

「きれいな女性の靴が欲しかった」。「きれいな女性」の靴がほしかったのか、きれいな「女性の靴」がほしかったのか、どっちなんでしょう。

▼山手線に乗ったら、向いの席にアイルランド人のおじさんの二人連れが座っていた。なぜアイルランド人だとわかったかというと、胸に"IRELAND"と書かれたTシャツを着ていたのである。なんてわかりやすい人たちなんだ。
 そういえば何日か前にも池袋駅でアイルランド人とすれ違った。このおじさんも胸に"IRELAND"と書かれたTシャツを着ていた(同一人物ではないと思う)。果たして、日本人が海外へ行ったとき、"JAPAN"と書いたTシャツを着るだろうか。まあサッカーを応援するときなら着てもおかしくないが、ふだん着るか?

6月1日(土)

▼今日は「押しかけ厨」の話はお休み。というか、もう書くこと残ってないんですけど。最後のまとめ、というか言い訳のようなものを明日書くつもり。

▼私は香港映画好き(特にアクションもの)なので、当然ながら今日は本日初日のあの映画を観に行きました。そう、ジェット・リー主演の『ザ・ワン』。……いや、だって『少林サッカー』はしばらくやってそうだけど、こっちはすぐ終わっちゃいそうだし。
 予想どおりというか何というか、実に突っ込みどころ満載のぬるい映画であります。まあ、そこがいいとも言えるんだけど。
 基本設定はというと、125の並行宇宙がありまして、世界をひとつずつ渡り歩いてその世界の自分を殺すとだんだん力が強くなっていき、最終的に自分以外の全員を倒せば「ザ・ワン」、すなわち神になれるのだという。いや、なんで125なのか、とかなんで強くなるのか訊かないように。とにかくそういう設定なのだ。
 で、悪いジェット・リーは、すでに金髪のジェット・リーとか長髪のジェット・リーとかメガネのジェット・リーとか123人を殺していて、最後の世界にいる警官のいいジェット・リーを狙っている、と。で、それを時空警察の2人の刑事が追っているのである。
 しかし、すでに123人分の力を手に入れているからか、とにかく最初から悪いジェット・リー強すぎ。時速80キロで走り、弾丸をよけ、白バイ2台を両手で持って人に投げつける。もうこれじゃモンスターである。時空警察だろうがなんだろうが勝てるわけない。いくら戦っても緊迫感も何もあったもんじゃありません。
 しかも、なんでだか、いいジェット・リーは悪いジェット・リー同じ服着てるし(間違えられたくないなら違う服着ろよ)、最後の格闘シーンになると、うぉーとか雄たけびをあげて一方が上着を破る(さすがに観客が区別つかないままだとまずいと思ったんだろうね)。で、最後の最後にまた取り違えネタをやるだけのためにもう一方が上着を脱ぐ。このご都合主義な展開、まさにB級映画。たまりませんね。
 しかし、ハリウッドの監督は、観客がジェット・リー映画に何を求めているのかがわかってないんじゃないだろうか。ジェット・リー対ジェット・リーなんていう奇想天外なアイディアなんて誰も求めてません。観客はジェット・リーのアクションが見たいのである。単にアクションを美しく見せてくれればそれでいいのだ。
 フランス人が撮った前作『キス・オブ・ザ・ドラゴン』がいい出来だったのに比べ、ハリウッドはジェット・リーを使いこなせてないような気がします(★★)。

▼続けて、『愛しのローズマリー』。『メリーに首ったけ』を撮ったファレリー兄弟の新作である。女を見た目だけで判断する男ハルが、カウンセラーに心の美しさが外見となって見えるように催眠術をかけられ、超デブの女性を美女だと思い込んでしまう物語。
 障害者を笑いものにしたり、えげつない下ネタを飛ばしたりと、危ないギャグを満載しつつも、最後には差別する視線そのものを笑い飛ばしてしまうのがファレリー兄弟の持ち味。差別する側も、される側も平等に笑いものにされるのですね。えげつなさとハートウォーミングなラブコメを両立させる、なかなか得がたい才能の持ち主である。
 この作品でも、障害者ネタ、下ネタが多いのは相変わらずなのだけれど、「障害を持つということ」そのものを正面からテーマにしてしまったせいか、以前の作品に比べると、ずいぶんと毒気が抜かれたようなのが残念(★★★☆)。


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