エロトマニア(恋愛妄想) erotomania

 「精神分裂病」も相当誤解を招きやすい用語なのだけれど、それ以上に誤解を受けやすい精神医学用語がある。
 「エロトマニア」である。
 日本語に訳せば「恋愛妄想」。これはつまり、実際にはほとんど、あるいはまったく接触がないのに、相手から愛されている、と確信する妄想のこと。いわば「愛の狂気」ですね。蛇足ながら、「愛している」という確信の方は、精神医学の関与するところではありません。中井久夫は「『愛する』という行為は、もっとも妄想との境界が不鮮明である。あるいはないのかもしれず、この辺はまじめに考えてもはかない」と書いてますが。
 ともあれ、この「エロトマニア」という用語なのだけれど、なんせ「エロ」に「マニア」である。こりゃもう誤解するなというほうが無理というもの。ちょっと検索しただけでも、熟女淫乱エロトマニアとか、エロトマニア【erotomania】[性癖]異常に強い性欲の人のこと。とか、ニンフォマニアと間違えてるんじゃないか、と思われるような用例が多数発見できる。
 田口ランディ『昨晩お会いしましょう』にも、
先天的にセックスが好きな女がいるんだよって。
おまえはそういう女なんだよって、岡田はいつもわかったふうなこと言うんだ。
東大だからさ、なんでも知ってるんだよ。

おまえみたいなのをエロトマニアっていうんだって岡田が言う。
そうなのかな、あたしにはよくわからない。
だけど、ぐちゃぐちゃになってる自分ってけっこう好き。
 という一節があって、ここでもニンフォマニアと混同している。ただ、この場合、岡田は知ったかぶりであり、主人公はエロトマニアという言葉を知らないという設定なので、別に作者が間違って使っている、というわけではないと思う。

 さて、このエロトマニアは、精神医学的にはパラノイア(分裂病とは違って、思考や意志、行動の秩序と明晰さは完全に保たれているのに、ひとつの妄想だけが徐々に発展する、というもの)の一種とされてます。現在の国際的診断分類では「妄想性障害、色情型」にあたりますね。フランスの精神医学では19世紀ごろからすでに扱われている古い概念である。
 1838年、このエロトマニアについて最初に記述したのはエスキロールというフランスの精神医学者。彼は、「エロトマニアは色情症(ニンフォマニア)とは正反対のものであり、それは『純潔な愛の狂気』であり、内容的にはまったく想像上のものである」だと語っている。エロトマニアというのは、プラトニックで精神的な「純潔の愛」だというのですね。ただし、愛されているという確信にはまったく根拠がない(つまり「まったく想像上のもの」)。上に用例を挙げたような「淫乱」とはまったく対極に位置する概念なわけである。考えようによっては究極の「純愛」といえるかもしれない(私も、医学生の頃に遭遇したエロトマニアの一例について、かつて「純愛物語」として書いてみたことがあります)。
 このエロトマニアについてくわしく研究したのが、これまたフランスの精神医学者ドゥ・クレランボーという人物。彼は「熱情(パッション)のみから生じる精神病」を「熱情精神病」(psychose paasionelle)と命名、そのひとつとしてエロトマニアをとりあげたのである(だから、エロトマニアのことをクレランボー症候群ともいう)。
 彼によれば、エロトマニア患者は多くが女性であり(ただし、あとで書くするように暴力事件を起こすような例には男性が多い)、エロトマニアというのは情熱というよりもむしろ高慢の産物だという(さらに彼は、エロトマニア患者のプラトニズムは付随的なものであって、本質的じゃない、という)。彼は1921年の論文の中で、「エロトマニアの基本公準」として次のように述べている。
相手の方こそが恋をしかけてきたのであり、相手の方がより愛しているか、あるいは相手だけが愛している(相手は通常、身分の高い人の場合が多い)。
 つまり、本当は自分がストーカー行為をしているとしても、彼(彼女)らの頭の中では、自分は別にそんなに好きでもないんだけど、相手の方こそが自分のことを熱烈に愛している、と思っているわけである。身分の高い人というのは、政治上の公的人物、有名人、医師、牧師などだ(クレランボーは、イギリス国王ジョージ5世に愛されているという症例や、上司が自分と結婚したがっているという症例を報告している)。
 そしてまたエロトマニア患者はこう信じる。「相手は自分なしには幸福になれない。相手は自分なしには完全な生きがいを得られない。相手は自由の身であり、たとえ結婚していても無効である」
 さらに、そこからこんな信念も派生してくる。「いつも相手から見られている。いつも相手に守られている。相手の方から自分に近づいてくる。たとえ直接対話していなくても、自分は相手と間接的な会話をしている。相手は意表を突いた術策を使う。進行中のロマンスは、人々みんなの共感を得ている。相手は矛盾した行動をする」
 この中で重要なのは最後の「矛盾した行動」であり、これを欠くことは決してないという。彼らは、相手がどんなに自分を拒んだとしても(たいがい、拒むものである)、それは相手が本当は自分を好きなのに嫌がっているように振る舞っていて、自分への愛を偽っている、などと受け取ってしまうのである。そして、彼らはこんなふうに解釈する。「相手は高慢さから、小心さから、疑念から、嫉妬から、あるいは根深い意志薄弱から、ためらっている。不可解な友人が相手を信じられぬくらい牛耳っている。相手は自分をためしている……」
 ここまで(相手が自分のことを熱烈に愛している、と思っている時期)をクレランボーは「希望段階」(stade d'éspoire)と名づけた。
 続いて訪れるのが「怨恨段階」(stade de dépit)。相手の矛盾した行動(あくまで恋愛妄想者から見て、だけれど)が続くと、彼らは苛立ち、屈辱を覚え、相手との離別を望んでいる誰かが迫害している、あるいは相手自らが迫害を仕掛けてくる、と思いはじめる。しかし、この段階ではまだ、彼らは内心和解を期待しているので、相手を恨みながらも手心を加えている。
 そしてついに「憎悪段階」(stade de racune)では、それまではうわべだけだった苦情が本気になり、憎しみをむきだしにした態度に出る。彼らは、過去にこうむった損害(多くは架空のものである)や最近の損害(事実のこともあるが、相手のみのせいでないことが多い)について申したてる。暴力行為に出ることも少なくない。
 俳優や作家など有名人をターゲットにしたような古典的なストーカーってのは、このエロトマニアであることが多い(ジョディ・フォスターの気を引くためにレーガン大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーとか、レベッカ・シェーファーを殺害したロバート・バルドーとか。日本でも市川猿之助や久保田利伸へのストーカー事件が話題になりましたね)。
 もう一度言っておくと、彼らはたったひとつ相手が自分を愛している、という妄想を抱いている以外はまったく正常なのである。そこが世界全体が妄想で覆い尽くされてしまう分裂病と違うところだ。

 では、ひとはなぜエロトマニアになるのだろうか?
 エロトマニアの原因としては、「否認された無意識的な同性愛衝動」とするフロイトの考え方が有名だけれど、これは今ひとつ信憑性に欠けるような気がする。むしろ、「(恋愛妄想とは)自己愛的な個人が、自己の愛を否認し、この感情を他人に投射したもの」というH.W.ジョーダンの考えの方がよく当てはまるように思える。そう、エロトマニア患者は基本的に自己愛者なのだ(エロトマニアの病前性格として知られている「パラノイア体質」もまた、強い自尊心と発揚的(全身が生命力、活力に満ちた感じ)、自己中心的、独断的傾向と、まさに自己愛性人格障害そのものである)。
 さて、ではどうやって治療するか、ということになるのだけれど、これが難しい。大橋貢らなどは「総じてこの種の患者に対する治療はきわめてむずかしい。とりわけ純粋型に対してはいかなる治療法も功を奏さない」と、さじを投げているくらいである(純粋型というのは恋愛妄想のみが存在するタイプ。それに対して、二次型は分裂病に移行したり他の妄想と合併しているようなタイプ。意外に思えるかもしれないけれど、純粋なエロトマニアより、分裂病などと合併している方が治りやすいのである)。
(last update 02/06/04)

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