正字正假名隨筆 「鞭毛亭日乘」

精神科篇

第一話 良枝さんと裕美さん


「良枝さんは高校二年の時、迎賓館で生まれました」と、裕美さんは云つた。父は明治天皇、母は和宮だといふ。なほ、父は平幹二郎とも同一人物だ。
 裕美さんの方は富山縣の生まれ。六歳で養女に出され、小中學校、高校で何度も學級委員を務めながら優秀な成績で卒業、慶應大學文學部西洋史科に入學。卒業後はオクスホオド大學に留學、哲學を學んだ。キルケゴオルの研究書を出版、ノオベル賞を二千と四十個貰つたといふ。本を二千部刷つたからである。あとの四十個は短歌によるものだ。「賞金を八千億圓貰いました」裕美さんは云う。「英語で演説をしなければなりませんでした」
 日本に歸つてから、裕美さんは華道、書道、琴、茶道の師範となり、月五億を稼いだ。また、皇居で、美智子さま、浩宮さま達の短歌の添削係を務め、月七億を貰つた。「でも、私はお金を手にする事が出來なかつたんです」哀しさうに、裕美さんは云つた。「のりピイに取られてしまつたんです。えゝ。酒井法子です」
 その事は、腦裡の世界で聽いたと云ふ。「私達の目に見える世界は、第一水晶に映つています。腦裡の世界は第三水晶に映ります。誰でも見えるでせう。見えませんか」
 裕美さんは、自作の短歌集と數枚の水彩畫を見せてくれた。「私が書きました。私? 私は良枝です。私の才能はこの程度です」歌は、言葉遊びに類した他愛ないものが多い。水彩畫は、鮮やかな色をした、綺麗な花の繪ばかりだ。着物繪を描きたいのだといふ。「やはり西陣へ行かないとだめかしら」裕美さんは心配する。
 良枝さんは、慶應大學を卒業後、家事手傳いをしながら、華道、書道、琴、茶道の稽古をしてゐた。裕美さんとは對照的なつましい生活である。「荻野目洋子つて知つてますか」唐突に、裕美さんは云つた。「實は、私は荻野目洋子なんです。テレビに出てゐるのはお人形さんです」
 裕美さんは、紀子さまが主催する京都でのお茶會に招かれてゐる。「でも、裕美さんは、今はいないのです」裕美さんは、哀しそうに語つた。「パラノイア王國といふ國に行つてしまつたのです。その國を治めに行つたのです」
 だから今は私ひとりなんです、と裕美さん/良枝さんは云つた。「でも、裕美さんと話をする事もできますよ、腦裡の世界で」

 水野裕美さんは、昭和二十五年、富山縣の生まれだ。六歳の時に養女に出された。養父母は彼女に「良枝」といふ名を與え、養父母と親戚はその名で呼んだが、學校では「裕美」と呼ばれていた。高校までは優秀な成績だつたが、大妻女子大學二年の折りに幻聽が出現、精神科に通院を始める。「良枝」と「裕美」が出現したのは、この頃からだ。
 大學卒業と同時に京都へ家出。歸つてからは中學教師、事務などの仕事を務めた後、自殺を圖り入院。その後も入退院を繰り返すが、皇居に向かひ警察に保護される事もしばしばであつた。
 四年前に退院してからは、養母と二人で平穩な生活を送つてゐる。

 裕美さんは、拍手に送られて講堂を退出した。
 かうして、精神科講義「精神分裂病 第四回」は終はつた。

 なほ、我々醫學生といへども「守祕義務」といふものがあるので、文中では假名を使用した。

第二話 東京純愛物語

 學生實習で直接、精神疾患の患者を診察することになつたのは、それから一年後のことである。
 私の前には中年の婦人が座つてゐた。病院の地下にある精神科外來の一室である。室内にはなにか鼻を突く臭氣が漂つてゐる。トイレが近くにある爲だらうか。
 座つてゐるのは、見たところどこにでもゐるような普通の「オバサン」である。ただ年齡にしては少し着てゐるものが派手なやうな氣がするが、派手なオバサンなど別に珍しくもない。
 私はセオリイ通りに病歴から訊き始めた。婦人がまず口にしたのは、大學時代の話だつた。
 高校生の時の彼女は學力優秀な少女だつた。早稻田大學に入學、しかし大學生活の間に徐々に精神が不安定になつていつた。
 大學にゆく氣が起きずに一日中寢てゐることが多くなつた。たまに大學に行つても講義に興味を感じられず、すぐに歸つてきてしまつたといふ。
 そんな彼女の精神の支えとなつてゐたのが、大學で知り合つた同級生の男性だつた。グルウプで何回か逢つたことがあるだけだつたが、彼女には彼が自分を愛してゐることがわかつてゐた。彼女も又彼を愛してをり、彼の事を思ふといてもたつてもいられなくなつてしまうのだつた。彼を思ふ餘り、突然彼の家に押し掛けて行つたこともあつたといふ。
 彼女は、私に向かつて嬉しさうに彼の事を話してくれた。無論、本當は彼は彼女を愛してはいない。これは分裂病によくある戀愛妄想である。放つて置けばいつまでも大學時代の話を續けさうなので、私はその後の話をするやう、彼女を促した。
 だがその後の話は、至極簡單なものだつた。彼の家に押し掛けた後、精神病院に入院。大學を中退し、病院に通院し乍ら事務職に就くがすぐに辭職。以後幾つかの作業所で働いたが、どれも長くは續かず、現在は姉と二人暮らしださうだ。
 なほ、現在、大學時代の彼は別の女性と結婚してをり、子供もまうけてゐるといふ。だが彼女は今でも彼を愛してをり、彼も又彼女を愛してゐると「知つて」ゐる。彼の話になると、彼女は本當に幸福さうな表情を見せた。

 つまりかういふことだ。彼女にとつては、現在もまた長い大學時代の延長に過ぎないのだ。三十年間、彼女は止まつた時間の中を生き續けてゐるのである。そして彼女は三十年間、彼を愛し續けてゐるのだ。
 私は問診を終え、彼女は待合室へと去つた。氣になつてゐた臭氣はかき消すやうに消え、私は初めてその臭氣を彼女が發してゐたことに氣づいた。分裂病患者は、身だしなみに全く氣を使はなくなつてしまふことがよくあるのだ。
 幸せな家庭を築いてゐるであらう彼は、おそらく彼女の事など大學時代の一插話程度にしか憶えてはゐないだらう。しかし狂氣にしかなしえぬ深さと執拗さで、彼女は彼を愛し續けてゐる。
 彼女の止まつた時計を再び動かすことは、多分不可能だ。とすると、彼女は生涯彼を愛し、彼に愛されてゐると信じ乍ら生きて行くのだ。これはこれで幸せなことなのかもしれない。
 それに、これは現代では珍しい「純愛」の物語といへまいか?

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