「さあ気ちがいになりなさい」だったかな。フレドリック・ブラウンの短篇に、自分がナポレオンだと信じている精神病患者が登場する話があった。ラース・フォン・トリアー監督の映画「イディオット」にもそんな精神病患者(を演じる健常者、というややこしいことになっているのだけど)が出てきた。阿刀田高の「ナポレオン狂」ってのもそういう話だっけ? 読んだことないんだけど。赤川次郎になるともっとすごくて、自分をダルタニアンだのホームズだのと信じている患者が活躍する連作短篇集があったなあ。あれを読んだ頃は精神科の知識はなかったからあんまり気にならなかったが、今考えるとむちゃくちゃな話である。
何が言いたいかというと、自分をナポレオン(なり他の偉人なり)だと信じる患者という、狂気のイメージのステレオタイプがあるってこと。
ところが、実際の診療では「○○に自分のことが知られている」などという被害的な妄想は多いものの、「自分は○○だ!」と主張するような患者さんはほとんどいないし、ましてやナポレオンにはとんとお目にかかったことがなかった。日本じゃ、天皇関係の妄想はあっても、ナポレオンはそれほど一般的じゃないからなあ。しかも最近じゃ天皇ものもあんまり見かけなくなっていて、多いのは芸能人関係の妄想。「松田聖子にお金をとられた」とか「hideの声が聞こえる」とかね。ま、そういう時代ということだ。
こんな状況ではもうナポレオンに会うことは無理だろう、と半ば諦めていた私なのだが、会いたい会いたいと思っていれば、いつかはかなうものである。ついに私は出会ったのである。「俺はナポレオンだ!」と主張する患者さんに!
おお、あのステレオタイプはフィクションではなかったのだ。マジで感動しましたよ、私は。「本当にナポレオンがいたとは!」と、私は興奮気味で看護婦さんや同僚の医者にも話して回ったんだけど、呆れたような顔をされたってことは、あんまり理解してもらえなかったんだろうなあ。
ただ、このナポレオンはいつでも常にナポレオンだというわけではなくて、「○○さん」と名前を呼べば「何ですか」と答えるのだけど。これは
二重見当識、あるいは(どういうわけだか)
二重簿記といって、精神分裂病の特徴のひとつ。いつもナポレオンをやってるのでは疲れてしまうし日常生活ができなくなってしまうわけで、これは妄想世界と現実世界を矛盾なく使い分けるという、いわば患者さんの知恵なのですね。
(last update 01/04/01)