心の闇 Kokoro no Yami

 猟奇的な殺人事件の犯人が捕まったりすると(特にそれが少年だったりすると)、ニュースや新聞ではよく「心の闇」という言葉が使われるものである。よく考えてみれば、そんな言葉で表現したところで何も言っていないも同然だし、心に闇のない人間がいたらお目にかかってみたいものである(闇なんかないという人がいたらそっちのほうがよっぽど不気味だ)。要するに、何を考えているのかさっぱりわからなくて不気味だ、ということをかっこつけて言ったにすぎないのだろう。
 朝日新聞の見出しデータベースで調べてみたところ、「心の闇」が初めて見出しに登場したのは、1997年6月30日の特集記事「14歳『心の闇』」から。6月30日は、神戸の連続児童殺傷事件の犯人が逮捕された翌日で、それ以前には一度として「心の闇」という言葉は見出しには使われていない。どうやら、「心の闇」という言葉は、朝日新聞の特集記事のタイトルから一般化していった、ということでよさそうだ。1999年には「心の闇や業描く 『大菩薩峠』」という具合に、少年犯罪以外の記事にも使われるようになってきている。
 しかし、「心の闇」という言葉自体は、朝日新聞の発明などではない。ざっと千年の歴史を持った由緒正しい言葉なのである。
 まず広辞苑を引いてみると、こんなことが書いてある。
こころ-の-やみ【心の闇】
(1)思い乱れて理非の判断に迷うことを闇にたとえていう語。古今恋「かきくらす--にまどひにき」
(2)(「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」の歌から)特に、親が子を思って心が迷うこと。源桐壺「これもわりなき--になむ」
 「心の闇」という項目がちゃんとあるのだ。
 源氏物語では、(2)の「親が子を思う心」という意味で使われていることが多いのだけれど、こんな歌もある。
尽きもせぬ心の闇に暮るるかな雲居に人を見るにつけても
 これは、源氏が藤壺に憧れて詠んだ歌。この場合「心の闇」は(1)の方で、恋に悩む心を意味しているのだろう。
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ
 これは広辞苑でも例として挙げられている、伊勢物語で在原業平が詠んだ、斎宮14歳への返歌。これも恋の歌である。どうやら「心の闇」という言葉は平安時代からあったもののようだけど、現代の意味とはちょっと違うようだ。今は、恋に迷う心や親が子を思う心を「心の闇」とは言わないだろう。
 では、現在のような「犯罪心理」とか「異常心理」のような意味で最初に「心の闇」を使ったのは誰か……と調べて行くと、意外な人物に突き当たる。
 尾崎紅葉。
 そう、あの『金色夜叉』の。
 尾崎紅葉が、明治26年に、その名もずばり「心の闇」という小説を発表しているのだ。
 簡単にあらすじを説明しよう。
 盲目の按摩佐の市は、幼なじみの宿屋の一人娘お久米にほのかな恋心を抱いている。佐の市は宿屋出入りの按摩として働いていて、真面目な好青年として評判もよかったのだけれど、あるとき、お久米の婚約の話を聞いてから、人が変わったようにむっつりと不機嫌に思い悩むようになる。
 お久米の両親はもとより一人娘を按摩の嫁にやるつもりなどなかったし、お久米の方としても、盲目の按摩は結婚対象外だと思っていたわけですね。だから佐の市の恋心には気づかぬふりをして、努めてただの使用人として接しようとしていたのだけれど、お久米はだんだんと佐の市の自分を見る視線に不気味さを感じるようになってくる。そしてついに佐の市が出てくる悪夢をみたりするようになる。
 やがてお久米は結婚。その日の深夜、雪の降りしきる中、佐の市は夫婦の新居の周りをうろうろしているところを警官に見つかり、不審人物として連行されてしまう。そして、その後お久米は佐の市に会うことはなかったが、月に2、3度ずつ、あるときは死人のよう、あるときは怪物のような顔をした佐の市の悪夢を見るのだった。
 最後の一文がなかなかかっこいい。
言はずして思ひ、疑ひて懼る。是も恋か、心の闇。
 とまあ、快活だった佐の市が幼なじみの婚約をきっかけに思いつめるようになり、とうとうストーカーとして逮捕されるまでの心の闇を描いていると同時に、お久米の側の佐の市へのうしろめたさという心の闇をも同時に描いた作品なわけだ。もちろん、タイトル自体は、盲目の佐の市の「闇」と心の中の「闇」とをかけているのだけど、「心の闇」の使い方としては、平安時代以来の「思い乱れる心」といった意味を踏襲しながらも、現在使われているような「異常心理」的な意味に少し近づいてきているように思える。
 さらに、島崎藤村の「若菜集」(明治30年)の中の「おさよ」という詩にはこんな一節がある。
流れて熱きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

乱れてものに狂ひよる
心を笛の音に吹かん
(中略)
愛のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り

悪をわれの吹くときは
散り行く花も止りて

慾の思を吹くときは
心の闇の響あり

うたへ浮世の一ふしは
笛の夢路のものぐるひ
 ここでも「心の闇」は「慾の思」や「ものぐるひ」のような狂おしさと結びつけられている。
 もちろん源氏物語や紅葉、藤村の「心の闇」が、直接現在使われている「心の闇」につながっているわけではない。しかし、平安の貴族たちも、明治の文豪も、現代の我々と同じく、心の中に闇を見ていたのだ。心に闇を飼っているのは、決して現代の子どもたちに限った話ではないのである。

(last update 03/06/10)

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