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12月10日()

▼伊藤典夫先生の偉大さを改めて思い知らされた一日。わずか4枚の原稿のために、ラファティの短篇を60篇、原文と訳文を対照しながら再読したそうだ。読んでいるうちに翻訳の問題点がいくつも見えてきて、原稿が進まなくなってしまったとか。ワープロ打ちされた読書メモを見せてもらったが、さすがにものすごい読み込み。自分なりの読み解きをして理解したと確信しない限り、訳せないという人なのだ。しかも、感性でおもしろいと思う、というのではなく、分析的に理解しないとわかったとは見なさないのですね。だから、ディックはよくわからないので訳さない、と平然とおっしゃる。あー、私のように、ディックはなんだかわからないけどおもしろいや、とか言ってちゃダメなのか。『アインシュタイン交点』に30年かかったのも当然といえよう。ひるがえって自分のことを省みると、なんといいかげんに仕事をしてきたことか。ダメな己を反省するけど、これほどの完璧主義は真似できないなあ。
 でも、健康のためには完璧主義もほどほどにして下さいね>伊藤先生。

▼尾山さんから、インディーズバンド千葉レーダのアルバムが出ていると聞いたので、八王子のタワーレコードで『CR/CD 千葉レーダ/コンパクトディスク 44.1キロヘルツ方面』(Waveファイル入りのフロッピーディスクつき)を購入。ライブなどほとんど行かない私なのに、なぜかこのバンドのライブは3回も聴いたことがあるのだ。安っぽいテクノの音色に何とも言えぬねっとりとした歌声と泥臭い歌詞がたまりません。

▼日本SF作家クラブ編『2001』(早川書房)、都築響一『珍日本紀行』東日本編・西日本編(ちくま文庫)、七北数人編『人獣怪婚』(ちくま文庫)、西澤保彦『転・送・密・室』(講談社ノベルス)、辻真先『デッド・ディテクティブ』(講談社ノベルス)購入。
12月9日(土)

5日の日記で書いた「脳内IT革命フリーター18歳」からのSPAMメールについて。おおたさんからは「親切で大人」だと評されてしまったのだけど、あいにく私は親切でも大人でもないんだけどなあ。別に私は積極的に購読してあげようと思っているわけではなく、のださんと同じく、自分のメールアドレスが生きていることを知られるのがイヤだから返信しないだけなんですが。
 メールマガジンは、まず十中八九来ないでしょう(こないだの一般常識研究家氏のときと同じように)。それに、たとえ来たとしても、そのときはそのときで日記のネタになるし。ということで返信などしてやらず、そのおばかさんぶりを公開して衆目に晒しておくのがいいかな、と考えた鬼のような私なのでありました。

▼森奈津子『あんただけ死なない』(ハルキ・ホラー文庫)読了。この作者の小説はみんなそうだけど、ジャンルはホラーというより森奈津子。プロットはホラー小説にありがちなものだけど、語り方がホラーにしちゃ全然怖くない。ホラー作家なら、主人公の家にまつわる因縁のあたりをどろどろと描いて盛り上げるはずなんだけど、作者の関心はそんなところには全然ないらしい。それに、ホラー小説の恐怖は、平穏な日常のモラルや常識が崩壊していく恐怖が大きいと思うのだが、森奈津子のキャラクターは、はなからモラルや常識なんて気にしちゃいないし、超常現象が起きてもしおらしく怖がったりもしない。何が起こっても力強く乗り越えていくだけ。この作者の作風は、ホラーには向いてないんじゃないかなあ。
12月8日(金)

▼ロブ・ライアン『アンダードッグス』(文春文庫)読了。イチローと大魔神とスターバックスの街シアトル。その地下にはなんと巨大な地下迷宮が広がっているのであった! そんなバカな、と思うのだが、本書によればどうやら本当のことらしい。19世紀末に大火災が起きて30街区以上が壊滅状態になり、街を再建するときに床面を1階分高くすることにしたため、地下には19世紀の廃墟がそっくり眠っているのだそうだ。おお、私のような洞窟好きにはたまらない街ではないか。
 さて本書では、“兎”と仇名される小悪党がアリス・プレザンスという名の少女を人質にこの迷宮に逃げ込む。彼らを追う警官の名はジョン・テニエルにアイザ・ボウマン、そしてルイスという名のカメラマン……。ルイスの恋人の名はダイナで、チェシャイアなる人物も出てくる。知っている人は知っている通り、ここに出てくるのは「不思議の国のアリス」にまつわる名前ばかり。
 こりゃ「アリス」好きで地下好きの私は読むしかないでしょ、とばかりに読んでみたのだけど、むう、これは今一つ。中盤までは地下世界の描写はほとんどないし(地下迷宮の魅力という点では『レリック』の方が上)、「アリス」との関わりも薄くて、共通点は人物のネーミングと地下が舞台というところくらい。中盤では、あるどんでん返しがあるんだけど、物語全体にそれほど影響を及ぼすようなものでもないので、驚きがあまりない。第一、ベトナムのトラウマ話はもう飽き飽きだ。今どきベトナム話を書くんならもうちょっとひねってほしいな。
 というわけで、「アリス」と洞窟を愛するSF読みの私には、あんまり楽しめない作品でありました。冒険小説ファンは、また違う感想を持つんだろうけど。

▼栗本薫『魔の聖域』(ハヤカワ文庫JA)購入。
12月7日(木)

▼浦浜圭一郎『DOMESDAY』(ハルキノベルス)読了。第1回小松左京賞佳作受賞作品である。
 小松左京賞応募作品は、武森斎市『ラクトバチルス・メデューサ』、平谷美樹『エリ・エリ』、そして本作と読んできたけれど、どの作品にもどこかしら小松作品へのオマージュが感じられるのがおもしろい。『ラクトバチルス・メデューサ』は『復活の日』だし、『エリ・エリ』は『さよならジュピター』か『虚無回廊』か。そしてこの『DOMESDAY』は『首都消失』でしょう。
 ある日、東京に突如巨大なドームが出現、高層マンションを含む直径376メートルの範囲が外界から隔離されてしまう。さらにドーム内には「天使」と呼ばれる無数の球体が出現して人間を飲み込み、ドーム内の人口は100人余りに減らされてしまう。「天使」はその後の人口の増減は一切許さないようで、自殺者は人を襲うゾンビとして復活させられている(投身自殺した死体なんて、平べったくなって地面を這い回っているのだ)ので、おちおち外も歩けない、というすさまじい設定。当然ながら、全編に渡って「ゾンビ」ばりのスプラッタシーンが展開するホラーSFになってます。
 さて、SFとしての読み所は、作者がこの事態にどんな解釈を与えるか、ということになると思うのだけれど、作中には二通りの解釈が登場する。ひとつはカルトの教祖が語る、聖書の言葉による解釈、もうひとつはSF作家が語る、SF用語による解釈。SFだと往々にして後者の解釈がメインになってたりするのだけど、この作品でおもしろいのは、どっちも正しいとも間違っているとも答えが出されず、どちらの人物も徹底的に戯画化されているということ。社会や宗教は言うに及ばず、SFの思考法そのものすら相対化する姿勢は、SFとしてはなかなか新鮮である。
 おもしろさでいえば『エリ・エリ』より上だと思うんだけど、ホラーとの境界作品でもあることだし、「SF」というジャンル自体を斜めから見たような作風のこの作品に、第1回小松左京賞を受賞させるのはためらわれる気持ちもわかる。やっぱり『エリ・エリ』の受賞は妥当なところかな(その点、「ファンタジー」の枠を壊すような作品ばっかり受賞させているファンタジーノベル大賞の方が根性が座っていますね)。
12月6日(水)

▼中井紀夫『遺響の門』(徳間デュアル文庫)読了。ポンコツだけどなんとも味のあるメカやほのぼのとした異星人、熱気あふれるライブハウスの描写など、この作者ならではのガジェットの数々がうれしい。ああ、『漂着神都市』の頃が懐かしい。
 ただ、物語の方は今一つ。学校生活になじめない少年が、歓楽街で出会った謎の少女に導かれ、壮大な宇宙的規模の謎に関わる冒険へと旅だっていくというストーリーは、ジュヴナイルSFの王道といえるのだが、あまりに古典的なパターンだけにちょっと物足りなさを覚えてしまう。それに、美少女の魅力で引っ張っていく前半はすばらしいのだけど、後半になるといささか書き急いでいるんじゃないかな。謎の明かされ方が性急すぎるし、あれほど魅力的だった少女が、後半ではめっきり影が薄くなってしまうというのはどうしても納得がいきません。

▼恩田陸『上と外 3』(幻冬舎文庫)、『20世紀SF(2)』(河出文庫)、須藤真澄『ゆず』(秋田文庫)、『精神科がおかしい』(別冊宝島Real)購入。別冊宝島って、今の判型になってからつまんなくなったし、書店でもあんまり見なくなったなー、と思っていたのだけど、ここにきて元の判型に戻した新シリーズを出したってことは、やっぱり売れなかったのかな。しかし、仕事選んだ方がいいと思うんですが>斎藤環さん。

▼この項、当事者からの要請により削除(2003年4月10日)。
12月5日(火)

▼今日は病棟の忘年会のため手抜き。

▼こんなメールが来た。しかも2通も。

はじめまして、突然のメール誠に失礼致します。
このメールは掲示板等からアドレスを解析しお送りしています。

このメールは金銭に絡んだ誘いのメールや
アダルト関連の案内メールではありません。

私、個人が配信いたしますメールマガジンを読んでいただきたく
お知らせのメールを送らさせていただきました。


 私は18歳フリーターの××××と申します。
 私はダラダラとした毎日の生活に嫌気が差し、自分にもIT革命をと思い
 自分がメールマガジン発行者として自分自身を確立できる日を夢見て
 メールマガジンを発行しようと決心しました。

 マガジンというほど定期的に配信できる自信は今のところないのですが、
 できるだけ多くの方々と意見交換をしながら楽しいマガジン作りができれ
 ばと考えております。

 まずマガジンを読んでいただく人たちが必要だと思い、今回メールを送ら
 させていただきました。突然のメールはネチケットに反する行動であると
 分かってはいるのですが、どうしても多くの人々に聞いていただきたく
 この方法を取らせていただきました。
 
 あなたのEメールアドレスをマガジンの宛先として登録したいと思うのです
 が、もし嫌な方は誠に恐れ入りますが、このメールをそのまま返信して
 いただければマガジンの送信を控えさせていただきます。

 もちろん皆様からのメールも大歓迎です。マガジンの内容のほうが、まだ
 決まっておりませんので、何かおもしろいものがあれば是非お聞かせくだ
 さい。また、配信しますマガジンに対して良きアドバイスもいただけると
 嬉しいです。

 メルトモのような感覚で受け取っていただけたらと思います。
 私が一人前のメールマガジン発行者になれるよう皆様の協力をお願いいた
 します。

◇◆◇     メールマガジン発行者を夢見る18歳 ×× ××でした
◆□◆           Eメールアドレス xxxxxx@xxx.xxxxxx.xx.xx
◇◆◇

 突然のメール、失礼致しました。尚、不愉快な思いをされましたら
 心よりお詫び致します。
「自分にもIT革命を」!
「メールマガジン発行者として自分自身を確立できる日を夢見て」!
「マガジンの内容のほうが、まだ決まっておりませんので、何かおもしろいものがあれば是非お聞かせください」!

 なんともはやしびれるメッセージの数々。素晴らしすぎます。
 もしかすると、メールを返信させて、生きているアドレスを調べるのが目的かとも思うのだが、それにしては、発信元のアドレスは何の細工もない普通のプロバイダのものである。文面通り、送り主は単に物を知らない18歳だと考えるのが妥当だろう。
 頑張れ18歳フリーター。メールマガジンが届いたらまたネタにしてあげましょう。
12月4日(月)

「パソコン操作ミスで筋弛緩剤投薬 男性死なす」。富山県の病院で、医者がコンピュータのオーダリングシステムで肺炎の患者に薬を処方したところ、ステロイド剤の「サクシゾン」と筋弛緩剤の「サクシン」のクリックミスで患者が死亡してしまったとか(病院は死亡との因果関係を否定しているそうだが)。うーむ、同じような事故が続きますね。この前も書いたけど、人間はミスをするものである。クリックミスなんてのはいくら注意していても起こるときには起きてしまう。だから、調剤をする薬剤師や実際に点滴をする看護婦も、医者がヘンな処方をしていないかちゃんとチェックしてほしいし、ソフトを作る側でも、劇薬毒薬の前後には画面上でスペースをあけるとか、毒薬をクリックしたときには確認を求める窓が出るとか、ミスを事前に防止するようなシステムを工夫してほしいですね。あと、製薬会社も、薬に紛らわしい名前をつけないでほしいなあ。
 あ、もちろん医者の側のコミュニケーション能力も重要。医者と看護婦、薬剤師との間のコミュニケーションが円滑だったら、こんな事故はなかったんじゃないかな。
 ちなみに、この事故についてZAKZAKの見出しは「パソコン入力ミスで患者に毒薬投与」。確かにサクシンは、厚生省の規制区分では「毒薬」だけど、「毒薬投与」というとおどろおどろしいイメージですね。実際は、必要とあれば医者は毒薬や劇薬を処方することだってあるわけなんですが。

▼鈴木力さんから、アウシュビッツはポーランドだというご指摘をいただく。その通りです。申し訳ない。
 しかし、自分の町に付与された強烈なイメージを、アウシュビッツの人たちはどう思ってるんだろう。重い歴史とは関わりなく、アウシュビッツに現在住んでいる人々は、当然普通に仕事をし、生活をし、恋をしたりしているわけで、いつまでも自分の町が虐殺のイメージだけで語られるのはイヤだったりしないんだろうか。「アウシュビッツ産のジャガイモ」とかあんまり食べたくないしなあ。こういうのも風評被害?

▼フランツ・カフカ『失踪者』(白水社)、浦浜圭一郎『DOMESDAY』(ハルキ・ノベルス)、戸梶圭太『the TWELVE FORCES〜海と大地をてなずけた偉大なる俺たちの優雅な暮らしぶりに嫉妬しろ!〜』(角川書店)購入。長いよ、タイトル。

▼駅のホームで立って電車を待ちながら「トランジスタ技術」を読んでいる女性を見かける。ちょっとときめく(笑)。
12月3日()

▼日曜日だというのに休日出勤。

▼私の出身地は鎌倉である。
 自己紹介をするとき、鎌倉生まれだというと、「いいところですねえ」と言われたり、うらやましそうな顔をされたりする。ちょっといい気分だ。
 私は鎌倉が好きだし、今まで、傲慢にも、これ以上印象深い出身地なんてないね、と思ってすらいた。京都? 目じゃないね。京都で海水浴ができるか、てなもんだ。
 しかし私は間違っていた。最近、同じ病院で働いているある女性が、私よりはるかにすごい出身地の持ち主だということを知ったのである。
「アウシュビッツ生まれ」
 嘘ではない。
 私とほぼ同じ年代のその女性の出身地は、アウシュビッツなのであった。別に彼女はドイツ人だというわけでもなければ、両親がユダヤ人というわけでもない。普通の日本人である。なんでも彼女の父親がユダヤ人虐殺を研究している歴史学者で、夫婦でアウシュビッツに住んで研究していたときに彼女が生まれたのだそうだ。
 負けた。
 インパクトのある出身地で戦う出生地勝負なるものがあるとしたら、「アウシュビッツ生まれ」に勝てる人がいるだろうか。いや、いるはずがない。
 この夏休み、彼女は生まれ故郷のアウシュビッツを旅行したそうな。
 夏休みにアウシュビッツ旅行。
 負けた。
 何だか知らないが、私はそう思った。
12月2日(土)

▼久しぶりに映画を観に行きました。
 まずは『チャーリーズ・エンジェル』。これぞバカ映画の鑑。あとにはきれいさっぱり何も残らないけど、観ている間はこんなに楽しいものはない、お気楽コスプレアクション映画である。ストーリーはあってないようなものだけど、有無を言わせぬパワーで最初から最後までハイテンションで突っ走る! ここまで莫大な金かけてバカ映画を作ってしまうんだから、ハリウッドにはかなわんよなあ。
 いきなりピチカートファイブだの伊福部昭だのが流れたり、キャメロン・ディアスが変な日本語をしゃべったり、という妙な日本趣味もいいですね。
 しかし、昔はカンフーアクションってのは鍛え上げた香港俳優にしかできないものだと思っていたのだけど、最近のハリウッド映画を見ると、意外と誰にでもできるということがわかります(★★★★)。

▼続いてSFオンラインでも絶賛のSF映画『ピッチブラック』。辺境航路の宇宙船が不時着したのは、太陽が3つあって22年に一度しか夜がこない砂漠の惑星。やがて夜が訪れ、地下に潜んでいたモンスターが群れをなして生存者たちに襲いかかる、という「夜来たる」+「エイリアン」みたいな話。夜が来るまでの前半はけっこう眠いのだけど、世界が暗黒に包まれてからのサスペンスの盛り上げ方はなかなか見事。いちばん感動したのは、地平線から徐々に巨大な土星型惑星が昇っていき、その背後に太陽が隠れてゆくシーンかな。これはSFならではの美しさ。でも、あんなに近くに巨大惑星があったら、こっちの惑星も重力でバラバラになってしまいそうだけど。
 まあ、B級映画としては拾い物の部類でしょう(★★★)。

▼きのういろんな日記サイトを回っていたら、そこら中のページで「20世紀もあと1ヶ月」という表現を使っていたのでちょっと落ち込む。
12月1日(金)

▼12月になってしまいました。ついに20世紀もあと31日。

▼話題の、中国初の人型ロボット。野田コレクションのSF雑誌の表紙に出てきそうな、レトロフューチャー(?)なデザインがいい味出してます。「ある程度の言語を理解することもできる」ってのが謎。

▼最近「ブロードバンド」という言葉をよく聞くけど、ブロードバンドと聞くと、反射的に「チョップリフター」とか「カラテカ」とかを思い出してしまう私<それはブローダーバンド<それよりなぜ「ロードランナー」を最初に思い出さない。

▼当サイトのアクセスログを見ていると、必ず1日に2、3人くらいの割りで「ロボトミー」で検索してくる人がいる。みんな、そんなにロボトミーのことを知りたいんでしょうか。
 ロボトミーについてはこれまでにも、だいたいのところは私家版・精神医学用語辞典ロボトミーの項にまとめてあるのだけど、今回は、そのときあまり触れなかった日本のロボトミー情報について書いてみよう。
 日本で初めてロボトミーが行われたのは1942年(昭和17年)。新潟医大外科の中田瑞穂教授だそうだ。当時はあんまり精神科からの反応はなかったらしいが、戦後になるとアメリカ医学の影響で盛んに行われるようになる。日本のロボトミーの第一人者である広瀬貞雄が1954年(昭和29年)に書いた論文「ロボトミー後の人格像について」によれば「著者は昭和22年以来360余例の各種症例にロボトミーを行い、手術前後の精神状態の変化を仔細に観察し」てきたそうだ。7年で360例。広瀬医師だけでも1年で50例以上ということになりますね。なんでも、日本中でロボトミーを受けた患者数は、だいたい3万人〜12万人くらいになるとか。統計とってなかったんですかね。幅ありすぎ。
 なお、この論文には、実際にロボトミー手術を受けた症例がたくさん載っているが、だいたい以前紹介した例と似たり寄ったりなのでここでは紹介しません。かわりに、ロボトミー肯定派である広瀬貞雄先生の言葉を引用しておこう。

「我々の今日までの現実的な経験としては、ロボトミーは臨床的に有用な棄て難い利器であり、従来の療法ではどうしても病状の好転を来たすことができず、社会的にも危険のあったものがロボトミーによって社会的適応性を回復し、或は看護上にも色々困難のあったものが看護し易くなるというような場合をしばしば経験している」

「精神病院内に、甚しく悩み、また狂暴な患者が入れられているということは、戦争や犯罪やアルコール中毒の惨害以上に一般社会の良心にとって大きな汚点であるとし、このような患者がロボトミーで救われることを肯定する議論もある。1952年にローマ法王PiusXIIは、その個人の幸福のために他に手段のない限り肯定さるべきだという意味の声明をした」


 なお、この広瀬先生も、ロボトミーによって患者の性格が変化し、環境への積極的な関心や感受性が減り、内省したり将来を予測して行動する能力が低下することは認めてます。でも、それ以上にプラスの変化の方が大きい、と広瀬先生は言うのですね。
 さて、当初から批判の声が多かったロボトミーは、薬物療法の発達と人権意識の高まりに伴い、1960年代後半から徐々に下火になっていく。しかし、一部の病院ではその後も手術は続き、日本精神神経学会で「精神外科を否定する決議」が可決されてロボトミーがようやく完全に過去のものとなったのは、1975年のことである。

 そして、誰もがロボトミーを忘れ去った1979年、ある衝撃的な事件が起こっている。都内某病院に勤務する精神科医の妻と母親が刺殺されたのである、やがて逮捕された犯人は、1964年この医師にロボトミー手術を受けた患者だった。彼は、手術でも奪うことのできないほどの憎しみを15年間抱きつづけ、そしてついにその恨みを晴らしたのである。
 ロボトミーが大きな話題になったのはおそらくこのときが最後。そしてロボトミーは歴史の闇に消えていった。しかし今も、かつてロボトミー手術を受けた患者たちは精神病院の奥で静かに時をすごしている。そうした患者たちについても、すでに書いた
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