▼ちょっと古い話題になるけど、「バトル・ロワイアル」の暴力描写にクレームをつけた国会議員たちがいましたね。はじめっから予想のついたことだけど、かえってそれが宣伝になって映画は大ヒットしているそうな。映画会社の思う壺である。
私はこの映画をまだ観ていないのだけれど、国会議員がこの映画にケチをつけるとしても、暴力じゃなく、もっと別の部分につけるべきだったと思うのだ。暴力を売り物にした映画の暴力描写にクレームをつけるなんて、映画の宣伝にしかならない、なんてことははじめからわかりきっているじゃないか。それより、予告編にもある教師キタノの「この国はすっかりダメになってしまいました」という台詞になぜクレームをつけない。
確か、映画では、原作と違って舞台となる国は日本という設定だよね。本当に青少年にとって有害なのは、暴力描写なんかよりも「この国はすっかりダメになった」というメッセージ、しかもそのメッセージが今の私たちの気分にぴったりとはまってしまっているということなんじゃないかな。もし国会議員たちにいくばくかでも気概があるのなら、「この国はダメになった」という気分を蔓延させるこの台詞にこそクレームをつけるべきだったんじゃなかろうか。
「この国はダメになんかなっていない。もしダメになりかけているとしても、なんとしてでも我々がダメになんかさせない!」と。
▼今日も忘年会。アメリカ帰りの先生のお土産は、ニューヨークの博物館で買ったという虫入りキャンディ。お土産にこれを選ぶとは、私に負けず劣らず悪趣味な人である。琥珀色のでかいモノリス型キャンディの中にはコオロギと草の葉っぱが、棒つきキャンディの中にはまぎれもなく芋虫が入っている! すばらしい。絶対に食べる気はしないけど。
▼空想小説ワークショップ以来の友人でもある浅暮三文『夜聖の少年』 (徳間デュアル文庫)、グレッグ・イーガン『祈りの海』 (ハヤカワ文庫SF)、アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター『過ぎ去りし日々の光』 (ハヤカワ文庫SF)購入。今月のハヤカワの新刊はなかなか豪華なメンバーですね。
▼きのう乞御期待とか書いたにもかかわらず、遅く帰る日が続いてちょっと更新が滞ってしまいました。しかも短いし。
▼今日は滅びの宴 第二弾。またの名を医局忘年会。いよいよ我らが医局崩壊の日は近い。テンションも上がろうというものである。会場は青山のフランス料理店。いつものことながら無用にゴージャスな会場設定である。
その席上で、松沢病院の某先生に、「黄色い救急車の論文と日記のコピー、春日先生に渡しといたから」と言われてびびる。春日先生って、あの春日武彦先生ですか。日記ってのは、このへん かなあ。「風野先生には悪気はないって言っておいたからね」って、それではかえって悪気があるかのような思われてしまうのでは。
▼ケーブル接続はなんとかうまくいき、データも転送して(一晩中かかったよ)、どうにか新機の方にインターネット環境を整えました。ペンティアムIII 1GHz……とはいうものの、あんまり重いソフトなんて使わない私にとっちゃ、多少反応が早くなった程度でそれほど今までと変わったような気はしない。今のところ1GHzの実力を垣間見られるのは、SETI@homeの速さくらいのもの。宝の持ち腐れかも。
ま、ともあれ、これからペンティアムIII 1GHzのマシン上で生み出される日記に乞御期待(今日は一日中パソコンをいじって遊んでいたので手抜きである)。
▼新パソコン届く!
実は、今までこの日記はPC9821V200上で書かれていたのである。CPUはMMXpentium 200MHz、ハードディスクは3GB。今となってはあまりに非力である。それ以上に、今どきPC98ってのはいくらなんでも時代遅れだろう、ということでついに新パソコンを買うことにしたのである。
新しいマシンはわりと定評のあるエプソンダイレクトのMT-4000。pentiumIII 1GHzに大容量46.1GBのハードディスクを積んでみた。しめて21万円。これで、以前PC98買ったときより安いんだからイヤになってしまう。
というわけで、この日記を新しいパソコンで書いているかというと、実はそうではないのである。
データを転送しなければ、とすでに買ってあるシリアルケーブルで接続。30分くらい悪戦苦闘したものの、何度やってもユーザー名とパスワードの確認までいったところで切断されてしまう。インターネットでいろいろ調べ、NetBEUIプロトコルを追加してみたらようやく接続できたものの、今度はホストコンピュータ名を入力するウィンドウが出てきて、そこから先に進めない。
結局まだデータ転送できていないのでした。
うー、困ったぞ。このままじゃせっかくの新パソコンが使えない。だれかPC98とPC互換機のシリアル接続のやり方、ご存知ないですか?
▼そう、のむのむさん が書いているように、昨日、山男たちがダウラギリに挑む打ち合わせをしていた横で、私たちは骨折自慢をしたり(畑から落ちて骨折した人あり、地下鉄の階段で転んで靭帯を傷めた人あり(私だ、私)。みいめさんの生徒に至っては、正座していて立ち上がった拍子に足首を骨折したとか)、本を読むとき開く角度について話したりしていたのであった(あまり本を開きすぎると本が傷むのである。本好きにとっては、カバー折り返しを栞代わりにしたり、本を開いたまま机の上に伏せておいたりするのはもってのほかなのだ)。
8000メートル級の山に登ろうとする中年たちがいる一方で、本を開く角度にとことんまでこだわり抜く青年たちがいる。
人間の多様性をまざまざと見せつけられたような気がします。
▼神戸の精神科医の安克昌先生が亡くなられたという話を聞く。中井久夫先生の門下で、解離性障害(いわゆる多重人格)とかPTSDを専門にしていた方である。神戸の震災のときの経験をもとに『心の傷を癒すということ』という本も書いている。私は一度もお会いしたことはなかったものの、以前パソコン通信の会議室で何度かやりとりをさせていただいたことがあった。検索してみると、こんなページ があることがわかった。思い出の本は『サイボーグ・ブルース』なのかあ。なんとなく親近感がわく。まだ40歳。ご冥福をお祈りします。
▼新宿の喫茶店にてSFセミナーの打ち合わせ。
私たちが雑談をしていると、しばらくして隣のテーブルに中年の男性4人が陣取った。とはいえどう見てもサラリーマン風ではなく、どこか小汚い風体。しかも、彼らが手にしている紙には何かの金額が手書きでぎっしりと記されている。それを見ながら、4人は何やら真剣な様子で話している。なんだか怪しい4人組である。私は隣の会話に耳を澄ませた。
すると、浅黒い肌の男がこう話しているのが聞こえた。
「7000メートルを超えたらテントを張っても眠れるなんて思っちゃいけない。ただ横になるだけだ」
おお?
「7000メートルを超えたら、考えることは一つしかない。なるべく早く頂上まで登り、そして安全な場所に戻ってくる。それだけだ。2日も3日もかけようなんて考えてはいけない」
なんだか、谷甲州か夢枕獏の小説のような世界である。まさか現実にこんな言葉を聞く日がくるとは思わなかった。
よく聞いていると、「カトマンドゥ」「ダウラギリ」といった固有名詞や、「頂上に登るときの服装は……」などという声も聞こえる。
さらに、彼らが持っている紙をちらりと盗み見れば、そこにはネパール政府に払う登山料、ビザ代、装備代など登山に必要な金額が詳細にリストアップされているのであった。どうやら彼らは本気らしい。
家に帰って世界地図を開いてみた。
ダウラギリ。ネパール中部、ヒマラヤ山脈中にある高峰群。最高峰は海抜8167メートル。
8167メートル!? おおおおお、もしかすると、彼らが挑もうとしているのはこの山なのか? 決して若くはないあの4人の男たちは、これからネパールに渡り、8000メートル級の山に挑もうとしているのか。
ただ隣同士の席に座っただけの縁ではあるが、彼らの幸運を心から祈りたい。
▼「このミス」2001年版購入。国内編ベスト20のうち読んだのは『レキオス』のみ、海外編ベスト20では『ハンニバル』と『悪魔の涙』のみ、という体たらくでは、どう強弁してもミステリ者とはいえないなあ。とはいえ、帯に「戦後の本格ミステリのベストスリーに入るほどの傑作」とまで書かれちゃどうしても食指が動いてしまうので、ジル・マゴーン『騙し絵の檻』 (創元推理文庫)購入。
▼中学体育の副読本、英語誤表記を訂正へ 。
中学校で使われている学習研究社(東京都大田区)発行の副読本「中学体育実技」の表紙と裏表紙に、「スポーツを愛する」という意味で「Love Sports」との英語を印刷していたが、これが「性行為」を意味することがわかり、来年度から「we love sports」に変更することになった。
はあ。恥ずかしい話ですな。
でも、私としては変更後の文章にも異議がある。文頭の"w"を大文字にしなくていいのか、という点はさておくとしても、"we love"はないだろう。私はこの手の"we love〜"ってのが大嫌いなのだ。
そもそも"we"って誰よ。スポーツが嫌いな子どもの立場はどうなるのだ。私は昔からスポーツなんか嫌いだったんだけど、そんな私も"we"に入れられちゃうの? 真っ平ごめんだね。
"I love NY"とかそういう言い方ならいい。それは「私は好きだ」という個人的な主張であって、私が口を挟むような問題ではない。しかし、"we"は違う。"we"は"I"と違って境界があいまいだから、"we love"と口にした瞬間に押しつけがましさが発生する。"we love sports"なる標語(?)は、主語をあいまいにすることによって、スポーツを愛することを暗黙のうちに押しつけているのではないだろうか。要するに、いかにも日本的でデリカシーのない言い方なのだ。
あえて言ってしまえば、スポーツという分野には、嫌いであることを許さないような、この手の暗黙の押しつけが蔓延しているような気がする。体を動かすのはよいことであり、それは万人が好きであって当然だ、というような。「健全な肉体に健全な魂が宿る」信仰とでも言おうか。数学の教科書の表紙に"we love mathematics"と書こうとは誰も思わないだろう。それなのに、体育だと"we love sports"がまかりとおってしまう。この差はいったい何なのか。
あんたらがスポーツが好きなのはいい。だが私は違うのだ。私を"we"の中に入れないでくれ。
▼夢枕獏『涅槃の王 4』 (祥伝社文庫)、澤井繁男『魔術と錬金術』 (ちくま学芸文庫)、松村昌家『水晶宮物語』 (ちくま学芸文庫)、しりあがり寿『方舟』 (太田出版)購入。
▼山口出身の妻はフグが大好きである。
冬になるたびにフグが食べたいというのだが、東京では高くてそうそう食べられるものではないし、たまに食べに行っても、妻によれば、東京のフグは山口で食べるフグよりはるかに劣るという。そんなものなのかね。フグを食べつけない私には、フグがうまいとか食べたいとか言われても、今一つぴんと来ない。なんでまたフグなんてものをそこまでありがたがるのか、さっぱりわからない。そんなにうまいものですかね、フグって。それとも、私は今までまずいフグばかり食べてきたのかな(といっても食べた回数は数えるほどしかないが)。
しかし、地元の名物があるってのはいいですね。私は鎌倉出身だが、鎌倉名産の食べ物といってもなかなか思いつかない。別に有名な海産物があるというわけでもないし、農作物もありはしない。
いや、待てよ。
あったではないか、鎌倉名物が。
鳩サブレー だ。
もちろん、鳩サブレーといえば鎌倉人の主食である。
私は鎌倉にいた20年間、鳩サブレーを食べて生きてきたといっても過言ではない。
妻がフグを食べたいと思うように、私もときどき「ああ、鳩サブレーが食べたいなあ」と思うものである。フグの季節が冬に限定されるのに対し、鳩サブレーは年中いつでも食べられるし、日保ちもいい。お値段もリーズナブルだし携帯にも便利。フグなんかより鳩サブレーの方がずっとうまいと思うぞ、私は。
ちなみに、鳩サブレーは大胆に頭からかじるのが、豪快な鎌倉武士の流儀である。源頼朝もそうやって食べたという記録が残っている。尻尾から食べたり、ましてや割って食べたりしてはいけない。
ああ、鳩サブレーが食べたい。腹いっぱいになるまで思う存分食べてみたい。東京でも売っているから買えばいいではないか、と思う人がいるかもしれないが、それではいけない。鳩サブレーは、本場鎌倉の若宮大路沿いの豊島屋で買ったものに限るのだ。
このように、私が鳩サブレーの美味しさを力説すると、妻は「鳩サブレー?」と鼻で笑うような口調で言った。所詮、山口人には、鳩サブレーのうまさはわからないのであろう。
ついでにいえば、鎌倉駅前の風月堂で売っているゴーフルも私の好物なのだが、東京に出てきてから、あれは東京や神戸など全国にあることを知った。ぼくを騙したな。鎌倉名物だと思ってたのに。がっかりだよ! しかも、最近じゃプチゴーフルなんてのも出ているじゃないか。あんなに小さいなんて邪道だよ。でかいゴーフルを切り分けたりせず、まるかじりでいただくのが鎌倉流。北条時宗もそうやって……以下略。
というわけでフグよりも鳩サブレーとゴーフルを好むのが鎌倉武士の心意気だ。
なんだか情けない武士である。
▼今日も忘年会で遅くなったので手抜き。
▼12月10日の東スポにこんな記事が載っていた。
「狂牛病にチン説 原因は宇宙塵!?」
はあ。
記事によれば、「宇宙には流星がいくつもあり、その動きから起こる宇宙塵が大気圏に侵入する。その塵にはミクロなバクテリアも含まれている。牧草地に降ったバクテリアつきの塵を、肉牛が食べ、狂牛病に感染したかもしれないという」 のだとか。ウェールズ大学の天文学教授チャンドラ・ウィクラマシンギ博士が立てた理論だそうな。
しかし、宇宙塵にバクテリアねえ、どっかで聞いたような……と思っていたら、「共同研究者としてケンブリッジ大学のフレッド・ホイル教授も参加している」 のだそうだ。やっぱりねえ。フレッド・ホイル健在なり。
ウィクラマシンギ博士は「バクテリアは冬の間に成層圏を通過して降ってきます。牧草地を移動する家畜が一番そのバクテリアを口にする確率が高いのです。イングランドやウェールズでは、世界でも珍しく、冬季にも家畜を外で牧草地に放牧しています。狂牛病がこの地域で多く発生したのも、うなずけるわけです」 と話しているとか。
なんでも宇宙から来たことにすれば解決するわけじゃないと思うんだがなあ。こういう学説は、当のバクテリアを発見してから立ててほしいものである。
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