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10月31日(木)

▼早川書房主宰の「Jコレクション刊行記念フォーラム 新世紀SFの想像力」に行ってきました。SFのイベントなんて人が来るんだろうか、空席もけっこうあるんだろうなあ、と思っていたら(失礼)、意外にもほぼ満員でびっくり。しかも、SF大会やセミナーでよく見かけるような人種ばかりじゃなく、堅気の人もけっこういるじゃありませんか。
 冒頭の西島大介氏によるオープニングアニメは確かに味があってよかったのだけれど、それはあくまでレトロな面白さであって、「新世紀SF」を象徴するような新しさは感じられないし、第一部の幕が上がるときに流れるのが「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭だというのもあまりといえばあまりに古い。このあたりの古さが、どうも今のSFの状況を象徴しているように思えました。
 かつてSFに眩しいばかりの新しさが感じられた時代もあったにしろ、もしかすると今はもうSFという枠の中で新しさを表現するのが難しい時代にきているのかもしれません。SFは今や「新らしい冒険と、新らしい恐怖と、新らしい諷刺と、新らしい文明批評を展開する」文学ではなく、ハードボイルドや本格ミステリのように、様式美に基づく文学になりつつある、というよりも、もうすでになっているのかも。
 たとえば新本格ミステリを読んで育った若者の中から、かつての本格とは遠く離れたミステリの書き手が登場してきたように、Jコレクションを読んで育った、アシモフもバラードもギブスンも知らない世代の中から、新しいSFの書き手が登場してくるんじゃないか、とも思えました。もっとも、そうした世代の書いた「SF」と称するものを、その頃の私はもうSFとは思えなくなっているのかもしれないけれど。ま、私はSFの様式が好きだし、様式を失ったらSFじゃなくなってしまうので、様式をなくしてまで「新らしさ」を追及してほしくはないと思っているのだけれど。

10月30日(水)

▼さて、23日に書いた石田昇の話の続報である。日本の精神医学草創期に活躍したものの、アメリカ留学中に精神分裂病を発症、同僚を殺害して刑務所に収監された悲運の精神科医石田昇。渡米する彼が乗っていた船には後の探偵小説作家小酒井不木が乗り合わせており、どうやらアメリカ到着後も親しくつきあっていたらしい、という話は前回書いたとおり。
 小酒井不木の留学中の日記はここで読めるのだけれど、なぜかアップされているのは大正7年3月末まで。そして石田昇が殺人事件を起こしたのは大正7年12月21日。これはもう、読みたくなるじゃないですか、日記の続きを。そこで、ついついネット古書店で、日記が収録されている小酒井不木全集第八巻(昭和4年刊)を注文してしまった(1000円と安かったしね)。こんなことを調べておもしろがっているのは私ぐらいのものかもしれないのだけれど、こういう性分なのだから仕方がない。
 さて無事届いた小酒井不木全集第八巻によれば、石田昇と小酒井不木は大正7年3月以降も親しく交流していたようで、たとえば5月の日記から石田氏が登場する部分を抜粋してみると、
5月14日 午後四時Penna St.に石田氏を迎え86丁目の五斗君の居た家に宿を案内し「都」にて日本食をたべなどし又活動写真を見て帰る。
5月16日 午後研究室を終りて後石田氏を86丁目に訪ね共にLunchにて飯をたべ後中央公園を逍遥す。初夏の翠、上が上に濃く愉快極まりなし。
5月19日 午前石田氏来る。共に中央公園などを散歩しMetropolitan Art Museumにて絵画を見たり、又食事をしたりす。夜も共に活動に行く。
5月21日 午後六時石田氏を86丁目に訪ひ山田基氏と落合ひ後三人して97丁目の川添にて日本料理に食す。
5月26日 午前石田氏来訪。共にRiversideを散歩す。
5月28日 夜石田氏を訪ひ共にTokioにて食事して別る。
5月29日 石田氏のGrand Centralより市俄古へ行くを送る。
 という具合(石田が29日にシカゴに向かっているのは、アメリカ精神医学会で発表をするためである。この学会で石田は名誉会員に推薦されたという)。一緒に散歩したり映画を観に行ったりと、もう大の仲良しといってもいいくらいである。その後石田が転居したからかあまり日記に石田の名は登場しなくなるのだけれど、手紙のやりとりはしていたようで、ところどころに石田昇から手紙を受け取り、返事を書いたというような記載がある。最後に石田からの手紙を受け取り、返事を書いたのは12月17日。そしてその5日後の12月22日の日記にはこう記されている。
12月22日(日)
 雨、午前11時Miss Engellを訪ひ、仏語を習ふことに事をfixして帰る。午頃宮崎兄を訪ひて語る。家に帰ればアンクル ジムがタイムスの切抜きを示す。石田氏が医員を殺せりとあり、大いに驚く。取敢えずブラツシエ先生及び松本高三郎氏に手紙を出す。夕方は河添にて飯を食す。
 その後の日記にも「12月25日 杉本丸井氏より石田兄の詳報あり」「12月26日 領事にあひて石田兄のことを話す」「12月28日 朝早くEvening Journalの記者Kohler君、石田兄の事を聞きに来る」と、断片的に石田昇のことが書かれているのだけれど、「大いに驚く」以上の感想はどこにも書かれていない。しかも、日記はなぜか12月31日で終わっていて、その後の日記はない。
 親友石田の起こした殺人事件に、のちの探偵作家不木はいったい何を思ったのだろうか。

 ちなみに、石田昇の評伝を書いた秋元波留夫は、「ボルチモア到着後の石田の動静については(……)、何も手がかりとなる資料が残されていない」と書いていたりするので、この不木の日記の存在は知らないと思われる。ということは、これって新発見?

10月29日(火)

▼新聞でもテレビでも、北朝鮮に拉致された被害者の子どもたちが日本に来ることを「帰国」と表現しているのだけれど、これがどうも引っかかってならない。確かに拉致被害者の場合はまぎれもなく「帰国」だと思うのだけれど、その子供たちにとっては、日本に来ることは移住ではあっても、「帰国」じゃないはず。それなのに「帰国」という言葉を選択することに、どうもある種のプロパガンダを感じてしまう。この拉致問題に関しては、なんだか日朝プロパガンダ合戦のような様相を呈していて、なんともイヤな感じですね。
 「帰国」という言葉を選んだ背景には、日本人同士の子どもは日本人である、という思想があるんでしょうね。出生地や生育した土地よりも、日本人同士の子どもである、ということの方が重要だ、というわけですか。国籍の問題については詳しくないのだけれど、ちょっと調べたところによると、どうやら国籍の考え方には出生地主義と血統主義があり、日本や韓国は血統主義なのだそうだ。なるほど、血統主義の考え方だと、彼らは日本国籍であり、日本に「帰国」すべきだ、ということになるんですね。私としては、彼らの故郷は日本ではなく北朝鮮であり、彼らは日系北朝鮮人、ということでいいと思うのだけれど。
 拉致被害者の家族たちが、20数年ぶりで再開できた被害者たちを再び拉致国家北朝鮮に帰したくない気持ちは充分わかるし、被害者の子どもたちの「帰国」を強く求めている気持ちも心情的には理解できる。でも、私としては、どうしてもそうした論調に素直に同調する気になれないのですね。それは、被害者の子どもたちにとって、いったいどうすることが幸せなのか、私自身よくわからないから。だいたい、彼らが日本に「帰国」したとしても、言葉も習慣もわからない土地で生きていくのは、かなり困難に違いない。これは帰国した被害者たちにとっても同じことで、半ば「お客さん」扱いされている今はいいけれど、永住帰国となると地味で平凡な毎日の生活をすごしていかなければならないのだ。二十数年間繰り返してきた日常をリセットして、日本で新たな日常を築き上げるというのはたいへんなことだろう。
 横田めぐみさんの娘の場合はさらに複雑で、血統主義を採用したとしても、彼女は半分は朝鮮の血を引いているわけで、彼女にも日本に「帰国」せよ、というのは無茶な話だろう。スポーツ紙の見出しには「孫を返せ!」などと書かれているが(まあ、これがどこまで横田さんの父親の本当の言葉かわからないものの)、北朝鮮にも彼女を孫と呼ぶ人がいるわけで、確かに娘の血を引いた孫に会いたいという気持ちは心情的には理解できるものの、「返せ」というのは解せない話である。
 まあこれは、もう外野がああだこうだいって判断すべきことじゃないようにも思うのですね。これは、彼ら親子がじっくりと話し合って決断するしかない問題でしょう。被害者たちを北朝鮮に返したくない、と家族がいうのなら第三国で落ち合うようにでもすればいいんじゃないかなあ。マスコミは、被害者もその子どもたちも「帰国」すべきだ、それが日本の世論なのだ、というプレッシャーを日々彼らに与えているのだけれど、これもどうかと思うなあ。もし、子どもたちを強引に「帰国」させて、もう北朝鮮には戻さない、というのでは、私たちも北朝鮮と同じになってしまいますよ。

10月28日(月)

▼きのうの続きとして、フレゴリの錯覚の項目を書きました。ついでに、ドッペルゲンガーの項も少し書き足し。

10月27日()

▼久々に私家版・精神医学用語辞典を更新。カプグラ症候群の項目を書きました。

10月26日(土)

大石圭『アンダー・ユア・ベッド』(角川ホラー文庫)読了。これでホラー文庫で出ている大石圭作品は制覇。やっぱりこの作家好きです、私。声高に何かを訴えたり盛り上げたりするのではなく、あくまで淡々と静かに歪んだ人々を描いていく、ひんやりとした硬質な筆致がたまらない。
 この作品の主人公は、9年前に一度コーヒーを飲んだだけの女性を探し出し、すでに家庭を持っているその女性の家の近くに移り住んでくるばかりか、合鍵を入手してときどきベッドやソファの下に潜んでいたりするという、客観的に見ればかなり危ないストーカーなのだけれど、物語の中では、深い孤独をかかえた内省的な人物として描かれている。もしかしたら、ストーカーを、ここまで読者が共感できる人物として描いた小説は初めてなんじゃないだろうか。もちろん、ここに描かれているストーカー像は現実のストーカーとは違うということは充分にわきまえておかなければならないのだけれど。
 そしてまた、この作家の場合、『殺人勤務医』の産婦人科医兼シリアルキラーも、『自由殺人』の神々しいばかりに気高い元女子マラソン選手も、好んで描く主人公は基本的に同じなのですね。深い孤独をかかえつつも、決して絶望することなく、ただひとり現代の荒野を進む。まるで「卑しき街を行く誇り高き騎士」ハードボイルド・ヒーローのようなストイックさ。それがストーカーであり殺人者であるところが実に現代的。

10月25日(金)

▼商店街を歩いていたら、どこからかクイーンの(Keiko Leeのカバーだったかもしれない)"We Will Rock You"が流れてきた。
 なんとなく一緒に小声で口ずさんでみたのだけれど、サビの"We Will We Will Rock You!"のところ以外、歌詞がさっぱりわからない。仕方がないので適当にごまかして歌っていたのだけれど、歌っているうちにだんだんこんなふうになってきた。
レレレのレレレのレレレのレレレのレレレのレレレのレレレのレ
あそれ レレレのレ、レレレのレ、レレレのレーのーレレレのレ
 つづいて"We Will We Will Rock You!"の部分になるのだけれど、こう歌ってきたからには、この部分もおのずと違う歌詞で歌わざるを得ない。私は、(心の中で)ひときわ声を張り上げて、こう歌った。
レーレーレーのーおじさん!  レーレーレーのーおじさん!
 ということで、私は今日から"We Will Rock You"を、「レレレのおじさんのテーマ」と呼称することにする。

▼池上永一『夏化粧』(文藝春秋)、レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』(河出書房新社)、ショーン・ウィリアムズ&シェイン・ディックス『太陽の闘士』(ハヤカワ文庫SF)購入。ショーン・ウィリアムズとシェイン・ディックスのツーショット写真は、なんだか「オタクと木こり」あるいは「博士と野人」とタイトルをつけたいくらいです。

10月24日(木)

ベルトラン・ピュアール『夜の音楽』(集英社文庫)読了。「2001年度コニャック・ミステリー大賞受賞本格ミステリー」、とカバーにあるので読んでみた。コニャック・ミステリー大賞といえばかのポール・アルテの『第四の扉』も受賞した賞。しかも、この作品もアルテの作品と同じく、フレンチ・ミステリでありながら舞台はロンドンで登場人物もひとりを除いてすべてイギリス人、というわけで、これは期待できるかも、と思ったのですよ。
 ……ハズレでした。
 全然本格じゃないじゃん、編集者の嘘つき。どっちかというとサイコ・サスペンスの部類に入ると思うのだけれど、これがまたなんとも奇妙な代物。英米で流行ってる「サイコ・サスペンス」とやらを書いてやれ、と思って書いたのだろうけれど、作者は何か大きな勘違いをしてるようです。だいたい、いくらサイコだからといって、こんな動機で人殺す奴いませんって。まさか、サイコだからなんでもありだと思ってるんじゃなかろうな。主人公が真犯人にたどりつく推理も、あまりといえばあまりにおおざっぱ。思わせぶりで結局は無意味な伏線多すぎ。
 読みどころといえば、見立て殺人の趣向くらいのものなのだけれど、解説で堂々とネタが割られてます(泣)。中盤以降になってようやく何の見立てか明かされるというのに!(まあわかるひとはすぐわかっちゃうだろうけど) 「できることなら何の予備知識もなしにこのミステリー小説を読みたかった」とか言いつつなぜネタを割りますか、解説者! まあ、実際のところその趣向以外売りがない小説なんで、解説者としても苦渋の決断だったのかもしれないのだけれど。

10月23日(水)

▼本屋行ったらなんかすごいことに。特設売り場できてるよ! 行列できてるよ! 呼び込みしてるよ!
 こんな騒ぎはサンタ・フェ以来なんじゃないかなあ。そういえば中が見えないビニ本状態で売られてるところもサンタ・フェに似てるかも。

▼秋元波留夫『実践精神医学講義』(日本文化科学社)購入。著者は今年96歳!になる現役精神科医。精神医学界の日野原重明みたいな人である(表紙に臆面もなく顔写真を使うようなことはしませんが)。その20世紀精神医学の生き証人のような著者がえいやっとばかりに書き上げた大著がこの本。教科書ではあるのだけれど、読み物としても実におもしろい本です。
 たとえば、この本で一章を割いて述べられているのが、悲劇の精神科医石田昇の話。明治8年に生まれ、東京帝国大学医学部を卒業、当時巣鴨病院内にあった精神病学教室に入局し、29歳の若さで『新撰精神病学』を執筆、31歳で長崎医専(現在の長崎大学医学部)精神病学教室の初代教授になる。ここまでは順風満帆の人生だったのだけれど、大正6年に文部省留学生として渡米した翌年、精神分裂病を発症し、被害妄想により同僚医師ウォルフを射殺、終身刑の判決を受けてメリーランド刑務所に収監される。石田は大正14年に日本に送還され、晩年は松沢病院に入院してすごしたそうだ(著者は晩年の彼の主治医だったという)。
 ちなみに、この本には書かれていないが、アメリカに向かう春洋丸には、同じように米国留学に出発する東北大学医学部助教授小酒井光次、のちの探偵作家小酒井不木も乗り合わせていた。石田昇は文学好きで、東大在学中に短篇小説集を出版したり『ドン・キホーテ』の翻訳を出したりしているので、もしかしたら、船内では不木と文学談義に花を咲かせていたかもしれない。小酒井不木の留学中の日記がここで読めるのだけれど、この中に出てくる「石田氏」が石田昇その人である。日記を読むと、どうやらアメリカ到着後も不木と石田昇の間には頻繁な交流があったようだ(ふたりして芝居を観に行ったりしてるし)。不木は、石田の起こした事件を知って何を思っただろうか。もしかしたら、石田の事件が、不木の関心を犯罪に向かわせるきっかけのひとつになったのではないか……などと夢想してみる。
 そのほか、ヘビに似たものを見たり「ヘビ」という言葉を聞いたりしただけで、びっくりして逃げ出したり立ち向かってきたりするというアイヌの「イム」という精神障害の話とか、大横綱双葉山や天才棋士呉清源まで巻き込んだ璽光尊事件の顛末とか、精神医学の道を歩んで70年以上にもなるこの著者でなければ書けないエピソード満載。
 ただ、むちゃくちゃ値段が高いのであまり人にはお薦めできませんが。

10月22日(火)

大石圭『自由殺人』(角川ホラー文庫)読了。この人の作品は、いつも地味なタイトルで損をしてるような気がします。前作にしても『殺人勤務医』だし、もっと派手なタイトルつけても罰はあたらないと思うんだけど。
 謎の人物から「自由に使ってください」と超高性能爆弾を送りつけられたごく普通の男女。ある者は迷わず警察に届け、ある者は悩み、ある者は昏い欲望に身を任せる……。ホラー文庫に入っているけれど、スーパーナチュラルな要素はまったくなし。ホラーというよりはサスペンスですね、これは。人間の弱さも、強さも、まったく分け隔てせず同じように淡々と描く、冷たく硬質な文体が、私としてはたまらなく好みです(今回は鬼畜描写が少ないのが、いささか物足りないけど)。ヒロインの造形も胸を打つものがあるのだけれど(ここまで強く気高いヒロインを読んだのは初めて)、ヒロインと犯人の一対一の戦いの様相を呈してからは物語もやや失速気味。それに、キューバ産の葉巻をふかしつつソファにもたれてスコッチを飲むという、いかにもベタな「金持ち」像はどうかと思いました。

10月21日(月)

綾辻行人『どんどん橋、落ちた』(講談社文庫)読了。綾辻行人のデビュー作『十角館の殺人』が出版された頃、私は18歳。新本格レーベルで出版された初期の作品はほとんどすべてリアルタイムで読んでいたし、その後も新本格とはつかず離れずで成長してきたのだけれど、そういう人間としては、非常に共感できる作品でありました。
 要するに、大人になってしまったのだ、作者も読者も。あの頃は、ミステリの稚気を愛するだけでよかった。でも、大人になってしまった今では、稚気にあふれたミステリを愛しつつも、若い頃は楽しめたそんな小説を疎ましく思わずにはいられない。そんな複雑な思いが結晶したのがこの5編なのだろう。5編のほとんどが読者の先入観を逆手にとった作品であり、『十角館の殺人』のセルフパロディになっているのがその証拠(特に最初の二篇にその色彩が濃い)。これは、ある意味、痛切な青春小説なのかもしれないし、歳をとるということの残酷さについての小説ともいえるかもしれない。
 ところで、「意外な犯人」を読んで、あろひろしの某初期作品を思い出した人は私だけではあるまい。


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