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6月30日()

▼さて強化合宿でいろいろと強化された我々。しかしなぜか私の場合、体力だけは強化されなかったので、今日もまた山歩きをしようとなどという体力強化人種たちとは別れ、御嶽神社をお参りにいくことに。しかし、神社までの坂道の急なこと。坂道と石段ですでに息が上がってしまう我々である。神社では趣味の絵馬ウォッチング。さすがにここまで登って来るような人はみな気合が入っているのか、ここで紹介されているような変な絵馬はなかったのだけれど、ひとつだけ「仏様お願いします」と書いてあった絵馬を発見。神社で仏様はないだろ。
 帰りもまたケーブルカーとバスで御嶽の駅へ。不健康な我々は、河原でだらだらのんびり酒盛りでもしよう、と大きな岩のごろごろ転がる多摩川上流の河川敷に繰り出したところ、カヌーで川を下る人々に混じって、なぜか中洲に警官がふたり。
 いったい何をしているのだろう、と見守っていたのだけれど、しばらくするとサイレンの音が鳴り響き、救急車やらパトカーやらが大挙して押し寄せてくるではないか。またたく間に中洲にはレスキュー隊、救急隊、警察、消防団などなど40人近くが集まる。やがて命綱をつけたレスキュー隊員が何人か、川の中にじゃぶじゃぶと入っていき、数人がかりで水の中から引き上げたのは、人である。どうやら水難事故らしい。
 引き揚げられたのは私たちが来てから30分以上はたったころ。救急隊がおざなりに心臓マッサージをしてたけれど、明らかにお亡くなりになっていました。水の事故は恐ろしい。
 亡くなった方は担架に乗せられ、救急隊に運ばれていった……のだけれど、道がない場所なので担架にはロープがくくりつけられ、崖の上から引っ張り上げられておりました。落としやしないかとちょっとひやひやしましたよ。
 そして、救急隊が去ったあとには、いつの間にか川の上にはふたたびカヌーの練習をする人々。何事もなかったかのようにとうとうと流れる川。
 なべて世はこともなし。

6月29日(土)

▼午後からたらたらと電車とバス、ケーブルカーを乗り継いで奥多摩は御嶽山の宿坊「静山荘」へ。SFセミナーの強化(何を?)合宿なのである。歩いて山に登ってきたという元気な面々もいるのだけれど、体力にからっきし自信のない私はケーブルカーで山の上へ。
 詳しくは青木みやさんが書いている通り……と手抜きでごまかしてしまう私である。しかし、青木さんのケーブルカーからの眺めは、この写真だけでは単なる平地の線路にしか見えませんね。本当は傾斜角40度くらいはあったと思うのだけれど。

6月28日(金)

▼ゲームラボを立ち読みする。
 斎藤環氏のページでは、私はなぜか「日本で二番目に萌えに詳しい精神科医」ということになってました。なんだか宮内洋にチッチッと舌を鳴らされたような気分です。

情報化、もっとも対応できていないのはだれ?
 さらに40歳以上の男性のダメな部分を書き込んでもらったところ、「メールはプリントしないと読まない」「人に尋ねる時の態度が大いばり」と不満が続々寄せられた。
 そうそう、この前読んだ『平成三十年』にも、やたらとメールをプリントアウトして読む場面が出てきてうんざりしたものです。おまけに、ウェブページが何者かに改竄されたときすら「プリントしてから削除しろ」と命じる始末。堺屋ちゃんって……。

▼白鳥賢司『模型夜想曲』(アーティストハウス)、川上弘美『龍宮』(文藝春秋)、小林恭二『カブキの日』(新潮文庫)、ロバート・オレン・バトラー『奇妙な新聞記事』(扶桑社)購入。

6月27日(木)

▼いつもネタにさせていただいているカナダのSF作家コリイ・ドクトロウ氏のウェブログBoing Boingこんな話題が。
 フィンランド出身のインテリアデザイナー集団、その名も「スノウクラッシュ」。いわゆる北欧デザインのスタイリッシュな家具を作っているのだけれど、「スノウクラッシュ」の名に負けず、ネットサーファーなるパソコン家具も作ってます。カッコイイ……のかどうかは微妙なところ。
 日本でも入手できるそうだけど、75万円……。
 ほかにも、クロモゾーム・チェアとか、照明器具THE THINGとか、なんとなくSFを感じさせるネーミングであります。

▼ちなみに、Boing Boingにはこんなネタも。ドクトロウ氏のコメントは、
日本のペニス猫アスキーメーション ペニスに変形する猫を題材にした不可解な日本のミュージカル・アスキーメーション。ハローーーーー、キティ!
 だそうなのだが、リンク先はというと、これ。確かにこりゃカナダ人には難解だろうなあ。

▼マイケル・パタニティ『アインシュタインをトランクに乗せて』(ソニー・マガジンズ)購入。映画『アインシュタインの脳』にも登場した、アインシュタインの脳を私物化している元解剖医トマス・ハーヴェイに会いに行った顛末を物語るノンフィクション。

6月26日(水)

▼斎藤環氏からメールが来ました。
ラカン派をバカにしやがったな、ゴルァ。そんなことしてただですむと思ってるのか。精神分析学会から刺客を送るから覚悟しとけ」
 とかそういうことではもちろんなくて。
「ゲームラボの連載で押しかけ厨の分析を少し紹介した。ついては誌上で加害者募集をかけておいたので、応募があれば紹介する」
 ……。
 加害者募集!?
 ゲームラボの読者と同人女性が重なっているかどうかはよくわからないのだけれど、 ある意味刺客に近いかも。
 つーか、押しかけ厨の加害者って、自ら応募してきたりするものなんでしょうか。

6月25日(火)

▼当直。

▼みたび「チャンバ」の謎についてですが、掲示板に有力な情報が。
高校のとき、作詞家吉岡治氏の子どもと友達だという友人がおりまして、 どういう経緯で作詞をすることになったのか聞いたことがあります。
日記で書かれているとおり、吉岡氏はもともと演歌界の大御所。 アニメの主題歌を手がけるのは初めてで、勝手がよく判らなかったそう です。
それで、「スポーツ物だし、ノリのいい曲だし、景気よく適当にでっち 上げればいいだろ」とかなりやっつけで書き上げたとか。 議論の中心の「チャンバ」ですが、意味としては「婆ちゃん」でよかった ような。
ただ、正確な由来のようなものはなく、「サンバ」と韻を踏める言葉なら なんでもよかったようです。 あえて言うなら婆ちゃんの業界用語"風"アレンジってことでしょうか。

自分も高校生のときに一度聞いたきりなので、細かいところをつっこまれ るとよく覚えていないのですが、やっつけ仕事だったと聞いたことだけは 鮮明に覚えています。
「チャンバ」の真相は、吉岡氏の造語というところに落ち着くのかもしれま せん。
 これもまた、24日に紹介した書き込み同様、作詞家に直接聞いたという(まあ、またぎきではあるものの)情報である。
 やはり「チャンバ=婆ちゃん」で間違いないようである。書き込んでくれた方も「やっつけ仕事」と書いているのだけれど、この詩がやっつけ仕事以外の何ものでもないことは、詩を読んだ誰もが感じるところところだろう。吉岡氏も、まさか20年を経ても「キャプテン翼」が絶大な人気を誇り、その主題歌もまたカラオケなどで歌い継がれているとは、想像だにしていなかったに違いない。
 たぶん20代〜30代の人間なら、「天城越え」も「さざんかの宿」も歌えなくても、「燃えてヒーロー」なら歌える、という人は多いんじゃないか(私もそう)。そういう人たちにとって、吉岡治の代表作といえば「やっつけ仕事」の「燃えてヒーロー」なのである。よりにもよって作詞を演歌の吉岡氏に依頼した方にも問題はあると思うんだけど、アニメ番組が子どもに与える影響をナメていた吉岡氏もうかつだったと思いますね。

6月24日(月)

ヴィンセント・ルビーノ作品集。花の写真を拡大してみましょう。妖精さんが見えますよ。妖精さんに扮しているのはルビーノ氏本人だそうな。

6月20日に書いた「チャンバ」問題なのだけれど、掲示板でいくつか反応がありました。どうもありがとうございます。
1982年に日テレ系で放映されたアニメで『一ツ星家のウルトラ婆さん』 という作品があるのですが、この主題歌『おばあチャンバ』(歌うは沢田研二!) から「チャンバ」という言葉を借りてきていると私は推測しています。
某アニメ雑誌で作詞家に直接質問したところ、チャンバ=婆ちゃんだったそうなのです。 ただし、業界用語なので、この場合のチャンバは「芸能界でいうババア=18才以上の女性」とのこと。
 やはり、「チャンバ=婆ちゃん」で決まりなんでしょうか。
 ……と思っていたら、ポルトガル語には確かに"Chumba"という単語があり、意味は「主役」だという情報が。でも「主役も走る」じゃやっぱり意味が取れないなあ。

▼最近妻ともどもFFXIにはまっていてあんまり日記が書けません。というわけで、今日はこれだけ。

6月23日()

▼現在使われているような精神科のクスリが初めて開発されたのは1950年代、長い医学の歴史からすればつい最近のことである。それ以前のクスリなんかない時代にはいろいろと不可思議な治療法が行われていたものである。ロボトミーなんかもそうだし、例外的に現在も使われている治療法としては電気ショックがあります。
 中でも18〜19世紀ヨーロッパの精神病治療法はといえば、きわめて乱暴なものばかり。
 たとえば「回転機械(Rotatory Machine)」というものがある。これはつまり、クイズ・タイムショックの回転椅子みたいなものなんだけれど、動力もない時代なので、わざわざ人力で回すのである。
 ヴィルツブルク市民病院の医師J.Oeggは、5人で操作され、毎分40回転の改良型の効率よい回転機械を使用した、と報告しています。どうやら当時の精神病棟にはこういう大掛かりな機械が設置されていたらしい。
 なんでこんな今の眼からみれば無茶なこんな治療法が使われていたかというと、それはイギリスの医師J.B.コックスという人の理論による。彼の理論によれば、精神病というのは臓器系が病的に固定しまっている状態だから、人体を回転させることによって新しい病気を人為的に起こせば、「身体の理法」が揺さぶられ、精神病は癒されるのだ、というのである。高速回転させると、患者は意識消失したりけいれんを起こしたりするのだけれど、彼にとってはこれこそが「理法」の揺さぶりだったのですね。
 ぶっちゃけた話、病気が固定してしまってるのだから、身体にショックを与えて揺さぶりをかけろ、とそういうわけである。だから、この治療法は、ものすごい騒音や悪臭のもとで進めれば、さらに効果が高く確実だ、とみなされていた。これがその後の「マラリア療法」や「電気ショック療法」に至るショック療法の発想の源である。
 さらにこのショック療法の発想の源流をたどると、18世紀のJ.Brownなる医師の治療法へと行き着く。
「(精神病の)病人には不安と恐怖をつのらせるべきだ。そして狂気のあいだ中、絶望の淵にまで彼を不安に落とすべきだ。過度の興奮は加減できる回転運動の道具で鎮め、荷車を引く牛馬のように長時間しかもきびしく患者を働かすべきだ。同時に食事の処方はできる限り抑え目とし、飲み物は水以外一切禁ずるべきだ。さらにこの患者には氷による水浴が必要であり、死亡直前までそのまま放置すべきである」
 これがブラウニズムと呼ばれるブラウンの治療理論なのですね。なんとも恐ろしい発想である。
 また一方では、興奮したり暴力を振るったりと活動性が高まっている場合の治療も決まっていて、これが「瀉血」。血を抜くのである。高まった状態なら血を抜けばいいのではないか、とこれもまた安易といえば安易な発想。
 ま、こういう時代を経て現在があるわけだ。

6月22日(土)

堺屋太一『平成三十年』(朝日新聞社)読了。いちおう未来小説ではあるものの、こんなもの読んでるのはSF系日記の中では私くらいのものかも。まあ、毎月日本SFの書評を書かなきゃならない身だからね……といいつつ、実はけっこう楽しんで読んだのだった。
 要するに、今のままの政治が続いたら日本はこうなっちゃいますよ、という警告小説なのだけれど、SF的には、不条理極まりない官僚制度に支配された未来世界を描いたディストピア小説として読めます。
 たとえば、かつてのニュータウンは老人ばかりの住む街と化しているとか、ゴミ収集の回数が減らされ街に悪臭が漂っている、とか、どこか『今池電波聖ゴミマリア』にも似た描写がみられるのも興味深いところ。ある意味、『今池電波聖ゴミマリア』の世界像を、官僚の視点から描いたのがこの作品といえるのかもしれない。
 だいたい未来を描くとき、SF作家であればだいたいポイントは決まっているもの。まずはテクノロジーの変化。それから人間のものの考え方の変化。まあこの作品はSFじゃないので仕方ないのだけれど、そういうところにまったくといっていいほど気を遣っていないのはどうかと思います。1974年生まれ43歳の主人公のものの考え方は、なんだか一昔前の中年男性みたいだし、若者の描写、エンタテインメント関連、テクノロジー(特にコンピュータ、インターネット関連)の描写は悲惨のひとこと。作者の感覚は、平成30年はおろか現代からも相当遅れているんじゃなかろうか(ギャグでもなんでもなく「高校生の間でも、バーチャル・ガバメントはナウいのだ」という文が出てきたときには、さすがにがっくりきたよ)。
 この世界では「パソエン」なるものが宴会の余興として大人気なのだそうだけれど、この「パソエン」なるもの、ブルーバックの前で一人芝居をすると、大画面には背景や服が合成されて映し出されるという代物。たとえば、ジャイアンツのユニフォーム姿でピッチングをしたり、裃姿で黒田節を歌ったり、孫悟空を演じたりするのですね。いったいどこがおもしろいのか理解に苦しむ。おまけに、このパソエンでふたりで演じるのが「バットマンと魔女」とくる。なぜバットガールでもキャットウーマンでもなく魔女なのかは不明。
 そのほか、コンピュータ関係の記述にはあまりにも初歩的な間違いが多く(どういう間違いがあるのかはここに詳しい)、作品の説得力を著しく損ねてます。
 さらに、この作品はもともと97〜98年に朝日新聞に連載されたものなので、それ以降の世界情勢の変化についてはまったく触れられていないのですね。当然、アメリカの同時多発テロについてもまったく言及なし。これくらいは加筆してください。

「ソラリス」予告編。これだけじゃ何ももわからんよ。あと、「レッド・ドラゴン」「デアデビル」も。

6月21日(金)

6月19日の「アニメファンはアニメの夢を見るか」の疑問に、さらに多くの回答が。
 私のチェックしたサイトだけですが、
「自分は登場せず、脳内に直接アニメが放映されているような感じ」(とりいかのヤマナさん)
「自分や友達も出てくるんですが、みんなちゃんとアニメの登場人物」(同じくとりこさん)
「当方は重度のアニヲタだと思うのですが、一度も見たことがないです」(らじさん
「自分が登場するキャラそのものになってる場合もあるし(矢吹丈だった^^)、脇役として自分自身が登場してる場合もあります。別に自分がアニメ絵にはなってないと思う」(安田ママさん
「私は己の視点人物がアニメ絵である夢も見ます」「他の登場人物について言えばまさにアニメを見ているがごとく展開される場合もあるし、セルアニメキャラが現実背景の中にいる場合もあるし、セルアニメキャラと3Dキャラが混在している場合もあるし、映画を見ているようにコントロールできない場合もあれば、アニメの情景の中を自由意志で動き回れる(ex水彩画背景にセルアニメキャラがぐりんぐりん動くので快感)場合もあるし」(のださん
 といったところ。千差万別ですね。
 わざわざお答えくださったみなさん、どうもありがとうございます。
 のださんの回答でおもしろかったのが、「夕べの夢では自分のc.v.(声)が広川太一郎だった」というところ。そうか、ちゃんと声優つきなんだ! アニメなんだから当然とはいえ、これは盲点。私も夢の中でいいから、山寺宏一の声でしゃべってみたいものです。

▼ニール・スティーヴンスン『クリプトノミコン(3)』(ハヤカワ文庫SF)、アーシュラ・K・ル・グィン『言の葉の樹』(ハヤカワ文庫SF)、藤木稟『オルタナティヴ・ラヴ』(祥伝社)購入。佐藤哲也『妻の帝国』(早川書房)も入手。


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