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12月31日(月)

▼というわけで、これより帰省。4日まで更新停止となります。みなさまよいお年を。

▼しばらく更新を休む代わりというわけではないのですが、あまりにも過去ログが膨大になってきたので、過去の日記の中から今読んでも興味深いと思われるものを選び出して、よりぬきカザノさんというものを作ってみました(ただし、私家版・精神医学用語辞典に収録した項目は除外してあります)。
 このサイトを最近見始めた方は、その中からいくつか読んでいただければ、ここがどういうサイトだかだいたいおわかりいただけるかと。

12月30日()

▼さて年末恒例の今年観た映画のベストテンと行きます。

1.ギャラクシー・クエスト
2.イディオッツ
3.クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
4.アンブレイカブル
5.ベティ・サイズモア
6.ジュラシック・パークIII
7.千と千尋の神隠し
8.スパイキッズ
9.ハリー、見知らぬ友人
10.パズル

 やっぱり今年は『ギャラクシー・クエスト』です。私トレッキーだし。阪神の星野新監督のキャッチフレーズが"NEVER NEVER NEVER SURRENDER"だと聞いたときには、思わずこの映画を思い出してしまった私である。
 2位はほとんど観た人いないだろうけど『イディオッツ』。ラース・フォン・トリアー監督が『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の前に撮った悪意たっぷりの傑作。
 『千と千尋』と『ジュラシック・パーク』以外は、どこかひねくれたところのある映画でまとめてみました。『キン・ザ・ザ』も入れたかったのだけれど、あれは初公開作じゃないので除外。

私家版・精神医学用語辞典に、パラフィリア(性嗜好異常)境界例とインターネットを追加。

12月29日(土)

畠中恵『しゃばけ』(新潮社)(→【bk1】)読了。ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作、なんだけど、江戸を舞台に薬屋連続殺人の謎解きを描いていて、ファンタジーよりはミステリータッチ。落語みたいに洒脱でのんびりした世界はいい雰囲気だし、読み物としての完成度も高いんだけど、ちょっと軽すぎるのが大賞を逸した理由かな。
 作者はマンガ家らしいのだけれど、「畠中恵」で検索しても見つからず。何というペンネームでどんな作品を書いていたんだろうか。

▼この日記でイオンド大学を取り上げたのはもう2年以上前のこと。イオンド大学がどういう大学なのかは、まあそのときの日記やリンク先(デッドリンクが多くなっているけれど)を見ていただければだいたいのことはわかるでしょう。そういや、最近のイオンド大学はいったいどうなってるのかなあ、とか思って何の気なしに検索してみたら、驚くべきことになっていた。
 イオンド大学から名誉博士号を授与された人多数!
 ここここここここここここここここここも! みんな名誉博士号(博士号の人もいる)を授与されたことを誇らしげに書いています。中でもここでは、名誉博士号をもらっておきながら、イオンド大学の学長の名前を間違えてます。ジョージ秋山じゃなくジョージ森下。ジョージ秋山は漫画家だってば。

12月28日(金)

▼今朝の東京新聞に、こんな投書が載っていた。
大人気の映画 影響に不安も
会社員 枝○美○子 29(千葉県船橋市)

 映画が公開されてから、ますます過熱するハリー・ポッター旋風。この原作は、健全な夢を子どもたちに与えるよりも、魔術やじゅ文など精神的悪影響を与えます。魔術にとりつかれて殺人を犯したりという異常現象が多発していると聞いたこともあります。
 魔法に頼って行動したり願いをかけたり。魔法で奇跡は起きるかもしれませんが、その裏には、精神障害をきたす悪い力が働いているということも確かです。なお米国では、この原作が「おすすめできない図書」の筆頭とされているという情報も、明らかにされています。
 映画の影響によって、精神病の発症を指摘している専門医もいる、とも聞きますので書き添えます。
 アメリカ(タイミングよくハリー・ポッター焼却計画なるニュースも)やオーストラリア台湾にも「魔法」に強い拒否感を示すキリスト教原理主義者がいるのだから、こういう人が日本にいてもおかしくはないとはいうものの、実際にこういう投書を見てしまうとため息をつくしかないですな。「精神的悪影響」「精神障害をきたす悪い力」「精神病の発症」と、断言しているところがすごい。こういう人にとっては、『指輪物語』も『おジャ魔女ドレミ』も、魔法の登場するファンタジーはすべて悪なんだろうか。ハヤカワ文庫FTや富士見ファンタジア文庫なんて、目にするのも汚らわしい悪の巣窟。『魔女の宅急便』は極悪映画に違いない。
 映画と精神病の関係については、精神病というものは素因があればふとしたきっかけで発症するものなので(就職、受験失敗、失恋、結婚、自己啓発セミナーなどなど)、映画を見たあとで発症した例があっても別におかしくはない気はしますが、映画の影響で精神病を発症、というのは明らかにいいすぎですね。誰なんだ、その専門医というのは。
 まあ、東京新聞がこれを掲載した意図は、一種の「晒し上げ」に近いような気もしますが。

2001年の忘れられない本(asahi.com調べ)。1位は『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』。2位と3位は『新しい歴史教科書』『戦争論2』なのだけど、編集長が「市場とのギャップを感じるところだ」「フに落ちないことである」と語っているのがいかにも朝日らしいところ。この2冊、「終盤急速に票数を伸ばした」そうなのだけど、この結果の裏にもどっかのサイトの暗躍があったんでしょうか。

▼購入本。
永野のりこ『みんな以外のうたR』(ぶんか社)(→【bk1】
島本和彦『吼えろペン(3)』(小学館)(→【bk1】
古川日出男『アラビアの夜の種族』(角川書店)(→【bk1】
イアン・バンクス『エスペデア・ストリート』(角川書店)(→【bk1】)(同じBOOK PLUSのシリーズでも、角川書店発行のものとアーティストハウス発行・角川書店発売のものがあるのに気づく。この本は前者で、この前買った『アンダー・ザ・スキン』は後者。何が違うんだろうか)
林公一『擬態うつ病』(宝島社新書)(→【bk1】
トリシャ・グリーンハル&ブライアン・ハーウィッツ編『ナラティブ・ベイスト・メディスン』(金剛出版)(→【bk1】
高橋規子・吉川悟『ナラティヴ・セラピー入門』(金剛出版)(→【bk1】
狩野力八郎・近藤直司編『青年のひきこもり』(岩崎学術出版社)(→【bk1】

12月27日(木)

▼妻が美容院で珍しい歯みがきをもらってきた。その名も「活里」。パッケージには「大自然の恵みが口中を浄化します」とある。大自然の恵みときましたか。なんだか大仰な物言いである。
 なんでも、「中国古来伝承の純薬草入り歯みがき」なのだそうである。中国にはそんなに昔から歯みがきがあったのだろうか。
 原産国はもちろん中国。そして、箱の裏にはこう書いてあった。
中国軍事医学科学院監製
 なにやら先行者でも開発していそうな機関だが、調べてみると、中国軍事医学科学院というのは、O型の血液をB型にする研究を成功させたり、生物エンジニアリング産業基地を作ったりしている政府機関らしい。そして、生産は江西草珊瑚牙膏有限公司。定価は1000円(高い!)と書かれている。
 なるほど、この歯みがきは中国の軍事医学科学の粋を集めて作られたのか。なかなかものものしい代物である。
 歯ブラシの上にしぼり出すとペーストは緑色をしており、口の中に入れるとなんだか漢方薬のような味がする。実際、薬用成分は漢方薬にもよく使われる甘草とオウゴンエキスで、確かに殺菌・消炎作用のある生薬である。
 この「活里」について調べていたら、こんなページを発見。こちらの方もこの歯みがきを粗品としてもらっているのが不思議なところ。粗品用に「活里」を配っている謎の団体でもあるのだろうか。

千石保『新エゴイズムの若者たち』(PHP新書)(→【bk1】)読了。著者は日本青少年研究所の所長。青少年意識調査の結果をもとに、最近の若者の特徴を論じた本。
 データの部分は確かにおもしろいのだけれど、考察はかなり物足りない。データの分析に終始していて、実際の若者の姿が全然見えてこないのですね。データだけから「最近の若者はこう」と言い切ること自体に問題があるような気もするのだけど。
 著者の立場はかなり保守的で、やたらと法規範にこだわるなあ、と思ってたら、元東京地検検事という経歴のひとだったのね。なるほど。
 価値観についての国際比較の結果とかは、なかなか興味深いものがあります。
日本韓国アメリカフランス
1.結婚前の純潔は守るべきだ40.174.482.520.2
8.私はインターネットでのチャット、掲示板の書き込みなどをするとき、もっとおもしろくするために悪口、ののしり、脅かしなどの行為をすることもある 8.533.074.022.7
9.発展途上国には関心がない28.636.668.825.5
14.人類全体の利益よりわが国の利益がもっと重要である29.645.574.342.2
15.インターネットがなくても日常生活に不便はないだろう60.422.673.537.2

 粗データはここ

12月26日(水)

「文字を持たなかったのである」という単刀直入な書き出しが、なんとなく『後宮小説』を思わせる粕谷知世『クロニカ』(新潮社)(→【bk1】)読了。第13回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。タワンティンスーユ、いわゆるインカ帝国を舞台にした作品である。
 実は私もかつてインカ帝国ネタの小説を書こうとしていろいろ調べたことがあるのだけれど、インカについては驚くほど資料が少なくて苦労した覚えがあります。タワンティンスーユは文字を持たなかったので(文字なしで巨大な国家を運営していたというのは驚き)、資料はすべてスペイン側のものに限られるのですね。
 インカ帝国の名が有名なわりにはインカを舞台にした小説が少ないのも、そのへんに理由があるんじゃなかろうか。私の知る限り、マルモンテル『インカ帝国の滅亡』、豊田有恒『パチャカマに落ちる陽』くらいしかないし、アステカを入れても豊田有恒『アステカに吹く風』とジュマーク・ハイウォーター『滅びの符号』くらいのもの(ほかにあったら教えてください)。
 まあ、それだけに作家としては想像を自由に膨らませる余地があるわけで、『クロニカ』では、文字を持たなかった、という事実を最大限に生かして、実に印象的なタワンティンスーユが描かれてます。まずはご先祖様の木乃伊としゃべれる、という設定が楽しい(しかもこの木乃伊、怪しげな方言(名古屋弁?)でしゃべくるのだ)。さらにインカ帝国滅亡の歴史を、文字を神として崇める者とそうでない者の戦い、という視点から、語りなおすというアイディアも秀逸。「文字の神」について語る文章にはちょっと神林長平風な手触りもあって、SFファンにもこれはなかなか楽しい。
 小説技巧的にはまだまだ改善の余地はあるし、いろいろな要素をつめこみすぎて(特に終章は風呂敷広げすぎ)、結局どれも中途半端になってしまったような残念さは残るものの、この作者の書くタワンティンスーユをもっと読みたい、と思わせる作品です。

▼カレン・マシスンのアルバム『The Dreaming Sea』を購入。

12月25日(火)

▼カナダから一時帰国中のMZT氏を囲んで飲み。MZT氏は吉野家コピペの「もうね、アホかと。馬鹿かと」というフレーズがいたくお気に入りのご様子。

山形浩生氏に賠償命じる 小谷真理氏に関する記載めぐり。「山形氏側に330万円の支払いと、インターネット上の自分のホームページに謝罪文を掲載するよう命じた」のだとか。山形浩生公式ページにはまだ謝罪文はない模様。

首にベルト絡まり、患者が死亡 東京・三鷹の精神科病院についても、何か書きたかったのだけれど、今日は時間ないのでパス。
 「精神科病院」というのはなんだかこなれない言葉だけれど、近ごろでは「精神病院」ではなく「精神科病院」という言葉を使うようになってきてるのですね。最近、「日本精神病院協会」も「日本精神科病院協会」に改名したし。
 精神科の病院を指す名称には変遷がありまして、「癲狂院」(明治)→「脳病院」(大正)→「精神病院」(昭和)→「精神科病院」(平成)と、変わってきているのですね。かつては「○○精神病院」という名前の精神病院がけっこうあったものだけれど、今じゃほとんどありません。ひとつの言葉が定着すると、だんだんと差別的に使われるようになってきて、そのたびに改名の繰り返し。言葉狩りの構造とおんなじです。

▼千石保『新エゴイズムの若者たち』(PHP新書)(→【bk1】)、リチャード・パワーズ『ガラテイア2.2』(みすず書房)(→【bk1】)購入。どうやら人工知能SFのようなのだけれど3200円……。

12月24日(月)

▼タイム誌の"PERSON OF THE YEAR"投票で田代まさしが1位になってしまった騒動、これでわかったのはインターネット上で行われているアンケートや投票なるものがいかに無意味で信頼できないか、ということなんじゃないのかなあ。ネットアンケートがいかに手軽に見えても、やっぱり信頼性を保つには従来のめんどくさい調査方法しかないってことですかね。
 これで思い出したのは、10月にスーパーチャンネルで行われたスタートレック ベスト・クルー投票で、副長としてガラックが選ばれてしまった事件。なんとその票数はスポックの2倍以上! スタトレを見ていない人にはわからないと思うけれど、ガラックというのは「ディープ・スペース・ナイン」に出てくる、敵か味方かわからない謎の仕立て屋で、副長なんか一度もやったことはないのである(副長なんか任せようものなら後ろから撃たれそうである)。明らかに不正投票なのだけれど、スーパーチャンネルではタイム誌のように削除はせず、テレビでもそのままの結果を放送していた。これはこれでひとつの考え方かもしれない。

▼クリスマスなので珍しくワイン(もらいもの)を開け、妻が買ってきた鶏を丸焼きにして食べる。

▼SFマガジン2月号届く。今月号から毎月日本SFのレビューをやってますのでよろしく。

▼ニール・スティーヴンスン『ダイヤモンド・エイジ』(早川書房)、ミッシェル・フェイバー『アンダー・ザ・スキン』(アーティストハウス)(→【bk1】)、畠中恵『しゃばけ』(新潮社)(→【bk1】)購入。

12月23日()

『スパイキッズ』を観ました。わはは。バカですねえ、これは。お色気のない『チャーリーズ・エンジェル』というかなんというか、スパイグッズ満載のハイテンションなお気楽アクション映画。冒頭で、スパイ同士が恋に落ちる回想シーンのスピーディな展開にまずしびれます。
 監督はロバート・ロドリゲスなのだけれど、全編に漂うB級テイストや、敵役の設定には(子供番組の司会者なのだ)、ちょっとティム・バートンを思わせるところもありますね(特にダニー・エルフマン作曲の子供番組のテーマ曲はバートン風味たっぷり)。本家ティム・バートンがちょっと低調なので、これはなかなかうれしい映画でした(★★★★)。

▼続いて『耳に残るは君の歌声』。ジョニー・デップとクリスティーナ・リッチという『スリーピー・ホロウ』コンビが主演で、監督はサリー・ポッター。第二次大戦下のパリを舞台に、ロシア系ユダヤ人とジプシーの青年というマイノリティ同士の恋を描いているのだけれど、途中までは人種問題やユダヤ人迫害という重いテーマを扱った作品かと思いきや、これといった盛り上がりもなくさらっと終わってしまったような。広大なアメリカでどうやって父親を探すのかと思いきや、あっさり見つかってしまったのには拍子抜けしてしまったよ(★★★)。

▼コラーゲン〜コラーゲン〜ぷるぷる〜、と妻が騒ぐので、すっぽん料理を食べに巣鴨の三浦屋という店に行ってみる。地蔵通りから細い路地へ少し入ったところにある店である。
 店内には何やらサインの書かれたすっぽんの甲羅が所狭しと飾ってある。判読できたものは、米長邦雄、旭鷲山、伊藤なつ・かななどなど。マンガ家も何人かいて、山本英夫、倉田よしみ(「味いちもんめ」の作者)とか。うーん、微妙なところだ。
 サインはちょっと微妙なところなのだけれど、飾ってある写真はなかなか豪華で、堂本光一がすっぽんスープを飲んでいる写真があちこちに貼ってある。Kinki Kidsの番組など何度もテレビで紹介されたことがあるらしい。けっこう有名な店のようだ。
 妻も私もすっぽんを食すのは初めて。とりあえずすっぽんコースを頼むと、まず出てきたのはスーパーハイスープなる名前のすっぽんスープ。堂本光一が飲んでいたものである。おそるおそる飲んでみると、意外にあっさりしてくせのない味である。続いて、すっぽんの血をワインで割った飲み物が出てきたのだけれど、これも別に臭みもなく普通に飲める。
 その次がようやく、メインのすっぽん鍋。さらにすっぽんのから揚げ、すっぽんの串焼き、心臓、肝臓などの内臓とすっぽんづくし。骨が多くてちょっと食べにくいが、味は鶏肉のようで抵抗なく食べられる味である。ただ、胆嚢だけは、お姉さんが「青汁の3倍くらい苦い」と言っていたとおり、むちゃくちゃ苦かったけれど。
 最後は雑炊と抹茶のアイスクリームを食べて、コースはおしまい。別に健康になったようにも肌がつるつるになったようにも思えないが、すっぽんを堪能いたしました。

▼韓国映画『火山高』。学ランの高校生たちが超能力バトルを繰り広げてます。なんだか日本マンガみたいだなあ。

12月22日(土)

▼日本最強の翻訳SFデータサイトAMEQ LANDを久しぶりに覗いてみたら、いきなりトップページがこんなになっていてびっくり。アイドル画像サイトかと思いましたよ。

▼猟奇的な殺人事件の犯人が捕まったりすると(特にそれが少年だったりすると)、ニュースや新聞ではよく「心の闇」という言葉が使われるもの。この言葉、いったい誰が最初に言い始めたんだろう、とずっと不思議に思っていたのだけれど、調べてみるとこれが意外に古いのですね。
 まず、広辞苑を引くと、こんなことが書いてあります。
こころ-の-やみ【心の闇】
(1)思い乱れて理非の判断に迷うことを闇にたとえていう語。古今恋「かきくらす--にまどひにき」
(2)(「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」の歌から)特に、親が子を思って心が迷うこと。源桐壺「これもわりなき--になむ」
 「心の闇」という項目がちゃんとあるのです。
 源氏物語では、(2)の「親が子を思う心」という意味で使われていることが多いのですが、こんな歌もあります。
尽きもせぬ心の闇に暮るるかな雲居に人を見るにつけても
 これは、源氏が藤壺に憧れて詠んだ歌。この場合「心の闇」は(1)の方で、恋に悩む心を意味してますね。
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ
 これは広辞苑でも例として挙げられている、伊勢物語で在原業平が詠んだ、斎宮14歳への返歌。これも恋の歌ですね。どうやら「心の闇」という言葉は平安時代からあったもののようだけど、現代の意味とはちょっと違うようです。今は、恋に迷う心や親が子を思う心を「心の闇」とは言わないでしょう。
 では、現在のような「犯罪心理」とか「異常心理」のような意味で最初に「心の闇」を使ったのは誰か……と調べて行くと、意外な人物に突き当たります。
 尾崎紅葉。
 そう、あの『金色夜叉』の。
 尾崎紅葉が、明治26年に、その名もずばり「心の闇」という小説を発表しているのですね。
 簡単にあらすじを説明しましょう。
 盲目の按摩佐の市は、幼なじみの宿屋の一人娘お久米にほのかな恋心を抱いている。佐の市は宿屋出入りの按摩として働いていて、真面目な好青年として評判もよかったのだけれど、あるとき、お久米の婚約の話を聞いてから、人が変わったようにむっつりと不機嫌に思い悩むようになる。
 お久米の両親はもとより一人娘を按摩の嫁にやるつもりなどなかったし、お久米の方としても、盲目の按摩は結婚対象外だと思っていたわけですね。だから佐の市の恋心には気づかぬふりをして、努めてただの使用人として接しようとしていたのだけれど、お久米はだんだんと佐の市の自分を見る視線に不気味さを感じるようになってくる。そしてついに佐の市が出てくる悪夢をみたりするようになる。
 やがてお久米は結婚。その日の深夜、雪の降りしきる中、佐の市は夫婦の新居の周りをうろうろしているところを警官に見つかり、不審人物として連行されてしまう。そして、その後お久米は佐の市に会うことはなかったが、月に2、3度ずつ、あるときは死人のよう、あるときは怪物のような顔をした佐の市の悪夢を見るのだった。
 最後の一文がなかなかかっこいい。
言はずして思ひ、疑ひて懼る。是も恋か、心の闇。
 とまあ、快活だった佐の市が幼なじみの婚約をきっかけに思いつめるようになり、とうとうストーカーとして逮捕されるまでの心の闇を描いていると同時に、お久米の側の佐の市へのうしろめたさという心の闇をも同時に描いた作品なわけです。もちろん、タイトル自体は、盲目の佐の市の「闇」と心の中の「闇」とをかけているのだけど、「心の闇」の使い方としては、平安時代以来の「思い乱れる心」といった意味を踏襲しながらも、現在使われているような「異常心理」的な意味に少し近づいてきているように思えます。
 さらに、島崎藤村の「若菜集」(明治30年)の中の「おさよ」という詩にはこんな一節があります。
流れて熱きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

乱れてものに狂ひよる
心を笛の音に吹かん
(中略)
愛のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り

悪をわれの吹くときは
散り行く花も止りて

慾の思を吹くときは
心の闇の響あり

うたへ浮世の一ふしは
笛の夢路のものぐるひ
 ここでも「心の闇」は「慾の思」や「ものぐるひ」のような狂おしさと結びつけられています。
 もちろん紅葉や藤村の「心の闇」が直接現在使われている「心の闇」につながっているわけではないと思うのだけれど、明治の御代と平成とで同じ言葉が使われているというのはちょっとおもしろいのでは?

 さて、この「心の闇」を私は坪内祐三編『明治の文学第6巻 尾崎紅葉』(筑摩書房)(→【bk1】)という本で読んだのだけれど、この本に収録されている「風流京人形」という作品もまたおもしろい。この作品、紅葉が21歳のときに書いた作品で、女学校一の美少女をめぐる書道教師(指導のとき女生徒の体に触るのが楽しみ、というセクハラ野郎である)と隣家の青年の恋のさやあてを描いた少女マンガみたいなコメディなのだけれど、結末で明かされる美少女の正体が驚天動地。いやあ、並大抵のオチには驚かない私だけれど、これには驚きました。これは明治だからこそ成立する結末。現在では絶対に無理な作品でしょう。
 実は私、この本で初めて尾崎紅葉を読んだのだけれど、これがむちゃくちゃおもしろいのですね。明治のベストセラー作家だけあって、とにかくエンタテインメントに徹していてサービス精神満点。辛気臭い田山花袋なんかよりよほど優れた作家だと思いました。

12月21日(金)

18日〜19日の記述について、マーブルマッドネスというサイトのひろしまさんから反論をいただきました。丁寧なメールまで頂いたのでリンクを張っておきますが、読んでみると私とそんなに意見が違うようには思えないので、特に言うこともないのですが。
 唯一見解の相違と思えるのは「大袈裟すぎませんか?」というところのようなのだけれど、ことネットにおいては大袈裟にみえるほど慎重であった方がいいと私は思ってます。

▼あと、掲示板でもいろいろと議論がされているようですが(なんか見ようによっちゃ「信者」が批判者を叩いているように見えていやーんな感じなのですが)ひとこと。
 私としては「発言者の責任」とは、批判を排除したり発言を断りなく修正撤回したりしないこと、と考えています(もちろん他人のプライバシーを侵害していたとか、事実として間違っていたとかの理由で修正することならありますが)。私の意見と、それへの批判とが、両方とも読める状態にある、ということが重要だと考えます。判断は読み手がつけることですし、その判断は読む人によって違うでしょう(私はこの日記上では常に、たとえ個人宛ての返答に見えても、そうした「読み手」を意識して書いています)。
 批判を受けることによって、新たな視点がもたらされたり、意見に重大な修正を迫られたりした場合はそれに答えた方がいいとは思いますが、一度発言したからにはその話題についてフォローし続けなければいけない、とか批判には答えなければならない、とかそういうことは思ってません。「批判を拒否しない」ことと「議論に応じる」ことはイコールではなく、前にも書いた通り「答えないこともまた返答のひとつ」です。
 むしろ、「批判には答えなければならない」という強迫観念的な思い込みこそが、「イヤなら読まなきゃいい」といったたぐいの発言を生み出しているような気がするのですが。

▼ついに出た! キム・スタンリー・ロビンスン『グリーン・マーズ』(創元SF文庫)(上→【bk1】、下→【bk1】)、安克昌『心の傷を癒すということ』(角川ソフィア文庫)(→【bk1】)、ビル・プロンジーニ『雪に閉ざされた村』(扶桑社ミステリー)(→【bk1】)、粕谷知世『クロニカ』(新潮社)(→【bk1】)購入。


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