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1月10日(木)

▼先日何の気なしに書いた「突発性射精」の話題なのだけれど、掲示板で「中島らももそういう経験があるらしい」とか「私も経験があります」とかいくつもの情報をいただきびっくり。オフラインでは友人からも「実はぼくも……」という告白を受けてしまいました(どう反応すればいいのか困ってしまったよ)。しかも、3人とも「試験で緊張したときに射精」というシチュエーションまで同じ。
 私が日記に書いてからわずか2日でこれだけの反応があるくらいだから、少なくともこの「突発性射精」、世界でわずか数例、というほど珍しい症状ではなさそうだ。症例報告がほとんどないのは、珍しいからというより、むしろ恥ずかしくて病院には行きにくい症状だからあまり医者の眼に触れないだけなのかもしれない。不安や緊張によって性的快感なしに射精するという現象は、正常な人の思春期にも充分ありうることだと考えた方がいいのかも(もちろん頻繁に起きるようなら病的だと思うけど)。

▼ジェシー・ダグラス・ケルーシュ『不死の怪物』(文春文庫)、日下三蔵編『楠田匡介名作選』(河出文庫)、田中啓文『UMAハンター馬子(1)』(学研M文庫)(←この脱力感あふれるタイトルが最高。しかも章タイトルが「湖の秘密」「魔の山へ飛べ」「あなたはだあれ?」って……ウルトラセブンですか)購入。

1月9日(水)

▼「年の初めのためしとてー」という歌い出しのお正月の歌(「一月一日」というタイトルだそうだ)がうまく歌えない。
 「年の初めのためしとてー」の1行目はいいのだが、2行目、「おーわりなーきよーのー」の部分になると、どうしても「おーわーりーなーごやーの」と歌いたくなってしまうのである。「尾張名古屋のめでたさよ」ってどんなめでたさだ。
 さらに、ここをなんとか乗りきっても、次の行にまた鬼門がひそんでいる。「松竹たーてて」のあとが、どうしても「みなかえろ」になってしまうのである。もうこうなるとどんなメロディだったかいくら思い出そうとしても思い出せない。結局最後の行は「からすといっしょにかえりましょ」となって、なぜか別の歌になって終わってしまう。
 というわけで、私はこの歌をきちんと最後まで歌えたことが一度もないのである。

▼唱歌に関するエピソードをもうひとつ。「たきび」という歌がある。「垣根の垣根の曲がり角」という歌い出しの歌だ。私はこの歌い出しの部分を聴くと、つい「トワイライト・ゾーン」のオープニングを思い出して、「かきねのかきねのかきねのかきねの……」と延々と続けたくなってしまうのである。

1月8日(火)

▼「突発性射精」という症状があることを、最近初めて知った。英語で言えばSpontaneous ejaculation。性的刺激や性的思考とは無関係に突然射精する状態のことで、1983年にRedmondらが初めて報告して以来、全世界でも症例報告はわずか5例。そして世界で6例目、もちろん日本では初めての症例報告が、「精神医学」誌の2001年12月号に載っていたのである(高尾哲也ら「突発性射精の1例」)。
 この珍しい症状の持ち主は、初診時17歳の少年。13歳のとき、学校での定期試験中、時間が足りなくて全部できそうにない、とあせっていたら、勃起することなく突然射精してしまったという。また、17歳のときにも、漢字検定の試験中、解答し終えた人が次々と教室から出て行くのを見て、強い不安を感じて射精したという。また、このころから、嫌なクラスメートが近づいてきたり、電車内で女子高生が隣に座ったときなど、緊張や不安を感じると「射精しそうな感じ」が出現するようになったそうだ。その後も、学校の提出物を忘れたときに射精したり、バスに乗り遅れそうになって射精したり。モノがモノだけになんとも喜劇的な印象すらあるが、当人にしてみればたいへんな悲劇である。女子高生が隣に座っただけで射精しそうになるのなら、女の子と付き合ったらいったいどういうことになってしまうのだろうか。
 この少年はその後精神分裂病を発症したそうだが、精神分裂病と突発性射精の関係はよくわからないという。不安や緊張が高まったときに射精してしまう、という症例はほかにも世界で2例あるそうだが、なぜ不安を感じると射精してしまうのか、その原因は不明。なにせ症例数が圧倒的に少ない症状だけに、考察もいまひとつ歯切れが悪い。
 そういえば緊張の高まりと緩和というのは、男性の性的な高まりに似ているような気もする。だからなんだというわけでもないのだけれど。

1月7日(月)

林公一『擬態うつ病』(宝島社新書)(→【bk1】)読了。いわゆる「鬱系」サイトの開設者は本当はうつ病じゃない場合が多い、という話は私も以前書いたことがあるけれど、この本では「うつ病」と「うつ病に似たもの(擬態うつ病)」を対比させ、そのへんのことを実にクリアでわかりやすく(ある意味、身も蓋もないくらいに)説明してくれてます。
 著者のいう「擬態うつ病」というのは結局は自己愛の病であり、人格障害の一種であることが多いと私は思うのだけれど、この本では自己愛とかそのへんの病理についてはさらりと流し、「人格障害」という単語に至ってはまったく出てこない。この本の眼目はあくまで「うつ病」についての正しい知識なのですね。なるほど、これはこれでいさぎよい態度かもしれないけれど、「自称うつ病」についてもっと読みたかった身としてはちょっと物足りない。
 文章は一見無骨なのだけれど、なんというか、そこはかとないおかしみが漂っているあたりがなかなかいいです。「うつ病だと思って精神科に行ったのにちゃんと診てくれなかった」という憤慨のメールを紹介した直後に「この人はうつ病とは思えない」と一言のもとに切り捨てたり、医者の診断書の病名なんてまったくあてにならない、と言い放ったりと実にクリア。ここまでクリアに断言されると爽快である。
 うまい、と思いつつも首をひねったのは、文章のツカミの部分。「精神科の病名には、二種類ある。納得されやすい病名と、納得されにくい病名である」とか、「症状があって病院を受診し、心配ないと診断された場合、患者の反応は大きく二種類に分けることができる。ああよかったと思うか、そんなはずはないと思うか、の二種類である」とか、「人間の身体に出る症状には三種類ある。正常な反応と、病的な状態と、その二つの中間である」とか、この人の文章、こういう書き出しが実に多いのだ。印象的なツカミだし、なるほどと思わされるのだけれど、こういう二分法(や三分法)はあまりにキャッチーすぎやしないか。
 明快でよくできた本だし、私もこの本に書いてあることにおおむね賛成するのだけれど、クリアで見とおしがよすぎるがゆえに、かえって精神科の実際から遠ざかってしまっているような気もしないでもない。著者もあとがきで書いているように、この本の中には、わかりやすくするためにあえて極論に走っている部分もあるのは、忘れないようにしておいた方がいいと思います。

▼牧野修『だからドロシー帰っておいで』(角川ホラー文庫)(→【bk1】)、櫻沢順『ブルキナ・ファソの夜』(角川ホラー文庫)(→【bk1】)、山田風太郎『笑う肉仮面』(光文社文庫)(→【bk1】)購入。

1月6日()

▼アメリカにも日本の流行語大賞みたいのがあるらしく、米国方言協会(American Dialect Society 訳語は「方言」でいいんだろうか)が選んだ2001年の言葉は「9-11」だそうな。まあ、納得のいく話ですね。
 2001年の言葉があるのなら、2000年の言葉もあるはず。それはいったい何なのだろう? と思って、米国方言協会の"Word of the Year"のページを見てみると、
chad
 は?
 チャドって何だ。アフリカの国(首都はンジャメナ)ってわけでもないだろうし……と思っていろいろ調べてみると、こんなページを発見。チャドとは、パンチカードに穴をあけたときに出る屑のことだそうな。なるほど、大統領選で問題になったフロリダ州の投票用紙屑のことか。こりゃ日本人にはわかりませんな。
 ちなみに、1990年から1999年までの「今年の言葉」はというと、次の通り。
1990: Bushlips
1991: Mother of All
1992: Not!
1993: Information Superhighway
1994: Cyber, Morph
1995: Web, Newt
1996: Mom
1997: Millennium Bug
1998: E-
1999: Y2K
 まあ予想のついたことではありますが、ぴんと来ない言葉ばっかりです。"Y2K"、"E-"、"Web"あたりはわかるんですが。しかし、情報関係の言葉にかたよっているような。また、1999年の新語部門には、"pokémania"が選ばれてます。
 さらに、1990年代の言葉としては"web"、20世紀の言葉として"jazz"、旧千年紀の言葉としては"she"が選ばれたのだとか。うーん、なんか納得いかんなあ。

1月5日(土)

古川日出男『アラビアの夜の種族』(角川書店)(→【bk1】)読了。読んだ。読み終えた。いやあ、すごいです、この本は。すでに来年度版の「SFが読みたい!」の上位は間違いなし。物語の、書物の、快楽に満ち満ちた圧倒的な2000枚。漢字とルビを自在に操る独特の文章は実に蠱惑的。これは急いで読んではいけない。あくまでゆったりと、濃密な描写の魔力に酔いつつ読むべき本でしょう(とはいえ私は締め切りに追われつつ読んだのだけど)。"The Arabian Nightbreed"という英語タイトルからもわかるとおり、千夜一夜物語の変奏であるとともに、ちょっとだけクライヴ・バーカーの『死都伝説』(原題"Nightbreed")を思わせるところもありますね(奇人たちの住む都市が出てくるところとか)。そしてもちろん、これは「物語」についての物語でもある。
 アンリアルな小説を愛する人は、何をおいても読むべし。

 細かいことながら、本文中では「これはぼくの四冊めの著作」とあるのに、奥付の著者略歴には「砂の王」「13」「沈黙」「アビシニアン」の4冊が銘記されているのが謎だと思ったのけれど、調べてみると『砂の王』はウィザードリィ外伝としてログアウト冒険文庫から出た本で、1巻しか出てないのね。作者すら著作に含めてない本を奥付に書くのもどうかと思いますが。

1月4日(金)

▼帰ってきました。

島田荘司編『21世紀本格』(カッパノベルス)(→【bk1】)読了。1作ごとに◎○△×で評価をつけてみました。
△響堂新「神の手」 単に普通の人が感じている遺伝子操作への不安感を追認しただけの小説。新しいテーマを扱っていながら、新しいビジョンや問題意識がまったく感じられない。物語は、この作品が終わったところから始まる。
△島田荘司「ヘルター・スケルター」 脳科学ネタの作品だが、その知識が作品に充分生かされているとはいいがたい。それに、結末で明かされる真相からすると、作中で語られる科学知識は不適切なような気がするのだが(たとえば、ポジトロンCT(PET)が実用化されたのは1970年代以降のことである)。
◎瀬名秀明「メンツェルのチェスプレイヤー」 これは傑作。人工知能研究の最先端である「身体性」の問題と本格ミステリとしての謎解きが密接に絡み合っている。ロボットが殺人を犯すとしたらその動機はどのようなものになるのか。思考実験の末の結論が見事。これぞ21世紀の「モルグ街の殺人」の名にふさわしい逸品。
△柄刀一「百匹めの猿」 タイトルからもわかるように、科学というよりはブードゥー・サイエンス(トンデモ科学)ネタのミステリ。本格としてはともかく、科学との融合という点では成功しているとは言いがたい。
△氷川透「AUジョー」 これまた本格としては端正な作品だが、「21世紀本格」としては疑問が残る。語り手がいったい誰に対して語っているのかという問題はうやむやなままだし、20歳そこそこの語り手が20世紀文化研究家だという設定は恣意的にすぎる。
×松尾詩朗「原子を裁く核酸」 いいところの見つけられない作品。ドクター・コドン、自分の科学知識を自慢しているわりに、間違っているポイントがあまりにも初歩的(πが無理数であることすら知らないとは!)。なぜ島田荘司がこの作家を買っているのか私にはよくわかりません。
○麻耶雄嵩「交換殺人」 SF性はまったくないが、論理性といい結末で図と地が逆転する感覚といい本格ミステリとして文句のつけどころのない作品。ただし「海の向こうではソ連がなくなる」という時代設定なのに、「アロエリーナ」という固有名詞が出ているのは疑問。何かの伏線かと思ったよ。なぜそんな時代設定にする必要があったのだろうか。
◎森博嗣「トロイの木馬」 仮想空間へのジャックインが日常になった世界の風景を、乾いた詩情とともに描いた作品。他の作品のように説明的にならず、コンピュータ用語を駆使しつつ、科学によって変容した世界を日常として淡々と描いているところがうまい。キレのいい結末も見事だけれど、本格かどうかは疑問。
 本格として優れた作品は科学との融合に失敗しており、SFとして優れた作品は本格性が薄いのが難点。21世紀本格を書くためには、瀬名秀明や森博嗣のように専門家クラスの知識が必要になるのだろうか。

▼この本について、島田荘司のページにおもしろいことが書いてあった。
もう一人霧舎巧さんがいたのですが、彼が書いてくれた「月の光の輝く夜に」という作品、これは幻想的なとてもよい小品だったのですが、血友病を扱っているため、できとは無関係に出版のコードにひっかかり、改善して出版可能とするためには抜本的な構成変えをしなくてはならず、しかしその時間がないので、光文社は別の作品をとお願いしたのですが、霧舎さんが講談社など次の執筆スケジュールが詰まっていたため、涙をのんで今回は降りることになってしまいました。
 ううむ、血友病をネタにすると出版コードに引っかかるのか。この文章を読む限り、血友病を扱っていると問答無用にダメ、という感じだけれど、本当にそうなんだろうか。そうだとしたらあまりに乱暴だと思うんだけどなあ。

1月3日(木)

▼以前ネット注文で本を買ったことがる青森の古本屋林語堂書店からメールが来ていた。
超お得な福袋をご用意いたしました。
ホームページにアクセスしてください。
文庫本100冊千円です。
 古本屋の福袋ってのは初めてかも。
 しかし文庫本100冊千円って言われても……うれしいんだかうれしくないんだか。

▼その後ページを見たところ、福袋完売だそうな。買う人いたのか。

1月2日(水)

▼だらだらと寝たり、課題図書を読んだりしてすごす。読んでいるのは古川日出男の『アラビアの夜の種族』。おもしろいんだけど、いくら読んでも終わりません。

▼山口市というのは不思議な都市で、県庁所在地でありながら通っている鉄道は単線の山口線1本だけ。新幹線の駅も隣の小郡町にしかないし、空港もかなり離れた宇部市にある。人口14万人は全国県庁所在地中最低だし、県内でも下関市、宇部市に続いて第3位。なんだか不甲斐ないくらい不便なのだけれど、のどかで雰囲気のある街ではある。とはいえ、ユニクロの本社があるのもこの山口市なのだけれど。

1月1日(火)

▼正月早々、防府のワーナーマイカルで、ゴジラ&とっとこハム太郎を観てきました。わざわざ妻の実家まで来て何やってんだか。
 まずは、出崎統監督の『とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険』。まあ、典型的な子供向け映画で、大人が見てもそう面白いものではないですね。ミニハムずの歌の場面だけ、アニメ調の絵のままCGでぐりぐり動く(ときメモ3みたいに)のにはちょっとびっくり。CG監督樋口真嗣のクレジットにも驚きました(★★)。

 続いてお目当ての『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』。いやあ、さすがは金子修介監督。私は、ゴジラ映画はあまり熱心に見ているわけではないので(平成ゴジラを観るのは『ビオランテ』以来である)以前の作品との比較はできないのだけれど、まさに平成ガメラシリーズを思わせる怪獣映画の傑作。怪獣出現以降のテンポのいい展開は気持ちいいし、特撮シーンと人間側のドラマが無理なく融合しているし、ヒロイン新山千春のたくましさもガメラシリーズ譲り。
 そして、とにかく人が死ぬ死ぬ。暴走族や無軌道な若者ばかりでなく、入院患者や観光客などなんの罪もない人々まで容赦なく死んでいく。このあたりも、怪獣の襲来を災害として描いたガメラシリーズから受け継がれてますね。
 ストーリーの方は、『ガメラ2』の監督だけあって、「教科書が教えないゴジラ」というかなんというか。防衛軍がかっこよく描かれているし、ゴジラは太平洋戦争の兵士たちの怨霊の集合体だし、原爆のイメージをかなり強調しているし、と思想的にはかなり偏ってますね。ま、ハリウッド映画だって米軍万歳映画が多いのだから、特に問題にするにはあたらないのかもしれないけれど。
 USAゴジラはこういう扱いかい、とか、蛍雪次朗は今回も怪獣の発見者かい、とか、前田姉妹をこう使うか、とか、ゲスト俳優も多いしマニア向けのくすぐりも充分。次のゴジラはこれを超えなきゃいけないんだから大変だよなあ。しかし、とっとこハム太郎の観客層とゴジラの観客層は全然違うような気がするんですが。
 ゴジラはなぜ東京をめざすのか、という問いには作中では答えが与えられないけれど、設定からすると「皇居があるから」なんだろうね。それともその隣にある神社を目指しているのかな(★★★★☆)。


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