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9月10日(火)

▼しかし、ある意味、同時多発テロが起きたのが7月じゃなくて本当によかった。なぜかって? もしテロが9月11日ではなく7月11日に起きていたら、今よりももっと悲惨なことになっていたはずである。
 今、私たちは9月11日が近づくたびにあのテロを思い出すのだけれど、7月だったらそれどころではない。私たちは毎日街角でコンビニを見るたびに、テレビでCMが流れるたびに、崩れ落ちるツインタワーを思い出すのだ。これではとてもいい気分どころではないではないか。

9月9日(月)

秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏 その3』(電撃文庫)読了。ついに物語がカタストロフに向かって滑り落ち始める(たぶん)巻、ということになるのだろうなあ。これまでの巻でもそこここに描写があったとはいえ、今までは学園ドラマの背景に隠れていた「戦争」。それがついに正面切って描かれるのがこの巻。あっけないほど簡単に日常が戦時へと変わり、おびただしい量の血が流れ、そして主人公たちは二度と引き返せない地点へと追い詰められていく。読んでいて実に痛々しいです。
 これを描くためにこれまでの2巻のほのぼの学園ラブコメを描いてきたんだろうなあ。なんと意地の悪い作家だ。

9月8日()

▼またしても日記の更新が滞っているが、これは文章の仕事の方の締め切りが重なっているせいもあるが、それ以上に大きいのはオンラインRPGのファイナルファンタジーXIである。今、我が家では夫婦してこのゲームにはまっているのである。
 ただし、心底おもしろくてやっているのかと問われれば、正直言ってうーんと首を傾げざるを得ない。できることが少なすぎるのだ。もちろん、オンラインRPGなので何をしても自由なわけだし、戦闘以外にも鍛冶・木工・調理などでさまざまなアイテムを作ったり釣りをしたりすることもできるのだけれど、物作りのスキルを上げるには、莫大な量の物を作らなければならず、材料費(もちろんゲーム内のお金ね)だけでもバカにならない。そして金を稼ぐには戦闘をしてかなりレベルを上げなければならない上、大金を費やしてやっとのことで物作りのスキルを上げたところで、寝る間も惜しんでゲームをしているようなごく一部の連中にはとうてい勝てない。
 結局、我々のようなふつうのユーザーには、単調なレベル上げくらいしかやることがないのである。
 さらにこのゲーム、他のユーザーとパーティを組んでプレイすることが前提になっているのだけれど、レベルが少しでも違うとパーティすら組めなくなってしまう(いや、組むこと自体はできるのだけれど、経験値が極端に下がるので効率が悪くなるのである)。ということは、ゲーム内で仲の良い友人が何人かできたとして、その中のひとりが少しでもレベル上げを怠ったりすれば、瞬く間に友人たちとはプレイできなくなってしまうのである。つまり、友人たちとゲームを続けるためには、毎日強迫的にプレイを続けなければならない。まさにこれぞ「血を吐きながら続ける哀しいマラソン」である。
 友人とゲームをすることをあきらめ、行きずりのパーティを組んで戦うことにしたとしても、試練は続く。このゲーム、パーティを組むまでがたいへんなのである。パーティには体力回復を担当する白魔道士が必須なのだけれど、絶対的に不足しているのだ。下手をすれば、パーティを組むまでに1時間以上かかることすらある。これではカタギの社会人はとてもやっていけません(ちなみに妻は賢明にも白魔道士を選んだのでいつでもひっぱりだこである)。
 ここまでけなしているのに何でまたそんなゲームにはまっているのか、と多くの人は感じるだろう。なんでかなあ。私としては、単調なレベル上げにこそ麻薬的な何かがひそんでいるとしかいえません。ほら、マインスイーパーとかソリテアにはまるようなもの? しかしレベルを上げ続けていったいその果てに何があるというのか。それを考えると、なんとも暗澹たる気分になってくるのであります。

9月7日(土)

宇多田ヒカル電撃結婚!の記事の中に、彼女のプロフィールが載っているのだけれど、その中に気になる記述をみつけた。好きな映画に『ショーシャンクの空に』『バグダッド・カフェ』と並んで『アンブレイカブル』があるのもなかなかだが(たぶんアメコミ読んで育ってきたんだろうなあ)、特技の中に「左足の小指の独立運動」が入っているのである。
 といっても、だから何? という人が大半だろうが、昔日記にも書いたように、『デューン 砂丘の子供たち』によれば、「左足の小指の先を動かせるものは、自分が最も深く望んでいるものになれる」のである。
 さあ第二の宇多田ヒカルになりたい人は、まず左足の小指を動かす練習から始めるのだ!

▼秋山瑞人『イリヤの空UFOの夏 その3』(電撃文庫)、石黒耀『死都日本』(講談社)購入。『死都日本』は第26回メフィスト賞受賞作。しかしこの帯の「本書を読まずして、我らが大地に無自覚に佇むことなかれ…」というコピーはちょっと変だと思うんだけど。読んだのなら、無自覚に佇んでいていいんですか。

▼夕方から出かけて根津にある韓国居酒屋「ザ・てつや」で食事。看板には韓国居酒屋とあるが、実際には食事がメインで、おいしい韓国家庭料理が食べられる店。海鮮チヂミやサムゲタンなど、料理も美味だったのだけれど、とにかくこの店は女性オーナーのキャラクターにつきる。そばに座って料理をいろいろ説明してくれるわ、新メニューをちょっと食べさせてくれるわとサービス満点。どうやらこの店の看板オーナーらしく、名刺にも壁のポスターにもオーナーの顔写真が刷り込んであります(もちろん上でリンクしたサイトにもある)。いや確かに美人オーナーではあるんだけど。
 謎の店名について「てつやって誰ですか? オーナーのご主人?」と聞いてみたところ、「ここは根津。だからてつや」だという。一瞬なんのことだかわからなかったのだけれど、どうやら「ここは寝ず。だから徹夜」という意味らしい。ちなみに「ザ」は「座」のことだそうな。ダジャレ……。この店、意味不明の店名でだいぶん損してるような気がします。料理はおいしいのに。

9月6日(金)

丸ビル新装オープン。「丸ビル」という名前はよく聞くのだけれど、私は丸ビルというところに行ったことがないし、そこに何があるのかもよく知らない。山手線の車窓から眺めたことはあるんだろうけれど、いったいどれが丸ビルなのかわからない。たぶん私は一生このまま丸ビルとは縁のないままなんだろう、そんな気がする。
 丸ビルが丸くないということを知ったときにはがっかりしたものである。三角ビルは三角なんだから、丸ビルは当然丸いものだと思ってたよ。そして最上階には回転食堂なんかがあるんだろうなあ、と思ってたのに。単なる「丸の内ビルディング」の略だったなんて。
 ビルといえば、もうひとつ全国的に知られているのが「霞ヶ関ビル」。子どもの頃に読んだ雑誌や図鑑類では、体積を説明するのによく「霞ヶ関ビル○○杯分」とたとえられていたものである。あれは身近なものにたとえてわかりやすく説明したつもりなんだろうけれど、霞ヶ関ビルなどというものを見たこともない小学生には全然ぴんとこない表現だった。まあ、大人になった今も、霞ヶ関ビルはちらりと見たことがある程度で、ぴんとこないことには変わりないのだけど。だいたい、霞ヶ関ビルが身近な人間など、日本国民のうちどれだけいるというのか。
 最近は「東京ドーム○○杯分」という表現が多いようだけれど、これもさっぱりわからない。だいたい東京ドーム1杯というのはどこまでをさすのだろうか。「杯」ということは観客席の最上部まで液体を満たしたときの体積なのか、それともコンクリート部分やドームのふくらみの部分の体積も含むのか。それによってだいぶ体積は違ってくると思うのだけれど。
 そこで、「霞ヶ関ビル1杯分」「東京ドーム1杯分」とはいったいどのくらいの体積をさすのか。この表現を使っているサイトを調べてみた。
 まず、北海道福島町の青函トンネルのページによると、847000立方メートルが霞ヶ関ビル1.6杯分、6330000立方メートルが東京ドーム5.1杯分らしい(しかしなんで同じページ内で二つの単位を使うかな)。そうすると霞ヶ関ビル1杯は529375立方メートル、東京ドーム1杯は1241176立方メートルということになる。
 しかし、読売新聞北陸発「とやま写会学」によれば、2億立方メートルが霞ヶ関ビル800杯分らしい。そうすると霞ヶ関ビル1杯は250000立方メートルということになってしまう。さっきの半分以下ではないか。
 また、ここではここでは2.5億立方メートルが霞ヶ関ビル500杯分ということになっており、そうすると1杯は500000立方メートルくらいということになり、最初のページとほぼ同じである。
 東京ドームについては、東京ドーム公式サイトのFAQにちゃんと記載されている(容積は124万立方メートル)のだけど、私の疑問には答えてくれてない。容積ってことは、空気の部分に液体を満たしたときの体積なのかなあ。わからん。

9月5日(木)

▼今日の毎日新聞の夕刊に、小松左京とその40年来の友人だという桂米朝の対談が載ってまして、そこで小松先生、こんなことをおっしゃっている。
 2000年に小松左京賞ができた。最終先行で作品を読むんだけど、登場人物はインターネットや携帯電話を使うわね。何やっているか分からへん。来年から候補作読むの、やめさせてくれと言っている(笑い)。
 かの知の巨人小松左京の口から「何やっているか分からへん」などという言葉が出るのはちょっとさびしい気もしたのだけれど、おおっ、と目を見張ったのは次の発言。
 僕の作品で『虚無回廊』はまだ未完なの。連載していた雑誌が休刊してがっくりきたけど、しめた、とも思った。アメリカがハッブル宇宙望遠鏡を宇宙空間に上げたことで情報が大量に入ってきてね、宇宙論がどうなるか分からへん。完結の構想はできているけど、もう少し待っとこうと。去年『小松左京マガジン』を創刊したので、『虚無回廊』のためにも、一番生きのいい宇宙論や生物科学やっている人にインタビューしておこうと考えてます。
 期待していいのですね、小松先生!

9月4日(水)

『天使の緊縛 藤野一友=中川彩子作品集』(河出書房新社)購入。書店で見かけて即購入。こういう本を待っておりました。藤野一友(1928-1980)は、サンリオ文庫(その後創元SF文庫)のディックの表紙でSFファンにもおなじみのシュールレアリズム画家。『ヴァリス』の表紙に使われた「抽象的な籠」に強烈な印象(それこそ本の中身よりも)を受けて以来、いつかこの人の作品をまとめて観てみたいものだと思っていたのである。
 ディックなどの文庫本の表紙で見た絵が多いのだけれど、初めて見る作品も鮮烈な印象を残すいい作品ばかり。ボッシュやダリの幻想絵画が好きな人にはお勧め。でも、こういう画集を見ると、今度は実物がみたくなってしまうんだよなあ。

9月3日(火)

▼きのうのお奨めアニメ判定(英語)、妻にやらせてみたら「少女革命ウテナ」、ちょっと修正を入れたら「天使禁猟区」でありました。なんとなく納得。
 とかいってたら、いつのまにか判定サイトなくなってるし。

9月2日(月)

名前を入力すれば英語読みで発音してくれるサイト。ためしに"Kazano Haruki"と入れてみたんですが、「ケイザノハルキ」としか発音してくれません。

マンガ家の内山安二氏死去。学研まんがひみつシリーズの『コロ助の科学質問箱』、『できる・できないのひみつ』は、小学生の頃ボロボロになるほど読みましたよ。当時の科学少年のバイブルだったんじゃないかなあ。ご冥福をお祈りいたします。

林哲矢さんとこから、お奨めアニメ判定(英語)。私は「HAND MAID メイ」でした。ううむ。

9月1日(日)

『リターナー』を観る。SFファンにも評判の高かった『ジュヴナイル』(私は未見だけれど)の山崎貢監督の第2作。異星人の侵略により滅亡寸前の未来から、歴史を変えるために過去へと送り込まれた少女ミリ(鈴木杏)。現代にやってきた彼女は裏社会に生きるミヤモト(金城武)と出会って……という物語。
 日本映画で本格的なSFアクションをやってのけた志は買うのだけれど、やっぱり「日本映画としては」よくできている、という域にとどまる映画ですね。まず、ストーリーが弱い。『ターミネーター』+『マトリックス』+『ET』+香港ノワールみたいな話で、オリジナリティに欠けて中途半端(臆面もなく、黒コートで弾をよけるシーンまであるのはどうかと思います)。タイムパラドックスの描き方も納得がいかない。最初は反発しあっていたミリとミヤモトがだんだんと心を通わせていく過程にしても、うまく描かれているとはいいがたい。おまけに、金城武は台詞棒読みだし、敵役の岸谷五朗はあまりにも作りすぎでわざとらしい。鈴木杏はよかったんだけどなあ(★★★)。


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