▼有楽町にて『バイオハザード』を観てきました。
ゲームの映画化にはろくなものがないので(『モータル・コンバット』とか『ストリートファイター』とか)そんなに期待してなかったのだけれど、そこは『イベント・ホライズン』のポール・アンダースン監督、ゲームの設定を生かしながらも、オリジナルなストーリーで、SFアクションホラーはこう撮るべしという見本のような映画に仕上げてます。冒頭とラストにサービスシーンもあるし(DVDが出たらコマ送りする人が大量に出るとみた)。これなら、原作ゲームのファンも納得できるんじゃないかな。
マッチョ女二人の活躍する牧野修のノヴェライズを読んだときには、ほんとにそんな話なのかいな、と思っていたのだけれど、だいたいその通りだったのでびっくり(ノヴェライズでは濃厚だった『不思議の国のアリス』趣味は、隠し味程度に抑えられてますが。だいたい、主人公の名前が「アリス」だとわかるのは、ようやくエンディング・クレジットになってからなのだ)。
ただ、ストーリーよりも映像と音とテンポで見せる、きわめてノヴェライズに不向きな映画なので、ノヴェライズ版でつまんないと思った人(つまんないのです、本当に)も映画は楽しめると思います。あと、ノヴェライズ版だとどう考えてもゲームにつながらないエンディングだったのだけれど、映画ではきちんと『バイオハザード2』のオープニングシーンにつながってます(映画自体はゲーム1作目の前の話だけど)。
それにしても、ミラ・ジョヴォヴィッチ強すぎ。ゾンビ犬数匹に襲われても瞬く間に粉砕。ゲームだったら、私ならあそこで5回は死ぬね(★★★★)。
▼
SFには恐竜属性、天文属性、ロボ属性があるらしいのだけれど、時間属性というのはないのだろうか。私は、実はあのとき会ったのは過去に戻った自分自身で……みたいな複雑なタイムパラドックスものを読むとキュンとくる方なのだけれど。
▼しかし、なんでまた朝の連続テレビ小説のヒロインは、日本中探してもそうそういないような珍名さんばっかりなのか。今の「さくら」は普通だけど、「ひらり」に「ぴあの」(「ぴ」ではじまる名前なんてみたことないよ)、「すずらん」に「まんてん」ときて、次の次は「こころ」だというじゃないですか。そこには、日本人のネーミングセンスをめちゃくちゃに破壊してしまおうというNHKの深遠な陰謀が隠されているのかもしれない。
▼
iMacスタイルのノートパソコン用スタンド。バカっぽくて素敵です。
▼さらに、さらに「日本醫事新報」の求縁欄紹介を続ける。
どっかのお見合いパーティと勘違いしているんじゃないか、という広告もある。
秘書33歳 大卒 容姿端麗
医師との良縁望
28歳幼稚園教諭。趣味の登
山・水泳に理解の有る38歳
位迄の初婚医師に嫁ぎ度し
男性医師30歳国立大卒長身
25歳迄の健康的女性望
横浜歯科医29歳スポーツ好
四大卒25迄158〜163cm望
お前らこんな広告出してないでパーティ行けパーティ。それにしても、最後のはなんでこんなに身長の要求が細かいのだろうか。
こないだは女性の特徴はみんな「健容美」ばっかりで変わり映えしない、と書いたのだけれど、さがしてみると個性的な例もあるもので、たったひとつだけこんな広告もあった。
当方医家娘24歳 大卒
ボーイッシュでキュートな
タイプ。先様東京在住30〜
35歳位迄の医師の方望
24歳でボーイッシュでキュートなタイプ。いいじゃないですか。「健容美」なんかよりはずっと会ってみたくなるのは確かだ。ボーイッシュでキュート萌え。
さて、
27日には謙虚な「一筋の薫風」として取り上げた「平凡な女性47歳」だが、その3年前の醫事新報をめくっていたら、こんな広告を見つけた。
平凡な女性44歳誠実医望
これはもしかして……。そして同じ年にはこんな広告も。
女44歳大切にして下さる方
さらに翌年以降の醫事新報にも、わずか一行のこんな広告が。
動植物好む医師望45歳女
夢多き女性45歳趣味料理
年齢問わぬ方望46歳女性
これらがもし同一人物だとすると、この女性、少なくとも足掛け4年にわたって断続的に求縁広告を掲載しつづけていることになる。しかも「夢多き女性」っていったい……。どうやら、一筋の薫風どころじゃなかったようである。
▼さて、きのうまでの「日本醫事新報」の求縁欄紹介が、思いのほか評判がよかったので、今日はその補遺編である。安易なネタといわないで。
まず、「開業医娘」パターンはもうイヤというほどあるし変わり映えしないのであまり紹介したくないのだけれど、
後継医心より大歓迎
当方25歳医家娘良縁望
あたりになると、要するに後継者がほしいのであって25歳娘の幸せは二の次、という本音があまりにも露骨であんまり気分のいいものではない。
珍しいパターンとしては、
37歳歯科医初婚 内科開業
医院を継承できる37歳迄の
女医望
というように、後継女医希望という例もある。
兄が医師というパターンもある。
36歳娘初婚兄開業医医望
22歳容姿端麗 兄整形外科
医。性格良医師望む
なにも22歳で結婚を急がなくてもいいようなものだが。
意外だったのは、医師一族という例がけっこう多いこと。
27歳娘初婚院卒健美父教授
弟医学生3040代医師望
28歳娘初婚 優秀健容美
兄弟親戚医師 大阪 九州
42歳迄 良縁望
医療法人理事長次女28歳薬
剤師初婚35歳位迄の医師望
理事として医療法人運営参加可能
長女医大院生・長男医学生
上の広告が載った翌年には、次のような広告が載っていた。
医療法人理事長次女33歳
健美優 35歳位迄の医師望
長女・長男夫婦共医師
医療法人理事長というところや家族構成からみて、どうも同一人物のように思えるのだが、それにしては一気に5歳も歳をとってしまったのが謎である。長男長女はふたりとも医師になっているし。サバを読んでいたのだろうか。
▼さらに
きのうの続き。「日本醫事新報」の求縁欄の紹介である。
今日は、女医さんの求縁広告を。
28歳女医初婚 健康明朗
都内近郊35歳迄の医師との
良縁望
29歳内科女医 初婚健容美
先様のご意向により仕事継
続も可 良縁望
女医名家出身 健康美初婚
40歳〜50歳前後医師望
やっぱり判で押したように「初婚健容美」。それしか言うことないんかい。二番目のは、「先様のご意向により仕事継続も可」などという卑屈な態度がなんだか気に入らない。相手がやめろといったら「はいやめます」とやめるんかい。内科医という仕事にその程度の愛着しか持ってないのか。仕事続けるかどうかくらい「先様のご意向」じゃなく自分で決めろや。最後の「名家出身」の女医は年齢が書いてないけれど、40歳〜50歳の医師を希望しているということは、やっぱりそのくらいなんだろうなあ。
と、いろいろな求縁広告を見ているうちに、その生々しさになんだか辟易してしまったのだけれど、その中にひとつだけ、毛色の変わった広告を見つけた。
平凡な女性47歳誠実医望
「平凡な女性」! 女医でも健容美でもなく「平凡な女性」である。しかも47歳。ほかの広告が懸命にアピールしている中、なんと欲のない態度だろうか。なんだかドロドロした世界の中の一筋の薫風のようにも感じられたのだけれど、よく考えれば、医師との結婚を望んで醫事新報なんかに広告出す時点ですでにアレなような気もしますが。
▼
きのうの続き。「日本醫事新報」の求縁欄の紹介である。
今日は、男性医師が結婚相手を求める広告をとりあげてみよう。
内科医64歳再婚 ゴルフ・
クラシック音楽好きな、心
優しい女性希望
60代男内科医 良縁望
院卒留学医国大研究領域勤
務41歳初婚 先様健明朗堅
実初婚女性望 親書乞
内科勤務医40歳 再婚
33歳位迄良縁望
精神科医29歳初婚 内科又
神経内科27歳迄女医望
男性医師 女医医家系望
男性の場合、「健容美」にあたる決まり文句はないらしい。だいたい40代以上だと、別に相手に年齢制限も設けず優しさとか抽象的なものを求めているのに対し、若い医者はもっとシビアに年齢制限をした上で(しかし自分が40歳なのに相手には33歳までという制限つけるのはどうよ)、相手にパートナー+労働力を求めているようにも思える。
大学病院医師30歳男都内近
郊の25歳位迄薬剤師望
都内在住大学病院医師30歳
26歳迄大卒の女性希望
大学病院医師30歳都内近郊
の26歳位迄薬剤師望
上の3つの広告を出したのは全部同一人物。途中でなぜか年齢制限が25歳から26歳に引き上げられたのが謎。しかも、途中で別に薬剤師じゃなくてもいいや、と思ったのに、また薬剤師じゃなくちゃダメだ、と思い直したようである。たぶん、今は大学病院に勤めてるけど、将来開業するとき薬剤師がいると便利だよなー、と思っているに違いない。なんとも虫のいい話である。
しかし、もっとも謎だったのは次の広告。
42歳初婚国立大院卒内科医
昭和49・48・46年生まれの
家庭的な女性を望む
なぜ49・48・46年生まれ限定なんだろうか。47年生まれはダメですか?
▼昔、このサイトを初めてまもないころ(
98年1月8日)、「日本醫事新報」の求縁欄を紹介したことがあるのだけれど、もうだいぶ年月もたったので、またもや同じ欄をネタに使ってみる。ネタもないしね。
とはいっても、傾向としては4年前とほとんど変わらず。最近隆盛をほこっているのは、なんといっても「開業医娘」パターンだ。
内科開業医娘35歳初婚
健容美 良縁望
都近郊開業医娘34歳初婚
音大卒健容美 医師望
開業医娘31歳 初婚健容美
OL 35歳位迄医師望
開業医娘29歳 初婚健容美
医師との良縁望
盛業中内外開業医娘 29歳
初婚165cm大卒健容美明朗ス
ポーツ料理好後継医望
埼玉開業医娘26歳将来病院
継承可能な35歳迄の穏健医
師と良縁望 連絡乞
開業医娘26歳初婚 健容美
料理好き 良縁望
開業医娘23歳容姿美 良縁
を望みます
ほとんどみんな判で押したように「健容美」。「健康で容姿は美しい」ということなんだろうけど、ほんとに開業医の娘にはそんなに美しい女性が揃っているんだろうか。それにしても、それしか誇れるところはないんだろうか。「医師望」とあるものもそうでないものもあるけれど、醫事新報に載せるからには意図は歴然。病院の後継者を得るために、娘は医師との結婚を強制させられるわけである。そう考えると、簡潔な文章の中にもなんだかもの哀しさが漂っているようにも感じられる。しかし、わざわざ「穏健医師」を望む出稿者は、以前「非穏健医師」との間にイヤなことでもあったのだろうか。
このパターンの変形としては、次のようなものもあった。
勤務医妹29歳初婚 健容美
親戚開業医 良縁望
勤務医の妹だからといって、別に医者と結婚させなくてもいいようなものだが、やっぱり親戚が開業医だったりする医者一族だと、結婚相手は医者じゃなくちゃみたいな空気があるんだろうか。なんだかドロドロしててイヤですね。
さらに、やたらと長いこんなのも。
盛業中開業医次女 内科・
老年科女医31歳初婚 優美
健明 家庭的 現在救急総
合病院内科勤務中
医師一族・姉女医既婚
先様30〜40歳代医師 老人
・精神病院・一般病院の誠
実な御子息の方望みます
先方は医師でかつ病院の子息じゃないといけないらしい。医師一族同士じゃないと結婚しちゃいけないんだろうか。私にはよくわからない価値観である。
▼たとえば「坂本竜馬が好き」とか「豊臣秀吉を尊敬している」とかいう人がいるのだけれど、そういうのを聞くたびにちょっとしたひっかかりを覚えてしまう。
彼らは、本当に歴史上のその人物のことを尊敬しているんだろうか。それとも、「歴史小説」や「歴史マンガ」のようなフィクションでその人物を読んでその人物を尊敬するに至ったのだろうか。正確にはそれぞれ「司馬遼太郎の描く坂本竜馬が好き」「津本陽の書いた秀吉を尊敬している」などというべきなんじゃないだろうか。まあ、竜馬や秀吉の場合はある程度は事蹟が残っているため、フィクションからでもそれなりには人物像を推し量ることができなくはないのだけれど(ただし山田風太郎の秀吉のようにまったく違う描き方もあるのだが)、「安倍晴明が好き」とかいうのは、これは完全に「夢枕獏or岡野玲子の晴明が好き」というということだと考えるしかない。
そのあたりの史実とフィクションの違いを相手がどう捉えているのかが判然としないので、歴史上の人物が好きだ、と無邪気に言い放つ人を前にすると、どうもなんだか居心地の悪い気分になり、あなたはいったい諸葛孔明の何を知っているのか、などと問い詰めたくなってしまう(もちろん実際は黙ってますけどね)。ただし、この考えを推し進めると、果たして歴史上の人物を尊敬したり好きになったりすることは可能なのか、というところにまで行きついてしまうのだが。
私としては、「たとえば『妖説太閤記』に出てくる秀吉が好き」とは言えるけれど、「秀吉が好き」なんてことはとてもいえないと思うのだけれど……考え過ぎでしょうかね。
▼山口県宇部市で26歳の女が3人の幼児を襲うという事件があった。精神障害者と犯罪がどうのという退屈な話をまたぞろ繰り返すつもりは毛頭ないのだけれど、この事件についての報道では、珍しく新聞によって足並みが乱れていたので、ちょっと取り上げてみる。
まず、毎日新聞では病歴については一切触れずに実名で報道しているのに対し、読売新聞では「統合失調症で通院歴あり」と書き匿名(朝日新聞は未確認)。なんともまどろっこしいのが東京新聞で、
「殺される」「じいさんを殺そうと思ったが、子どもは抵抗しないので切りつけて殺そうと思った」などと意味のよくわからないことを話しているという。同課などは刑事責任能力について慎重に調べる。
と、実に間接的な表現で精神科的疾患に罹患していることを暗示している。別に引用されている女の言葉は意味がわからなくはないと思うのだけれど、どうやら「意味のわからないこと」とか「慎重に調べる」というのは、精神疾患を暗示する新聞的な符牒であるようだが、なんだか腫れ物にさわるような書きっぷりで気持ちが悪い。書きたいことがあるんならはっきり書けよ、と思わず記者の襟元をつかんでゆさぶりたくなってしまうくらいだ。
しかし、以前も同じようなことを書いた覚えがあるが、「意味のよくわからないこと」というのはそれこそなんとも「意味のよくわからない」表現である。記事の女の発言は実に意味明瞭かつ論理的で疑問の余地がないではないか。
これがたとえば、
女は「モケレキマキライナキミマツナキハマイミキラニ」などと意味のよくわからないことを話しているという。同課などは刑事責任能力について慎重に調べる。
などと書いてあるのであれば、ああ、確かに意味がわからない、と納得もいこうというものなのだが。ただし、目の前の人間が「モケレキマキライナキミマツナキハマイミキラニ」というようなことを話していた場合、私たちは普通それを「意味のわからないことを話している」とは受け取らない。そういう場合、私たちは「この人は外国語を話している」と思うのである。もしかすると、「モケレキマキライナキミマツナキハマイミキラニ」という文字列は、実はハワイ語で「この広い世界の中の誰よりも君を愛す」という意味だったりするかもしれない(嘘だが)。
このように、私たちはまったくひとことたりとも理解できない言葉をしゃべる人に出くわした場合、「意味がわからないことを話している」ではなく、「この人は意味の通ったことを話しているのだが、私にはそれを理解する能力がない」と考えるものである。また、難解で抽象的な詩はいくらでもあるが、それを読んでも私たちは「意味のわからないことが書いてある」とは思わない。それは、これは詩である、という文脈があるからであり、たとえば殺人犯が自作の現代詩の一節を口走ったとしたら、とたんに「意味がわからないことを話している」と言われることになるのだろう。
このように、「意味がわからない」ということを判定するのは実に難しいのである。それなのに、新聞はどうしてそんな難しい言葉を安易に使うかな。
▼春日武彦
『17歳という病』(文春新書)読了。お、春日武彦がついに若者論を書いたのか、しかし似合わないことを……と一瞬だけ期待と不安の入り混じった感情を抱いたのだけれど、そこはやはり春日武彦、本の話と自分の体験談をシニカルな口調で書き並べる、いつものとおりのひたすらブッキッシュなエッセイである。テーマ的には以前の『子どものまま大人になった人たち』に近いですね。この本を読んだとしても、いまどきの若者がわかるようには絶対になりません。
回転食堂の話だとか、アメーバのような透明生物への思い入れとか、東京12チャンネルで見たB級映画の話とか、トリビアルな個人的体験を描いた部分は、いつもながら実に面白いとともに、よくこんな細かいことを覚えているなあ、と感心してしまうのだけれど、後半に行くにしたがって無分別な若者と無神経な大人を口を極めて罵倒しはじめるのには辟易してしまう。まあ、これはつまり「罵倒芸」なのだろうけれど、あまり品のいいものではないよなあ。辛辣な罵倒を芸にしている書き手はいくらもいるけど、春日武彦にはそうなってほしくはなかったのに。
半ば確信犯的に自分のことしか書かなかった、とあとがきには書いてあるのだけれど、このタイトルでこの中身は、ちょっといただけません。
▼
ライフジェムという会社では、大切な人(動物でも可)の遺体からダイヤモンドを作ってくれるらしい。確かに人間の体の約23パーセントは炭素なのだから、ダイヤモンドを作ることだって可能なわけである。1/4カラットで4000ドル、1カラットで22000ドルというのは、高いのか安いのか?
当然、火葬が前提になるわけだけれど、アメリカでは火葬はそれほど一般的じゃないので、この会社は、火葬率が98%を超える日本でも事業を始めたいと思っているのだとか。