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5月31日(木)

▼掲示板がにぎわっているというのに、管理者が全然書き込みしないですいません。いろいろ忙しい上、話題が広がっているんでコメントするのもたいへんで……。

▼昨日のADSLで読み込みが止まってしまう問題については、早速親切な方からメールを頂きました。どうやら、コントロールパネルでLANのIPアドレスを設定すると解決するらしい。やってみると、おお、確かに止まらなくなった。快適快適。どうもご教示ありがとうございました。

▼武田徹『「隔離」という病い』(講談社選書メチエ)(→【bk1】)読了。
 ハンセン病についての基礎知識を仕入れたかったので読んでみた。全然知識のなかった私には新鮮なことばかり。たとえば、明治時代に野口男三郎なる人物が少年を殺してその臀肉を切り取ったという事件は、日本の猟奇事件史には必ず出てくるのだけど(私は唐沢俊一の本で最初に読みました)、あれも、ハンセン病には人肉が効くという俗信にもとづくものだったのですね(<いちばん印象に残ったのがそれかい)。
 それから著者は、ハンセン病患者のためにつくした精神科医として知られている神谷美恵子についても、無自覚のうちに国の隔離政策に荷担した人物として批判しているのだけれど、これはなかなか新鮮な視点でおもしろかった。
 ただこの本、ハンセン病について書いた、というよりは、ハンセン病を題材に、俯瞰的な立場から隔離制度そのものについて論じた本だったのですね。だから、ハンセン病の歴史については簡単に触れられているだけ。ま、それでも、けっこう勉強になったのだけれど。
 ハンセン病隔離の悪しき伝統のおかげで、「隔離=人権蹂躙」という短絡的な発想から、本来は必要なはずの伝染病患者の隔離という治療手段が取りにくくなっている、という指摘は著者の言うとおり。病気自体について深く考察することをせず、事件が起きるたびに単に振り子が左右に振れるだけ、というのは精神病患者の開放か閉鎖か、という問題でも見られる日本社会の悪い癖ですね。
 ま、ここまではいいのだ。でも、この著者が導く結論は私にはどうしても納得がいかない。著者は、伝染病患者の隔離それ自体の必要性は認めながら、隔離はあくまで患者本人の合意にもとづくべきであり、忍耐強く相手の善意に期待する必要がある、というのである。著者は、伝染病患者を強制隔離することを、帝国主義的な病者の排除だと強く批判し、相手が自発的に隔離に応じない場合は、社会は病原菌が蔓延する時期をともに生きるリスクを背負うべきだ、というのである。
 これにはどうだろうか。もし強力な伝染病の患者が隔離に応じなかったらどうするというのだろう。そして、そうした病者と共生するユートピアが成立する条件として著者が挙げるのが「義理と人情」。こうなると私にはもうついていけません。義理人情に頼るだけじゃやっていけないから法律があるのでは? それに、今や失われかけた「義理と人情」を蘇らせるにはどうしたらいいか、著者はまったく示してくれないのだ。

5月30日(水)

▼ADSL開通! 56Kからいきなりブロードバンドである。
 確かにページが一瞬にして表示されるようになったし、ダウンロードも高速になったので、今までより速くなったことは確かなのだけれど、なぜかときどきどこをクリックしても全然反応しなくなることがあるのはいったいどういうわけか。
 そういうときはむちゃくちゃイライラするので、体感速度としてはそれほど速くなったようには思えない。それにいくら速くなったとはいえ、とても1Mも出ているようには思えないのだが。スプリッタの手前に分配器があるのが問題なのだろうか。それとも、MTUとやらを調整すればもう少し速くなるのかな。ううむ。

▼1週間くらい前のことになるが、こんなメールが来た。
Subject: in sotre live!
 "sotre"? フランス語か何かのスパムメールかと思ったら、単に"in store live"の間違いのようだ。
こないだはどーも!!
来てくれてアリガトウ。おかげで少しは盛り上がったよ。(苦笑)
次回は屋根裏in下北でやる予定。
名前書いとくんでよかったらまた来てよ。(ユリも来ると思うし!)

そうだ、こないだ合コンした子覚えてる?胸が1番でかかった子。
コウイチからその子が出てるってサイト教えてもらったんだけど、
マジモデルだったみたい。しかもアダルト。。
なんかちょっとショック。

↓これがそのアドレスね・・・(涙)
http://www.xxxx.com/xxxx/xx.html

ま、それはいいとして屋根裏の日程決まったらまたメールします。
 なかなか凝った設定である。URLが出てくるまではただの間違いメールかと思ったよ。アダルトメールもいろいろ考えるなあ。

▼今日は手抜き。すまんね。

5月29日(火)

E・F・ロフタス+K・ケッチャム『抑圧された記憶の神話』(誠信書房)(→【bk1】)読了。ちょっと高いけど、いい本です。アダルト・チルドレンとか癒しとかの本を信じ込んでいる人は、頭を冷やすためにこの本も読んでおくといいかも。
 何かのきっかけで抑圧されていた子どもの頃の虐待の記憶を思い出す、というパターンは、アメリカ製のサスペンスや映画でおなじみである。しかし、この「抑圧された記憶」をめぐって90年代アメリカで大論争が起きたことは、あんまり知られていない事実だ。果たして、思い出した記憶というのは、事実なのだろうか? この問いかけは、カウンセリングの世界では実はタブーだったのですね。カウンセリングでは、患者の語ったことは疑いを差し挟まずにそのまま受け入れることになっているのである。
 しかし、カウンセリングによって親から受けた性的虐待の記憶を思い出した(というより、むしろ植えつけられたといってもいい)患者は、家族を責め、あるいは家族との関係を断絶し、中には家族を告発して裁判を起こした者までいる。実の娘にまったく身に覚えのない幼女殺しを告発され、逮捕されてしまった父親もいる。また、その逆に娘に偽りの記憶を植えつけたカウンセラーを訴えた父親もいる。こうなると、とても患者の言うことをそのまま受け入れるというわけにはいかなくなってくる。
 この本の著者のひとりエリザベス・ロフタスは、記憶研究の第一人者であり、「抑圧された記憶」論争の中心人物のひとり。ややこしいことに、性的虐待の問題はフェミニズム運動と深く関わっており、記憶研究の立場から、「抑圧された記憶」の正確さに疑いをさしはさんだとたん、ロフタスはフェミニストたちから旧弊な父権主義者として攻撃されることになる。この本では、豊富な実例や、心ならずも論争に巻き込まれた著者のとまどいを挟みながら、「回復した記憶」を事実だと思い込む危険性を指摘してます。
 興味深いのは、多くの患者がカウンセリングによって「悪魔教の儀式」の記憶を思い出していること。父親に山羊とセックスするよう強要された、とか、20人以上の赤ん坊が生贄になったのを見たとか、手足をもぎ取った胎児の血が自分の腹になすりつけられた、とか、どの患者が思い出すのも、だいたい同じような話である。もちろん実際にそんな儀式が行われた証拠なんてどこにもない。このへんの、同じような記憶(しかし証拠が何もない)を思い出す人々の記述からは、UFOアブダクティや臨死体験者を連想しますね。
 論争の中心人物が書いた本だけに貴重だし、著者の危機感が強く伝わってくるのだけど、長いわりに同じようなことばかり書いてあっていささかまとまりがないし、実際のケースが主観的な小説形式ではさまるのもどうかと思う。おまけに共著者のケッチャムなる人物が何者でどの部分を担当しているのか、どこにも書いていないのも不思議。誰だケッチャムって(鬼畜小説家はジャックだしなあ)。
 日本では、カウンセリングによって虐待を思い出した、という例はまだ聞いたことがないし、幼児虐待は社会問題になっているけれど、アメリカのような近親姦はまだそれほど問題化していない(それとも、いずれアメリカのように問題になるのだろうか)。けれど、アダルト・チルドレンや多重人格というアメリカの流行りものは日本に輸入されているし、「機能不全家族」や「インナーチャイルド」の本、「家族とはパワーゲームの渦巻く場である」と主張する本が広く読まれている事情はアメリカと同じである。いずれこの本に書かれているような問題が日本でも起こるのかもしれない。
 もちろん虐待の恐ろしさを疑っているわけではないし、アダルト・チルドレンの生きにくさそのものを疑っているわけでもない。ただ、アダルト・チルドレンの概念が拡大しつづけていくこと、インナーチャイルドなどというものがあたかも実体であるかのように扱われていることが気にかかるのである。誰もがアダルト・チルドレンであるわけなどないし、心の奥の純粋な子どもなどというものは、比喩として以外は存在しないのだ。

出会い系サイト:利用者の約15%、ストーカーなど被害(毎日新聞)。いくらなんでもこの数字は大きすぎるのではないか、と思って記事を読んでみると、被害の内訳は、「ストーカーの被害者が2.8%いたほか、「迷惑メールでいやな思いをした」人も12.4%」。おいおい。
 この結果を「約15%、ストーカーなど被害」と表現するのはかなり無理があるんじゃないかなあ。記者の頭の中に最初から「出会い系サイトは危険なものだ」という予断があったとしか思えない。一口に「迷惑メール」と言ったって、執拗な嫌がらせメールからスパムメールまでさまざまだろうし、しかも、1500人に送付したアンケートのうち、有効回答数は518人。被害にあったことがある人ほどアンケートへの関心が高いと思われるから、実際のところは被害率はもっと低くなるだろう。
 その上、回答者のうち73%が「メル友ができた」、24.7%が「実際に会って遊ぶ異性の友達ができた」とプラスの回答をしているのだ。やっぱりこの見出しは何か世論を誘導する意図があるとしか思えないよ。

▼『抑圧された記憶の神話』に出てきた悪魔教が実在するのかどうか知りたくなったので、ブランチ・バートン『悪魔教』(青弓社)(→【bk1】)、石井政之『迷いの体 ボディイメージの揺らぎと生きる』(三輪書店)(→【bk1】)購入。

5月28日(月)

▼カール・ハイアセン『トード島の騒動』(扶桑社ミステリー)(上→【bk1】・下→【bk1】)、ジャック・ケッチャム『地下室の箱』(扶桑社ミステリー)(→【bk1】)、森幹郎『証言・ハンセン病』(現代書館)(→【bk1】)購入。
 最後のは、今さらながらハンセン病について全然知らないことに愕然としたので買ってみたもの。本屋でいろいろと探してみたけれど、ハンセン病の本って少ないのですね。bk1で「ハンセン病」で検索してみても、あまり見慣れない小出版社の本ばっかりだし、新書や文庫もほとんどなく高価な本ばかり。これじゃ、ハンセン病の知識がない人が多くても不思議はないよなあ。大きな出版社は、なんでわかりやすいハンセン病の本を出さなかったんだろうか。

▼『トード島の騒動』というタイトルはなかなか秀逸である。
 母音が全部"o"の音なのだ(「島」「騒動」は、「とー」「そーどー」と発音するので"o"とみなす)。
 そこで、同じようなパターンでほかにタイトルができないか、考えてみた。

『あからさまな馬鹿』
『嗚呼、赤坂七夕婆ァ』
『ヒジキに生き、ヒジキに死に』
『生き字引ビリー』
『ぬるぬるプール』
『宇宙ぐるぐるクルーズ』
『へべれけ精霊セレーネ』
『泥ボートの暴走』
『高校の双頭ホモ男、その放浪と闘争』

 やっぱり"o"がいちばん作りやすいですね。

▼国民が改革の痛みとやらを乗り越え、日本経済が再び軌道に乗ったとき、小泉首相(そのときもまだ首相だったら)はきっとこう言うことだろう。
「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。おめでとう!」

5月27日()

▼富山県のコーラン破り捨て事件。ただ本を破っただけじゃん、というのは日本人の感覚で、イスラム教徒にとってはたいへんなことなんだろうなあ、ということは血相を変えて抗議しているイスラム教徒の映像を見てもわかるんだけど、それじゃ実感としてわかるか、と言われればこれはわからない。まあ、大多数の日本人がそうだと思うけど。実感できないから想像するほかないわけで、要は、相手の気持ちを考える想像力、という平凡な結論になってしまう。自分とは違った価値観も尊重しなきゃいけない、というのは確かに言葉ではわかるのだけど、実際のところは難しいものですね。
 ただ、イスラム教徒が「コーランが破られたのは、イスラムの歴史でも例がない」「世界でも例のない冒涜行為だ」などと言っているのは明らかに間違い。今年の3月、インドでヒンドゥー教徒がモスクに入ってコーランを燃やし、豚肉を投げ入れる、という事件が起きているのである(ついでにいえばこの事件で14人の死者が出ている)。これは、タリバンの石仏破壊と牛の虐殺に抗議したためのものだ。今回の事件も、もしかしたら、タリバンの破壊行為に抗議するため、という可能性はないだろうか。そうだとしたら単なる外国人への悪意ではなく、もっと複雑な事態になりそうだ。
 さらによくわからないのは、イスラム教徒はいったいこの事件をどうしてほしいのか、ということ。犯人を逮捕してほしい、とは言っているようだけど、たとえ捕まったとしても、日本の法律じゃ罪状としては窃盗と器物損壊くらいであって、罰金程度の刑で済むはず。日本の法律に従えばそうなるし、そうするしかない。果たして、イスラムの人はそれで満足するのだろうか。振り上げたこぶしを収めることができるのだろうか。その点が、気にかかる。
 たとえばパキスタンでは、98年にこんな事件が起きている。パキスタン人キリスト教徒が預言者とモハメッドについて軽蔑的な言葉を口にしたとして逮捕されたのだ。この容疑者は審理開始を待つ間に銃で襲われ、さらに法廷では冒涜法により死刑の判決を受ける。そして、この死刑判決に抗議してカトリック教会の司教が拳銃で抗議の自殺をしている。
 確かに日本人に宗教への理解が足りないのは事実ではあるのだが、イスラム教徒の不寛容も相当のものではないかと思うのだ。今回の事件でも、全国のイスラム教徒が富山県庁に押しかけるという行為は、宗教への理解というよりも、ますますイスラム教徒が「わけがわからなくて怖い集団」である、というイメージを強める結果になってしまっている。彼らにはそれがわかっているのだろうか。
 私としては、しばらくしたところで警察が「懸命に犯人を探しましたが、結局見つかりませんでした」と発表する、という結末がベターなように思うのだけど。でも、こんなことを言うと、あいまいな日本人、としてイスラム教徒には嫌われるのだろうねえ。

5月26日(土)

▼朝松健『[完本]黒衣伝説』(早川書房)(→【bk1】)読了。なるほど、確かに奇書だわ、これは。UFO、秘密結社、MIB、切り裂きジャック、イルミナティなどなど、あらゆるオカルトの要素をぎっしりつめこんだ、ノンフィクション仕立てのメタフィクション。新たに加筆したプロローグとエピローグ、それに牧野修の解説まで含めて一個の作品として完結している構成は見事。
 しかし、やっぱり私にはオカルト・ノンフィクション風の部分は読むのがしんどかったです。何が言いたいのかさっぱりわからなくて、全然頭に入らないのだ。こういう非論理的な文章は読むのがつらいわ。まあ、わざとパロディとしてそういうふうに書いてあるというのはわかるのだけど。
 また、新規に書き足したエピローグには、まるで普通のホラー小説みたいなオチまでついているのだけれど、これはかえって興ざめで、必要なかったんじゃないかなあ。

▼さて、この本によると、19世紀中葉のイギリスで、信じられない跳躍力を持ち、鉤爪を持った「バネ足ジャック」なる怪人が次々に人を襲い、死者まで出たという。
 これを読んで思い出したのが、最近、インドのニューデリーに出没しているという「モンキーマン」。人間とは思えない跳躍力で屋根に現れ、鋭い爪で人を襲う。「バネ足ジャック」にそっくりである。
 モンキーマンは、もしかしたらバネ足ジャックの眷属なのだろうか……などと考えてしまったこと自体、『黒衣伝説』の魔力に囚われてしまった証拠なのかも。くわばらくわばら。

5月25日(金)

▼佐藤正午『Y』(ハルキ文庫)(→【bk1】)読了。
 評判どおり、「恋愛時間SFに駄作なし」の格言(?)を裏づける傑作。であるとともに、SFプロパーの作家とそうでない作家の視点の違いもよくわかる作品である。
 SFファンってのは、ひとつのアイディアがあったら、その可能性をとことんまで追求してほしい、と思うもの。たとえば最近流行りのバイオサスペンスなどについて「こんなに魅力的なアイディアなのにここまでで終わらせるのはもったいない」などという意見はよく聞きますね。私なども、どうせなら世界や人類そのものが変容するところまで描いてほしい、と思ってしまうものだけど、こういう作品を読むと、やはりあえて描かない美学というのもあると思えてくる。
 この作品の結末がいい例で、もっと先まで描こうと思えば描けるのだけど、あえて主人公が知りえた範囲しか書かず、また主人公の今後にしても最後まで描かない。物足りなくも思えるけど、それがなんとも言えぬ余韻につながっているのも確かである(たとえばこの作品中でも言及されている『リプレイ』の結末が、書きすぎで興ざめだったのと好対照ですね)。こういう描き方は、ついついサービスしてしまいがちなSFプロパーの作家には、なかなかできないことのように思える。
 ま、バイオサスペンスの場合は、余韻などはなく、単に物足りないとしか感じられないのが問題なのだけれど。

▼本屋の店頭で見かけたSFマガジン7月号を、キース・ロバーツ特集に惹かれてついつい買ってしまい、あとで自分の原稿が載っていたことに気づく。そうか、今月は買わなくてもよかったんだ。ま、ハヤカワに寄付したと思うことにするか。尾山さん、SFマガジンデビューおめでとうございます。

▼フィギュア入りのお菓子や飲み物が流行っているけど、ついにここまで来ましたか。「20世紀漫画家コレクション 永井豪の世界」(しかし、これがお菓子の名前かね)。チョコエッグのフルタ製菓から。買って開けてみると、入っていたのはキューティーハニー。なかなかよくできてるじゃないですか、これ。フィギュアは「全8種類+?」だそうな。ううむ、初めて「大人買い」欲を感じたよ。300円はちょっと高いけど。
 ちなみに、第二弾は横山光輝だそうな。

5月24日(木)

▼新聞に載っていた、5月23日の首相の1日より。
4時4分、ハンセン病訴訟の原告団代表らと面会。上野官房副長官同席。
 面会後の5時台からはにわかに忙しくなって、連立政権のトップが次々と訪れるめまぐるしさ。
5時17分、上野、古川両副長官。22分、古川副長官。26分、坂口力厚生労働相、森山真弓法相、福田官房長官。42分、麻生太郎自民党政調会長、野田毅保守党幹事長加わる。43分、冬柴鉄三公明党幹事長、上野副長官加わる。45分、安倍副長官加わる。53分、山崎拓自民党幹事長加わる。
そして、
6時10分、報道各社インタビュー。
 となるわけだ。
 しかし。ハンセン病原告団との面会と、内閣のトップたちとの会談の間、控訴か断念かの間で首相が最も悩んでいたであろう時間に、首相と会っていた人物がいた。
5時9分、茨城県潮来市の「あやめ娘」大橋愛さんら。
 「あやめ娘」が首相の決断をうながした、とかいうのならおもしろいのだが、たぶんそういうことはあるまい。

▼このニュースについて、テレビの街頭インタビューなんかを見てると、小泉よくやった、とか、当然のこと、とか言ってる人が多いけど、裁判所が国会の責任を認めたってことは、あれは国会議員を選んだ国民全員の責任ってことでしょ。それに彼らを不当に差別してきたのはほかならぬ私たちなわけだ。つまりあの判決は、ハンセン病患者をこれまで差別し、隔離されたままに放置してきた国民全員に指をつきつけ、「あなたが犯人です」と言っているようなものだと思うんだけどねえ。
 元患者さんたちに同情するのもいいけど、彼らの存在を忘れ去っていた(実際、この判決が出るまで、私はハンセン病患者たちのことを思い出しもしなかったよ)私たちの「不作為」の罪も重いと思うんだけどねえ。補償に500億円かかるというのなら、忘却の代価として国民一人につき500円徴収してもいいんじゃないか。
 ついでにいえば、いまなお隔離されている精神病患者たちがいることも忘れないでほしいなあ。入院当時は暴力を振るったり事件を起こしたりなどして、実際隔離される理由があったにしろ、その理由がなくなったあとも危険視され、精神病ゆえに差別を受けて、どこにも行き場がないためにただ漫然と入院している患者は多いのである。もちろん、だからといって強制入院を廃止しろ、というのは論外であって、急性期の隔離治療自体は必要なこと。だけど、今のところ、入院治療が済んだあと、外来で治療を続けるための社会の受け皿がちゃんとできてないのが現状なのですね。
 あなたは元ハンセン病患者が隣に引っ越してきたとしたら、温かく迎えてあげることができますか? できる? それじゃ、それが入院歴のある精神病患者だとしたら?

▼アクセス解析で発見した掲示板で紹介されていた韓国産育成ギャルゲー"Tomak"日本語訳)と、そのつっこみページ(日本語)。……これぞまさに「猟奇的な彼女」。さすが、猟奇が流行語になる国だけのことはあります。しかし、やってみたいなー、このゲーム。

みだらな行為という表現はいかがなものか。なんだかものすごく卑猥な行為を想像してしまうぞ。はっきりセックスと書けばいいのに。

▼奥泉光『鳥類学者のファンタジア』(集英社)(→【bk1】)、佐藤哲也『ぬかるんでから』(文藝春秋)(→【bk1】)、フィリップ・K・ディック著、ロランス・スーティン編『フィリップ・K・ディック 我が生涯の弁明』(アスペクト)(→【bk1】)購入。

5月23日(水)

▼病院帰りに、こないだ日記で紹介した展示「〈ゾーン〉不可思議な空間」を見てきました。もちろん、〈ゾーン〉の名は『ストーカー』から取られたもの。
 真っ白な部屋の中に白い椅子とテーブルが並んでいて、テーブルの上に置かれた一輪挿しには真っ赤な薔薇。そして、テーブルの中央には真っ黒な液体の入ったスープ皿。床は白い砂利で覆われていて、この砂利を踏んでテーブルに近づくと、足音に合わせてスープ皿に入った真っ黒な液体がスパイク状に盛り上がるのですね。ザクザクと砂利を踏む音に合わせて、液体の中央では無数のトゲが盛り上がる。試しに大きな音で手を叩いてみると、その分だけトゲは高くそそり立つ。まるで生きているように動く液体。なんだかSFXのようである。
 この作品、磁性流体という液体を使っているのだそうな。このページによれば、磁性流体には下から磁石を近づけるとスパイクを作る性質があるらしい。この作品もそれを利用しているわけですね。で、こういう流体を総称して「知能流体」と呼ぶらしい。……なんか誤解を招きやすいネーミングのような気がするなあ。
 不思議なものが見たい人はぜひどうぞ。東高円寺のパラグローブで、5月29日まで見られます。

チャールズ・グラント『ブラック・オーク』(祥伝社文庫)(→【bk1】)読了。失踪者が相次いでいるという、西部劇時代そのままの小さな村。村を訪れた探偵に、よそよそしい態度で接する村人たち。どうやら村人たちは全員、何かを隠しているらしい。やがて夜が訪れるが、なぜか村人たちは異常に闇を恐れている。そして頭上から「何か」が羽ばたく音が聞こえ、惨劇が始まる……。
 これはかなり怖い。面白いホラーは数あれど、本当に怖いホラーは貴重ですね。目新しさは何もないのだけれど、丹念な描写によって雰囲気を醸し出し、抑制の効いた筆致でじわじわと恐怖を盛り上げて行くテクニックはまさに職人芸の領域。
 ただ、読んでいる間はやめられないほど面白いのだけれど、最後に明かされる真相はちょっとどうかと思う。すべての謎が解き明かされないのはまあホラーだからいいとしても、住民たちの行動など納得のいかない点もかなりあるのだけど。それとも、ホラー的にはこれでいいんですかね。

▼天藤真『雲の中の証人』(創元推理文庫)(→【bk1】)、中井久夫『治療文化論』(岩波現代文庫)(→【bk1】)購入。

5月22日(火)

▼当直。

▼中井紀夫『モザイク I 少年たちの震える荒野』(徳間デュアル文庫)(→【bk1】)読了。
 期待して読み始めたのだけど、残念ながら本作も、この作者の他の近作同様、中井紀夫にしては物足りない出来と言わなければならない。
 80年代後半から90年代前半には、私たちの無意識の願望を充足するかのごとく、東京を破壊する物語が嫌というほど書かれたものだ。90年代後半以降、そういう物語がめっきり減ったのは、もちろん阪神大震災とオウム事件で、その願望が現実になったときのおぞましさに直面させられたからである。そうした事件を経た21世紀にあえてこういう物語を書くのであれば、何か新しい視点がほしいところなのだが、廃墟と化した東京で行き抜く少年たち、カルト宗教、超能力と、道具立てはどこかで見たようなものばかり。少なくともこの巻ではこの作者ならではの新しさを発見することはできなかった。まあ、1巻目はお披露目ということでこんなものなのかもしれないが。続巻ではもう少し面白くなるのかな。

5月21日(月)

▼ブライアン・ステイブルフォード『地を継ぐ者』(ハヤカワ文庫SF)(→【bk1】)読了。原題は"Inherit The Earth"だけど、別に『星を継ぐもの』("Inherit The Stars")とは関係ない。
 ハヤカワ文庫SFでは、ときどきなぜ訳されたのかよくわからない作品がいきなり出て驚かされることがあるけれど、これもその一つ。なぜ今ステイブルフォードなんだろう。別に賞を獲ったというわけでもないみたいだし。わからん。まあ、まず確実に初版のみで目録から消える上、復刊フェアの対象にもならなさそうな本なので、お買い求めはお早めに。
 舞台は、疫病による不妊化の代わりにナノテク技術によって寿命が伸び、不老不死の実現も間近に迫った22世紀の世界。不妊と長寿によって変容した人類の意識や社会の様子が描かれる、いかにもベテランSF作家の作品らしくオーソドックスでけれんみのない作品である。物語も冒険小説タッチの陰謀劇と、実に古典的。
 2ちゃんねるみたいな匿名掲示板でいきなり主人公が「人類の敵」と名指しされてしまうとか、たいがいの怪我はナノテクで修復できるので若者たちは過激なストリートファイトにふけっている、とか、小ネタにはなかなかおもしろいものもあるのだけど、人類の生殖がかなりドラスティックに変化しているわりには、人々の価値観は現代とそれほど変わっていないように見えてしまう(特にセクシュアリティについてはかなり保守的)。結末で明かされる真相もかなり大仕掛けなものだけれど、それがすべて台詞で説明されてしまうので盛り上がりに欠けるのも難点。
 私としては、それほどたいした作品じゃないと思うんだけどなあ。本当に、なんで訳されたんだろうか。

▼CDとDVDを買い漁る。『モンティ・パイソン・アンソロジー』(箱入り)と、ゲール語の歌のオムニバス盤『イシュト』『イシュト2』、シャロン・シャノン『スペルバウンド』、カパーケリー『日暮れから夜明けまで』。全部アイリッシュ・トラッドです(モンティ・パイソン以外)。

「人間こそ異星人」小泉首相が独自の共生論披瀝(asahi.com)。これはちょっとなあ。何か悪い本でも読んだんだろうか。

▼きのうは谷山さんとニアミスしていたらしい。ううむ。私からすりゃ自由が丘のカレー屋に入り浸れる方がうらやましかったり。私など自由が丘に行ったのは2年ぶりだよ。

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