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3月10日(土)

▼和田秀樹『〈自己愛〉の構造』(講談社選書メチエ)読了。アメリカの精神分析家コフートが編み出した自己心理学の入門書。コフートは最近香山リカもリスペクトしてるし、マスコミ精神科医の間でちょっと流行りなのかも。確かにそれほど病的でない、フツーの現代人の病理を読み解くには都合のいい理論である。まあそれも、アメリカでの流行を後追いしているだけなのだけど。
 アメリカでコフートの理論が流行した背景には、経済的な事情がある。精神分析ってのは、1回1時間のセッションを週に4回も受けなきゃならず、当然ながらカネがかかるわけで、クライアントには富裕層が多い。一方、コフートが理論化した「自己愛パーソナリティ」ってのは、自分がいちばんかわいくて他人には同情しない、というタイプ。アメリカ社会では成功者に多いタイプである。つまり、コフート理論は、ちょうど精神分析のクライアントになりやすい層の病理をとらえた理論、というわけだ。
 一方、コフートのライバルであるカーンバーグは、「境界型パーソナリティ」の理論をたてたのだけど、このパーソナリティの持ち主は、自殺未遂を繰り返すなど、かなり重い人格障害の人が多く、分析の費用が払えるほどの富裕層には少ないのですね。
 どちらの理論も重要度でいえばそれほど違いはないし、むしろ重症の患者を理解する助けになる、という点ではカーンバーグの理論の方が有用なのだけど、そう経済的な理由から、アメリカではコフートの理論が大流行しているというわけ。
 まあ流行の背景にはそういう事情があるにせよ、コフートの理論というのは解釈よりも共感を重視しており、超自我だのエスだの肛門期だのエディプス・コンプレックスだの、あるんだかないんだかわからないシステムを山ほど仮定しなきゃならない今までの精神分析理論よりは、モデルとしてはるかにわかりやすいことは事実である。精神分析はどうもトンデモくさくて、と敬遠していた人(私だ)にお勧め。それに、従来の精神分析理論より、日々の臨床や社会を読み解くのに「使えそう」である。
 ただ、最後の章で、コフートの罪責人間、悲劇人間(コフートは、自分自身内部の葛藤に悩む人間を「罪責人間」、周囲の人間が自分のことをわかってくれない、と悩む人間を「悲劇人間」と呼んだのである)を、和田秀樹自身のメランコ人間、シゾフレ人間(このネーミングはちょっとセンスがないと思うよ)と結びつけるのはいくらなんでも牽強付会だと思うのだけど。
3月9日(金)

▼母校で恩師の最終講義があったので行ってきました。慢性精神分裂病の治療に30年携わってきた先生。最終講義もこの先生らしく、10年以上にわたり外来治療を続けてきた患者さんとの診察の様子を淡々とつづったもの。流行りの薬理学や分子生物学に比べ、そのスタイルはあまりにも地味だし時代遅れにすら思えるけれど、愚直なまでに臨床一筋に生きた先生の言葉には重みがありました。

▼東海洋士『刻Y卵』(講談社ノベルス)読了。かつて天草四郎とともにあったと伝えられる時を刻む機械仕掛けの卵、「刻Y卵(こくあらん)」。放送作家の祝座(のりくら)とその友人六囲(むめぐり)は、六囲の父が残した「刻Y卵」の謎に惹かれていく、という話なのだが……。
 「刻Y卵」の謎をめぐる物語かと思いきや、どういうわけか、二人の漫談めいた会話が延々と続くかと思えば、オールドミスの心理描写がはさまれたり、と物語はぐるぐると迷走を続けるばかり。文章や展開に味があるのなら、それも許せるのだけど、この文章ではちょっと読みすすむのがつらい。結末まで読めば、いちおう作者の意図らしきものはわかるのだが、解かれない謎は山ほどあるし、このネタで長編はちょっと長すぎる。せいぜい短編程度のアイディアだと思うのだけどなあ。「我が国の幻想文学における一大収穫」という竹本健治の大仰な讃は謎としかいいようがない。
3月8日(木)

▼塩倉裕『引きこもり』(ビレッジセンター出版局)読了。シンプルなタイトルである。著者が新聞記者だからかもしれないが、前半は当事者のインタビュー、後半はさまざまな立場の人の意見をさらっとなでたような書き方で、特に目新しいことが書かれているわけでもなく、ちょっと内容が薄いのが残念。

▼まさか講談社ノベルスでコリン・ウィルソンが出るとは思わなかった『スパイダー・ワールド 賢者の塔』(「SF」にふられた「スピリチュアル・ファンタジー」のルビがいやーんな感じ)、東海洋士『刻Y卵』(講談社ノベルス)購入。2文字目の「あ」はJISにないのでYで代用。『乂Y伝説』が『ガイア伝説』と改題文庫化された今、再び「あ」の字を冠する作品が登場するというのは何かの因果なのかな。栗本薫『ルノリアの奇跡』(ハヤカワ文庫JA)、日下三蔵編『横溝正史集』(ちくま文庫)、越澤明『東京都市計画物語』(ちくま学芸文庫)、ジニーン・ヤング−メイスン『患者の声 病気の体験』(ちくま学芸文庫)購入。
3月7日(水)

▼ニュースも新聞も潜水艦事件ばっかりで、もうニアミス事件なんて誰も覚えていやしない。結局あの事件の責任の所在はどうなったんだ? うやむやのうちに忘れ去られているニュースがあまりに多すぎるよ。

▼今日はこのリンク集から来る人が妙に多かったのだけど、なぜだろう。ふだんはここからのアクセスはほとんどないのに。

▼塩倉裕『引きこもり』(ビレッジセンター出版局)、M・K・シャルマ『喪失の国、日本』(文藝春秋)購入。あと、CDはマイケル・ナイマン「ピアノ協奏曲/蜜蜂が踊る場所」(NAXOS)と、鬼束ちひろ「インソムニア」(東芝EMI)を。なぜジャケットのあちこちにコカ・コーラが写ってるんだ?
3月6日(火)

▼当直。電話の対応やら発熱した入院患者への処置やらでほとんど眠れず。『エンディミオンの覚醒』をちびちびと読むが、全然進まず。『SFが読みたい!』の表紙じゃないけど、この本を持ち歩くのは大変です。電車の中でおもむろに鞄から出すと、隣の人がぎょっとしたような表情で見るしなあ。

▼スタートレック・ヴォイジャーに続く新シリーズのキャラクター設定。パラマウントからの正式発表じゃないから眉唾ものだけど。舞台は22世紀で、艦長は40代の地球人男性、副長がヴァルカン人女性。クルーにHoshi Satoという日本人女性がいるらしい。どっちが苗字だよ。
3月5日(月)

▼清水良英『激突カンフーファイター』(富士見ファンタジア文庫)読了。確かにこれはすごいや。田中啓文に強力なライバル出現かも。
「イテッ! 何するんですか」
「分からないのか、ワシがお前の乳首を塗り箸でつまんでいるわけを!」
 滝沢の乳首は溝口の漆塗りの箸でしっかりとつままれていた。つまむ塗り箸。つままれる乳首。さらに溝口は決して握った箸を離さなかった。
「つまりだな、あの女は嘘をついている」
 溝口の箸を持つ手に力が入る。
 とにかく全編こんな調子。1ページに少なくとも2つはギャグがある。
 正直言って寒いギャグも多いのだけれど、これだけ連発されると、不覚にも笑ってしまう箇所が、見開きに1ヶ所はあるのですね。そして半分以上読んだときには、寒いと思っていたギャグがすっかり壺にはまっている不思議。ああなんたる不覚!
 ただ、緩急というものがまったくなく、最初から最後まで同じハイテンションで突っ走るので、これ以上長くなるとちょっとつらいかもしれない。それに、もうちょっと物語的な驚きもほしい。時系列をずらす仕掛けがあまり生きていないのも残念。単なるギャグだけのための展開かと思いきや実は伏線だった、とかそういう仕掛けがもうちょっとあればよかったんだけど。

▼続いて秋口ぎぐる『炸裂!リボルバー娘。』(富士見ミステリー文庫)読了。学園ハードボイルドというかなんというか。主人公は生徒会刑事部殺人課の刑事(って何)。生徒にだろうが先生にだろうが容赦なくショットガンをぶっぱなす危ない刑事(デカ)。むちゃくちゃな設定ながら、まずは失踪人探しから始まり、組織のカネが盗まれた事件に発展していくとか、きっちりとハードボイルドの類型が守られているところが逆におかしい。ただ、銃は改造モデルガンだし、カネというのは学園祭で使う金券で、事件を追う主人公たち以外の生徒はみんなのどかに学園祭の準備をしたりしているのだけれど。
 しかし、『激突カンフーファイター』のあとに読むと、こんな無茶な話でもごくごくおとなしく感じられますな。

▼福永武彦『加田伶太郎全集』(扶桑社文庫)(←新潮文庫版には収録されてなかった作者唯一のSF「地球を遠く離れて」が入ってます)、山田風太郎『人間臨終図巻 I』(徳間文庫)、『SF Japan:02』(徳間書店)(←森下先生と浅暮さんたちの師弟対談に私の名前が出ていて吃驚)、『バットマン マッドラブ』(小学館プロダクション)(←ジョーカーへの報われぬ愛に身を焦がすハーレイ・クイーン。なぜだか泣けてきます)購入。
3月4日()

▼銀座で開かれた、巽孝之さんのSF大賞受賞記念戴冠式に出席。なんで戴冠式なのかというと、今まで巽さんはSF関係の大きな賞をもらったことがなかったのだ。無冠の帝王がついに賞をとったので戴冠式というわけ。別に、これからSF界の王として君臨するのだ、ふはははは、ということではないと思う。たぶん。
 なぜ私なぞが招待されたかというと、実は巽さんは私の師匠にあたるのである。私が巽さんのセミナーに参加したのは、あれはもう10年も前のこと。巽さんにはまた一冊も著書がなく、私もまだ学生だった頃の話。そのへんのことは以前の日記を参照。ああハイパーテクストは便利だわい。
 戴冠式というのは単なるシャレかと思いきや、実際に教皇の服に身を包んだ柴野拓美さんが、赤マントを着た巽さん(初コスプレ)に王冠を授与したのでありました。
 会場のそこここでは、佐藤亜紀さん佐藤哲也さんが話していたり、ひろき真冬さんがご自身のイラストから抜け出したようなスタイリッシュな服装でたたずんでいたり。なんとなく気後れした私はというと、青木みやさんやのださんのむのむさんタニグチさんたちネット仲間の姿を見つけて話していたのでありました。
 夢枕獏さん、難波弘之さんなど畏れ多い方々が挨拶に立ったあと、若手代表として司会の牧眞司さんに指名されたのは森太郎さん。突然の指名にうろたえる森さんを見ながらほくそえんでいたところ、次に牧さんが呼んだのはなんと私の名前。聞いてないぞ。とりあえず壇上には上がったものの、何て言ったのかまったく覚えてません。その次は尾山さん。SFセミナースタッフ3人ですね。
 挨拶するなんて全然聞いてなかったですよ、とあとで牧さんに抗議したところ、あれ、受付で言われなかった? おかしいなあ、と涼しい顔をされたのであった。

▼さて二次会のケーキバイキングは早々に失礼して、そのあとは以前から誘われていた宇都宮邸でのホームパーティに出席。宇都宮さんの手料理と、買ってきた料理を食べながら、いつしか各自持ち寄った映像の鑑賞会に。
 まずは宇都宮さんの持っていたDVD『親指ウォーズ』を鑑賞。確かにおもしろいんだけど、わざわざ映画館で観るほどのものじゃないなあ、これは。本編よりメイキングの方が、真面目な顔でバカなことを言っていて笑えます。「スターウォーズは確かに面白いけど、親指の出番が少ないのが不満だった。だからこの作品を作ったんだ」とか。
 次に、私の持っていった香港DVD『B計画』全編と、『中華英雄』『特警新人類2』ダイジェスト版の鑑賞会。久しぶりに見た『B計画』はやっぱりいい映画ですね。日中の刑事たちの熱い男の友情に、カルト教団のテロリスト役の小家山晃(『鉄甲機ミカヅキ』で遊佐亘を演じている人)の、何かが乗り移ったかのように狂気に満ちた演技。しかも、女子供や罪もない人質や準主役級のキャラまでも、ハリウッド映画じゃ考えられないほどあっさりとしかも残酷に死んでいく。ハリウッドのパクリも多いんだけど、ここまで旺盛にサービスしてくれればもう勝ちでしょう。『中華英雄』も好評。雨を切り裂き大地を揺るがし、自由の女神をも破壊する勢いの超絶的格闘シーンはかなり楽しんでもらえたよう。『特警新人類2』は……まあ、こんなもんでしょう。
 極めつけは、M君が持ってきた「探偵ナイトスクープ」のビデオ。依頼人はフィギュアコレクターでイラストレーターだという女の子。部屋中を埋めつくしたオタクグッズの数々に、早くも怯える探偵間寛平。彼女は数年前に見た美形のマネキンに一目ぼれ、そのマネキンを探して結婚したい、というのである。呆然とする間寛平。結局彼女はマネキン会社の倉庫でそのマネキンを発見(無数に並んだマネキンの中から、彼女は「意中の人」を一目で見分けたのだった)、そして母親や妹など家族列席の上、マネキンと結婚式を挙げたのであった。幸せそうな表情の新婦。そして誓いのキス。うう、痛い、痛すぎる。
3月3日(土)

▼DVDで日本未公開の香港映画『特警新人類2』を見る。前作は『ジェネックス・コップ 特警新人類』として日本でも公開されているけど、私は未見。前作の英題は"Gen-X Cops"で、本作は"Gen-Y Cops"だから、今度の邦題は『ジェニイ・コップ』になるのかな?
 なぜ前作も見ていないのにDVDまで買ったかというと、ジャケットに怪しげなロボットの姿があったから。そう、この映画は実はロボットSFなのだ。香港映画でロボットものというと、『ロボフォース 鉄鋼無敵マリア』を思い出すが、当然ながらあれほど趣味的で歪んだ作品ではなく、エンタテインメントとしてずっとよくできてます。
 アメリカで開発された戦闘用ロボットRS1が、国際警察科学技術博覧会のためにFBIとともに香港にやってきた。警備を担当するのは香港警察に所属する「特警新人類」たち(ってのが何なのか前作を見ていない私には今ひとつわからないのだが)。しかし、そのうちのひとりであるエジソンは、今はハッカーとなった旧友カート(サバゲー仲間らしい)に催眠術をかけられ、ロボットを強奪する手助けをしてしまう。FBIに追われる身となったエジソンは、人質にとったFBIのジェーンとともにカートを追う。特警新人類の他のメンバーも、FBIと対立しながらも、エジソンを助け、ロボットとの戦いに挑むのだった。
 ストーリーは薄いけど、アクションはさすが香港だけあって切れがいいし、ジャニーズ系の顔立ちをした若手俳優が何人も出ているし、日本でもけっこうウケるんじゃないでしょうか。ただ、SF映画好きとしては、ロボットにあんまり魅力がないし、活躍も少ないのが今ひとつ。クライマックスではお約束どおり、ロボットが香港市街で暴れ出すのだけれど、ここの特撮もちょっと短くて不満。結末もいささかあっけなさすぎる。ただ、中国製ロボットとの対決はなかなか笑えます(★★★)。
 ロボットRS1の勇姿は公式サイトで見られます。フラッシュ使いまくっているので注意。
3月2日(金)

▼池袋のシネ・リーブルで『ユリョン』のペア前売券を買ったら、おまけだといって原潜ユリョンのプラモデルをくれた。1/700スケールで、有井製作所製の非売品。プラモデルの趣味はないのでどうしようか困っているのだけど、これって、何年かしたら価値が上がったりするのかな。

▼「比丘尼スタイルのお嬢さん」というフレーズがふっと思い浮かび、電車の中で一人笑いをこらえる。しかしこの駄洒落を使うシチュエーションがまったく思い浮かばないので、仕方なくここに書いているわけだ。
 「比丘尼スタイル」で検索して同じネタを書いている人がいないか確認してからこれを書いている私は小心者です。

▼清水良英『激突カンフーファイター』(富士見ファンタジア文庫)、秋口ぎぐる『炸裂!リボルバー娘。』(富士見ミステリー文庫)、雑破業『さくらの季節』(富士見ミステリー文庫)購入。

ぼくは死にましぇん。
3月1日(木)

▼SFセミナースタッフ会議。今年のセミナーは豪華だぞ。当社比で2倍。

▼司馬遼太郎『ペルシャの幻術師』(文春文庫)読了。これは珍しい司馬遼太郎初期の幻想・伝奇作品集。
 司馬遼太郎といえば、なんといっても国民作家、折り目正しい歴史小説の書き手であって、幻想や伝奇ほどその作風から遠いものはないように思える。しかし、実は司馬遼太郎のデビュー作「ペルシャの幻術師」は13世紀ペルシャを舞台に異能の幻術師と美女の運命を描く濃密な幻想小説だし、続く「戈壁の匈奴」も、チンギス・ハンの覇業の裏には実は「世界の女を知りたい」という性欲があった、というまるで山田風太郎の『妖説太閤記』のような発想の作品。司馬遼太郎と山田風太郎といえば、その作風、歴史観など対極に位置するように思われているが、この作品集を読むと、少なくともデビュー時においては、両者は意外に近い作風を持っていたことがわかる。
 さらに、「兜率天の巡礼」は、古代史に登場する渡来人秦氏は、異端としてコンスタンチノープルを追われたネストリウス派キリスト教徒の末裔だった、という奇説をもとに、「大避神社=大闢=ダビデ」やら「いすらいの井戸=イスラエル」やら三本足の鳥居やら、「ムー」に載っていそうなネタ満載の怪作。確かに今まで文庫未収録だったのもわかる気がする……。しかし、司馬先生、ユダヤ教とキリスト教を混同しているような気がするんですが。
 「外法仏」「牛黄加持」もすごい。どちらも平安朝の僧侶や外法遣いの登場する伝奇小説なのだが、特に「牛黄加持」は、平安朝僧侶の性生活が克明に描かれている上、クライマックスで展開される性呪術儀式のおぞましさ、主人公を心理的にぎりぎりのところまで追い詰める意地の悪さときたら、最近の伝奇ホラー作家でも顔色を失うほど。ここまで書くか、司馬遼太郎。
 「下請忍者」「飛び加藤」「果心居士の幻術」の戦国忍者小説3作は、この作品集の中ではおとなしめな方だが、それでも超人的な幻術を持ちながら歴史にまったく影響を及ぼさなかった戦国の怪人たちを正面から扱っていて、やはりどこか山田風太郎を思わせる。
 いやはや司馬遼太郎おそるべし、伝奇作家としても大したものじゃないですか。その後、司馬遼太郎はなぜか怪力乱心を語らなくなり、国民的作家への道を歩んでいくのだけれど、伝奇作家・司馬遼太郎の作品ももっと読んでみたかったなあ、と山田風太郎ファンの私は思うのであった。いったいなぜ、司馬遼太郎は伝奇の手法を自ら封印したのだろうか。
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