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2月28日(水)

▼「女性自身」を立ち読みしていて驚いた、と妻がいう。なんと、S澤編集長森山さんが写真入りで載っていたのだそうだ。私は実物を見ていないのでどういう記事なのかよくわからないのだが(なぜ買ってこないかなあ>妻)。女性スキャンダル?

▼テア・ドルン『殺戮の女神』(扶桑社)、ローレンス・スターン『センチメンタル・ジャーニー』(岩波文庫)購入。新宿ビデオマーケットにて、「スウォーズマンII 東方不敗」(日本語字幕入り)と「特警新人類2」のDVDを購入。「特警新人類2」のジャケットでは、メインキャラクターとそのニックネームが紹介されているのだが、「異形」「魔童」はいいとして「腦電波」なるキャラ(しかもけっこうかわいい女の子)が気になる。
2月27日(火)

▼当直でした。

映画インデックスのページを更新していたら、今のところ今年観た映画はすべてカタカナタイトルだということに気づいた。よく見ると、去年10月の「マルコヴィッチの穴」を最後に、それ以降はすべてカタカナ。まあ原題をそのままカタカナにすれば無難ではあるけど、これじゃ内容がさっぱりわからないよなあ。
 「キャスト・アウェイ」は「漂流者」の方がわかりやすいと思うし(なんだか折原一みたいだけど)。
 「バーティカル・リミット」は「垂直限界」でなぜいけない(これは訳してもわかりにくいな)。
 「ペイ・フォワード」は「先払い」でいいじゃないか(ちょっと違うような)。
 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は「暗黒舞踏家」(それは違います)。
 「アンブレイカブル」は「無敵超人アンブレイカブル」の方がわかりやすいぞ(すでに訳じゃありません)。
 配給会社も、もうちょっとは考えてほしいなあ。ただし、一見原題そのままかと思いきや、実は邦題というまぎらわしいタイトルもありますね。「リトル・ダンサー」の原題は"Billy Elliot"。主人公の名前なのですね。これじゃ何の映画だかさっぱりわからない。これは邦題の勝利かも。
2月26日(月)

▼デュアル文庫編集部編『少女の空間』(徳間デュアル文庫)読了。ハイブリッド・エンタテインメントを謳ったアンソロジーだけど、やっぱり『少年の時間』同様SFに偏っているような。それに、前巻ではまがりなりにも「少年」をテーマにした作品が揃っていたのに対し、この巻ではほとんどの作品が、対象としての少女を描いていて、「少女性」そのものをテーマにした作品がひとつもないのはやっぱり問題なんじゃないだろうか、このアンソロジーの主旨からして。
 小林泰三「独裁者の掟」 これはいいです。SF作家としての才能が存分に発揮されたトリッキーなハードSF。でも「少女」の話かと言われると、うーん。
 青木和「死人魚」 どうということもないありふれたホラー短篇。一瞬、クトゥルーものになるかと期待したんだけど。
 篠田真由美「セラフィーナ」 イタリアを舞台にした作者らしい幻想譚だけど、これもありきたりな話。
 大塚英志「彼女の海岸線」 この人はいったい何を描きたいんだろうか。私にはよくわかりません。読点の極端に少ない文章はとても読みにくいし。
 二階堂黎人「アンドロイド殺し」 作者はスタトレが好きなんだね、ということがよくわかる話。特にヴォイジャーの「人を呼ぶ流動生命体」を見てる人ならニヤリとできるはずだが、そういう人が多いとはとても思えない。ホログラムを使ったメインのアイディアも今一つ。
 梶尾真治「朋恵の夢想時間」 クロノス・ジョウンターものの番外編なのだが、梶尾真治ともあろうものが、なぜ今さらこんな陳腐な話を書かなきゃいけないのか。かなり不満の残る出来の作品。
 私としては、小林泰三の作品を読むためだけでもこの本を買う価値はあると思うのだが、その他の作品が低調なのであんまりお勧めはできかねる本ですね。
2月25日()

▼銀座に出て「ガンダーラ」というパキスタン料理店で食事。インド料理との違いはよくわからないけど、並みのインド料理店よりは美味で、辛さも本格的。ウェイトレスの女の子もかわいいし。

▼銀座で、妻が観たがっていた映画『リトル・ダンサー』を観る。イギリスの炭鉱町でバレエ・ダンサーを目指す少年を描いた物語。なんだかシチュエーションは、アメリカの炭鉱町でロケットを作る少年を描いた『遠い空の向こうに』に似ているし、頑固に反対していた父親が最後には少年を理解して応援するようになる、というあたりもそっくりなのだけれど、アメリカとイギリスの違いというのは、私たち日本人が思っている以上に大きいようだ。
 『遠い空の向こうに』では父親が反対しているとはいうものの、結局好きなようにロケットを作れていたわけだし、先生や街の人も暖かく見守ってくれている。自分の力で道を開こうとする少年に、アメリカ人たちは優しい。ロケットを作る主人公たちは変わり者ではあっても、それほどタブーを侵しているという感じは受けない。
 それに対し、『リトル・ダンサー』のイギリスはやはり階級社会。バレエというものはたぶん中流階級以上のするものであって、下層階級の男の子には無縁のものなのだろう。(それに、ゲイに対する忌避というのもあるようだ)。少年は下層階級に属する炭鉱夫の家庭であり、バレエの先生は中流階級。住んでいる地域や暮らしぶりも如実に違う。たぶんしゃべる言葉の訛りも違っていたはずだけれど、これは私にはよくわからない。どうも、『遠い空の向こうに』に比べるとはるかに壁が大きいみたいなのですね。
 これを観たあとだと、『遠い空の向こうに』がなんだかのんきな話に思えてくるのも事実なのだけど、私としてはやっぱり「バレエを習ってロイヤル・バレエ学院へ」という素材は、「ロケットを作ってNASAの技術者に」に比べると今ひとつ興味を感じられないんですよね(★★★)。
2月24日(土)

▼bk1から古川壽亮『エビデンス精神医療』(医学書院)が届く。「エビデンス」ってのは最近精神医学界で妙に流行っている用語。実は、精神医療にかぎらず、医学界全体で"Evidence-Based Medicine"(EBM)がブームになっているのだった。「エビデンス」というのはつまり「根拠」。要するに、「エビデンス精神医療」というのは「根拠にもとづく精神医療」ってこと。
 ってことは、今までの医療は根拠なしでやってたのか、おい。
 そういうつっこみが当然入るはずだ
 たとえば新しい薬剤が開発されたりしますね。何例か試してみてどうも効きが悪そうだぞ、とかこういうところはよくなるみたいだ、とかそういう経験や永年の勘に基づいて治療をしていたのである。そうじゃなくて、きちんと大規模な調査の結果に基づいて治療をしましょうや、ということ。
 もともと「エビデンス」とかいうことが言い出されたのはアメリカである。日本じゃまだ医者の判断というのは特権的な地位にあるけど、アメリカじゃそうでもなくなっていて、勘や経験で治療を行っていた場合、訴訟を起こされた場合不利になってしまうのですね。治療の根拠となる論文とか調査結果を提示できれば裁判のとき有利になる、とそういう切実な事情もあるみたい。
 でもなあ、大規模な調査の結果だろうがなんだろうが、医療に「根拠」があるのは当然のことじゃないのかな。そしてまた、個々のケースには必ずしも統計が適用できないのも当然のこと。「エビデンス」をいかにも最新の考え方であるかのように喧伝するのは、かえって医学の恥だと思うんだけどねえ。
2月23日(金)

▼きのう長く書きすぎたので、今日はネタがありませーん。

▼山之口洋『われはフランソワ』(新潮社)、ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』(NHK出版)、坪内逍遥『役の行者』(岩波文庫)購入。『白の闇』は、ある日突然原因不明の失明が伝染していき、やがて全人類が視覚を失う話らしい。なんか『ツィス』みたいな話である。
2月22日(木)

▼柄刀一『殺意は砂糖の右側に』(NON NOVEL)読了。世の中には、緒方剛志のイラストが似合う小説とそうでない小説がある。この小説は明らかに後者だ。
 科学ネタを使ったミステリと聞いたので読んでみたが、残念ながら期待はずれ。科学を使っているといえるのは最初の一話だけ(これも、凶器と被害者の位置関係がどうも納得がいかない)で、あとはトリビアルな雑学知識が鍵になる作品ばかり。作者は探偵役をIQ190の天才と設定しているのだが、知能と知識を混同しているとしか思えない。頭のよさとものを知っていることは違うだろう。
 まあ雑学知識それ自体は楽しいのだけれど、事件と雑学を結びつけるために設定がかなり無理のあるものになってしまっているし、ひいては文章にまで無理が及んできている。
三津夫のカップはすでにテーブルに用意されているが、長男夫婦の分は高代が持って来てソーサーの上に伏せて並べた。長男夫婦のカップも他とは違うデザインで、夫婦サイズだった。魔法瓶も高代が置いた。大のコーヒー好きである長友は、オリジナルのコーヒーをいつもその中に作り置いているという。お菓子がちょうどなくなっていたので、高代に言われた次弥がマドレーヌ風のものを補充した。そして一同、戸口へ向かう。
 こういう文章でつづられた小説を読むのは、正直言ってかなりの苦痛だった。それに、語り手のヒロインへの態度は、33歳にもなる大人の男のものとはとても思えないのだが。

花柄と水玉のiMac登場。こういうネタ、『電脳なをさん』にあったなあ。ああ、今度はこれを唐沢なをきがどうネタにするのか楽しみだ。

▼永野のりこ『STAND☆BY み〜ちぇ!!(2)』(講談社)、芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行(8)』(講談社)、佐藤マコト『サトラレ(1)』(講談社)、野中英次『魁!!クロマティ高校(1)』(講談社)購入。講談社ばっかり。『サトラレ』は絵は今ひとつだけど物語としては傑作。SF的には、1話ごとにサトラレの可能性のさまざまな側面を描いているところや、サトラレが存在する社会の細かいディテールが少しずつ明らかになっていくあたりに感心。『魁!!クロマティ高校』にはクイーンファンの妻もご満悦。

▼近ごろよく聞く「ものつくり大学」ではいったい何を作る職人を養成するんだろう。やっぱりつまようじとかぬいぐるみだろうか←野中英次ネタ。

小惑星エロスの地図。地名のテーマは愛のようで、「ドン・ファン」「ロリータ」「オルフェウス」「エウリディケ」「ピグマリオン」「ヒースクリフ」などそれらしい名前ばっかり。日本代表は「源氏」「藤壺」のカップル。「アベラール」があるのに「エロイーズ」が見当たらないとか、「セレネ」があるのに「エンデュミオン」がないとか(衛星があるからかな)謎もあるけど。「ナルキッソス」は……それだけで完結してますね。
2月21日(水)

▼ようやく『SFが読みたい! 2001年版』が届く。  なかなかいろんな楽しみ方ができる本ですね。たとえば90年代各年度のベストテン入り作品のうち、「90年代SFベスト30」にどの作品が入ってどの作品が落ちたか、とか見比べてみるとなかなかおもしろい。ちなみに海外篇では過去第1位になった作品はすべて90年代ベスト30に入っているけど、国内篇ではかつて第1位に選ばれていながらベスト30に入らなかった作品がたった1作。言わずとしれたあの作品です。まあ作者本人がSFと呼ぶなと主張しているのだから仕方がないんだけど。それでも、「作者がなんと言おうが受け取り方は読者が決めるもの、いかに作者本人に毀誉褒貶あろうとあれは傑作SFだ」とばかりに、あえて選んでいる剛の者は誰かなあ、とか。ああ、あの人が『カムナビ』じゃなくこっちに入れてりゃランクインしてたのになあ、とか。これでよかったのか悪かったのか。

▼さらに、1998年2月号、3月号に掲載されているオールタイムベストSFと比較すると(投票者が違うし、98年のはあくまで「オールタイムベスト」なので厳密な意味で比較はできないけれど)、この3年で評価の下がった作品上がった作品がよくわかります。
 ちなみに98年2月号のオールタイムベストSF日本部門ベスト50のうち、90年代に出版された作品は以下の通り。
5位 星界の紋章(1996-)
8位 ハイブリッド・チャイルド(1990)
24位 終わりなき索敵(1993)
29位 猶予の月(1992)
29位 ヴィーナス・シティ(1992)
29位 パプリカ(1993)
33位 引き潮のとき(1988-1995)
34位 朝のガスパール(1992)
38位 エイダ(1994)
44位 バベルの薫り(1991)
47位 アド・バード(1990)
49位 完璧な涙(1990)
 90年代ベストSFに輝いた『エイダ』がこんなに低いのは、オールタイムベストという性格上、過去にもっと優れた作品がある作家の近作にはあんまり票が入らないからでしょう(山田正紀では『宝石泥棒』が4位、『神狩り』が15位)。それよりは『ハイブリッド・チャイルド』みたいに明らかにその作家の代表作といえる作品の方が上に来る。
 ちなみに90年代ベストSF2位の《十二国記》は73位、6位の『サラマンダー殲滅』はランク外、10位の『ガダラの豚』は65位。やはり旧弊なSFファンが《十二国記》をSFと認めるようになったのはごく最近、ということなのかな。

▼オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』(ハヤカワ文庫SF)(でも『死者の代弁者』までしか読んでないんだよなあ、このシリーズ)、ジョディ・シールズ『イチジクを喰った女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)(フロイトの症例ドラをもとに書いた歴史ミステリ、ってところが個人的にウケました。フロイトの症例報告って充分ミステリとしても読めるんだよね)購入。
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