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2月20日(火)

▼福澤徹三『怪の標本』(ハルキ・ホラー文庫)読了。評判のいい『幻日』は未読なので、これが私にとって福澤徹三初体験。
 告白しておこう。私はゴースト・ストーリーを楽しむ感受性を持ち合わせていないのかもしれない。期待して読み始めたのだが、残念ながら私にはそれほど楽しめなかったのだ。もっとも長い「怪の標本」はまとまった短編というよりエッセイ風の作品で、『新耳袋』風のどこかで聞いたような都市怪談を羅列したものとしか思えないし、「受刑者」のオチときたら、あまりに古くさいんじゃないだろうか。「四十九日」「訪問者」も語り口こそ優れているものの、どちらも物語としてはありふれたものにすぎない。「雨音」も一種異様な迫力のある作品だが、筋の通らないイメージのつらなりのような小品で、私にはちと理解しづらかった。
 語り口やイメージと、プロットやアイディア。小説にどちらの要素を求めるかで、この作者の作品の好みは分かれるはず。作者は、「訪問者」の中で「私は小説を作るとき、プロットよりもイメージを大切にしてしまう癖がある。筋が大事だとわかっているのに、ちょっとした言葉や情景に引きずられて物語を破綻させてしまうことも少なくない」と書いているように、語り口派。私はプロット派なのだ。
 確かに端正な文章の持ち主だと思うのだが、この作風はちょっと私の好みとはかけはなれているようだ。たぶん、私は怪談を怖がるにはあまりに理性の人でありすぎるのかも。
 おまけ。福澤徹三氏関係のページ。山梨県の県政ニュース。こういうのに応募するのが好きな人だったのか。

『少女の空間』(徳間デュアル文庫)、梶尾真治『さすらいエマノン』(徳間デュアル文庫)、戸川昌子『火の接吻』(扶桑社文庫)、柄刀一『殺意は砂糖の右側に』(NON NOVEL)購入。最後のは科学ネタだと耳にしたので。
2月19日(月)

▼BS-i(ケーブルテレビで見られるのだ)でやっていた97年のイギリス映画『シューティング・フィッシュ』を見たのだけれど、これが意外な拾い物。孤児院で育った二人組みの詐欺師(失読症のハンサムとパソコンオタクのコンビ)と医学生のヒロインをめぐるコメディで、イギリス映画ならではの独特のテンポが楽しい。見終わって幸せな気持ちになれる映画は、それだけで貴重です(★★★☆)。

▼パトリシア・ハイスミス『世界の終わりの物語』(扶桑社)読了。最後の作品を読み終わって呆然。ここまでやるか、ハイスミス。
 実はハイスミスの短編集を読むのはこれが初めて。長編は何冊か読んだことがあるのだが、ジャンル的にはごく普通のサスペンスだった。当然短編集もそうだと思っていたのだが、これが大間違い。
 実験用の癌細胞を廃棄していた墓地に奇怪な植物がにょきにょきと生えてくる話、施設に収容されたまま200歳を越え、暗がりで緑色の光を発するようになった寝たきり老人の話、国の方針で病院を追い出され、街にあふれ出した精神障害者たちの話、そして体長6インチにもなるゴキブリに占領された超高層マンションの話(この「〈翡翠の塔〉始末記」は、もし「ゴキブリ小説アンソロジー」を編むことがあるとしたら必ずチョイスすべき傑作!)……。
 こういう小説って、どう考えてもサスペンスとは言わないよなあ。むしろSFと言ってもいいんじゃないか。たぶんもっとも近い形容は「諷刺小説」なのだろうけど、その言葉から受ける古臭い印象はまるでない。テーマはどれも簡単には答えの出ない現実の社会問題だし、どの短編もまるっきり救いのない結末を迎えるのだけれど、作者の筆致は不思議にポップで、その上終末の静謐感まで感じさせる。60歳を越えた作者にこんなに鮮烈な短編集が書けるとは驚きである。凄い。

中国のロボット。その名も「青青」。なんか見かけはテムザックに似てる。

▼アメリカでは、大統領の立場がまずくなると、空爆という最後の手段があっていいなあ。日本にもそういうのがあるといいのにね>森。

「大女 巨大」で検索してきた方、何を求めていたのですか? ちなみに、私のページでヒットしたのは、安藤希が巨大大女優と戦う映画の感想を書いたページでした。
2月18日()

▼駒込、といって医学・薬学系の人間にとってまず思い浮かぶのが「駒込ピペット」の名である。実験によく使う道具で、目盛りがついたスポイトみたいなもんですね。この「駒込」、都立駒込病院で使われていたところからきた、ということは聞いたことがあったのだけど、由来がよくわからなかったのでちょっと調べてみた。ウェブにはなんでもあるもんですね。都立駒込病院のページから、駒込ピペットの由来
 駒込病院のラグビーチームは「駒込ピペッツ」というらしい。なんだか弱そうである。

▼『ムジカ・マキーナ』の「1990年代SFベスト30」国内篇24位ランクインに、高野史緒さんがたいそう喜んでいらっしゃる。実はあれ、私の最後の投票でランクインしたのです。だから私が責任をとって紹介文を書いた次第。本当に文庫化されるといいなあ。あれが入手困難なんて、世の中間違っているよ。

▼日曜洋画劇場で『シュリ』をちょっとだけ見る。冒頭の特殊部隊の訓練シーンがだいぶ短縮されているのが残念。この映画のいちばんの見所なのに。やっぱりあの壮絶訓練シーンは、テレビ放映は無理か。
2月17日(土)

『キャスト・アウェイ』を観る。電波少年的無人島脱出の物語。『アンブレイカブル』とか『ギャラクシー・クエスト』とかヘンな映画ばっかり観ていると、こういう普通の映画が逆に新鮮に感じられますね。『アンブレイカブル』は(私は大好きだけど)あんまり人には勧められないんだけど、この映画はゼメキス監督らしく万人にお勧めできる作品。
 この映画で効果的なのは、すべての描写がトム・ハンクスに密着して描かれていること。飛行機が墜落するスペクタクルシーンだけならそんなに珍しくはないけれど、この映画ではそれがただただトム・ハンクスの視点から描かれているので、いったい何が起こっているのかさっぱりわからず画面に異様な迫力があります。普通の映画だと、ところどころに管制塔とのやりとりとか、墜落後の捜索とか説明的なシーンが挟み込まれたりするものだけれど、この映画ではそういうシーンは一切なし。主人公にわからないことは観客にもわからない、という描き方で一貫しているのですね。
 さらにこういう作品で強調されがちなサバイバル生活の描写も最小限に抑え、主人公の心の動きを丁寧に描いているので、観客はその感情に同調していけるわけだ。うまいね、ゼメキス。私もウィルソン君との別れのシーンではちょいと涙ぐみました。かわいいよね、ウィルソン君。
 まあ、細かいところにはいろいろと謎も多いんだけど。最後の女性はあの飛行機で荷物をどこに送るつもりだったのか?(ロシア行きじゃないよね) とか、なんでクジラが助けてくれるの? とか(★★★☆)。

▼土曜の深夜番組『企業の扉』が気になって仕方がない。アダルトビデオやエログッズの社長へのインタビュー番組なのだけど、司会はなぜか池上季美子。まったくギャグなどはなく、あくまで真面目に進行していくのだが、これが妙におかしいのだ。
2月16日(金)

▼友人で、SFセミナースタッフでもある尾山さんの出演している芝居「MIDNIGHT MIME」を観にいく。吸血鬼、魔女、狼男、半魚人などの怪物たちが人間の女の子を拾ってきて擬似家族を演じている、という「宇宙家族カールビンソン」みたいな設定のお話。吸血鬼のお父さんは「娘を泣かせた」って言って発動するしなあ。脚本はけっこう練られていて、結末にはけっこう意外性のあるオチが。なんとなく、よくできたライトノベルのようなテイストの芝居です。なんだかいまだ描かれざる「カールビンソン」の最終回を見たような気分。18日まで目白でやってます。

▼栗本薫『疑惑の月蝕』(ハヤカワ文庫JA)読了。果たして、ナリスが本当に死んだと思っている読者がどれだけいるんだろうか。物語としてもっとも意外な展開というのは、このままナリスが死んだままで話が続いていくことだと思うんだけど、この作者がナリスの死というおいしいシーンをすっ飛ばすわけもないわけで、まず間違いなくそうはならないんだろうね。
 しかし、アストリアスはまだクリスタルのどこかの塔の中にいるんだろうか。いくらなんでもこんな展開じゃもうアストリアスは出しようがないような気がするのだが、どうするつもりなんだろうか。それに、マリウスの性格変化にはさすがに違和感があるなあ。以前はこんな馬鹿キャラじゃなかったはずだぞ。

▼「あしたまにあーな」とはスペイン語で「また明日」という意味らしい(本当は"Hasta maniana"だけど)。
2月15日(木)

▼掲示板に書き込みのあった超高価なクリーム、ドゥ・ラ・メール関係の記事をいくつか調べてみました。こことかここ。どっちも英語。燃料の実験中に顔と目に深刻な化学熱傷を負ったNASAのロケット科学者マックス・ヒューバー。それ以来、彼はスキンケアに異常な情熱を燃やし、ついに1965年に作り上げたのがこのクリームだとか。主な材料はカリフォルニアの海である月齢のときに採取した海藻で、そこにシトラス、ユーカリ、もやし、ヒマワリなどを混ぜ、そこに光をあてたり特殊な周波数の音を聞かせたりして60日くらいかけて作るそうな。あと、手で剥いたライムの皮を企業秘密のウォッカに6週間浸すとか、なんかむちゃくちゃ面倒なことをして作っているらしい。これに目をつけた大企業が、音を聞かせるとかあんまり意味がなさそうな工程をはぶいて大量生産しようとしたら、なぜか効果は3分の1になってしまったそうな。どうも、マックス・ヒューバーのレシピ通りじゃないと効果がないらしい。2番目の記事の最後に書いてある"It's technology, it's a science, and it's hocus pocus." ってあたりがなんだかあやしいっすね。テクノロジーと科学とおまじない。なんかそこはかとなくトンデモの香りが。 ここによると1オンス(28.349g)85ドルだそうなので、日本よりかなり安そうですね。

▼栗本薫『魔の聖域』(ハヤカワ文庫JA)読了。冗長。
2月14日(水)

なるほど、サンクス>有里さん。しかし、どの小夜子も知らない私としては、まったくお手上げです。私の知ってる小夜子は天野小夜子(究極超人あ〜る)くらいのもの。そういやこの小夜子も幽霊(生霊)だったな。

▼「死亡は投薬継続が原因 遺族が埼玉医大病院を地検に告訴 」。埼玉医大付属病院に入院中に死亡した女子中学生の両親が、死亡したのは主治医が副作用を無視して向精神薬の投与を続けたのが原因だとして、主治医を殺人容疑で浦和地検に告訴したのだそうだ。告訴した船瀬俊介さんってのは『買ってはいけない』の人ですね。
 患者の死因は「悪性症候群」だったそうである。「悪性症候群」というのは、なんだかおどろおどろしいわりにどんな病気なのかさっぱりわからないあいまいなネーミングだけれど、これは抗精神病薬を投与中、高熱が出て意識がもうろうとし、筋肉が硬直してくるという症状のこと。つまりは抗精神病薬の重篤な副作用なのである。抗精神病薬を大量に点滴しているときに発生することが多いが、理論的にはすべての抗精神病薬にこの副作用を起こす可能性がある。いったん発生すれば今でも10パーセントくらいの死亡率がある恐ろしい副作用である。英語でも"malignant syndrome"というのだけど、この名前じゃ全然実態を表しているとはいえないですね。もうちょっとわかりやすい名前にすればいいのに。
 とにかく、抗精神病薬を投与中に原因不明の高熱が出たら、まず悪性症候群を疑ってただちに薬の投与をやめるのが治療の鉄則。
 新聞には「告訴状によると、真愛美さんは抗精神薬ハロペリドールを投与され、肺炎や呼吸不全などの激しい副作用が出たが主治医は投薬を中止せず、投薬量を増やして殺害したとしている」とある(「抗精神薬」というのは「向精神薬」か「抗精神病薬」の間違いですね)。もしこれが正しいとするならば、投薬を中止しなかったのは医師の判断ミスだっただろうし、抗精神病薬を投与すれば悪性症候群を起こす可能性があるということを前もって説明しなかった医師の手落ちはあったかもしれない。でも、殺人容疑というのはどうなんだろうなあ。ミスだったとすれば殺人とはいえないだろうし、普通患者を殺そうと思っている医者はいないと思うのだけど(ま、筋弛緩剤事件みたいなのもあるから、そうとも言い切れないのだけど)。

▼怪作『言霊』に続く第二弾!中原文夫『霊厳村』(ハルキ・ホラー文庫)、『「探偵文藝」傑作選』(光文社文庫)購入。池袋某書店では早くも『SFが読みたい!2001年版』を発見。早いなあ。
2月13日(火)

▼当直なり。

▼栗本薫『大導師アグリッパ』(ハヤカワ文庫JA)読了。西遊記風にタイトルをつければ、「ヴァレリウス大導師とまみえ宇宙の真理を知り、ナリス馬車に隠れジェニュア脱出を図る」といったところ。この巻ではアグリッパの口を借りて、いよいよ物語全体の宇宙的規模の秘密(の一端)が明らかになる。
 ただ、前から思っていたのだが、グイン・サーガのSF的な趣向というのは、SFとしちゃかなり陳腐だと思うのだが、どうだろう。ひとつの世界全体を作り上げて国家や文明や英雄たちの興亡を描くという架空歴史小説としての構想の雄大さに比べて、SF的な構想の方は、今のところかなり見劣りがしている、と言わざるをえない。まあ、そうした「世界の秘密」の部分はおそらく20年前に構想したままだろうから今のSFに比べて見劣りしても仕方ないともいえるけれど、20年前でもいくらなんでもこれは古かったんじゃないかなあ。
 20年前当時はヒロイック・ファンタジーとSFの融合というのは、それだけで(日本では)まだまだ斬新だったのだろうけど、今じゃファンタジーRPGのほとんどが半分SF的な世界観で作られている時代。別に驚くべき真相や結末は期待していないが、このまま物語がSF方面になだれ込んでいくとすると、今よりもさらに読むのがつらくなってしまうのではないか、と懸念しているのだが……。
2月12日(月)

『20世紀SF(3)1960年代』(河出文庫)読了。ニューウェーブはどうも苦手なので、私としては前巻の方が楽しめました。「砂の檻」は今ひとつぴんと来ない。「イルカの流儀」はいかにも60年代的ではあるものの、わざわざ訳すほどの作品とはとても思えないんだけどなあ。いちばん気に入ったのはヴァンスの「月の蛾」ですね。誰もが仮面をかぶり、その場に合った楽器でメロディを奏でながら会話する社会。美しくも不条理なイメージがすばらしい。楽器を持ち歩くのがたいへんそうだけど。
 前巻に引き続き、執筆時の年齢をリストアップ。
「復讐の女神」ロジャー・ゼラズニイ 28歳
「「悔い改めよ、ハーレクィン!」……」ハーラン・エリスン 31歳
「コロナ」サミュエル・R・ディレイニー 25歳
「メイルシュトレームII」アーサー・C・クラーク 48歳
「砂の檻」J・G・バラード 32歳
「やっぱりきみは最高だ」ケイト・ウィルヘルム 39歳
「町かどの穴」R・A・ラファティ 53歳
「リスの檻」トーマス・M・ディッシュ 26歳
「イルカの流儀」ゴードン・R・ディクスン 41歳
「銀河の〈核〉へ」ラリイ・ニーヴン 28歳
「太陽踊り」ロバート・シルヴァーバーグ 34歳
「何時からおいでで」ダニー・プラクタ 不明
「讃美歌百番」ブライアン・W・オールディス 35歳
「月の蛾」ジャック・ヴァンス 45歳
 ディレイニーとディッシュの若さには驚き。25歳であんなものが書けたのか。

▼「回路」と「処刑人」は観る予定がないので、安心してご覧ください(笑)>大熊さん。次に観たいのは「ザ・セル」かな。
2月11日()

▼恩田陸『六番目の小夜子』(新潮文庫)読了。評判のいい作品だし期待して読んだのだけれど、残念ながら最後まで作品世界に入り込むことができなかった。登場人物のものの考え方と、私の考え方の間にはかなりの隔たりがあるようで、どうしても物語から疎外されているような印象がぬぐえないのですね。生徒たちがなぜサヨコの伝統を受け継ごうとするのか、なぜそれを秘密にしてタブー視しているのか、字面ではわかるものの、心の奥底では私にはよくわからないのである。確かに学園祭の場面は屈指の名シーンでこの物語の白眉だと思うのだが、それ以外の部分はあまり感心できなかった。
 『球形の季節』を読んだとき、私はこんなふうに書いた。
「作者と同じ感性の持ち主ならば、この作品にどっぷり感情移入できるんだろうなあ。しかし、不幸なことに私はその感性を持ち合わせていなかったようだ。私には、登場人物や舞台となる土地に、まったくリアリティも共感も覚えることができなかったのだ。(中略)なんだか、登場人物たちにおいていかれてしまったような妙な読後感である」
 今回も、感想はまったく同じ。つまりこれは、私は恩田陸とは感性が合わない、ということなんだろうか。
 それにしても、タイトルが「サヨコ」でも「沙世子」でもなく「小夜子」なのはなぜなのか気になる。

▼田中啓文『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(ハヤカワ文庫JA)読了。ヨコジュンのハチャハチャSFの再来、かと思ったのだけど、当然ながら作風はだいぶ違いますね。田中啓文はヨコジュンよりかなり悪趣味。横田順彌なら「嘔吐した宇宙飛行士」みたいな話は決して書かないでしょう。「李・バイア」とか「空海先に立たず」とかそういう下らない駄洒落はいかにも書きそうだけど。
 とにかく脱力するほかない読後感もさることながら、解説の五作家の話芸もそれぞれ見事。
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