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2月10日(土)

▼『奇跡体験!アンブレーカボー』じゃなくて『アンブレイカブル』を観る。『シックス・センス』とは別の意味で驚いたよ、このラストには。ギャグすれすれの大ネタを、こんなにシリアスに撮ってしまうとは、さすがはシャマラン監督。脱帽である。
 日本での宣伝にはアメコミのアの字すら出てこないけど、映画ではのっけからコミックブックの話から始まるわけで、「これはアメコミの話だ」といっても別にネタバレじゃないよね。たぶんアメコミじゃ日本では客が呼べないから何も触れていないのだと思うのだけど、この話、アメコミのお約束がわかってないと充分楽しめない映画なんじゃないかなあ。特に結末の一言は、アメコミを知らないと衝撃度が半減してしまうような。私は驚愕ののち爆笑しましたが、前作ほどの一般性はない作品のような気がする。私は大いに気に入ったのだけど、果たしてこんなヘンな話が受け入れられるかなあ(★★★★☆)。

▼続いて、妻が観たいという『ペイ・フォワード』を観る。CMを見て、「小さな親切運動」みたいな話だったら(あるいは「私の名はクリストファー・エリクソン」みたいな)どうしよう、と思っていたのだけれど、不安は半分当たって半分は外れていた、といったところ。「小さな親切」は物語の3分の1くらいで、これは実はアダルトチルドレンの話だったのだ。それも、「アルコール依存症家庭で育った子供」というもともとの意味での。
 なんせ、主要な登場人物3人が全員アダルトチルドレン(ハーレイ君はまだ成人じゃないけど)で、全員心になにかの欠落をかかえている、という設定。アルコール症の夫を拒めず自分も酒に依存している母親や、現状維持と秩序に過剰にこだわる先生は、それぞれアダルトチルドレンの典型のひとつだし、主人公も一見しっかりしているように思えるが、ありゃやっぱり歪んでいるよね。過剰なまでに家庭を守ろうとし、世話を焼きたがるのもアダルトチルドレンの一典型。母親と先生をくっつけようと勝手な努力を重ねたあげく、二人がセックスした翌朝飛び上がって喜ぶあたりなど、どこか歪んでいるとしかいいようがない。彼は決してしっかりしているのではなく、家庭の平和を守る自分という役割にとらわれているだけなのだ。
 アルコール、ドラッグ、ホームレス、校内暴力など、物語にはアメリカを象徴するような道具立てが散りばめられているし、結末もいかにもアメリカ的。ただ私としては、こういう「病んだアメリカ」の物語は食傷気味だし、設定といい結末といい、感動させようとする作為が鼻について楽しめませんでした。
 そうそう、『U571』ではどこに出てるのかわからなかったボン・ジョヴィは、今回は目立つ役で出てるので誰でもわかるはず(★★)。
2月9日(金)

▼久しぶりにブックマークの整理をする。昔(といっても2、3年前)はよく見ていたのにいつのまにか"Not Found"になっているページもけっこうあって、一抹の寂しさを覚えたりしたのだけれど、驚いたこともいくつかある。
 たとえば、昔はYAWOO! JAPANというYAHOO!のパロディページだったはずのwww.yawoo.comは、いつのまにか本家Yahoo!のものになっていた。Yahoo!は、www.yafoo.comや、www.yauoo.comも入手している。ご苦労なことですね。
 もっと驚いたのは、オウム真理教のサイトだったaum-internet.orgが人手に渡っていて、なんだかアダルトページのようになっていたこと。アレフになって旧ドメインがいらなくなったのはわかるけど、まさかこんなになっているとは。

「インドの味ビーフカレー」はまずいでしょ。しかもパッケージにガネーシャの絵。今まで気づいた人がいなかったことの方が不思議。

有里さん、ありがとうございます。わーい、ぼくはここにいてもいいんだね(ちょっと違う)。

『佐伯日菜子写真集 Amazing』(バウハウス)を書店で見つけて、ついふらふらと買ってしまいました。この人は、妖しい目に魅力がありますね。普通に笑ってる写真でも目を見るとなんだかゾクゾクとしてしまう。確かにホラー向きの女優かも。佐伯日菜子公式ページ日記はほぼ毎日更新。

『銀河帝国の弘法も筆の誤り』、帯の不推薦者の中にさりげなく塩澤さんの名前も入っているのがお茶目。「これはいったい誰なんだろう」と疑問に思う人はいないのかな。まあ、あとの名前が全部わかるような人で、この名前を知らない人なんていないか。でも、私も、中学生のころはSFの文庫本ばっかり読んでたけどSFマガジンの編集長の名前なんて知らなかったからし興味もなかったなあ。案外知らない人もいるかも。
2月8日(木)

▼『20世紀SF(2)1950年代』を読んだ。なんでいきなり2巻目から読んでいるかというと、1巻が家のどこを探しても見つからないから。おかしいなあ、確かに買ったはずなんだけどなあ。ふと思いついて自分の日記を検索してみたら、なんと『20世紀SF(1)』を買ったという記述がどこにもないではないか。そうか、買った気になっていただけで実は買ってなかったのか。
 日記に購入本報告を書くたびに、こんなもの書いて誰が喜ぶんだろうと疑問を感じていたのだけれど、今回初めて役に立つことが判明しました。これからも書き続けることにします。私のためだけに。
 というわけで、『20世紀SF(2)1950年代』(河出文庫)読了。冷戦やマッカーシズムなどを反映した作品が多く選ばれているのは、50年代という時代性を強調するためかな。その反面、ヴァーチャル・リアリティなど現代SFに通じるテーマを先取りした作品もいくつか選ばれているのが、2000年代のアンソロジーらしいところ。
 一篇一篇感想を書く必要すらないほどの名作ばかりなので、ここはちょっと角度を変えて、それぞれの作品を発表した時点での各作者の年齢をリストアップしてみます。
「初めの終わり」レイ・ブラッドベリ 36歳
「ひる」ロバート・シェクリイ 24歳
「父さんもどき」フィリップ・K・ディック 26歳
「終わりの日」リチャード・マシスン 27歳
「なんでも箱」ゼナ・ヘンダースン 39歳
「隣人」クリフォード・D・シマック 50歳
「幻影の街」フレデリック・ポール 36歳
「真夜中の祭壇」C・M・コーンブルース 29歳
「証言」エリック・フランク・ラッセル 46歳
「消失トリック」アルフレッド・ベスター 40歳
「芸術作品」ジェイムズ・ブリッシュ 35歳
「燃える脳」コードウェイナー・スミス 45歳
「たとえ世界を失っても」シオドア・スタージョン 35歳
「サム・ホール」ポール・アンダースン 27歳

 シェクリイ24歳、ディック26歳かあ。若いねえ。「父さんもどき」などは確かに若いうちじゃないと書けない小説ですね。それに対して、シマックの「隣人」には50歳の渋みと軽みが出ているし、スミス「燃える脳」の夫婦関係の描写は、なるほど中年の書く小説だな、という気がする。
 年代別編成じゃなく、執筆時の作者の年齢別アンソロジーってのもおもしろいと思うんだけど、どうだろうね。

▼では、役に立つ購入本報告。田中啓文『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(ハヤカワ文庫JA)、栗本薫『疑惑の月食』(ハヤカワ文庫JA)、小野不由美『黒祠の島』(ノン・ノベル)、上遠野浩平『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』(電撃文庫)、日下三蔵編『岡本綺堂集』(ちくま文庫)、恩田陸『上と外(4)』(幻冬舎文庫)、司馬遼太郎『ペルシャの幻術師』(文春文庫)、ロバート・ファン・ヒューリック『真珠の首飾り』(ハヤカワ・ミステリ)購入。ブギーもグインもまだ前巻を読んでません。『上と外』に至っては、1巻すら読んでません。
2月7日(水)

▼久しぶりにCDを買う。本来は谷山浩子『心のすみか』を買いに行ったのだけど、なにぶん久しぶりなのでいろいろと新しいのが出ていて、たくさん買ってしまう。『ザバダック&斎藤ネコ・カルテット』、小峰公子with斎藤ネコ・カルテット『パレット』とか、橋本一子『Phantasmagoria』とか。よく考えたら全部谷山浩子つながりですね。
 『Phantasmagoria』は、橋本一子の愛する5人の作家、エリクソン、ディック、バラード、ル・クレジオ、ボルヘスに捧げるオマージュだそうな。しかも、ジャケットはヒエロニムス・ボッシュの『快楽の園』で、エグゼクティブ・プロデューサーが岡野玲子(なぜ?)。去年の9月に出たCDだけど今ごろ見つけました。早速聴いてみたが、当然ながら私の思い描くディックやバラードのイメージとは全然違う(私としては、ディックにもバラードにもボルヘスにもクラシックがよく似合うと思う)。なるほどこれが橋本一子のディックなのか、という新鮮さはあるのだけれど。
 あと、ビョーク『Selmasongs』とかディープ・フォレスト『PACIFIQUE』とかを購入。ビョークは文句ないんだけど、ディープ・フォレストはマンネリ化が激しいね。

▼スーパーチャンネルでスタトレ・ヴォイジャー"COURSE:OBLIVION"。いきなりパリスとベラナの結婚式でお気楽に始まったかと思ったら……いやはや、こんなに悲惨で救いのない話はスタトレ史上初めてでは。ああ後味悪い。
 しかし、スタトレの邦題のセンスのなさはなんとかならないのだろうか。
 "Bliss"が「夢を食う謎のワームホール」
 "The Disease"が「自由は愛をも越えて」
 "Juggernaut"「憎しみはコロナの果てに」
 "Gravity" が「ブラックホールと共に消えた恋」
 "Dark Frontier"というカッコいい原題が「ボーグ暗黒フロンティア計画」はないよなあ。"Demon"に至っては「人を呼ぶ流動生命体」。タイトルでネタばれしてるし、そもそも「人を呼ぶ」ってなんだよ。もうちょっとうまい表現ができないんでしょうか。
2月6日(火)

▼さてテンピュール枕の感想なのだが、なんだか妻が買った在来型の方が気持ちよかったような気がするなあ。ミレニアム版は真ん中がへこんでいて頭がピタッとフィットするようになっているのだけど、あまりにフィットしすぎていて首の回転の自由度が足りないのですね。枕のちょうど真ん中でしか寝られなくて、ちょっと頭の位置をずらしたりということができない。私は寝ている間、寝返りをうったり横になったりするので、これはちょっとつらいかも。それに、最初から頭の当たるところがへこんでいるので、最初は硬かった低反発ウレタンがじわじわと頭の形に合わせてフィットしていく快感がない。うーん、在来型の方がよかったかも。
 なんだか、発売日に高い限定版を買ったものの、何日かして店に行ってもまだ売れ残っていた上、箱がやたらと大きいので置き場所にも困っているときのような気分。ああ、今日も今日とてなんてわかりにくい例えなんだろう。
 ま、もう少し試してからまた報告します。
 あ、ちなみに妻はSで私はMです(なんか誤解を招きそうな書き方だな)。

bk1から『小松左京マガジン 創刊号』が届く。日本では作家の名前を冠した雑誌というのは珍しいですね。これで小松左京も、アシモフ、クイーンと肩を並べた、ということになるのかな。
 しかし、bk1の黄色い封筒に書いてあった電話番号の語呂合わせはむちゃくちゃ無理がある。「大いに○。ブックいっぱいゴー!」って……。
2月5日(月)

▼つーわけで、ついに私も東急ハンズで買っちゃいました、まったりもちもちしたテンピュール枕。わーい、これで私もにゃも先生とおそろいだ(cf.『あずまんが大王(2)』p.68)。
 ただし、私が買ったのは「テンピュール・ミレニアムピロー」という新製品で、在来型(妻が買ったのはこっち)とはかなり形状が違う。わりと平面的だった在来型に比べ、頭が当たる中央部が微妙にくぼんでいたりと立体的になっていて、空気抵抗が少なそうなデザインである。例えるなら、0系ひかりと700系のぞみくらい違う(ああ、かえってわかりにくくなったような)。それにしても、この枕のいったいどのへんがミレニアムなんだろうか。
 値段はけっこう高くて15000円もする。こんなに高いからには、今までとは桁が違う安眠を与えてくれるんだろうな。この身がとろとろと溶け出すほどに安らかな眠りを! 寝返りをうつこともなく、息をすることすら忘れるくらい深い眠りを! 二度と目覚めないほど激しい眠りを!(いや、それはそれで困るが) 誰か私に眠りを、安らかな眠りを!
 ああ、今夜寝るのが楽しみだわい。

▼殊能将之の『黒い仏』の評判なのだけど、予想通り、ミステリ系サイトでは概して評価が低い(というか困惑してる人もいるみたい)のに対し、SF系サイトでは大喜びしている人が多いようだ。ほとんど踏み絵状態。ミステリ者よりSF者の方が人が悪いからなのかな、とも思ったりもしたのだが、別にそういうわけではなく、やっぱりそのジャンル(あるいは講談社ノベルスというレーベル)に対する思い入れの差なんでしょうね。たとえばハヤカワ文庫SFから、最初はSFとして始まったのに、それがすべて現実の論理で解き明かされてしまいミステリで終わるような作品が出たとしたら、SF者はがっかりするだろうし、逆にミステリ者は喜ぶはず。

▼妻は、平井和正+余湖裕輝『メガビタミン・ショック』(駿台曜曜社)を購入。平井和正ならなんでも買うのですか、あなたは。
2月4日()

▼妻が東急ハンズでテンピュール枕というものを買ってきた。なんでもスウェーデン製の枕で、安眠効果があるんだとか。説明書を読むと「NASAのスペースシャトル計画の中で発射時の衝撃を緩和するための素材をヒントに開発された」のだそうだ。はあ、NASAですかい。うーむ、NASAで開発されたと称する製品はいくらもあるけど、たいしたものなかったような気もするぞ。上向きでも書けるボールペンとか。
 手触りは普通の枕とかなり違っていて、弾力性があり、押すとぐにゃりと凹み、ゆっくりと戻る。ストレス解消のために揉むボールとか人形とかがあるけど、ちょうどそんな感じ。ちょっと寝てみたのだけど、確かにぴったりと頭にフィットして、肩こりせずすっきりと目覚められる。確かに、これはわりといいかも(夏はフィットしすぎてムレるかもしれないけど)。私も明日買ってこようかなあ(妻は自分の分しか買わなかったのだ)。
2月3日(土)

『ギャラクシー・クエスト』を観てきました。確かに評判どおりこれは傑作。スタトレパロディとしておもしろいのはもちろん、ここまでよく練られたすがすがしい脚本の映画を観たのは久しぶり。エンドロールが始まったらどこからともなく拍手が湧く。いや、いい映画でした。
 昔のSFドラマのお約束、たとえば女性乗組員が単なるお飾りでしかないあたりとか、移動には必ずダクトを使うあたりとか(ダクトは今もだな。ジェフリー・チューブとか名前は変わってるけど)、スタトレファンなら笑える箇所が随所にあるのだけど、それだけではなく、純粋にドラマとしてもけっこう完成度が高いので、スタトレを見たことがない人でも充分楽しめるはず。こんなにおもしろいのになあ。なんで単館上映なんだろう。
 勘違いから話が広がっていくあたりとか、さりげない伏線がちゃんと生かされるあたりとか、なんとなく三谷幸喜風の脚本だなあと思っていたら、実際、ロビーに飾ってあった雑誌では三谷幸喜が絶賛。やっぱりね。
 ただひとつ欠点を挙げるとすれば、クルーの中に医療主任がいないことですね。やっぱりドクターは必要だろう、ドクターは(★★★★★)

▼なんでもこの映画、「プロテクター号乗組員メンバー構成(男性5人、女性1人)でご来場の方は、各1000円でご覧いただけます」だそうで、これならできないことはないかな、と思ったのだが、そこにはさらに注意書きが。「但し、女性は金髪に限る」。ううむ。

▼パンフレットはスナック菓子のようなパッケージに入っており、中身は洋書風と無駄な凝りよう。スナック菓子風に見せるため、袋の中には意味なく緩衝材まで入ってます。でも、この映画とスナック菓子に何の関係が? 買うと(1000円は高いよ)「緩衝材は食べられません」という注意書きまで一緒にくれるのは野暮だと思ったけど、確かに袋には「原料は植物性澱粉です」「水に溶けます」などと書かれていて食べられそうに見えなくもない。
2月2日(金)

▼あれから新聞には、線路に落ちた人を助けた人たちの記事がいくつも載るようになった。ある新聞では「広がる善意の輪」なんて言葉を使っていたが……本当にそうなんだろうか。もし新大久保の彼らに影響を受けた高校生が、線路に落ちた人を助けようとして死んでいたとしたら、それでも「善意の輪」という言葉を使えるんだろうか。
 だいたい、線路に降りて助ける、というのはあくまで最後の手段であり、あまり勧められた行為じゃないはず。それよりも非常停止ボタンを押す、とか、駅員に伝える(まあ駅員はホームにいないことが多いが)とかの方が先だろう。でも、線路に人が落ちたので非常停止ボタンを押しました、じゃ記事にはならないんだよね。そしてまた、線路に降りるのが尊い行為だと勘違いする人が増えていく。このままじゃ、いつかまた死者が出るぞ。

▼中村融・山岸真編『20世紀SF(3)』(河出文庫)、パトリシア・ハイスミス『世界の終わりの物語』(扶桑社)購入。
2月1日(木)

▼ビル・ネイピア『天空の劫罰』(新潮文庫)読了。天文学者が書いた小惑星衝突小説。こういう作品を読むと、ソウヤーの小説づくりのうまさがよくわかるなあ。だってこの作品、キャラクターに魅力がないし、ストーリーもいきあたりばったりだし、小説としてはまったくいいところがないのだ。
 だいたい、いきなり小惑星が地球に衝突するらしいので各国の天文学者が集められる、というところから物語が始まるのだが、これが「小惑星が衝突するらしい」ということはわかっているのだが、その小惑星がどこにあるのかがわからない、という不思議な設定。なんでもロシアが小惑星の軌道を変えて、アメリカにぶつけようとしてるらしいのだが、そう結論した根拠がまったく描かれないので、単なるアメリカ人たちの妄想なんじゃないかと思えてしまう。いくら近未来にジリノフスキーが政権を握ったという設定だからといって、ロシアがそんな無茶をするかなあ。地球に小惑星落としたらロシアだって無事じゃすまんだろうに。
 さらに主人公は、400年前の天文学者の稿本に手がかりが隠されているに違いない、といってその本を読んだことすらないにも関わらず、稿本を探しにイタリアに旅立ってしまう。その根拠というのが、以前、その本の写本とそのコピーが何者かに盗まれたから。それって、根拠というにはあまりにも薄弱なんじゃ。
 おまけに主人公、必死に止める護衛の言葉も聞かず、誰がどう考えても怪しい電話に呼び出されて、のこのこと人気のない場所に出かけていき、結局護衛は殺され自分は捕まってしまう。もうちょっと考えろよ。
 と、読んでる間、疑問が山のように浮かんでくるのだけど、登場人物たちは最後の最後になるまでそれに気づかない。
 登場人物全員頭悪すぎです。
 ただし。
 この小説、まったくつまらないかといえばそうでもないのですね。前半で、小惑星対策について科学者たちがディスカッションする部分があるのだけど、ここはさすが作者が小惑星の専門家だけあって、実にリアルでおもしろい。どうやら作者は『アルマゲドン』に憤りを感じた口らしく、「ブルース・ウィリスの映画じゃあるまいし」などという台詞があちこちに飛び出す。これなら、下手に小説にせずに、この部分だけ独立させて、ノンフィクション形式にして発表すればよかったんじゃないかなあ。
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