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8月20日()

 中原文夫『言霊』(ハルキ・ホラー文庫)読了。これは前代未聞の和歌ホラー。いやバカホラー(ほめ言葉)と言った方がいいか。
 歌人でありタレントでもある谷川茂雄の周囲で謎の爆死事件が相次ぐ。谷川がテレビで祖父の歌を詠み上げたことをきっかけに、谷川の祖父に恨みを持っていた歌人三日月聖人が海底から甦ったのである。三日月はやまと歌の道を極めることにより、言霊の霊力を自在に操る魔人と化していた。
 三日月が、
恋ひわびぬあまのかるもに宿るてふ我から身をもくだきつるかな
 と歌を詠めば、言霊の力により人は爆死し、
燃えはてて灰となりなん時にこそ人を思ひのやまむごにせめ
 と詠めば自然発火して焼死。
 和歌の力で空を飛び、日本語をおろそかにする人々を無差別に殺していく魔人三日月。東京は阿鼻叫喚の地獄と化した。そして谷川も言霊の力を手に入れ、ついに谷川と三日月の和歌バトルが始まる!
 怪作、という言葉がふさわしい作品である(なんと、和歌によるタイムトラベルまで登場するのだ!)。作者は芥川賞候補にもなったことがある純文学畑の人だそうだ(ただし、まったくエンタテインメントと無縁というわけでもなく、「不定期バスの客」という作品は『世にも奇妙な物語』で映像化(主演・中居正広!)されているほか、ダンカン脚本・主演の『生きない』という映画の原案にもなっているらしい)。こんなにぶっとんだ話は、プロパーのホラー作家にはとても書けないだろう。ただし、もともと純文学の人だからか、描写が淡白なのが今一つ。殺戮シーンや和歌バトルはさらりと流されているのだけど、もっとねちねちと書きこんでほしかった。
8月19日(土)

 渋谷にて『サウスパーク 無修正映画版』を観る。狭いシネ・アミューズはものすごい混雑で毎回満席の大盛況。
 これは文句なく、この夏の最高傑作! テレビ版の通り、少年4人組は「ファック」「フェラ」など卑語をまくしたてるし、ホモネタ、差別ネタも山ほど出てくるという、「低俗」「下品」「暴力的」の三拍子揃った映画である。それなのに、このラストの感動はいったいどうしたことか。まさか、サウスパークで泣けるとは思わなかったよ。
 どうやら、有害マンガや低俗番組に風当たりが強いのは日本もアメリカも変わらないようで、映画はそんな風潮に対する痛烈なメッセージになっている。しかも、同時に少年たちがそれぞれの問題を乗り越えて成長する物語になっているのには驚いた。まさかあの4人組が成長するなんて(カートマンはあんまり成長してない気がするが)。最後の最後で明かされるケニーの素顔は必見!
 歌、笑い、感動と、この作品には映画の面白さのすべてがある。こんなにすごい映画なのになんで単館上映なの?(★★★★★)

 リチャード・マティスン『渦まく谺』(ハヤカワ・ファンタジイ)読了。アイルランドで観た映画"Stir of Echoes"の原作である。
 遊び半分にかけられた催眠術の後遺症で、自宅に幽霊らしき女が見えたり、隣人の邪悪な本性が透けて見えたり、列車事故を予知してしまったり、といった超感覚に苦しめられるようになる男の物語。うーん、40年も前の作品だけあって、今読むとこれはさすがに古い。サスペンスを盛り上げる手法はうまいんだけど、筋立てがちょっと単純すぎる。妻が夫の能力を怖がるばかりというのはどうかと思うし、列車事故とか子供が誘拐されかかるくだりとか、結局本筋と結びつかないエピソードが多いあたりも今一つ不満。
 ハヤカワ・ファンタジイ(のちのSFシリーズ)に入っているが、今ならホラーに分類される作品でしょう。福島正実の解説では、本書は「幻想怪奇的なS・F」であり、「これによって読者がS・Fに出てくるテレパシーの基本的な概念を得てくれれば」喜ばしい、と書かれているが、これをテレパシーSFの代表というには無理があるような。
 映画の方は、原作の要素を換骨奪胎して、現代的な作品にうまく再構成しています。これは原作よりも映画の方がおもしろいという珍しい例。
8月18日(金)

 アイルランド日記ついに完結! 29日(再びのダブリン篇)、30日(空港疾走篇)、31日(帰国篇)を書く。今日はそれで疲れたので日記は短め。

 夢枕獏『神々の山嶺』(集英社文庫)、小平邦彦『怠け数学者の記』(岩波現代文庫)、山田正紀『ナース』(ハルキ・ホラー文庫)、中原文夫『言霊』(ハルキ・ホラー文庫)購入。大量に出たハルキ・ホラー文庫の中からこの2冊を選んだ理由は帯の文句のすばらしさにある。「未知の怪物に立ち向かう七人の看護婦!」(ナース)、「連続爆死事件の原因は日本語の乱れにあった!」(言霊)。いや、このバカバカしさ好きだなあ。
8月17日(木)

 大阪の一家5人餓死事件は、フォリ・ア・ドゥの一例のような気がする。これはもう宗教というより精神病理学の領域だと思うのだが。

 川上弘美『いとしい』(幻冬舎文庫)読了。
 芥川賞なんぞを取ってしまったものだから、川上弘美はとっつきにくいと思っている人もいるかもしれないが、彼女の書くものは基本的には幻想小説である。カバー裏のあらすじにはなんだか普通の恋愛小説みたいなことが書いてあるのだが、あれはウソだ。確かに恋愛についても書かれてはいるのだが、セックスをするたびに指や耳など体のどこかがねじれる女が出てきたり、人間に半透明の膜が生じて休眠状態に入り、その養分を吸って「新たなもの」が生まれたり、謎の露天商から買った粒を「ほーい」と投げると白鳥やら鷹やらが大挙して飛んできて渦を巻いたり、そういう小説を恋愛小説といいますかね、ふつう。
 そこで思い出したのが吉田戦車のことだ。
 こういうとどちらのファンも戸惑うかもしれないが、川上弘美の世界は、吉田戦車に通じるものがあると思う。言葉の意味を微妙にずらしたり、奇妙な習慣を当然のように語ったりする作風はよく似ているし、特に、『鋼の人』などに収められた吉田戦車の初期短篇は、馬鹿馬鹿しい設定ながらもなぜかもの哀しさに満ちていて、川上弘美の作品そっくり。
 『いとしい』の中でも、酒場で飲んでいたオトヒコさんが「ねずみのようなもの」に「かっぱつ」勝負を挑まれ、ふたりとも1分間に70回の速さで音もなく回転を続けたため、店主もまわりの客もうっとりと二つの回転体を眺め入る、というエピソードなど、吉田戦車のマンガにあってもおかしくないように思える。

 小説の本筋とは関係ないけど、私がすっかり共感を覚えてしまったのは、ものを何でも数えるくせがある主人公のマリエが、何も数えるものがないときには二進法で指を折って数を数えるというくだり。両手合わせて1023まで、それでも足りないときには右足の親指まで使って2047まで数えるという。
 あるある(さすがに2047までは数えたことはないが)。眠れないときに二進法で数を数えたり、16進法で100からFF,FE...とカウントダウンしたり、やったことないですか。ない? あ、そう(しかし、右足の親指まで使うのなら、なぜ左足の親指も使って4095まで数えないんだろう、と思ったのは私だけではあるまい)。
 川上弘美の小説は、幻想小説ではあるのだけど、その幻想には押しつけがましさがなく、どこかからりと乾いている。SFとはいいがたいが伝統的な幻想文学とも違う。理科系幻想文学とでもいいましょうか。
 お薦め。

 池澤夏樹『ハワイイ紀行 完全版』(新潮文庫)購入。ハードカバー版も持っているのだが、ミッドウェイとすばる天文台を扱った章が新たに加わっているとあれば買い直すしかあるまい。この本、かつてハワイに行く前に読んで、ハワイなんぞというちゃらちゃらしたところに行く自分を納得させるのに非常に役に立った本である。あとは永井義男『算学奇人伝』(祥伝社文庫)と、復刊のロバート・E・ハワード『黒の碑』(創元推理文庫)。

 アイルランド日記28日(ディングル半島篇)を書く。あと少し……。
8月16日(水)

 『爆笑大問題』を見ていたら、爆笑問題が千葉すず問題を取り上げ、「オリンピックと同じ日に千葉すずのほか、岩崎恭子とか鈴木大地とかも呼んで水泳をやらせたら視聴率が取れるんじゃないか。それで記録まで作ったらすごいのでは」という。ゲストのエッセイストだとかいう女性も、「古橋会長っていかにもイヤなオヤジですしねえ」とかのたもうている。
 ちょっと待て。その古橋廣之進自身、ロンドン・オリンピックに出られず、同じ日に行われた日本選手権でオリンピックの優勝記録をはるかに上回る世界新記録で優勝し、世界を驚かせたのではなかったか。
 しかし、そのことには誰も触れず、番組はそのまま別の話題に移ってしまった。おそらく、出演者の誰一人として、古橋の故事を知らなかったと見える。
 誰かひとりくらい突っ込んでくれよ。もどかしい。
8月15日(火)

 SF大会のときの話である。
 超常現象企画の部屋に向かって廊下を歩いていた私は、妙齢の女性に呼び止められた。
「風野さんですね。ホームページいつも見てます。あなたに逢いたくて仕方ありませんでした。これから食事にでも行きませんか」
 などというお誘いなら、私とて心動かされないでもないのだが、現実はそう甘くない。
「出版社の者なんですけど、アンケートにお答えいただけないでしょうか」
 心の中でちえと舌を打ちつつも、どこの出版社ですか、と訊いてみると、おねえさんは答えた。
ニュー・エラ・パブリケーションズといいまして……」
「それって、L・ロン・ハバードの」
「そうです」
「サイエントロジー関係?」
 おねえさんは慌てたように言った。
「いえ、宗教とは関係ありません。全然組織は別で……」
 でもロン・ハバードの本ばっかり出してるんだし、全然別とは思えないんだけど。
 どんなアンケートか興味もあったので、一応答えてあげることにしたのだけれど、これが答えにくいことこの上ない代物。
「独自の世界がある、と聞いて思い浮かぶものは何ですか」
「独自の世界がある、と聞いて思い浮かぶ場所はどこですか」
「独自の世界がある、と聞いて思い浮かぶ作家、小説、映画は何ですか」
「想像力がある、と聞いて思い浮かぶものは何ですか」
「想像力がある、と聞いて思い浮かぶ場所はどこですか」
「想像力がある、と聞いて思い浮かぶ作家、小説、映画は何ですか」
 確かこういう質問だったと思う。似たような質問ばっかりじゃないか。
 何ぶん、企画開始直前だったので、てきとーに答えておいた(何と答えたのかもう覚えていないほど)のだけど、これっていったい何に使われるアンケートなんだろうか。SF大会参加者にアンケートをとってどうしようというんだろう。気になる気になる。

 話題のアラン・ソーカル+ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞』(岩波書店)と、田中仁彦『ケルト神話と中世騎士物語』(中公新書)(新刊ではありません)を購入。
8月14日(月)

 乙一『石ノ目』(集英社)読了。ホラー短篇集、とはいいながらホラーは表題作のみ。中では、「はじめ」が最も気に入った。少年たちと幻の少女の交流を描く、心優しきファンタジーの佳作。わずか19歳でこういう話がさらっと書けてしまうのだから、この作家はあなどれない。
 乙一の作品は『夏と花火と私の死体』と本書しか読んでいないのだけど、この作家の特徴はどうやら、物語に漠然とした違和感を漂わせる才能にあるようだ。語りの中に、なんとも言葉にできないもやもやとした感じ、常識とのズレみたいなものがあり、その違和感が通奏低音のように全編を覆いつくしているのである。
 例えば、「夏と花火と私の死体」では、殺された死体が自分を殺した犯人について語っているにも関わらず、奇妙に淡々として明るささえ感じられる語り口が絶妙な効果をあげていた。この作品集の中でも、「石ノ目」での、主人公の妙に丁寧な口調(おかげで最初のうちは主人公が女性だか男性だかわからない)と、N先生との間に漂うそこはかとなくホモセクシュアルな匂い。「はじめ」では、女の子を「はじめ」と名づけて誰も不思議に思わない奇妙さ(「BLUE」ではそうした違和感が感じられず、なんだか道徳を教える寓話みたいであんまり感心できなかった)。
 中でもその違和感が強く前面に出てきているのは、書き下ろしの「平面いぬ。」である。これはもう、違和感だけで綴られたような奇妙な物語だ。主人公には刺青師を目指す「山田さん」という友人がおり(この山田さん、クラス委員で美人であり、しかも台詞に「やきそばパン」が出てくる、ということは明らかにあのマンガからとられた名前ですね)、しかも両親を「ミサエ」「シゲオ」などと名前で呼んでいる。腕に彫られた刺青の犬が動き出しても、それを淡々と受け入れる。主人公の家族関係には問題があるようだが、それほどはっきりと語られるわけでもない。すべてが常識とのズレでできあがっているような、ふわふわしたとりとめのない物語である(それぞれのモチーフには『かってに改蔵』『クレヨンしんちゃん』『ど根性ガエル』とマンガやアニメの影響が感じられるが、繰り広げられるのは作者独自の世界である)。これが、乙一がたどりついた地点なのだろうか。だとするとちょっと心配だなあ。こういうふうに常識とのズレを前面に出して「家族の問題」を描くっていう手法は、いわゆる「J文学」の書き手がよく使うやり方ではないか。もしかしたら、彼はそっちへ行ってしまうのだろうか。私としては、彼にはエンタテインメントの世界にとどまっていてほしいんだけどなあ。アイディアではなく、感性によりかかった小説を書くようにはなってほしくない。
 余計なお世話かもしれないけど。
8月13日()

 有楽町の山野楽器に行ったときのこと。
 この店でトイレに入るには、なぜか従業員専用スペースに入っていかなければならないのだが、トイレから出たところの壁に、おそらく従業員向けと思われる「営業方針」という貼り紙があった。
 そこに書いてあったのがこんな標語。
"We Hate Negative Thinking"
 その下にはご丁寧に日本語訳が書いてある。
「私達は消極的な考えをいみ嫌う」
 みごとなまでの直訳である。"Hate"を「いみ嫌う」はないだろう、せめて「消極的な考えはやめよう」くらいに訳せないんだろうか。でも、「消極的な考え方をいみ嫌う」のが営業方針って、いったいどういうこと?

 さて、有楽町では『パーフェクト・ストーム』を観る。
 これはひねくれた観方かもしれないけど、男の意地とかプライドとかいったものが、いかに多くの人に迷惑をかけるか、という映画のような気がしてしまった。結局のところ、嵐に突っ込むことになったのは、功を焦った船長の判断ミスのせいではないのかなあ。クルーも最初は反対していたものの、結局船長に同調してしまうし。だから、いくら嵐が襲ってきて船長やクルーが必死の活躍をしても、全然雄雄しくは見えず、自業自得としか思えないのですね。
 ディザスター・ムービーの常道をあえて崩した意欲は買うが、それがおもしろさにつながっていないのが難点(★★★)。
8月12日(土)

 『さくや 妖怪伝』を観る。安藤希が八王子のフィギュアオタクを倒し、箱根のチンピラを倒し、そして静岡では巨大化した大女優を倒すという話。めでたしめでたし。安藤希は凛々しく撮られています。一応少年の成長物語にもなっているのには感心したけれど、いくらなんでも妖怪に妖怪討伐士の跡を継がせるのは無理というものではないか(★★★)。

 続いて『リプリー』を観る。いや、まさかここまでもろにホモ映画になっているとは思わなかった。しかし、ハイスミスの原作も読んでいないし『太陽がいっぱい』も観ていないのがよかったのか、私にとってはなかなか楽しめる映画でした。光と陰のようなディッキーとリプリーの描写がいい。ハリウッド映画らしからぬ後味の悪いラストも評価する。ただ、"The Talented Mr.Ripley"というタイトルの割りには、偶然に助けられるところが多くて、全然才能があるようには見えなかったのが難か。結局、リプリーはディッキーになりかわろうとしているのか、それともトム・リプリーのまま逃げおおせようとしているのか、確固たる方針がまったく見えないんだよなあ。そのへんのアイデンティティのなさがテーマといえばテーマなんだけど(★★★☆)。

 アイルランド旅日記、26日(イニシュモア島篇)と27日(Stir of Echoes篇)を書く。
8月11日(金)

 大量の本を買う。
 まずはなんといっても大瀧啓祐『エヴァンゲリオンの夢』(東京創元社)。この本が文庫折り込みの近刊案内に載りはじめて幾星霜。まさか本当に目にするときが来るとは。しかし、待たされただけあってものすごい力の入りよう。一話一話、おそらく製作者すら考えていなかったような読み解きを見せてくれる。まさに最後にして最大のエヴァ本といえよう。でも大瀧さん、エヴァなんかにかまわず、真面目に翻訳してくれていればよかったのに、とちょっと思わないでもない私である。ラヴクラフト全集の続きとか、クトゥルーの続きとか……。
 あとは、ダーモット・ボルジャー編『フィンバーズ・ホテル』(東京創元社)、佐木隆三『宮崎勤裁判』中・下(朝日文庫)、夢枕獏『涅槃の王』1,2(祥伝社文庫)、栗本薫『試練のルノリア』(ハヤカワ文庫JA)購入。

 荒俣宏『レックス・ムンディ』(集英社文庫)読了。うーん、なにも荒俣さんがこんな小説を書かなくてもなあ。「神の復活」という大技に挑んだ、いかにも売れ線のオカルト+バイオホラー、しかも、かなり冗長で無駄な部分が多いし、文章も荒れている(「青山は、眼球が割れるかと思うほどすさまじい眼圧をかけて、画面をみつめた」という文には思わず笑ってしまった)。なんだか角川ホラー文庫系の新人のデビュー作を読んでいるかのようである。こないだ行ったばかりのニューグレンジが登場する場面は興味深く読んだのだけど、それが本筋と全然関係ないというのは構成上どうかと思うぞ。
 ただし、随所に見られる薀蓄はさすがに荒俣宏。やっぱり荒俣宏は小説よりノンフィクションの方が向いているようだ。
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