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10月31日(火)

 塚本『蔡倫』(祥伝社文庫)読了。なんでまたいきなりこんな本を読むのか、と思われる人もいるかもしれないが、実は私、この手の世界史ものもけっこう好きなのだ。ただし、この作品は今一つ。タイトル通り、紙を発明した宦官、蔡倫の物語なのだが、肝心の蔡倫のキャラクターに魅力が感じられないし、西域に向かった班超、漢書を書いた班固の兄弟とか、巫蠱による皇帝暗殺とか、おもしろくなりそうな素材は山ほど出てくるのだけど、物語は歴史をたどるだけで精一杯で、どれも単なる背景のままに終わってしまっている。やっぱり、歴史小説にはこの枚数はいくらなんでも短すぎます。特に、最後の一文を読んだときには力が抜けてしまった。「この讒言を、青年皇帝が、どのように聞いたのかは、後日稿を改めることにしたい」。おいおい、終わってないじゃないか!

 続いて読んだ山之口洋『0番目の男』(祥伝社文庫)は、中篇ながら、クローンを素材に、生の一回性という重いテーマを扱った純正のSF。むしろ懐かしさすら感じるほど、SFらしいSFです。SFが読みたい、という人には文句なくお薦めしたいのだけれど、やっぱりこの作品の欠点も、短すぎることですね。このアイディアなら、もっとディテールを細かく書き込み、エピソードも増やして、長く膨らませてほしかった。今のままだと、大量のマカロフを世界中にばらまく理由が今一つ不明瞭だし、誰がどうやって育てたのか、とか設定上の疑問点も多い。それから、ちとロマンティックすぎる結末は、某戦争SFに似すぎてるような……。
10月30日(月)

 そうそう、きのうのことになるが、日曜洋画劇場で『スパイダーズ』を見たのだった。伝説のGSグループを描いたドキュメンタリー、ではなく、巨大な蜘蛛が人間を襲うという絵に描いたようなB級映画である。調べてみると、なんとこの映画、今年の6月にレイトショー公開されたばかりで、しかも今のところ日本でしか公開されていないらしい。なんでまたこんなに早く地上波でやるんだろうか。
 別に何も期待せずに見始めたのだが、これがなかなかツボをついた展開で楽しめました。まずはいきなり、50年代モンスター映画みたいなおどろおどろしい書体で「SPIDERS」とタイトルが出る。かと思ったら、場面は管制室みたいなところになり、テロップに「マジェスティック12本部」ときたもんだ。なんでも、スペースシャトルの中(その名も「ソラリス」)で、蜘蛛にエイリアンの血液を注入する実験をやってたら(やるなよ)、蜘蛛が狂暴化して乗員は次々と殺されてしまったらしい。ここまでがオープニング。
 さて場面かわって、公園でUFO本を眺めてうっとりしている巨乳メガネ女。熱狂的なUFOビリーバーのこの女こそ、映画のヒロイン。あんまりUFO本に夢中になってたので遅刻してしまいました、てへ、というところから物語が始まる。すでにここまでで、バカ映画ファンの心をわしづかみである。
 そのビリーバー女が、男子学生ふたりを引き連れて侵入するのは、エリア51ならぬエリア21。そこにスペースシャトルが突然不時着。男子学生が止めるのもきかずヒロインは大胆にもシャトルの中に入り、あげくの果てにエージェントの乗る車に隠れ、秘密基地に潜入してしまう。このヒロインの行動原理はさっぱりわかりません。当然ながら基地には宇宙人の死体があるし、アポロ18号の制服を着た死体が隠されていたりする。「アポロは17号までで、17号の乗組員は○○と××と△△だったはずよ」と妙に詳しいヒロイン。
 で、どうみても廃工場にしか見えない秘密基地の中で、ヒロインは『エイリアン』よろしく蜘蛛に追いまわされることになるのですね。途中でヒロインはなぜか上着を脱いでシャツ1枚になり、なぜそんなところにあるのかわからないプールに落ちて、ずぶぬれになって意味もなくエージェントと殴り合いをする。まさにサービスシーンのためのサービスシーン。これぞB級。
 そろそろ蜘蛛を退治しておしまいかなあ、まあ大したことない映画だったなあ、と思っていたのだが、なんと、ラスト15分で蜘蛛はさらに巨大化し、街中に出て暴れ始めるではないか。逃げ惑う群集。潰される車。ここからいきなり『ロストワールド』や『マイティジョー』に匹敵する市街パニックシーンが展開するのである。
 ほとんどこの場面にだけ予算を投入したのではないか、と思われる豪華なCG特撮シーン。まさに一点豪華主義。これぞバカ映画の鑑である。ああ、この映画を見てよかった、と私は心から思ったのであった。ま、金を払って見てたら腹が立っただろうけど(★★★)。
 ちなみに、SFオンラインでも『スパイダーズ』は大好評だ。

 瀬名秀明『八月の博物館』(角川書店)、オースン・スコット・カード『エンダーズ・シャドウ』(ハヤカワ文庫SF)、尾崎諒馬『ブラインド・フォールド』(角川書店)購入。

 ユニクロのフリース50色の中には、「ゴールデン・フリース」もあるのだろうか?

 西洋甲冑を作りつづけて30年。すごい人だ。しかし、甲冑一体とP3が同じ値段か……。どっちを買うべきか悩むところである<どっちも買えません。
10月29日()

 なんと一日で4冊も本を読んでしまった。
 おお、驚くべき読書スピード、と思ったのだが、よく考えたら、単に祥伝社の400円文庫を読んだだけでした。しかし、こんなにすぐ読み終わってしまうとなると、コストパフォーマンスはかなり悪いですね。

 まず、恩田陸『puzzle』は、鈴木あみ主演のドラマ「深く潜れ」にも出てくる長崎県の軍艦島が舞台。無人島の餓死者、屋上の墜落死体、建物の中の感電死体。そして彼らのポケットから発見された、まったく関連のない文書の数々。冒頭の謎は文句なく魅力的だし、廃墟の島という舞台も雰囲気を出しているのだけど、この結末はいただけないなあ。本格だと思って読んだ人は怒り出すのではないか。なんともすっきりしない幕切れが残念。

 続いて倉阪鬼一郎『文字禍の館』は、中原文夫『言霊』に続く言霊バカホラーの傑作。『言霊』は和歌の呪力がテーマだったけど、こっちは漢字。しかし、よくここまで怖い漢字ばかり集めてきたものです。「魘」とか「靈」とか。泡坂妻夫風の仕掛けもあったりするのだけれど、なるほどホラー作家はこう処理するのか。ミステリー作家とはちょっと発想が違うみたい。

 その倉阪鬼一郎氏(とミーコ)も登場するのが、西澤保彦『なつこ、孤島に囚われて。』。主人公は日本SF大賞候補作家、森奈津子なのだけど、このキャラクターが強烈。ほとんど主人公のキャラクターだけで成り立っているような小説ですね、これは。ただ、枚数が短いせいもあるかもしれないけど、ストーリーの方は今一つ。初期のSF風味の西澤作品が好きだった私としてはちょっと残念。

 最後は小林泰三『奇憶』。さすがに中短篇の名手として知られる作者だけあって完成度が高い作品。量子力学やらクトゥルーやらブレードランナーやらへの言及もあったりして、この作者らしい作品になってます。しかし、なんといってもすばらしいのは、足の踏み場もないアパートに住み、恋人(恋人がいたこと自体が謎だが)にも逃げられ、だらだらと生活するダメ人間のリアリティあふれる描写ですね。特に、何もしない自己を正当化するために展開する自分勝手な論理なんて最高。ほれぼれするほどのダメっぷりです。
10月28日(土)

 神保町古書まつりを冷やかしに行く。しかし、ものすごい人出にげんなりして掘り出し物を探すのは早々にあきらめ、コミック高岡で西川魯介『SF/フェチ・スナッチャー』(白泉社)と『初恋★電動ファイト』(ワニマガジン社)を買う。何しに来たんだか。しかし、西川魯介の元ネタの濃さはすごいですね。ハル・クレメント、香山滋、E・A・ポー、永野のりこ、エヴァ、解体新書、ドーキンス、宮武外骨などなど。おもしろいんだけど、一般受けしなさそうな作風である。
 靖国通りをぶらぶらと歩いていたら溝口さんに声をかけられた。別に行くところもなかったので着いていくと、なぜか連れて行かれたのはカスミ書房。「高いね」「高いね」と事実を確認しあう。当然何も買わない。
 溝口さんはDASACON勢と待ち合わせをしていて昼食を食べに行くというので、ご一緒させていただく。ヒラノさん総統青月にじむさんと、メーヤウでカレーを食す。タイ風のレッドカレーは思ったほど辛くなかったけど美味です。
 そのあとは喫茶店で日刊スポーツの塩澤インタビューを確認したり(今日も載ってました)、三省堂で何かと話題のアスキーネットJを立ち読みしたり。「ネット書評サイト50選」なる企画にうちのページも大きく紹介されているのだけど、なんだかこのセレクション、知り合いのページばっかりのような。SF系日記更新時刻を見て選んだんじゃないかなあ、これ。ヒラノさんのページが、川島誠でも重松清でもなく、北村薫ページとして紹介されているのに大笑い。あと、総統のページがなぜかコミックに分類されてるのも謎。

 「警備員が短銃で撃たれ重体…ジョン・レノン博物館」の記事は、テスト用原稿を誤って使用したもの。続報がないんで妙だと思っていたよ。しかし、なんでそんな内容のテスト原稿を作りますか。
10月27日(金)

 上におすすめ本のコーナーを作ってみた。後ろの【bk1】をクリックすれば、bk1のその本の詳細情報のページに飛べます。私は別にbk1の回し者じゃないのだけど。

 今日の日刊スポーツを読んでいたら、ページの片隅にどこかで見たような顔写真が。こ、これは、SFマガジンの塩澤編集長じゃありませんか。まさかスポーツ新聞で塩澤編集長の顔を見るとは思いませんでしたよ。
 といっても別に和久井映見とのスキャンダルが発覚したとかそういうことではなくて、「出版界は今 本読んでますか?」という連載記事で、「SFマガジン編集長・塩沢快浩さんに聞く」として、塩澤編集長のインタビューが掲載されているのである。見出しには大きく「21世紀間近…SFブーム再来の予感」の文字。おお。
 記事は、塩澤さんへのインタビューの形で、SFクズ論争、ホラーブームによるSF離れなど、90年代の「SF冬の時代」について説明したあと、「SFが読みたい!」や、小松左京賞と日本SF新人賞、ハルキ文庫での過去の名作復刊など最近の動きを紹介し、「果たして21世紀にSFの逆襲はあるのか。次回に続く」で結ばれている。まあ、妥当なまとめ方といえましょう。続きは明日、なのかな。

 本屋に行くと、祥伝社文庫の書き下ろし400円本が大量に。うう、これは買わなきゃならんではないか。とりあえず恩田陸『puzzle』、西澤保彦『なつこ、孤島に囚われ。』、倉阪鬼一郎『文字禍の館』、山之口洋『0番目の男』、小林泰三『奇憶』、塚本史(←なんでどの本でも「」が青色になってるの?)『蔡倫』を買う。『0番目の男』はカバーにも帯にも堂々と「SF」と書かれているのにちょっと感動。時代は変わったものである。
10月26日(木)

 SFセミナー打ち合わせ会。雑談では、牧眞司家の本事情の話(書庫は床をとっぱらい、コンクリートの基礎の上にじかに、図書館にあるようなスライド書棚を置いているのだとか。それでも階段や玄関も含め、家の中で本の見えないところはないとか)とか、「やおい話を聞かない男、SFを読まない女」というのはどうか、という話とか。

 鹿島茂『セーラー服とエッフェル塔』(文藝春秋)読了。おもしろいです、これは。お薦め。
 たとえばSMについて。革と鞭を使う欧米のSMの支配と服従のイメージってのは、御者と馬のイメージが投影されているのだそうな。なるほど。そういえばSMの拘束具はどれも馬具に似ている。一方、縄を使う縛りのSMは日本独特のものだそうだが、あの複雑な縛り方、奇怪な亀甲縛りの原点は、いったい何なのだろうか?
 あるいは、ヴェルサイユやフォンテーヌブローなど、パリの宮殿や城にはなぜトイレがないのか(仕方ないので貴族や貴婦人たちは通路やドアの陰でこっそりと用を足していたのだそうだ。おかげでヴェルサイユは悪臭に満ちていたという)。
 あるいは、なぜ自動車雑誌の表紙は常に、肌もあらわな美女とクルマという取り合わせなのだろうか。
 あるいは、本がベストセラーになるための条件とはいったい何か?
 パリのイタリア料理はなぜまずいのか?
 などなど、ささいなものから大きなものまで、さまざまな疑問について考察を重ねたのがこの本。もちろん、古書コレクターにして博覧強記の乱読家として知られる著者だけに、さまざまなジャンルの書物を引用しつつ仮説をたてていく。本を読むことによって疑問が生まれ、そしてさらに本を読むことによって仮説をたてていく。まさに本読みの鑑。
 本読みたる者、つねにこうありたいものです。

 南條竹則『蛇女の伝説』(平凡社新書)、荒俣宏『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書)、浅見雅男『公爵家の娘』(中公文庫)購入。
10月25日(水)

 きのう、「豹のチータ」なんて書いてしまったけど、よく考えたらチータはチンパンジーだったような。ということは、シェエタとチータは無関係なんでしょうね。でも、ここまでチータが登場しないってことは、チータってのは映像版オリジナルのキャラなのかな。

 宗左近先生の作品を検索しているときに気づいたのだが、校歌ではなく、自治体の歌の世界というのもなかなか奥が深いものがありますね。たとえば、千葉市のイメージソング「心の飛行船」は斉藤由貴が歌っていて、非売品のCDがマニア垂涎のレアアイテムになっているというのは一部で知られた事実(斉藤由貴の歌う「心の飛行船」はここで聴けます(要リアルオーディオ))。
 ほかにも、石井竜也作詞作曲の北茨城市のイメージソング「やさしい町」とか、来生たかお作曲・来生えつこ作詞の各務原市イメージソング「きらめく心模様」なんてのもある。けっこう金かけてますね。上田市イメージソング「ここにおいでよ」は歌・H2Oってあたりが懐かしい(制定されたのは最近らしいが。まだ活動してたんですね)。どうでもいいが、この歌、「生きてるだけで切ないと短いメールが届く」という歌詞がイメージソングとは思えないシビアさである。イヤだな、そんなメールが届くのは。
 ご当地ソングの延長なのか、演歌系のイメージソングもけっこう多い。鳥羽一郎の歌う「浜玉情歌」とか、北島三郎の歌う寿都町「風のロマン」とか。だいたい、農村部の町村は演歌系、地方都市になるとフォーク系が多いようだ。素人公募系もけっこうあるけど、あんまりお金がない自治体なんでしょうか。
 検索していて意外だったのは、さだまさしと南こうせつの作品が多かったこと。このふたり、実は知られざるイメージソング・キングなのかもしれない。さだまさしは谷汲村「風の谷から」丸亀市「城のある町」福間町「新ふるさと物語」を手がけているし、南こうせつには、会津若松市「AIZUその名の情熱」出水市「夢のつづき」瀬戸市「夢ひとつ・愛ひとつ」がある。

 さて、いろんな市町村のイメージソングを見てきたのだが、どの歌もあんまりぱっとしないですね。「さわやか」とか「笑顔」とか「ふるさと」とか、甘ったるい文句が並んでいるだけで、個性というものが感じられません。はっきりいって、どこの町でも通用しそうな歌詞ばっかりである。それに、イメージソングのある市町村はかなり多いようだけど、その歌はどれだけ住民に浸透しているんだろうか。少なくとも、生まれてから20年近く鎌倉市に住んでいた私は、鎌倉市歌なんてものがあることを、今の今まで知りませんでしたよ。
 そんな中で異彩を放っていたのが、明石市のイメージソング。残念ながら詞は載っていないのだが、記事によれば「『パッパ、パッパパッパ 足八本』から始まるユニークで親しみやすい詞。タコだけでなく、原人や光源氏、大橋などがさりげなく盛り込まれ、明石の明るい雰囲気を的確に表現している」のだそうだ。どうやったらタコと原人と光源氏と大橋をさりげなく盛り込めるんだろう。さすがは明石、田中哲弥を生んだ町だけのことはあります。

 岩井俊二『ウォーレスの人魚』(角川文庫)、鹿島茂『セーラー服とエッフェル塔』(文藝春秋)購入。
10月24日(火)

 エドガー・ライス・バロウズ『ターザンの凱歌』(ハヤカワ文庫SF)読了。原題"The Beast of Tarzan"の方が内容に則していますね。ターザンといえば、猛獣たちを仲間にジャングルを縦横に駆け回る、というイメージがあるが、この巻はまさにそのイメージ通り。名前だけは有名な豹のチータが登場するのもこの巻である(正しくはシェエタ。しかも固有名詞ではなく豹を示す普通名詞)。
 前巻で逮捕されたターザンの宿敵ロコフが脱獄、生後間もないターザンの息子を誘拐。単身敵地に乗り込んだターザンは罠にはまって孤島に置き去りになってしまう。いったんロコフに捕らえられたジェーンはすきをついて逃亡。ほぼ全編に渡って、ジャングルの中をロコフの魔の手から逃げるジェーンと、孤島から脱出して(豹や類人猿の仲間を引き連れて)ロコフを追うターザンの行動がカットバック形式で交互に描かれた作品である。このあたりのサスペンスの盛り上げ方は、バロウズの面目躍如といえよう。
 ただし、キャラクターの魅力という点では今一つ。ターザンは、文明と野性の間で葛藤していた第1巻とは別人のように単純なヒーローになってしまったし、ジェーンとロコフはもとより無個性なキャラクターである。毎回毎回ターザンをジャングルに呼び戻す理由づけもだんだん苦しくなってきたし……。この先シリーズがどうなるのかちょっと不安。
10月23日(月)

 10月8日の日記で紹介した数学の問題ですが、なんと2ちゃんねるにスレッドが立ってます(そちらには、ニュースグループに投稿されていた原文もあるので、私の訳文であいまいな点は原文を参照して下さい)。そこで提出されている回答は「67と82」。一方、掲示板に書き込みのあったnabaさんの回答は、「32と131」というもの。さていったいどちらが正しいのか、あるいは別の正答があるのか?
 問題を紹介した私がなんなのですが、私にも正解はわかりません。なんにせよ、手作業での計算は不可能でしょう。

 ビデオで『マイティ・ジョー』を見ました。『トレマーズ』『愛が微笑む時』のロン・アンダーウッド監督作品なので期待したのだけれど、キャラクターはステレオタイプで、ドラマ部分はかなり薄い。ラストも大甘だし(これはディズニーだから仕方ないのか?)。まあ、ストーリーはありがちで退屈なので、細かいところを楽しむのが吉。「猿を作らせたら世界一の男」リック・ベイカーの造形とか、レイ・ハリーハウゼンの特別出演シーン(隣にいる女性は『猿人ジョー・ヤング』の主演女優だとか)とか、そういうところを楽しむ映画でしょう(★★★)。
10月22日()

 地下鉄南北線が全線開通したおかげで、私の住んでいるあたりからも、目黒とか白金のあたりに簡単に行けるようになった。そこで特に用はないのだが、今日は南北線に乗って白金台で降りてみる。初めて歩く町なのでぶらぶら散歩でもしようと思ったのである。
 白金台の駅でまず驚いたのは、白金は正しくは「しろかね」だったということ。駅ばかりではなく、道路標識やマンションのローマ字表記もみんな"SHIROKANE"である。今まで「しろがね」と読むのだとばかり思っていたよ! そうすると「シロカネーゼ」が正しいのか。二子玉川が「ふたごたまがわ」ではなく「ふたこたまがわ」であるようなものですか。
 駅から道沿いにぶらぶらと歩き、八芳苑の近くにあるキッシュとタルトの店、その名も「キッシュ&タルト」(そのまんまだ)で昼食。洋館風の瀟洒な作りのビルの1階。エビチリのキッシュという妙なものを食べたのだが、これがけっこう美味。レモンのタルトもいけます。値段もリーズナブルだし、このへんで昼食をとりたい、というときにはお勧めの店です。
 昼食後は外苑西通りを歩く。白金台あたりはおしゃれだと聞いていたし、確かにブティックやらレストランやら鬼のように高い紅茶を売る店やらが並んではいるのだが、古い雑居ビルやらコンビニやらも同じくらいあったりして、おしゃれだとかヨーロッパみたいだとかいうにはちと想像力が必要である。

 ビデオで『スクリーム3』を見る。脚本はケヴィン・ウィリアムスンじゃなくなったけど、映画のパターンは前2作とまったく同じ。マニア向けのくすぐりの要素も健在で、資料室ではキャリー・フィッシャーが自分の悪口を言ったり、死んだはずの映画マニア君が「三部作の法則」を披露したりしてくれる。例によって、犯人の意外性はまったくなし。私など、犯人が素顔を見せたときにも「これ誰だっけ」と思ってしまったほど(もちろん私のような観客のために、シドニーが「あなたは○○!」と驚いてくれるので問題なし)。まあ、全2作を見た人のためのサービス映画としてならなんとか許せるレベル。
 しかし、いくら新婚とはいえ、最初から最後までデューイとゲイルがいちゃいちゃしているというのはいかがなものか。本人たちは楽しいかもしれないが、見ている方は全然面白くないぞ。それに、主役のはずのネーヴ・キャンベルの影が薄すぎ。はっ、そういえばスタッフロールでもデイヴィッド・アークエットが最初だったし、今回はシドニーじゃなくてデューイが主役だったのか?(★★☆)

 安永航一郎『火星人刑事(4)』(集英社)、久米田康治『かってに改蔵(9)』(小学館)購入。
10月21日(土)

 さて、今日は9月25日に引き続き、「すばらしき校歌の世界」第二回をお送りします。
 まずは愛・蔵太さんが紹介してくださった東京電機大学中学高等学校校歌「風よ光よ」。今度は「タントンタターンタントンタン」である。「崩れても つぶれても 電子の愛は踊るのだ」「こわれても ふまれても 陽子の祈りは歌うのだ」と電機大学を意識したらしいフレーズがほほえましい。実はこれも、「ゆんゆん」で有名な福島県立清陵情報高等学校校歌 「宇宙の奥の宇宙まで」と同じく、宗左近先生の作詞らしい。やっぱりねえ、似てると思ったんだ。
 千葉県立幕張西高等学校校歌「透明に」も宗先生の作品。これも前の二作とよく似た作風である。こちらには残念ながら擬音は出てこないが、「絶望からだって/傷口という名の朝焼けが生まれる」とか「ああ 宇宙船はゆく/透明に 宇宙船は愛のむこうまで」というあたりがいかにも宗先生(ただし、このページによれば幕張西高校は今はもうなく、この校歌も幻になってしまったそうだ。もったいない)。
 どうやら、「宇宙」「きみとぼく」「苦しみ」などという単語や、「宇宙の奥の宇宙まで」とか「宇宙の果てのむこうの奥へ」とか一見くどいような表現が宗先生のお気に入りらしい。でも、こうして3作並べてみると、ちょっと似すぎているような気もするんですが。
 さらに、校歌ではないが、宗左近作詞、三善晃作曲というゴールデンコンビの近作には、市川賛歌「透明の芯の芯」がある。市川市民の歌だそうだ。宗作品を見なれた人なら、タイトルを見ただけで、作者は宗先生以外の何者でもないことがわかるだろう。もちろん、この詩にもやっぱり「宇宙」が登場。しかし、私が度肝を抜かれたのは、「少女の乳首の尖きに富士とがり」という部分である(「尖き」は「いただき」と読むのかな)。さすがは詩人の感性。でも、市の歌に「少女の乳首」はちょっと……とは、誰も思わなかったんだろうか。
 ちなみに、宗左近先生のプロフィールはこのページにあります。御年81歳。現代詩の世界では長老であるほか、バルト『表象の帝国』とかデュマ『黒いチューリップ』とかの訳者でもありますね。同じページによると、千葉県立市川西高校、船橋市立習志野台第二小学校、船橋ひかり幼稚園の校歌も宗先生の作品らしいのだが、ネットには見つからず。あと、宮城県中新田町町歌「瞳に愛を」とか。見たいなあ。
 いっそのこと、宗先生にはぜひ新しい日本の国歌を作詞していただきたいものである。そしてオリンピックで泣きながら歌うのだ。ゆんゆん。

 宗左近一行知識。本名は古賀照一。ペンネームは、戦争中死線をさまよって「そうさ、こん畜生」といった捨てぜりふから。
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