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10月10日(火)

 乙一の入手困難本(まあすぐ文庫に落ちるんだろうけど)『天帝妖狐』(ジャンプジェイブックス)を読む。表題作と「A MASKED BALL」の短篇2本。読んでいて感じるのは、乙一の作品はどれも冒頭から読者をつかむテクニックにすぐれているということ。この作者の「読ませる力」は天性のものに違いない。ただし、「夏と花火と私の死体」にあったような語りの奇妙さ、違和感の魅力は残念ながら感じられない。結末も今一つ(意外性を求めてはいるものの必然性が全然感じられない)で、まあ水準的なサスペンスホラーといったところ。これで乙一の本は全部読んだけれど、結局デビュー作を超える作品はないですね。
 ただ、理解に苦しむのは、どちらもなんでこんなタイトルにしたのか、というところなのですね。「A MASKED BALL」にはボールなんて出てこないし(それともトイレの話なので「金隠し」という洒落だろうか)、「天帝妖狐」は天帝とも妖狐とも関係ない。なんでまたこんなタイトルにしたんだろうか。理由はあるんだろうけど、説明してくれないとわからないよ。

 楡岡輝山さんの日記(10/10)を読んで、猛烈にペリー・ローダンが読みたくなる。でもトンデモ的愉しみだけのために264巻まで読破する気にはとうていなれないのであった。
10月9日(月)

 『マルコヴィッチの穴』を観てきました。とあるビルの7と1/2階。そのオフィスにあいた穴はジョン・マルコヴィッチの頭の中につながっていた。穴の中に入れば、あなたも15分間だけマルコヴィッチになれるのだ!
 基本的にはワンアイディア・ストーリーなのだけど、単純なアイディアを膨らませて、あれよあれよと予想もつかない方向へと転がしていく脚本はなかなか(たとえば、マルコヴィッチ本人が穴に入ったらどうなるか、とか、いちどに複数の人間が穴に入ったらどうなるか、とか……)。これほどオリジナリティあふれる映画は最近ではあんまりなかった。
 ただ、7と1/2階にある異常に天井の低い会社とか、つねに言葉を聞き違える秘書といったモンティ・パイソン風のバカバカしいネタを前半でせっかく出しておきながら、それを後半でうまく展開させていないのが物足りない。SF的にも、15分だけという制限がなしくずしになくなってしまったり、なぜ「器」がマルコヴィッチなのか、それに次の「器」がどう決まるのかが今一つわからなかったりと、ロジックの部分が今一つ。
 もっともっとおもしろくなるネタなのに、なんとも惜しいところ。でもアイディアの奇天烈さは私好みなので、星4つ(★★★★)。
10月8日()

 数学の問題。
 オミクロン「私はこれから2から5000までの数字を2つ思い浮かべます。そしてその積をピーターに、その和をスーザンにこっそり教えます。私の考えた数がなんだったか答えてください」
 オミクロンが二人に囁くのを横でデイヴィッドが見ていた。
 ピーター「わからないな」
 スーザン「そうだと思った。私にもわからないわ」
 ピーター「わかったぞ」
 スーザン「私もわかった。でも、デイヴィッドにはわからないでしょうね。小さい方の数を教えればデイヴィッドにも大きい方の数を当てることができるでしょう」
 さてオミクロンが考えた2つの数とは?
 というものなのだけど、これが難しい。コンピュータなしじゃできないのではないか。

 エドガー・ライス・バロウズ『類猿人ターザン』(ハヤカワ文庫SF)読了。言わずと知れたターザンである。読んでみるとこれがいわゆるターザンのイメージとはまったく違うし、もちろん最近のディズニー映画とも違う。原作のターザンは、貴族の優美さと野性の残忍さを兼ね備えたかなり複雑なキャラクターなのですね。自分の属する場所はどこなのかつねに悩みつづけている。バロウズの生んだ数あるキャラクターの中でも、もっとも陰影に富んだヒーローといってもいいんじゃないだろうか。おまけに頭脳も明晰で、両親の残した本と辞書だけで英語の読み書きを覚えてしまうし、ちょっと教えてもらっただけでフランス語までしゃべれるようになってしまう。本だけで学んだから英語の読み書きはできるが発音はできないはずなのに、なんで自分の名前を「ターザン」と綴ることがわかったんだ、などと思ったりもするのだが、まあバロウズに突っ込みを入れる方が間違っているのだろう。
 ターザンの紳士的な振る舞いを「貴族の血筋」のひとことで片づけてしまう乱暴さや、黒人の扱いにみられる露骨な人種差別はさすがに時代を感じさせるが、キャラクターは魅力的だし、ストーリー展開は起伏に富んでいて飽きない。意外にもハッピーエンドではないラストシーンには、文明と野性のどちらにも属することのできないターザンの悲哀がにじみ出ている。今読んでも決して古びていない傑作。
10月7日(土)

 先行オールナイトで『インビジブル』を観ました。ケヴィン・ベーコンが天才科学者、というキャスティングの時点でまず無理があると思わなかったんだろうか。どうみてもただのゴロツキにしか見えません。まあ、科学者といっても、品性下劣でねじ曲がった性格、とベーコンらしい役柄ではあるのだけど(私、失礼なこと言ってますか?)。
 映画の中盤まではバーホーベン節全開。透明化のプロセスで血管、筋肉剥き出しの人体模型じみた姿になってしまうグロテスクさや、透明人間になったベーコンが覗きに痴漢と悪行三昧を繰り返したり、何かと派手に血が飛び散ったりするあたり、さすがはバーホーベン。身も蓋もありません。
 ただし、レーティングを気にしたせいか、その描写がなんとも中途半端で腰砕けなのが残念。ベーコンの悪行がどんどんエスカレートしていく展開を期待したのに、途中で何かに気をつかったかのように妙にトーンダウンしてしまうのだ。向かいのマンションの女はどうなったんだよう。せっかく透明になったんだからもっと好き勝手やってくれよう。こんなのバーホーベンじゃないやい。それとも、そのうち過激なシーンを加えたディレクターズカット完全版が出るんだろうか。
 ベーコン演じる透明人間は、確かに悪党ではあるんだけど、私たちが内心妄想しつつも実際にはできないことをやってくれるヒーローでもある。それなのに、中盤からは完全にモンスター映画の文法にからめとられてしまい、ベーコンは倒すべきモンスターになり、エリザベス・シューは単なる戦うヒロインになってしまうのだ。なんとも欲求不満な印象を残す映画である。(★★★☆)

 秋葉原まで出て、各所で話題の『ガンパレード・マーチ』を購入。
10月6日(金)

 朝には熱が下がっていたので今日も出勤。でもだるい。

 週刊文春はグラビアでオリンピックの日本選手を特集していて、そこにはこんな見出しが。

9人の戦士達 誰がために闘う

 別に愛のためだとか、ましてや闘い忘れた人なんかのために闘ってるわけじゃないと思うぞ。あきれかえって後ろの方のページをめくると、今度は世界の選手のグラビア。そこにはこんな見出しがあった。

人類の限界に挑戦した7人の超人 ULTRA7

 夢枕獏『神々の山嶺』(集英社文庫)読了。私は、山に登ったことはないし、登ろうと思ったこともない。だから山に登る人の気持ちもよくわからないし、カラビナとかコッフェルとか言われてもまるでハードSF用語のようになんとなく雰囲気を感じ取れるだけでさっぱりわからないのだけど、これは読み応えのある作品だった。ただ、山に登るというただそれだけの行為が人生の意味や宇宙との交感にまで高められていくさまは圧巻。
 ただ、中盤でヒロインが誘拐されるとかそういうエピソードはなくてもよかったような気もするなあ。純粋に山に登るという行為を追及したこの作品にとっては、そういうエピソードは不純物なんじゃないだろうか。
 それに、ひたすら「俺ルール」に従って周囲と摩擦を引き起こしてきた主人公すら、12月1日以降に登り始めないと冬期登頂とは見なさないとか、ベースキャンプまでは何人で行ってもいいけどそこからは一人で行かないと単独登頂とは認めない(8000メートルくらいのところを無理矢理ベースキャンプだと言い張っちゃいけないのかな。ダメなんだろうな)とか、登山界の暗黙のルールには従うのね。なんだか不思議な気もする。

 山田風太郎『御用侠』(小学館文庫)、ジェフリー・ディーヴァー『コフィン・ダンサー』(文藝春秋)購入。
10月5日(木)

 午前中はなんともなかったのだけど、昼頃からなんだか体がむちゃくちゃだるくなってきて、帰ってきたら38.9℃。咽も痛くてたまらない。どうやら風邪を引いてしまったようだ。妻が作ってくれた生姜汁を飲んで寝ます。
 某原稿は今日が締め切りなのに、すいません。もうちょっと待ってください。
10月4日(水)

 BS2でやってた『スライディング・ドア』を見た。地下鉄に駆け込み乗車しようとして、無事乗れたヒロインと乗りそこなったヒロインのストーリーが並行して語られていく映画である。SF……とはちょっといいがたいけど、SF的アイディアを使った恋愛映画。単に地下鉄に乗れたか乗れなかったか、というたったそれだけのことで、二人(一人か)の人生がまったく対照的なまでに変わってしまうあたりがなかなかおもしろい。昔テレビでやってた『if……もしも』みたいなもんですね、タモリは出ないけど。
 ただこの映画、アイディアはいいのだが、それまでのストーリーをすべてチャラにしてしまうような結末はいくらなんでも強引すぎ。それに、これじゃ、もうひとつの世界のジェームズがあまりにかわいそうなのでは。
 モンティ・パイソンのギャグが重要な役割で登場するので、パイソン・ファンは必見。「まさかのときのスペイン宗教裁判」のギャグって、イギリス人ならみんな知ってるものなのか(★★★)。
10月3日(火)

 牧野修の『病の世紀』には、生理的嫌悪感に訴える作者ならではの名シーンがいくつも出てくる。中でも忘れられないのが、ある女性が別の女性に拘束され、無理矢理千本の針を一本一本飲み込まされる場面。その理由は、
「『嘘ついたら針千本飲ます』と約束したのに、約束を破ったから」。

 さて、精神科治療学という雑誌の2000年9月号に、福島春子らの「自殺企図として、重篤な異食行為を呈した一症例」という論文が掲載されている。
 症例の女性は、摂食障害で60キロから28キロまで体重が減少して入院、退院後もリストカットを繰り返した。カッターで何度も手首を切り、血を見るとほっとした、という。ここまではそんなに珍しくない話なのだが、壮絶なのはそのあとだ。
 彼女が31歳のときのこと。「生きていても仕方がない」と思った彼女は、夜中になると、ホッチキスの針や釘などの金属を飲み込むようになったのである。半月ほどの間に彼女が飲み込んだのは、フォーク、釘、ホッチキスの針無数、縫い針100本、ガラス……。もちろん、腹痛のためその間食事はほとんど何も食べられなかった。サランラップのカッター部分を飲み込んだあとから腹痛がひどくなり、某大学病院救急部を受診、即日異物除去手術が行われることになった。
 胃の中では胃酸とアルミニウムが反応して水素ガスが充満していた。電気メスで切開したときには爆発音がしたという。胃の中では金属がからみあって握りこぶしほどもある腫瘤を形成していた。論文には胃のX線写真が掲載されているが、胃の中は金属片が充満しており、かなり太い釘のような金属棒や、4本の先端のあるフォークらしきものまで見える。
 「そういえば、夜中にトントンと金槌で叩く音がしていた」と同居していた母はのちに語っている。彼女は、母が眠っている隣の部屋で金槌で釘やフォークを砕いては、口の中に入れていたのである。ひたすら金属を口に入れつづける娘、奇妙な音に気づきながらも何も娘に言おうとしない母親。寒々とするような家庭風景である。
 彼女はそれから半年近く入院するのだが、しばらくは小石を口に入れようとしたり鋏で手首を切ろうとしたりといった行為が続いたという。さらに、彼女は医師に対してこうも訴えていた。
「針千本飲まないといけない」

 事実は、ときに小説の想像力をも上回る。それとも、ここは牧野修のリアリティを称えるべきだろうか。
10月2日(月)

 日本の作家や翻訳家には、海外の作家の名前をもじったペンネームをつける人がよくいる。
 例えば、

エドガー・アラン・ポー→江戸川乱歩
アーサー・C・クラーク→浅倉久志
ダンセイニ→団精二
ティプトリー→鳥居定夫
ウォルター・ミラー・ジュニア→水鏡子
アーサー・マッケン→朝松健
EQ→依井貴裕
エド・ウッド・ジュニア→江戸木純
クリント・イーストウッド→東森くりん
谷甲州→谷恒生
隆慶一郎→峰隆一郎

 などなど(最後のほうは違うような気もするが)。
 そこで、私も最近の作家の名前を使って、新しいペンネームを考えてみた。

ダン・シモンズ→下津弾
グレッグ・ベア→暮継くま
オーソン・スコット・カード→大村角
ディーン・クーンツ→君津田
ブレイロック→武礼六
ロバート・マキャモン→炉端薪右衛門
サダム・フセイン→布施院定

 これから作家になろうというみなさん、よかったら使って下さい。

 ジャック・ケッチャム『オフシーズン』(扶桑社ミステリー)、大石英司『深海の悪魔 下』(C NOVELS)、中嶋繁雄『明治犯科帳』(平凡社新書)購入。
10月1日()

 小川一水『回転翼の天使』(ハルキ文庫)読了。空への憧れ、キャラクターの配置など前作『イカロスの誕生日』と共通する点が多い作品である。姉妹編といってもいいかも。規則や法に対する考え方(やむをえない理由があれば自分の判断で破ってもよい)も前作と共通している。これは作者のポリシーなのだろう。私としては作者の考え方には疑問もあるのだけど、ともかく、主張が一貫しているところは好感が持てます。
 ただ、やはり前作同様気になるのは、善悪の図式が単純すぎるところですね。できれば物語にもう少し深みがほしいところだけれど、これは作品を重ねるごとに解決されていくはず。これまで2作を読んだ限りでは、基本となる小説技法がしっかりしていて、安心して読める作品を書いてくれる作家みたいなので(私よりずっと若いのになあ)、今後の作品にも期待できそうだ。
 でも、どう強弁してもこの作品はSFじゃないと思うぞ。

 シドニーオリンピックの閉会式を見ていて驚いたのだが、今大会の組織委員会会長の名前はマイケル・ナイトというらしい。きっと(←洒落にあらず)しゃべる車に乗って巨大な悪に立ち向かっているに違いない。今日、彼を待ち受ける者ははたして誰か……。
 その閉会式、ゲイパレードがあるという噂を聞いていたので楽しみに見ていたのだが、最後までそれらしいシーンは現れず。どうなったの、ゲイパレード?
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