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11月30日(土)

教えてよ加護と辻との見分け方
という川柳が毎日新聞の「万能川柳」コーナーに載っていました。
 まあ、ひねりも何にもない川柳なので、私としては、どこかのサイト(すいませんどこだか忘れました)で目にした
辻と加護よくよく見れば加護と辻
の方が秀逸だと思うのだけれど、ついに辻加護問題が毎日新聞にも進出したかと思うと感慨深いものがあります。しかし、川柳欄の読者にわかったんだろうか、この川柳。

11月29日(金)

▼アジア映画専門館「キネカ大森」で、香港映画『パープルストーム』を観てきました。主人公はカンボジアのテロリスト(クメール・ルージュの残党なのである)のリーダーの息子。彼は戦闘中に頭を強く打ち、記憶喪失になって香港警察に捕らえられてしまう。警察側は、彼に潜入捜査官だったという偽の記憶を植えつけて捜査に利用しようとするが、リーダーは息子を奪還。テロリスト・グループに戻った彼は、偽の記憶と本当の記憶の間で葛藤する……という物語。
 設定は『フェイス/オフ』並みに無茶だし、終わってみればあとからあとから疑問が湧いてくるほど大ざっぱな話ではあるのだけれど、とにかく映画を観ている最中は無問題。撃つ、撃つ、撃つ、走る、走る、走る。切れのいいアクションに、ふたつの記憶に引き裂かれて苦悩する男、父親と息子の葛藤、男同士の友情。この大ざっぱさと熱さが香港映画の魅力ですね(ただし、警察が秘密ディスクのパスワードを探すとき、「カンボジア」「ポルポト」……などと、手作業で入力していたのはいくらなんでもどうかと思いましたが)。
 おまけに、クメール・ルージュの美しく強靭な女テロリストを演じたジョシー・ホーがしびれるほどかっこいい(このサイトによれば、ジョシー・ホーはマカオのカジノ王の娘で、英語、北京語、広東語、スペイン語が堪能、さらにカナダ陸軍士官学校を卒業し、陸軍中尉の称号をもつとか。何者ですか)。
 あまり知られていない映画ではあるのだけれど、とにかく観る価値ありの逸品。お勧め(★★★★)

11月28日(木)

▼昔から使われている略語の中には、どうも現在の感覚からすると奇妙に思えるものがある。
 たとえば、今でもよく新聞に出てくる「ベア」。これはもちろん「ベースアップ」という和製英語の略なのだけど、これを「ベア」と2文字で略す発想は、現在にはないものだろう。今なら「BU」あたりになりそうだ(こういうわけのわからないアルファベット略語もどうかと思うけど)。
 古いところでは「モボ」「モガ」も同パターンだし、今じゃほとんど使われないが「スフ」なんていう略語もあったりする。これは何の略かというと、なんと「ステープル・ファイバー」の略なのである。「ステープル・ファイバー」が「スフ」と略せる、というのは、私にとってカルチャー・ショックに近い驚きだった。今は「リストラ」「ファミレス」「パソコン」など4文字略語が多いけれど、昔の人は2文字の略語がかっこいい、と考えていたのかもしれない。
 「ベ平連」とか「中ピ連」ってのも、「ベ」とか「ピ」のあたりがなんだか妙な感じだ。「中ピ連」は「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」の略だそうだけれど、これを「中ピ連」と略すセンスは、今ではもう絶滅してしまったものだろう。
 また、最近の新聞に「カドミ」がどうの、という見出しがあって、これはいったい何だろうと思っていたら「カドミウム」の略なのだった。そういえば、昔から「カドミ汚染」とかそういう言い方を新聞はしていたような気がする。だったらナトリウムは「ナトリ」、カルシウムは「カルシ」かというと、そういう略し方はしないようである。
 しかし、考えてみれば「モボ」とか「スフ」とか「ベア」とかいった略語は、「ファミレス」といった最近の略語に比べ、CDとかPLOといったアルファベット略語に近い。2文字略語は一見野暮ったいように見えて、実は欧米流のアルファベット略語を忠実に輸入した結果だったのかもしれない。
 ということで、パソコンは「パコ」、ホームページは「ホペ」、デジカメのことは「デカ」とよんでみたら、なんとなく昭和のかほりが漂ってくるような気が……しませんかそうですか。

11月27日(水)

▼このところの新聞や雑誌を見ていると、当初の「拉致被害者かわいそう」「家族も早急に帰国させろ」一辺倒から、「うーんやっぱり一時帰国って言っといて約束破ったのはまずかったんじゃないの」とか「ちょっとでも北朝鮮よりの発言をするだけで叩かれる風潮はどうよ」とかいった、熱くなりすぎた世論に疑問を投げかける論調もぼちぼちと出てくるようになってきて、バランスがとれてきたように思えます。
 こうなってみると、なんだかんだいっても、この国のバランス感覚ってのは、けっこう信頼に値するものなんだなあ、と私は思うのですね。感情的な意見よし、犯罪国家に譲歩するなという意見よし、政府を批判する意見よし、世論に冷や水を浴びせる意見よし。さまざまな意見が並立できるということが、この国のすばらしさではないかと。スター・トレック世界のキャッチフレーズでもあるIDIC(無限の多様性の、無限の調和)ですね。
 ただし、この国の「バランス感覚」にも欠点がありまして、何か強烈な意見が一時は世論をつかんだとしても、必ず反対意見があらわれて相殺され、世論は熱しやすく冷めやすいので結局うやむやになって忘れ去られてしまう。どんな意見でも許される(まあ限度はあるけど)多様性はあるけれど、それがカオス状態になっていて、「無限の調和」ってとこまでいってないのですね。
 まあ、「調和」は遠い目標としても、多様性の失われた社会よりははるかにましで、むしろ私はこの国のカオスをこそ愛しているのですが。その意味では、私は愛国者といっていいでしょう。「愛国心を持て」などという押しつけを何より嫌う愛国者ですが。

11月26日(火)

▼「高品位テレビ」とか聞くたびに、下らないバラエティは決して流さずAVなんてもってのほか、硬派な報道番組とかオペラなんかしか見られないテレビを思い浮かべてしまうのだけれど、どうやらそういう意味ではなくて、単に解像度が高いことを「高品位」というらしい。どういうわけか専門用語の中には、日常語と同じ言葉を使っているくせに、微妙に意味の違うものが多くて、私はときどき混乱してしまう。
 たとえば、数学で使う「たかだか」という言葉遣いにはいまだになじめない。日常語で「アメリカの歴史はたかだか200年」といえば、どうしても「たった200年かよ、けっ、顔洗って出なおしてきな」とでもいうよな、どこか見下したような意識が感じられるのだけど、数学では単純に「xはAを超えない」といった意味で「xはたかだかAである」というような言い方をする。図法幾何学の数理というサイトには、
なお対象とする元の図形は点・直線・平面・曲線・曲面と言ったたかだか3次元空間上の図形であるから、たかだか3次元の変数やベクトルに関する数式が対象の図形を表わすことになり、それらの図形を投影図に描くための変換関数もたかだか3x3要素の変換行列が関与する。
 という表現が出てくるが、別に3次元空間を見下しているわけではない。
 名古屋大学理学部数理学科のサイトには、
たかだか5人程度の学生を,第一線で活躍する研究者でもある教官が直接指導します. 徹底した少人数教育,それが数理学科における卒業研究セミナーの大きな特徴です.
 とあって、もちろんここでは数学的なニュートラルな意味で使っているのだろうけれど、数学の言葉に馴染みのない者にとってはなんとなく違和感を感じる表現である。「たかだか5人」という日常的にはマイナスの意味を帯びた言葉遣いと「少人数教育」というプラスの意味の言葉がうまく結びつかないのである。
 生物学の分野でも、こうした言葉はいくつかあって、たとえば、「劣性遺伝」する形質は決して劣った形質ではないし、「進化」とはより優れた生物へと進歩することではない。
 精神科では、似たような専門用語の筆頭は「人格」だろう。日常語の「人格」には「人間としての格」とでもいうか、明らかに優劣の価値判断が含まれている。「人格者」といえば、人間的に優れた人のことである。それに対し、精神科用語の「人格」は、日常語の「性格」に近いニュートラルな意味である。「人格障害」は、性格の偏りという意味であって、決して「人間としての格に障害がある」ということではない。このへんを誤解している人は多いと思うのだけれど、これは要するに「人格」という訳語に問題があるのであって、「精神分裂病」を「統合失調症」に改称したのであれば、「人格障害」だって改称すべきだろう。
 共通するのは、日常語では優劣の価値判断を含んだ言葉が、専門用語として使われる場合は価値判断を含まないニュートラルな意味になっているということ。そういった用語が専門家の間だけで使われているうちはいいのだけれど、それが日常とリンクしたときにさまざまな誤解を生むことになってしまう。「たかだか」はともかくとしても、「高品位テレビ」「人格障害」という訳語を決めるときには、もうちょっと考えてほしかったんだけどなあ。

11月25日(月)

11月19日から1週間分、いっきに更新してます。

▼大相撲では朝青龍が幕内優勝したのだけれど、それよりも私は序二段優勝をしたモンゴル出身力士が気になる。この力士、四股名がすごいのだ。
 時天空。本名アルタンガダス・フチットバートル。
 時間と空間を制するちからびと。これほど壮大な四股名というのもまずあるまい。がんばれ時天空。時空の覇者を目指せ。

松田優作逮捕

11月24日()

▼穴倉のような映画館、銀座シネパトスにて『フレイルティー 妄執』を観る。原題の"Frailty"は「もろさ、はかなさ、弱さ、誘惑に陥りやすいこと」といった意味らしい。妄執と違うじゃないか。
 ある日、お父さんが突然「人間の姿をした悪魔を滅ぼさなければならない」という神の啓示を受けて、人をさらってきては斧で殺し始める。次男はあっけなく洗脳されて父親に協力するのだけれど、長男には父親は妄想に取りつかれたとしか思えず、必死に抵抗するのだが……というお話。
 ある意味禁じ手ともいえる結末には驚愕したので、このラストのためだけにでも観る価値のある映画だと思うのだけれど、正直言って、中盤はけっこう退屈。この映画、俳優ビル・パクストンの初監督作だそうなのだけれど、『ザ・リング』や『プロフェシー』のような映像に凝った最近のホラーに比べると、やはり撮り方に工夫がなくのっぺりとしているように感じられてしまうのですね(★★☆)。

11月23日(土)

▼両親がたまには一緒に食事でもしないかというので、昼から銀座に出て4人で一緒に食事。場所は、こういうときでもなければ行けない有名な高級中華料理店、福臨門海鮮酒家。いちばん高いコースだと一人5万円にもなるという超高級レストランなのだけれど、貧乏性な私はとうていそこまで出せず、安目の上海蟹コースを頼んでみる。まあ確かに美味ではあったのだけれど、値段ほどの価値があるかといえば首をかしげるほかない。これが本場の味なのか、かなり味つけ濃いめだったし。あとでいろんなサイトの感想を見てみたところ、どうもこの店では高いコースを食べなければ意味がない、という話もあるようだ。ここは思い切って5万円のコースを頼むべきだったのかな。でもそうすると4人で20万(+税・サ25000円くらい)。そんな金とても出せませんがな。

▼それから両親とは別れて『マイノリティ・リポート』の先々行オールナイトに。前作が『A.I.』だけにそんなに期待せずに観たのだけれど、これはなかなかの傑作。ディックの原作とはだいぶかけ離れているものの、スピルバーグらしからぬブラックな笑いとダークなサスペンスにあふれていて(特に目玉がころころ転がる悪趣味なギャグとかヨガ教室やハンバーグの下らないギャグとかは、『1941』あたりの初期のスピルバーグみたい)、『ブレードランナー』か『未来世紀ブラジル』みたいな雰囲気。
 特にすばらしいのは、この映画の未来像。一見したところ、銀色ですっきりしているいかにも未来未来したスタイリッシュな世界なのだけれど、周縁部にはスプロールと呼ばれるスラム街があったり、現代となにも変わらない家々があったりと、多面的な未来像が新鮮。『ブレードランナー』のような全編同じトーンで統一された世界よりも、かえってこっちのほうがリアルに感じられます。
 中でも目を引くのは街中にあふれる広告の描写で、前を通るだけで個人の名前を呼んで客引きする動画ポスターとか、店に入っただけで以前の買い物履歴からお勧め品を教えてくれるとか(ネットではすでにアマゾンなんかが同じことやってますね)、いかにも将来的に実現しそうでおもしろい。
 それでいて、たとえば予知能力者を道具として使い人間扱いしてないことや、常時監視を受けている広告社会について、あからさまな批判をしていないところがいい。声高に何かを諷刺したりメッセージを訴えたりするんじゃなくて、ただ単にそのような世界として描く。そこがいいですね。
 ただ、やっぱりこれはスピルバーグの悪い癖なのか、途中まではダークな雰囲気が素晴らしいのだけど、後半になるといきなり定型に堕してしまうのですね。真犯人しか知らないはずのことをついうっかり口にしてしまう、というあまりといえばあまりにありがちな展開にはげんなりしたし、前作『A.I.』同様の甘すぎるラストシーンもどうかと思います。
 ともあれ、今年のSF映画では最高の傑作であることは間違いなし。『A.I.』にがっかりしたSFファンも絶対に見るべし。ついでに、『サスペリア』『ファントム・オブ・パラダイス』の美少女ジェシカ・ハーパーが久々に出演している(しかも、殺人者に追われて恐怖に顔を歪ませる役どころじゃないですか。さすがスピルバーグ、わかってますね)のもうれしいところ、なのだけれど……歳月とは残酷なものですね(涙)。(★★★★)

11月22日(金)

映画『惑星ソラリス』のリメーク版はSFファンを満足させられるか。予告編はこちら。アメリカでは11月27日公開なんですね。日本にはいつ来るんだろうか。しかし、「このリメークに関わったすべての人間があらゆる苦しい病気を同時に患ってじわじわとみじめに死んでいくことを願う」ってのは、すごい罵倒だなあ。

▼駒込駅東口の近くに、本日「ハベリ」というインド料理店がオープン。カレー好きとしてはこれを見逃す手はないので、わざわざ初日に食べに行きました。
 一見した店構えはなんだか洋食屋風(実は、半年くらい前まではここにはフランス料理店が入っていたのだ)なのだけれど、実はこれがけっこう本格的インド料理店。厨房ではインド人らしきコックさんが料理を作っているし、メニューもかなり豊富。カレーは数あるインド料理店の中でも美味な方に入ると思うのだけれど、かなり辛目なので心して食べるべし。ちょっと接客にぎこちないところがあったけれど(注文しようとしてもなかなか気づいてもらえなかったり)、まあオープン初日なので許す。

11月21日(木)

▼池袋芳林堂コミックフロアにて、平積みになっていた粟岳高弘『プロキシマ1.3』(FOX出版)を購入。背表紙には黄色い成年コミックマークがついてます。出版社も作者も聞いたことがないのだけれど、エロマンガとはとても思えないSFっぽいタイトルと海辺に立つロリ風の少女の後ろに巨大な化石のような物体がいくつも浮いている謎の表紙に惹かれて購入。
 地雷覚悟で買ってみたのだけれど、これがなんとも不思議な魅力のある作品なのですね。たとえば「らくがき」は、3658分の1の確率で周囲に空間異常を発生させるらくがきを描く少女と、彼女の世話係を務めることになった青年の物語。続く「みのりちゃんジャンプ」はその300年後の物語で、らくがきによって発生する空間異常を利用して跳躍する恒星船に乗り組んだ少女の話。そのほか、人間とよくわからない軟体生物が同居している日本の田舎の話があったり、「外」から隔絶した世界で何十年も同じ姿のまま生き続ける少女の話があったり。
 同じ世界を背景にした作品も多いようなのだけれど、どれも大きな物語のかけらのようで、全部読んでもいっこうに全体像はつかめない(もしかしたら大きな物語などないのかもしれないのだけれど、それはそれでかまわない。大きな物語を想像させてくれるところが魅力的)。
 だいたい、こういう作者のSF趣味を前面に押し出した作品にかぎってHマンガとしては今ひとつだったりするのだけれど、この作者の作品は、決して美少女というわけではないのだけれどちょっと気になるかわいい同級生の女の子を、言いなりにしてあんなことをしたりこんなことをしたり、という妄想を満たしてくれて、意外に実用的。まあ絵の好き嫌いはあるだろうけれど。
 私としてはかなりお薦め。今後要チェックなマンガ家であります。……と思ったら、作者は同人マンガ家として実績のある方のようで。私が知らなかっただけで、実はけっこう有名なのかな。


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