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10月31日(水)

田中啓文『星の国のアリス』(祥伝社文庫)読了。リリカルなタイトルにだまされてはいけない。これは田中啓文作品なのだ。当然ながら、大便を垂れ流した浮浪者の死体あり、金玉星人あり、吐瀉物やら膿やらの描写ありの、たいへん汚らしい作品である。まあ、汚らしいのはもう慣れたからいいのだけれど、駄洒落とか下らないオチとかも何もなく、最後までただただ汚らしいだけだったのはどうかと思うなあ。

続いて菅浩江『アイ・アム I am.』(祥伝社文庫)読了。こちらは田中作品とは対極のすがすがしい(シャレではない)作品。一見、口当たりのいい甘い作品のようだけれど、実はかなり重い問題を提起した作品である。
 その問題とは――人間とは何か。
 遺伝子で定義するとするならば、遺伝子異常を持つ人は人間ではないのか。あるいは、脳だけが生体で、肉体は機械に置き換わっていたらどうか。知性とか理性で人間を定義づけるやり方もあるけれど、そうすると考えない人は人間ではないのか。精神障害者や痴呆患者のように、理性を持たない人はどうなるのだろうか。知性によって定義すると、そうした人が抜け落ちてしまうのである。
 人間とは何なのか。
 たとえば「精神病者はみんな閉じ込めておけばいいじゃないか」というような意見がある。それに対しては「治療すればよくなる可能性があるのだから閉じ込めておくわけには行かない」と答えられるのだが、そうすると治療できない場合はどうなのか。「治療不能の精神病者は殺してしまえ」というような暴論を口にする人はさすがに見かけないが、内心「なぜそうしちゃいけない?」と思っている人は少なくないんじゃないだろうか。
「なぜ精神病者を殺してはいけないか」と正面きって問われたとき、どう答えればいいのか。本書の結論はまだまだ甘いけれど、少なくともひとつの方向性を示唆しているように思えた。

西村京太郎記念館、本日オープン。大ジオラマ「西村京太郎トラベルミステリーの世界」展示。新幹線や在来線が行き交う中で繰り広げられる殺人事件を再現! 見たいような見たくないような。

赤ちゃんに「オサマ」「ビンラディン」名流行。記事はともかく、下の「関連情報」がおかしい。こういう記事って「名前」とかのキーワードで登録されてるんでしょうか。

10月30日(月)

藤崎慎吾『蛍女』(朝日ソノラマ)(→【bk1】)読了。作者は処女作『クリスタルサイレンス』では今どき珍しい豪速球のSFを真っ向から投げ込んでくれた藤崎慎吾なわけで、読者としては次も直球勝負を期待するのが人情というもの。しかし、満を持して登場した2作目は、意外にも変化球なのだった。
 舞台は現代、しかも題材はリゾート開発と森林破壊。最初は日常的な描写から始まって、だんだんと超科学・超自然の世界へと物語は進んでいく。こ、これは、梅原克文氏いうところの「サイファイ」ではないか。
 まあ、言ってみれば「森は生きている」という話なわけなのだけれど、単純なエコロジー礼賛に流れそうになるところを、すんでのところで押さえているあたりは好感が持てます。
 キャラクターがやや紋切り型なところは気になるけれど、まあ、この手の小説としてはよくできた方じゃないかなあ。ただ、こういう球を投げる投手はほかにもたくさんいるのだから、あえて藤崎慎吾が書かなくても……と思ってしまうのも事実。これは勝手な思い入れかもしれないけれど、この作者には超ハードな本格SFを期待したいのである。まあ、確かに本格SFよりこっちの芸風の方が売れるのだろうけど。

10月29日(月)

▼池袋のリブロに向かう地下道で、妙なおじさんとすれ違った。
 服装は白のタキシードに黒の蝶ネクタイ。ただし、服は純白ではなく少し汚れている。それだけなら別におかしくはないのだが、この男性、両肩にひとつずつ女の子の人形を乗せているのだ。どちらも白いドレスを着たフランス人形で、それぞれ「りかちゃん」「えりちゃん」とネームバッジがついている。どういう仕掛けか、人形はふたつとも肩の上から落ちずにちょこんと座っているのである。
 そうか、りかちゃんとえりちゃんなのだな。
 私はそう思った。
 こういう人物とすれ違った場合、ほかにどう思えばいいのだろうか。

 もしかすると、ふつうの人は、こういう人を笑ったり、不気味に思ったりするものなのだろうか。
 私としては、こういう人のエキセントリックな存在様式には強い興味を抱くのだけど、笑ったり気味悪がったりするというのは無神経な行為のように思える。笑う、気味悪がる、というのはつまり、自分が安全圏にいることを確信した上で、こちらの価値観で断罪することだから。
 そして、エキセントリックな人やサイトを「電波」という一言ですませる人たちにも、同じような無神経さを感じるのである。

▼祥伝社400円文庫から、瀬名秀明『虹の天象儀』、山田正紀『日曜日には鼠を殺せ』、菅浩江『アイ・アム』、田中啓文『星の国のアリス』。短篇2本のためだけに山田風太郎『妖異金瓶梅』(扶桑社文庫)(→【bk1】)。小川一水『追伸・こちら特別配達課』(ソノラマ文庫)(→【bk1】)、岩本隆雄『ミドリノツキ(下)』(ソノラマ文庫)(→【bk1】)。フランツ・カフカ『万里の長城ほか』(白水社)(→【bk1】)。以上購入。

10月28日()

乾くるみ『マリオネット症候群』(徳間デュアル文庫)(→【bk1】)読了。いやー、これはおもしろい。人格転移というネタはもはやありふれているけれど、この作品は体を乗っ取られた側の視点で描くという新機軸。中盤までは、SF的な法則を導入した西澤保彦タイプの本格ミステリかと思いきや、物語はさらにもうひとひねりして思いもよらない方向に転がっていく。物語の展開はあくまでロジカルで、しかも予想もつかないほどにスラップスティック。
 前半に張られた伏線からオチはわかってしまったのだけれど、それでも充分楽しめました。おすすめ。

つづいて、梶尾真治『かりそめエマノン』(徳間デュアル文庫)(→【bk1】)も読了。エマノンシリーズの書き下ろし中篇が読める、しかも鶴田謙二のイラスト入りで、というだけでうれしいのだから、これ以上何を望むことがありましょうか。後半のホラーめいた展開はちょっとエマノンシリーズにはそぐわないんじゃないか、という気もしたのだけれど……まあ、いいか。

10月27日(土)

「高齢者ケアの研究・普及へ『癒しの国のアリス』設立」。一応正式名称らしいのだが、このネーミングはどうかと思うなあ。とうてい高齢者ケアを研究する団体とは思えない名前である。この団体では「アルツハイマー病などで支援が必要なお年寄りを『アリス』と呼ぼう、と提唱」しているのだそうだが、これはいくらなんでも作りすぎの感が強く、とても普及するとは思えない。そうすると介護する人は白うさぎですか。介護疲れした家族はハートの女王ですか。首を……ってシャレにならないので自粛。

秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏 その1』(電撃文庫)(→【bk1】)読了。わかりやすく性格づけされたキャラクターの描き方がとってもライトノベル。読み始めは一見現代が舞台のようにみえるのだけれど、少しずつ違和感のある描写が増えていって、我々の現代とは微妙に違う世界の姿が見えてくるあたりの手さばきもうまい。確かにエヴァンゲリオンとかガンパレード・マーチみたいな先行作を思わせる部分もあるのだけれど、個性的なキャラクター、謎に満ちた物語は当然ながら作者ならではのもの。
 市川大門という地名がでてくるところから、舞台は作者の故郷である山梨なんでしょうね。でも、山梨になんで「帝都線」が通っているんだろうか。そして、戦争の相手らしい「北」とはどこなんだろうか。ちりばめられた数々の謎が明かされていくはずの続巻に期待。

10月26日(金)

乙一『死にぞこないの青』(幻冬舎文庫)(→【bk1】)読了。これぞ乙一の本領発揮、なのかな。クラスぐるみで陰湿ないじめを受けている主人公の心理が、これでもかというほどねちねちと丹念に描かれていて、実にイヤな話である。登場人物はごく少ないし、中盤までは特にこれといった事件が起こるわけではないのだけど、執拗な心理描写で読ませる力には脱帽。たとえば、先生が悪いことをするはずがないから自分が悪いんだ、と思ってしまうとか、家庭の安らぎを壊したくないから親にはいじめられていることを黙ってしまうとか、いじめを受けた子どもの心理を、細かいところまでよくとらえてます。やっぱり乙一はうまい。
 でも、乙一をスニーカー文庫で初めて読んで、「乙一=せつなさの達人」だと信じ込んでいる人が読んだらススム君以上の大ショックを受けるかも。

▼吉田戦車+川崎ぶら『たのもしき日本語』(角川文庫)(→【bk1】)、鹿島茂『空気げんこつ』(角川文庫)(→【bk1】)(←まるでスニーカー文庫みたいな表紙である。表紙買いした人は中身を読んで驚くだろうなあ)、イアン・M・バンクス『ゲーム・プレイヤー』(角川文庫)(→【bk1】)(これはまた別の意味で表紙にびっくり。松本先生……)、『M・R・ジェイムズ怪談全集1』(創元推理文庫)(→【bk1】)、サラ・バートン『あの人が誰だか知っていますか?』(角川書店)(→【bk1】)(原題はディックと同じIMPOSTORS)、幸村誠『プラネテス2』(講談社)(→【bk1】)、外薗昌也『琉伽といた夏』(集英社)(→【bk1】)、諸星大二郎『碁娘伝』(潮出版社)(→【bk1】)購入。

10月25日(木)

▼今朝の毎日新聞に「第55回読書世論調査」の結果が発表されていたのだけれど、記事の中に大きくこんな見出しが。
SF・推理が首位の36%
「あなたが好きな文庫・新書のジャンルは何ですか」という質問に対する解答らしい。
 おお、SFが首位! と一瞬思ったのだが、この項目を選んだ人は、たいがい「推理」の方のつもりで選んだんだろうなあ。内田康夫が好きな人もジェイムズ・エルロイが好きな人もグレッグ・イーガンが好きな人も36%の中に混じっているかと思うとなんだか理不尽な気もするが、世間一般ではいまだにこういう認識なんだろうか。
 なお、2位は「雑学」(27%)、以下「文芸一般」(20%)、「歴史」(18%)、「コミック」(16%)の順だとか。ちなみに「ティーンズ、少女、ファンタジー」は3%。そのほか「名著の復刻」が9%、「学術・教養」9%、「全集」7%、「レディース」6%など。
 しかし、私ならずとも、このジャンル分けには、疑問を感じるんじゃなかろうか。「歴史」を選んだ解答者は歴史書じゃなく歴史小説やPHP的な歴史人物本のつもりなんだろうし(歴史書を読む人が18%もいるとは思えない)、「全集」ってのも意味不明(ちくま文庫のやつとか?)。創元の大阪圭吉とかM・R・ジェイムズとかは「名著の復刻」に入るのかなあ。
 また、「あなたは文庫・新書を1年間に何冊くらい読みますか」という質問(なぜ文庫・新書に限るのか質問意図が不明だが)には、1〜3冊が最も多く、37%。16冊以上は9%だそうだ(16冊以上はすべてまとめられてしまうのだ!)。
 おもしろいのが、「読んだことのある文庫・新書」という質問。1位は角川文庫で61%が読んでいる。2位は老舗・岩波文庫(42%)、以下講談社文庫(40%)、集英社文庫(37%)、新潮文庫(36%)、岩波新書(25%)、PHP文庫(19%)、小学館文庫(18%)と続く。小学館文庫、新興にしては意外な健闘ぶりである。ハヤカワ文庫は6%で、講談社ノベルス、ちくま文庫、中公文庫、文春新書、河出文庫などと並んで20位。創元はランク外。
 講談社ノベルスとハヤカワ文庫が同じレベルだというのも意外だし、私がまったく読んだことのないワニ文庫が13位というのも意外。やっぱり実用が強いってことですかね。私のようなタイプの本読みはかえって見逃しやすいけれど、本は実用書しか読まないという読者層は案外多いんですね。

10月24日(水)

▼コンビニの袋を下げて住宅街の道をとぼとぼと歩いていたら、後ろから車がすっと近づいてきた。
 「すいません」と助手席の若い男。道でもききたいのか、と思って近づくと、「これ受け取ってもらえませんか」と箱を差し出してきた。男が開けた箱の中に入っているのは、なにやら高そうな金ぴかのペアウォッチである。私は時計には興味がないのでブランドなどはわからない。
 男の説明は早口でよくわからないのだが、間違って発注してしまったのでこれを持ち帰ると上司に怒られるから知らない人にあげるのだ、とかそういう説明だったような気がする。知っている人にあげるのはまずいが、知らない人なら大丈夫だ、と彼はそういうのである。いくらなんでもそんなバカな話はないのではないか。
 私があからさまに疑わしげな表情をしていたせいか、男は、自分たちは別にあやしいものではなく、なんだったら車のナンバーを控えておいてあとで警察に問い合わせてもかまわない、という。品物も、買えば○○万円はするもので、御徒町の何やらという店の品物だから大丈夫だ、という。
 そして、ちょっとこれから得意先の人と会わなければならないので急いでいる、これもあげる、と、今度は銀色のネックレスの入った箱も差し出してきた。プラチナだ、と彼は主張するのである。
 受け取るだけなら損はないし、ま、いいか、と私が箱を受け取ると、すかさず彼はこう続けた。
――それで、実は今晩飲みにいきたいのでちょっと飲み代を出してほしいん
「嫌です」
 間髪を入れず私はそう言って品物をつき返した。
――あ、そう。
 車は去った。

 家に帰って「時計」「ネックレス」「飲み代」で検索してみると、おお、同じ手口の体験者が続々と。ここにもここにもここにもここにも。この掲示板にも同じような体験談が二つ。どれも、車から声をかける、時計とネックレス、飲み代、というシチュエーションがまったく同じである。中には、お金を渡してしまった人もいるようだ。
 どうやら、私は生来の吝嗇ゆえに騙されずに済んだらしい。みなさんも気をつけましょう。

▼川上弘美『神様』(中公文庫)(→【bk1】)、乾くるみ『マリオネット症候群』(徳間デュアル文庫)(→【bk1】)、林譲治『大赤斑追撃』(徳間デュアル文庫)(→【bk1】)、北野勇作『ザリガニマン』(徳間デュアル文庫)(→【bk1】)、梶尾真治『かりそめエマノン』(徳間デュアル文庫)(→【bk1】)、工藤定次×斎藤環『激論!ひきこもり』(ポット出版)(→【bk1】)購入。最後の本は、奥付に初版部数(3500部だそうだ)、デザイナーや構成者のメールアドレスまで載っているのがすごい。

10月23日(火)

▼当直。

西澤保彦『異邦人 fusion』(集英社)(→【bk1】)読了。23年前にタイムスリップした主人公が、父の死を防ごうとする、という著者お得意のSFミステリかと思いきや、読み進んでいくにつれ、どうもいつもと様子が違うことに気づく。
 たとえばタイムスリップの理由づけにしたっていかにもおざなりだし(当時の衣服を着ることによる『ある日どこかで』型タイムトラベルといえなくもないが、それにしても不徹底である)、過去に持ってきたボールペンを人に渡そうとするととたんに消えてしまうとか、セックスしようとすると不能になってしまうとか、SF的には今一つ納得のいかない設定が多い。かといってミステリとして見たところで、結末は見え見えで意外性は薄い。
 このあたりの不備を作者が気づいていないわけがないわけで、この作品で、作者はむしろ、SFであること、ミステリであることを意識的に放棄しているんでしょうね。つまり作者の意図は、SFとかミステリとかのジャンル小説とは別のところにある。おそらく、作者はこの作品を、時間と家族をめぐるファンタジーのつもりで書いたのだろうけど、それにしても、主人公の家族やセクシュアリティをめぐる重い部分と、現実離れした少女のキャラクタ(なんだかちょっと神麻嗣子みたいだ)や、あまりにもちゃちな時間移動の仕掛けといった軽い部分が、うまくかみ合っていないような気がするのである。

10月22日(月)

松本昭夫『精神病棟の二十年』(新潮文庫)(→【bk1】)読了。21歳で精神分裂病を発症し、昭和30年代から20年にわたって精神病院への入退院を繰り返した著者の半生記、というか女性遍歴というか。とにかく女性関係の描写が妙に多い本である。
 昭和30年から50年といえば、日本の精神医療がドラスティックに変化した時期なわけで、この本でも、かつての精神病院の様子や、入院するごとに治療方針が変化していく様子がよくわかる。
 たとえば、最初の入院では電気ショックやインシュリン・ショック(精神障害者にインシュリンを注射してわざと低血糖発作を起こし、死ぬ寸前でブドウ糖を注射して回復させる、という壮絶な治療法。昔はそういうのがあったのだ)。続いて院内や病室を掃除させたりする作業療法の時代があり、それから抗精神病薬全盛の時代に入っていく。患者数に対して医師が少ないので、医師の問診がたまにしかないとか、病気についての説明が全然ないとか、現在でも残っている精神医療の問題点もきちんと指摘してますね。
 一SF者としては、著者が病棟の書棚にあった「外国の作家が書いた宇宙もののSF」を読んで、「私の心は不思議な世界へ昇華して行くのが感じられた。これは異様な体験であった。私が大人を対象にしたSF小説に開眼したのは、この時が初めてであった」とあるのも興味深いところ。昭和37年だから、ハヤカワSFシリーズか元々社あたりかなあ。この本の中でSFについて触れているのはここだけなのだけれど。
 ただ、どういうわけか、この人、病院内の描写や女性関係についてはくわしく書いているのに、自分の家族や分裂病という病気についてはそれほどくわしく書いてないのですね。病気については、フロイトの自己流解釈に固執しているおかげで、あんまりきちんと理解できてないよう(そのせいで何度となく服薬を中断しては入院を繰り返すのである)。それから、ユーモアの感覚が決定的に欠如しているのは病気のせいなのか時代のせいなのか……。
 『バスカヴィル家の犬』じゃないけれど、「何が書かれているか」ではなく「何が書かれていないか」に注目して読むといいかも。

10月21日()

春日武彦『病んだ家族、散乱した室内』(医学書院)(→【bk1】)を読みました。
 実は「週刊医学界新聞」(そういう新聞があるのだ)というところから頼まれてこの本の書評を書いたのだけれど、「いつ載るんですか」と担当者に訊いたら、「わかりません。数ヵ月後かも」とのこと。そういうものなのか。
 いつ載るかわからないので、ぜひ書評を私の日記に載せてほしい、というので(珍しいことをいう編集者もいるものである)、医学界新聞用の書評にちょっと手を入れて再録することにしました。まあ、この日記の読者に、週刊医学界新聞を読んでる人なんて、ほとんどいないだろうしねえ(実は私も読んでませんでした)。

 『ロマンティックな狂気は存在するか』『顔面考』など一般向けのエッセイでおなじみの著者の新刊は、精神病や痴呆の患者の家庭を訪問する保健婦や福祉関係者向けの本。しかし、難解な専門書かといえばそうではなく、今までの著者の本と同様、生き生きとした実例や新聞記事などをまじえ、シニカルな雑談口調で書かれているので、専門職でない一般読者も興味深く読めるはず。
 さて唐突だが、吉田戦車の最近の作品にこんな4コママンガがある(ギャグマンガを文章で説明することほど難しいことはないのだが、まあお付き合い願いたい)。
 道を歩いている主婦に「サンマが旬だよ!」と声をかける魚屋。「じゃあいただくわ」と主婦。しかし家に帰ってきた主婦は、サンマを花瓶の中に生けるのである。「やっぱり秋はサンマだねえ」と、花瓶に入れたサンマを満足げに眺める、サザエさん風のいかにも幸せそうな家族。「どこがいいのかわかんないよ」とふてくされる子供には、「子供にはこのよさがわからないか」と父親が笑う。そして最後のコマで、「ほかの家ではサンマは食べるものだと知ったのは大人になってからだった」と独白が入るである。
 本書を読んで私が思い出したのは、このマンガである。吉田戦車のギャグが分裂病的だと指摘したのは精神科医の斎藤環だったけれど、このマンガで吉田戦車は、家族というもののブラックボックス性を描き出しているように思える。
 「家」とは、不気味でグロテスクな空間である。もしかすると隣の家では、花瓶に挿したサンマを鑑賞しているかもしれない。もしそうだとしても私たちにはわからないし、当人たちも自分たちの常識が間違っているとは少しも思っていない。「家」という閉空間は、外部の社会とはまったく違ったルールで支配されていることがあるのである。そしてこれは、『屋根裏に誰かいるんですよ。』からつながる著者の家族観でもある。
 そうした家族観を踏まえ、本書ではさらに踏み込んで、患者の「家」を訪問する援助者向けのさまざまな具体的な提言が記されている。たとえば、精神病患者を「こわい」と感じるのは当然のこと、とか、嫌悪感や恐怖、困惑を覚えたとしてもそれを一人で抱え込まず、同僚と共有すること(これは精神分析でいう「逆転移」の利用にあたりますね)とか、患者に嘘をつくのは許されるのか、などなど。確かに重要なのだけれど、今まであんまり表立って話題にされなかったことばかりだ。
 そして、これがこの著者らしいところだと思うのだけれど、援助の仕事をしていて無力感を感じずにすむために必要なのは「好奇心」だと著者は強調するのである。使命感だけでは楽しくないし、ゆとりは生まれない。そうではなく、患者の独自の奇矯な論理やエキセントリックな性格に驚きを感じること。対象に没入するのではなく、距離を置いてみること。ケアというと「共感」を重視したり妙に生真面目に構えたりする人が多い中、これは実に新鮮な結論だし、私も共感を覚えた。そう、興味や好奇心がなくては、こんな仕事やっていられない。
 非常に実践的であると同時に、読み物としても抜群に面白い本である。ただ、中には、「好奇心」だなんて不謹慎だ、と憤る人もいるだろうし、「民宿が嫌い」と書いたり、自らを「偏屈でエキセントリック」と書いたりする著者のスタンスをあまりに露悪的だと思う人もいるに違いない。福祉や医療の業界には生真面目な人が多いのだ。そして、業界に限らず、患者やその家族への「好奇心」などと口にしようものならと不謹慎といわれかねないのが今の日本なのだ。やれやれ。
 フランクで型破りなケアの本である本書が、そんな窮屈な状況に風穴を開けてくれればいいのだけれど。

 とまあ、こういうことを書評には書いたのだけれど、つけくわえるなら、この本を読んでもう一つ連想したのは、唐沢俊一のいう「裏モノ」ですね。悪趣味でいかがわしいモノ、キッチュで馬鹿馬鹿しいモノに対する好奇心と興味。
 裏の知を求めるものは、クールでなくてはならぬ。軸足を常に理性の地点に置いておかねばならぬ。オタクであるためには、ある点で対象にハマらねばならないかも知れない。しかし、裏者には、ハマることは許されていない。それは、裏者が常に「観察者」であるからだ。裏事象を観察し、分析し、法則を見いだす冷徹な科学者の目を持たねばならぬ。
(お笑い“裏”モノ探偵団(7)議長挨拶より)
 と説く唐沢俊一の「裏モノ」の思想と、春日武彦の「好奇心」には、けっこう近いものがあるような気がするのである。まあ、「裏モノ」をうまく説明するのが大変なので書評には書かなかったのだけれど。


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