▼中島望
『十四歳、ルシフェル』(講談社ノベルス)読了。ううむ、確かにこれは70年代学園SF。
気弱ないじめられっ子の少年と、彼がひそかに想いを寄せている美少女。しかし、あるとき、少女は不良グループに陵辱され、少年も無残に殺されてしまう。だが、少年は強大な力を持ったサイボーグ〈ルシフェル〉として生まれ変わり、壮絶な復讐を開始する……というオープニングは、まさに永井豪マンガの世界そのまんま。ヒロインの名前も山鹿百合子と、『凄ノ王』か『狼の紋章』かといったネーミング。
少年の悲痛な思いが描かれる導入部は詩的だし、パッヘルベルのカノンや交換日記など、小道具の使い方も実にうまい。強大な力を手に入れたいじめられっ子の復讐劇、というストーリーは単純だけど力強くて、中盤までは抜群のおもしろさ。まさに70年代エンタテインメントSFの再来である。
ただし、最後の方になると、どうも着地がうまくいっていないのが残念。復讐を終えた主人公の最後の敵が、唐突に登場したカルト教団だというのも解せないし、だんだんと復讐の域を超えて暴走をはじめた主人公の行動の結末も消化不良のまま。おそらくこうした謎は続編に持ち越されているのだろうけれど、単体の作品としてはどうしてもいびつな印象を受けてしまうのである。
▼ようやくバリ旅行最終日、
9月26日の日記を書きました。またぐだぐだと長いです。
▼新聞のテレビ欄を見ていたら、こんなドラマを見つけた。
火曜サスペンス劇場「小京都ミステリー(30)エジプト・パピルス殺人事件」★ライターの尚子は、エジプトで起こった殺人事件の調査に乗り出す。
「小京都ミステリー」が30回も続いているというのも驚きだが(調べてみると、どうやら日本全国には
こんなにたくさんの小京都があるらしい。日本中京都だらけである)、それ以上に驚くべきことは、「小京都ミステリー」の舞台がエジプトだということ。なるほど、エジプトは小京都だったのか。これはなかなか斬新な見解である。山陰の小京都、津和野、みちのくの小京都、角館。そしてアフリカの小京都、エジプト。言われてみれば、なんとなくそういう気もしないでもないから不思議である。どっちも長い歴史があるし。
しかし、こっちは一都市、向こうは国、しかも向こうの方が遥かに歴史は古いというのに火サスの手にかかれば小京都扱い。さすがは火サスである。そうすると、おそらくこのシリーズの続編はこうなるだろう。
火曜サスペンス劇場「小京都ミステリー(31)ギリシャ・エーゲ海殺人事件」★ライターの尚子は、ギリシャで起こった殺人事件の調査に乗り出す。
火曜サスペンス劇場「小京都ミステリー(32)中国・唐三彩殺人事件」★ライターの尚子は、中国で起こった殺人事件の調査に乗り出す。
世界四大文明はすべて小京都。なんだか、京都人は本当にそう思っていそうで怖いです。
そして、小京都ミステリーシリーズの最終回はきっとこうだ。
火曜サスペンス劇場「小京都ミステリー(50)京都・西陣織殺人事件」★ライターの尚子は、京都で起こった殺人事件の調査に乗り出す。
実際、さっきリンクした
小京都マップにもちゃんと京都市は入っている。つまり京都は小京都なのだ。日本の小京都、京都。もうこうなるとなんだかさっぱりわかりません。
▼『ドラキュリア』を観ました。原題は"DRACULA 2000"なのになぜか邦題は『ドラキュリア』。なんだ、ドラキュリアって。
一応、ストーカーのドラキュラを踏まえていて、現代に甦ったヴァン・ヘルシングとドラキュラの戦いを描いているのだけれど、アクションにキレがあるわけでもなし、スタイリッシュな映像を見せてくれるわけでもなし、かといって役者にも力がないので全然盛り上がらない。ドラキュラはモデル顔の大根役者だし、人間側もどうでもいい若僧と特にかわいいわけでもない普通の女の子。しかもストーリーも矛盾だらけ。いったいどこを見ろというのか。
ドラキュラの正体と銀の弾丸を恐れる理由についての新説にはちょっと驚いたけど、やっぱりどう考えても無理があるよなあ。
唯一の見所は、スタトレのセブン・オブ・ナインでおなじみのジェリ・ライアンが出ていること。巨乳のおバカなTVレポーターで、あっけなくドラキュラに血を吸われてしまう、という役である。吸血鬼になった彼女、捕らえた人間の男に「TVスターとしてみたくない?」と迫るのだけど、このセリフ、明らかにTVスターであるライアン自身を意識してますね(★★)。
▼山田正紀
『篠婆 骨の街の殺人』(講談社ノベルス)読了。「山田正紀版トラベルミステリ」だそうな。主人公がトラベルミステリを書こうとしている作家志望者、ということで、メタ・トラベルミステリといった趣向もあるのだけれど、実在しない街を舞台にしたトラベルミステリというのは、いくらなんでも反則だと思うのだがどうか。
私としては、山田正紀ミステリの特徴は、謎が謎そのものとしてではなく、何かの象徴あるいは啓示として提示されるところだと思う。ただし、うまくいっている作品では、謎と象徴性とがあいまって一種異様な印象を与えているのだけど、そうでない作品では、象徴性と謎が乖離してしまって、ミステリとしての謎そのものは意外に印象が薄くなってしまっている。そして、残念ながら、この作品は後者になってしまっているようだ。
まあ、あまりにも次作以降への伏線が多すぎて、単体ではなんとも評価しにくい作品なのだけれど。次作以降に期待かな。
▼スタートレックDS9まるごと26時間録画中。DS9メンバーが過去の世界のカーク船長たちと共演する「伝説の時空へ」がようやく見られたので満足満足。
▼妻が観たいというので、
『陰陽師』を観てきました。ちょっといろんな要素を盛り込みすぎのようにも思えるし、CGも今ひとつこなれていないのだけれど、野村萬斎の晴明はなかなか。身のこなしといい腹から出る太い声といいさすが狂言師。美形とはとてもいえないけれど、人ならぬ者の雰囲気はよく出ている(それに対して小泉今日子はどう見ても不老不死には見えない)。敵役真田広之のはじけまくった演技も見物。この二人が映画を引き締めてますね。
しかしなんといっても、ラストの一言には2ちゃんねらーなら爆笑間違いなし。まさか映画館で「オマエモナー」が聴けるとは思わなかった。劇場内で笑ってたのは私らだけだったけど(★★★)。
▼映画を観終わったあと、近くの店でジンギスカン料理を食べたのだけれど、これが実に恐ろしい体験であった。飛び散る油、爆発するトウモロコシ、鍋に置くと炎を上げて燃える肉! 私も妻も飛び散った油で何箇所か火傷してしまった。ジンギスカンとはこんなに危険な料理だったのか。それとも、なにかうまいコツがあるのだろうか。
▼七北数人編
『監禁淫楽』(ちくま文庫)(→
【bk1】)読了。猟奇文学館の1巻目。タイトル通り監禁小説のアンソロジー。女性を監禁する話、監禁される側の話、男性が監禁される話、物理的な監禁、心理的な監禁……とバラエティに富んだアンソロジーである。タイトルからして、鬼畜エロマンガみたいなのを想像していたのだけれど、救いがないまでに鬼畜なのは式貴士
「おれの人形」だけで、そのほかはよくも悪くも微温的で中間小説タッチの作品が多いのが残念(何を期待していたんだか)。そのほかでは、ズロースへの偏愛がひたすら綴られる宇能鴻一郎
「ズロース挽歌」、まさに人工・耽美の極致で乱歩のパノラマ島を思わせる谷崎潤一郎
「天鵞絨の夢」が秀逸。
▼西澤保彦『夏の夜会』(カッパノベルス)(→
【bk1】)読了。過去の殺人、といってもアガサ・クリスティとは一味違う。30年前のあいまいな記憶をめぐるミステリである。当然ながら30年も前、しかも小学生の頃のことなど、誰もはっきりとは覚えていないわけで、誰が殺されたのか、そもそも本当に殺人は起きたのかすらはっきりしないまま、物語は進んでいく。最初はこんなんでちゃんと解決にたどりつくのかいな、と思って読んでいたのだが、そこはさすが西澤保彦。記憶そのものだけではなく、それをなぜ忘れていたのか、なぜ特定の人物だけが覚えていたのか、といったことまでが手がかりになって、やがて忘却の底から浮かび上がってくる記憶……。
ほとんど動きがないわずか24時間足らずの間の話なのに、ひたすら会話と論理の流れだけでこれだけ読ませる長編に仕上げてしまうあたり、この作者の実力なんでしょうなあ。うまい。しかし、この作者のキャラクターはなんでまたこんな珍名さんばっかりなのか。宿利に紅白に仮に北朴木に包市に佐向に任美に指弘。MS-IMEでは全部変換不能。
▼永渕康之
『バリ島』(講談社現代新書)(→
【bk1】)も読んだが、これは今ひとつ。バリ島の本というより、大戦間のパリやニューヨークにおけるバリ島受容史、といった内容で、バリ島そのものについてはあまり触れられていないのである。おまけに、博覧会の建物がどんな構造だったか、とか一般読者にはどうでもいいような細かい部分ばかりに拘泥していて、バリ島の全体像が全然わからないのだ。研究論文ならともかく、新書でこの内容じゃちょっと困るなあ。
▼中島望
『十四歳、ルシフェル』(講談社ノベルス)は、「70年代SF」テイストのサイボーグ小説らしいので買い。山田正紀
『篠婆 骨の街の殺人』(講談社ノベルス)は山田正紀だから買い。松本昭夫
『精神病棟の二十年』(新潮文庫)(→
【bk1】)は一応職業柄買い。そして今日買った珍本は
ドイツ・ナチズム文学集成《1》『ドイツの運命』(柏書房)(→
【bk1】)。かの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスが書いた日記体小説「ミヒャエル」と、怪奇幻想作家H・H・エーヴェルスが書いたナチ小説「ホルスト・ヴェッセル」のカップリングである。ナチ好きは買いだ。
▼宮沢章夫『青空の方法』(朝日新聞社)を読んでいたら、山口県に行けば誰もが「おいでませ」と迎えてくれるかと思っていたら、そんなことを言う山口の人に会ったことがない、とあった。
そういえばそうだ。山口といえばなんといっても「おいでませ」だろう。しかし、私の妻は山口県人なのだが、いちども「おいでませ」と口にしたことがない。まあ、妻が夫に向かって「おいでませ」と言うシチュエーションというのもなかなか考えにくいものだが、何度か妻の郷里へ行ったときも、妻の両親は「おいでませ」とは言わなかったし、山口の旅館に泊まったときも、女将は「おいでませ」とは言わなかったように思う。
これはどうしたことだろう、山口といえば「おいでませ」ではないのか、と妻に訊いてみたが、「おいでませ」という言葉など使ったことがない、と妻は言う。そうすると、「おいでませ、山口へ」というあのコピーは嘘だったのか。ぼくを騙したな。純粋な少年の心を弄んだな。ずっと山口の挨拶といえば「おいでませ」、福島の挨拶といえば「うつくしま」だと信じてたのに。
▼たまたま夜遅くテレビをつけたらやっていた(ヤクルトの野球中継のおかげで遅れたらしい)『世にも奇妙な物語』の中の「ママ新発売!」がもの凄くて思わず最後まで見入ってしまう。レトロフューチャーな画面にむちゃくちゃテンポのいい展開。画面の隅々まで凝りに凝っていて、とにかく今まで見たことのないような映像である。一瞬たりとも目が離せない。いったいこれを作ったのは誰だ、と思ったら、脚本・監督は中島哲也。豊川悦司と山崎努がバトルを繰り広げるサッポロ黒ラベルのCMを撮ったCMディレクターである。なるほどー。確かにCMディレクターらしい映像かも。これで物語がもう少しなんとかなっていれば、と思うのだが……。
▼角川から出ている
『ファイナルファンタジー』のノヴェライズなのだけれど、不思議なことに単行本、角川文庫、スニーカー文庫と3種類も出ている。まあ、単行本と文庫が同時に出るのは『猿の惑星』でもあったのだけれど(どういう意味があるのかは不明だが)、奇妙なのは文庫版が2種類もあること。
どれも坂口博信原案、ディーン・ウェスレー・スミス著、大森望訳と同じクレジットなので同一内容かと思っていたのだが、店頭で見比べてみたところ、単行本と角川文庫版は同じだが、なんとスニーカー文庫版だけは違うのである。それも、文章自体は同じなのだが、その順番が違っていたり、細かい言い回しが違っていたり、といった微妙な違い。よく見ると、角川文庫版はタイトルに[full length]とついており、スニーカー文庫版は[evolution]とついている。なんだこれ。
いったいノヴェライズを3種類も出すことにどんな意味があるのだろう。しかも映画もこけてあんまり売れそうにないのになあ。
▼古書店にて伊藤典夫訳編
『吸血鬼は夜恋をする』(文化出版局)、スティーヴン・ローズ
『スペクター』(創元ノヴェルズ)購入。
▼休暇をとってゆっくりと英気を養い、また明日からは気持ちを新たにして仕事に打ち込む、などという人がいるが、私は逆である。1日休めばあと1日休みたくなり、1週間休めばあと1週間休みたくなる。まるで、右の頬を打たれたら左の頬を出すキリストのような私である(何か違う)。1ヶ月仕事を休んだことはないが、学生の頃は夏休みが終わるのが嫌で嫌でしょうがなかった(だからといって、特に夏休みに何かをしたというわけでもないのだ。ただだらだらとすごしていたのである)。当然ながら、休み明けの今もだるくて仕方がない。
そもそも「英気」などという得体の知れないものをどうやって養えばいいのだろう。餌は何がいいのだろう。温度はどれくらいがいいのだろうか。だいたい、私は小さい頃から、動物や魚を買ってもらっても、うまく育てられたためしがないのだ。もしかすると私はずぼらな育て方をしたばかりに、英気をすでに死なせてしまったのかもしれない。どうりで、「英気」などという言葉にぴんとこないわけだ。ああ、かわいそうな私の英気。私のような人間に育てられたばっかりに若くして死んでしまうとは。
「英気」を辞書で引くと、こんなことが書いてある。
(1)〔英気〕すぐれた才気。「――を養う[=能力が十分発揮できるように、事に備えて休養を取る]」
(2)〔鋭気〕物事を判断する力などが鋭く、敏速・活発に行動する性質。「――を蓄える・――に満ちた行動」
才気。敏速。活発。なるほど、私にはまるっきり縁のなさそうな性質である。英気を死なせてしまった報いは大きいといえよう。
誰か養っていた英気が増えすぎてしまい、もてあましているような人はいないだろうか。そんな人がいたら、小さな英気でいいから分けてくれないだろうか。もちろんそのときは、育て方のマニュアル本も一緒に。
▼10日ぶりに本屋に行っていろいろ買い込む。まずはSFマガジン11月号、峯島正行
『評伝・SFの先駆者今日泊亜蘭』(青蛙房)(→
【bk1】)、高野史緒
『ウィーン薔薇の騎士物語(5)』(C NOVELS)(→
【bk1】)、トマス・F・モンテルオーニ
『破滅の使徒』(扶桑社ミステリー)(→
【bk1】)、ロナルド・シーゲル
『パラノイアに憑かれた人々』(上・下)(草思社)(上→
【bk1】、下→
【bk1】)。それにバリ島へ行って、信仰と芸能とリゾートと貧困がないまぜになったなんとも奇妙な雰囲気が気になったので、永渕康之
『バリ島』(講談社現代新書)(→
【bk1】)も。
『変革への序章』はは迷ったあげく買わず。実は私、ブリンがおもしろいと思ったこと一度もないんだよなあ。
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9月25日の日記を書く。24日までの日記を読んだ妻には「今回の旅行記はあんまり楽しそうじゃない」と言われる。うーむ、確かに否定的なことばっかり書いてるかも。私としてはそれなりに楽しかったんですが。