▼10時半にチェックアウト。乗り込んだ車の運転席に座っていたのは、風邪引きで洟をすすりあげている兄ちゃん。「大丈夫か?」と訊くと「大丈夫」と答えるのだが、兄ちゃんはいかにも苦しそうにしきりにタオルで洟をかんでいる。大丈夫か? というより私たちにバリ風邪をうつさんでほしいのだが。
さて鼻水兄ちゃんが運転する4WDでまず向かったのが、ゴア・ラワ。「ゴア」とは洞窟、「ラワ」とは蝙蝠。その名の通り、蝙蝠の住む洞窟のある寺院である。蝙蝠の洞窟といったって、今は昼間だし、どうせ大したことないんだろう、と思っていたのだが、これがなんとも想像以上にすごいところだった。
はじめは単なる洞窟のように見えたのである。しかし、その洞窟の入り口の天井が黒っぽくなっており、その黒が何やら波打っているのである。よく目を凝らせば、その黒はすべて蝙蝠! キーキーと甲高いうなり声を上げていて、その数は何百羽、いや何千羽いるのか見当もつかないほど。そしてその洞窟に捧げものをし、きらびやかな正装で一心に祈りを捧げるバリ人たち。
なるほど、これがバリなのか。私たちは圧倒されて言葉も出なかった。
実は、今日は「ガルンガン」というバリのお祭りの日なのだった。別に狙って旅行日程を決めたわけではないのだけれど、バリ島滞在最終日である今日は、210日に一度めぐってくる大きなお祭りだそうで、すでに何日か前から商店の前には椰子の葉で作った四角い器に花や食べ物を盛ったお供えが置かれていたり、各家の門の前にはペンジョールと呼ばれる竹と椰子の葉で作ったきれいな飾りが飾られていたりと、バリはすっかりお祭りムードなのだった。
バリ島中どこへ行っても、道路の両脇には背の高い竹のペンジョールが頭を垂れていてまるで緑の噴水の間を走っているよう。この日は、男も女もみな正装をして寺院に集まり、供物を捧げ、お祈りをし、そして日本の獅子舞いに似た聖獣バロンが町を練り歩く。車にも椰子の葉の飾りがついていて、まるで日本の正月飾りみたいに見える。このガルンガン、先祖の霊を家にお迎えするお祭りで、ペンジョールは霊が迷わないようにするための目印なのだそうだ。なんだかまるで、盆と正月が一緒に来たような盛大なお祭りである。ちなみに、10日後にあるのが、ご先祖をお送りする「クニンガン」の儀式。このへんもなんだかお盆に似ている。
ゴア・ラワだけでなく、車に乗って村々を通りすぎると、どこの村でもきらびやかな服装に身を包んだ男女が行き交い、小さな社にまで熱心にお祈りをしている人々の姿が目についた。そして小さな村を練り歩くバロンの行列に出会うこともしばしば。確かにこの島では神々が人々の生活とともに生きている。バリ島最終日の今日になって、なんだか、ようやく「観光」に汚染されていない、生のバリ島民の姿をみることができたような気がしたのである。
▼車に帰りつくと、鼻水兄ちゃんはぐったりとシートを倒して横になっている。本当に大丈夫だろうか。あとで訊くと、妻は兄ちゃんに風邪薬をあげようかと思ったのだが、運転手に眠くなられても困る、と思いあげなかったのだとか。適切な判断か非道な行いなのかは意見が分かれるところであろう。
ともあれ、車はゴア・ラワを出発し、走ること1時間以上。道はだんだんと山道になってくる。うーん、こんなとこ行く予定になってたかなあ、次はどこへ行くんだろう、と訊いてみると、鼻水の答えは「ラン」だという。「ラン」って何だ。訊いてみてもよくわからない。鼻水の英語はなまりがきつくてほとんど聞き取れないのである。
やがて車は峠に達し、目の前に絶景が広がった。眼下には青々とした湖、そして目の前には雄大な火山。どうやら私は外輪山の上にいて、中央のバトゥール山と火山湖バトゥール湖を見渡しているのである。ということは、こここそがバリでも一二を争う景勝地キンタマーニなのか。
おお、キンタマーニ。日本男児と生まれたからは、一度は行きたいキンタマーニ。世界三大エロ名所の1つであるキンタマーニである(ちなみにあと2つはエロマンガ島とスケベニンゲンだ)。「キンタマーニ」の看板が写真に撮れなかったのが残念だ。
そして、車の目的地は火山と湖を望める展望レストラン。どうやら観光客はここに連れて来られることになっているらしく、店内は日本人でいっぱいである。鼻水の言う「ラン」とは「ランチ」のことだったらしい。ただしこのレストラン、確かに景色はすばらしいのだが、料理は今一つどころかこの旅行で最低レベル。バイキングには蝿がたかっていたし。まあ景勝地の食堂なんてだいたいこんなものか。
▼昼食後も車は快調に飛ばし、ときおり、山並みにライステラスが広がり、眼下を渓流の流れる美しい光景が車窓をゆきすぎる。そんな光景にさしかかるたびに、鼻水は「どうだ、美しいだろう。ここで停めて写真を撮るか?」などと話しかけてくるのだが、なんだか複雑な思いを感じた私は、とうとう「停めてくれ」とは言い出せなかった。
彼は「美しいだろう」と言うのだが、本当にその風景を美しいと感じているのだろうか。それを「美しい」と感じるのは観光客の視点であって、バリ人の視点ではないのではないだろうか。彼は「こういう風景を観光客は美しいと思うものである」ということを学習しただけなのではないか。
「美しいライステラス」などというが、あれは要するに日本にもある「棚田」である。「棚田」というのはつまり、山あいに住む貧しい農民が、耕地としては不適切な斜面をなんとか耕地として活用するための必死の知恵であり、その風景を「美しい」などと無責任に言い放つのは観光客の身勝手なのではないか。バリ人だって、平地が充分にあれば普通の田んぼを作り、もっと大量の米を収穫したかっただろうに。
それとも、これは、私の考えすぎだろうか。
▼さて、次に向かったのは、タンパシリンという村にある寺院ティルタ・エンプル。ティルタ・エンプルとは〈聖なる泉〉という意味で、文字通り寺院の中では今も聖なる泉が湧き出ており、ガルンガンの今日は数多くの参拝客を集めている。沐浴場では涌き出る水を体に浴びたり、あるいは服のままプールの中に全身つかっている人もいる。まさに聖地である。
ここでは、どことなくモーガン・フリーマン似の風格のあるおじさんがガイドをしてくれた。聖地を見下ろす丘の上にあるのがスカルノの別荘だ、とか、あれがリンガとヨニだ、お参りすると子宝に恵まれるぞ、とか。ただし、あっちが出口だ、と教えてくれた方にはみやげ物屋が延々と並んでいて、私たちは壮絶な客引き攻勢にさらされることになったのだけれど。
そういえば、バリの物売りについて書かなかった。
ゴア・ラワでは、駐車場で車を降りた観光客が必ず通るポイントに物売りの女たちが待ち構えており、私たちが通りかかるとわらわらと近づいてきて「これは只だ」といって無理矢理首飾りをかける。そして「アナタキレイ」などと片言の日本語を繰り返して、巧みに名前を訊くのである。そして、寺院から帰ってくると、行きにも増してすごい勢いで寄り集まってきて、「○○(名前)、首飾りをあげたんだからこれを買ってくれ」「○○、安いから買ってくれ」「○○、○○」と真剣な表情で、どこに飾ればいいのかさっぱりわからないような木彫りの卵を売りつけようとするのである。私は、これほど悲壮な表情でものを売る人間を初めてみた。しかも、それは私たちからみれば、たった500円か1000円くらいのものなのである。
キンタマーニでもそうで、レストランから出た瞬間に女たちが集まってきて、「7マイ1000エン」「ヤスイヨ」と片言の日本語で安物のTシャツを売りつけようとする。中には小学生くらいの女の子までいて、必死の形相で私たちに訴えかけるのである。
こうした物売りを鬱陶しい、と思う人もいるだろう。しかし、私にはそれはとても哀しい光景に思えた。
▼続いて近郊の石窟遺跡2つ、グヌン・カウイとゴア・ガジャも見学したのだが、この2ヶ所にはガイドがいなかったおかげで今一つ印象が薄い。ガイドというやつは、無理矢理寄ってきて説明を始められると迷惑に感じるが、まったくいないとなればこれもまた寂しいもの。やっぱり「見るべきところ」を教えてくれるガイドというものは必要なようだ。
▼さて、なんだか悪いところばかり書いてきたような気がするが、決してこの旅が楽しくなかったというわけではないのだ。たとえばヒンドゥー寺院の怪しい石像や細かい彫刻には心惹かれたし、ガルンガンのお祭りにも心動かされた。インドネシア料理はうまかったし、ホテルはとても居心地がよかった。
でも、やっぱりこの島は楽園なんかじゃない。豪華な〈バリ風〉ホテルが立ち並んでいるかと思えば、大寺院から村々の小さな社までが深い信仰を集め、本来は宗教儀式であるはずの芸能が観光の名のもとに夜ごと繰り返され、景勝地では物売りが悲壮な表情で7枚1000円のTシャツを売りつけようとする。むせかえるような熱帯の自然が目の前に広がる一方で、安ガソリンを入れたバイクはもうもうと白煙を吐き出し、どう考えても清潔じゃなさそうな溝で村人たちは服や皿を洗っている。
ここに来てわかったのは、バリという島が、「神々の島」でも「芸能の島」でも、ましてや「楽園」なんかでもなく、なんともひとことでは言いつくせない複雑な場所だということ。伝統は観光に依存し、観光は伝統に依存し、とまるでウロボロスの蛇のような奇妙な相互依存関係がなりたっているようなのだ。つまり、観光客とバリ人は、この島をめぐって共犯関係にある。
「7マイ1000エン」の悲壮な物売りも、微笑みをたたえたリゾートホテルの従業員たちも、日本人を利用しようと近づいてくる村長の息子も、ケチャを踊る男たちも、結局は同じこと。みんな同じ私たちの共犯者である。彼らは豊かになりたいのだ。でも、豊かになるためには観光に頼る必要があり、そのためには豊かではない伝統的なバリのままでいなければならない。私たち観光客もバリに昔ながらの自然と伝統を望みつつも、豪華なリゾートホテルに宿泊していたりする。
信仰とリゾート、伝統と観光、優雅さと貧困とが、まるでイカット織りのように複雑な模様を描いている土地、それがバリなのだった。
▼ゴア・ガジャを出た頃には、すでに日も沈みかけている。車は一路空港へ向かう。クタとかヌサ・ドゥアとかいったリゾート地の広がるバリ南部に入ると、道幅も急に広くなり、ケンタッキーやらマクドナルドやらも並んでいたりして、なんだか今までいた場所とは別の国のようである。
鼻水兄ちゃんが最後に連れて行ってくれたクタ郊外の免税品店ガレリアは、まるで日本のデパートのように広々としていて、高価なブランドものがずらりと並んでいた。空港の中にも、バリ人には無縁の広大な免税品店が広がっていた。
21時45分、日航機はデンパサール空港を飛び立った。
▼バリ島という土地は赤道直下だけに、暑さも耐えがたいほどかと思っていたのだが、存外涼しいところである。もちろん気温は高いのだろうし、直射日光の下ではひどく暑く、少し動いただけで体中汗まみれになってしまうほどなのだけれども、今は乾季で湿度が低いせいか、ひとたび木陰に入れば意外に涼しい。ぎらぎらと太陽の照りつける午後でも、屋根のあるベランダではのんびりと涼んでお茶を楽しむこともできる。夜になれば涼しさは一層強まって、1枚羽織るものがほしくなるほど。案外すごしやすいのだ。熱帯のバリよりも、むしろ東京の夏の方が蒸し暑くて耐えがたいくらいである。
この島では、日中でも日陰でぼーっとしたり寝転がったりしている男たち(と犬たち)の姿をよく見かけた(ぼーっとしているのは例外なく男たちで、女性の姿はまったく見なかった)。仕事もせずに何をやっているのだろう、と思っていたのだが、確かにバリでは日中はああやって極力体を動かさずにいるのがもっとも涼しくて心地よいのである。いや、だからといって、昼間っから仕事をしていない理由はよくわからないのだが。もしかすると、バリでは、農作業などはまだ涼しい朝のうちにすませ、昼間はぼーっとする時間なのかもしれない。
また、夜になると村のそこかしこにたむろしている若者たちの姿も見られた。村に必ず何軒かある小さなよろずやの店先に集まっていることが多いのだが、何もない道端に集まっていることもある。しかも彼らは何かしゃべったり騒いだりしているというわけでもなく、やはり何をするでもなくぼーっとしているのである。いったい彼らは何をしていたのだろうか。
▼さて、今日は半日車をチャーターして(もちろん4WDだ)、バリ島東部の観光に出かける。まず車が向かったのはアンラプラという町。かつてこの地方を治めていたカランガスン王朝最後の王が20世紀に建てたという王宮を見るが、これがまた小さい。クルンクンにあった宮殿に輪をかけた小ささである。
続いて訪れたのがティルタガンガ。アンラプラの王宮を建てた王様が1947年に造った離宮だそうである。これまた意外に新しいのだけれど、こちらは王宮に比べてはるかに美しい幾何学的な水上庭園である。ティルタガンガとは、ガンジスの泉という意味。ヒンドゥー教徒にとっては、ガンジス川というのは特別の意味があるらしい。実際、敷地内からは聖なる泉が涌き出ているのだが、明らかにガンジスの水よりきれいそうだ。また、庭園内には国王用と王妃用の2つのプールがあるのだが、今では一般に開放されており、地元の子どもたちが歓声を上げながら泳いでいた。ここはなかなかいいところである。ただし、庭園に入るなり、男がいきなり近づいてきて「明日はお祭りだから、子供に何か買ってあげなきゃならないんだよー」とかいいつつ、何度断っても無理矢理ガイドをしようとしたのには参った(結局根負けして、彼のガイドに付き合う羽目になってしまった)。
▼チャンディダサに戻って昼食を摂ったあと、最後に訪れたのが、チャンディダサからさほど離れていないところに位置するトゥガナン村。ここは、ヒンドゥー教伝来以前からこの地に住んでいた、バリ・アガと呼ばれる先住民の村で、イカットという織物や竹で編んだ籠で有名な村である……らしい。私はイカットにも竹籠にもまったく興味がないので、この村のことなど全然知らなかったのだが。
小さな村の中には古い家々が並び、牛や鶏が飼われている。村の入り口前の広場では若者たちが何やら歌い騒いでいる。女性たちは村の奥にある泉から水を汲み、容れ物を頭の上に載せて運んでいる。この村は確かに素朴そうに見えるし、実際そうした一面もあるのだろうが、観光客が次々と訪れているからには、素朴であり続けることなどできるはずもない。村の入り口では入村料を要求されるし、メインストリートの両側には観光客向けに織物や籠を売る店が軒を連ねている。そのうちの一軒は「村長の家」と日本語ででかでかと書かれ、イカットの織り方を日本語で解説した説明板が置かれている。ひとたび家に入れば、「アナタキレイ」「ヤスイヨ」など、片言の日本語で盛んに話しかけてくるのである。
私たちは、バリ人の話す片言の日本語にはもう驚かなくなっていたが、さすがにこの村の青年が流暢な日本語で話しかけてきたときには驚いた。
「やあどうも。ぼくはこの村の村長の息子です」と彼は言うのである。彼は私たちに宿泊しているホテルを訪ね、「セライ」だと私が答えると目を見開き、「あれ、きのう会わなかったですか? ロータス・シービューで食事してたでしょ。ぼくもセライに泊まっているんですよ」と言う。なるほど、きのう日本人カップルに割り込んでいたのが彼か。それにしても驚くべき記憶力。私は彼の顔などまったく覚えていなかったのに、彼の方は私たちをしっかり覚えていたらしい。
彼が村長の息子、ということは、あの「村長の家」が彼の家か、と思ったのだが、彼が言うには、あれは本当の村長の家ではないそうだ。同じ布や籠でも、本場のこの村の方が売れるので、村外の人が家を借りて店を開いているのだという。なるほど、ありそうな話だ。
彼が言うには、イカットには魔除けの力があり、体調が悪くなった場合、自分のイカットを煎じて飲むのだそうだ。そのおかげでこの村には誰も病気の人はいない。自分も生まれてから32年間一度も病気になったことはない、とのこと。なんとも疑わしい話だが、彼らと我々とではそもそも「病気」の定義が違うのかもしれない。
なぜそんなに日本語がうまいのか、と彼に問うと、自分は日本で働いていて、今は休暇でバリに戻ってきているのだという。仕事は、と訊くと、「上野の芸大で教えている」という。
……芸大?
このへんから私は妙に流暢な日本語を操る彼のことを怪しみはじめた。
――何を教えているんですか?
「イカット織りとかそういうことを」
芸大にそんな科があるのだろうか。「あのIndigoという家にいけば本物のイカットが見られるよ」と彼は案内してくれ、まるで自分の家であるかのように我が物顔に振る舞っていたのだが、その家の叔母さんの彼を見る視線が妙に冷たかったのは気のせいか。少なくとも村長の息子に対する敬意はかけらも感じられない。
やがて彼は、タケシという日本人の若者と意気投合したらしく、タケシのバイクに2人乗りしてどこかへ走り去ってしまった。タケシはウブドからバイクでこの村に来たものの、村の若者と一緒に酒を飲んで騒いでしまい(「むちゃくちゃ楽しかったっすよー」と、タケシは言った。すると、さっき村の入り口で騒いでいた若者たちの中にタケシもいたのか)、酔いを覚ますためにウブドに戻る前にしばらくこの村で休みたいようだ。そして、彼が自分の家でタケシを休ませてあげる、というのだ。
走り去る彼とタケシを見送りつつ、私は思った。なぜ、ここトゥガナンに自分の家があるのに、彼は観光客向けのリゾートホテルに泊まっていると主張したのか。そして、この自称「村長の息子」氏は、なぜ次々と日本人に声をかけているのか。
日本に帰ってきてからインターネットで調べてみたところによると、日本語の流暢な「トゥガナンの村長の息子」は、バリでは日本人相手のジゴロ、詐欺師として悪名高い人物であるらしい。チャンディダサ、トゥガナン、ウブドあたりに主に出没し、騙された女性は数知れず。逮捕歴もあるのだが、地元では有力者であるため、逮捕されてもすぐに釈放されてしまうのだという。ただし、そのネット掲示板に書かれた「村長の息子」の風貌は、私たちの見た人物とはちょっと違っているので、必ずしも同一人物とはいいきれないのだが。
タケシの無事を祈るばかりである。
▼さて、今日が実質的にバリ島一日目。今日の滞在地は、バリ島内陸部のウブドという村。ケチャとかガムランとか芸能で有名な村で、村の周辺はリゾートホテルだらけ。私たちが泊まっている「ザ・チェディ」も、そんなリゾートホテルの1つなのだけれど、ウブドの村から車で15分以上かかるのが難点。もちろん村まで無料送迎車は出ているのだけれど、それにしても遠い。逆に、村からも道路からもかなり離れているため、ホテルにいれば車の音や村の喧騒はまったく届かず、特に夜は虫と蛙の鳴き声しか聞こえない。部屋にはテレビもなく、完全に俗世から離れた日々がすごせる。のんびりとくつろぐには最適な環境といえよう。スタッフも教育が行き届いているらしくみんなにこやかなのだけれど、誰が教えたのか我々の顔を見ると「おっはー」とか「おっつー」とか、手振り入りで妙な挨拶をしてくるのには、しばらく何を言われているのかわからず閉口した。
とはいうものの、一日中ホテルでのんびり、なんて私の性に合わないし、ウブドにいられるのは今日と明日の午前中だけなので、昼前からウブドの村に向かうことにする。ウブドの村はというと、観光客向けの土産物屋が所狭しと建ち並び、道路にはバイクや4WDが行き交う(バリ島では悪路が多いせいか、ほとんどの車が4WDなのである)騒々しい雰囲気である。
驚いたのは、村の中にやたらと犬が多いこと。そこらじゅうに野良犬とおぼしき首輪のない犬がいて、平気で歩道に寝そべっていたり、我が物顔で道路を歩いていたりするのである(その後、野良犬はウブドだけでなくバリ島中にいることがわかった)。どの犬もなんだか不健康に痩せていて、皮膚病を患っている犬も少なくない。車の運転手も馴れたもので、道路の真ん中に犬がいても、クラクションを鳴らして少しスピードを落とすだけ。すると、犬はすばやく逃げて、かろうじて轢かれずにすむのである。
絶対に何匹かは轢かれてるはずだよなあ、と思っていたのだけど、実際、目の前でバイクに轢かれたのを見たときにはさすがに驚いた。犬はキュイーンと哀しげな声を上げて逃げていき、バイク乗りの方は何事もなかったかのようにバイクを起こし、走り去っていった。なんだかこの島の犬は不幸せそうだ。今日一日でバリ島中で、いったい何匹の犬が車に轢かれたことだろう。
さて、ウブドではぶらぶらと美術館や寺院やモンキー・フォレストなどを見て回る。
プリ・ルキサン美術館では、濃密な熱帯の森と動物たちをモノクロで描いた幻想的な絵が妙に心に残ったので、その絵のポスターを購入。
こういう絵である。I Gusti Made Deblogという画家が描いた「ハヌマンの誕生」という絵らしい。この美術館には売り物の絵も展示してあったのだけれど、そういう絵画を買わずポスターですませるあたり、実に吝嗇な我々らしいところである。
これはウブドに限らないけれど、バリ島で特に興味深かったのがヒンドゥー寺院ですね。たとえば、塔を縦に割った形をした割れ門(チャンディーブンダル)とか、寺院の屋根の細かい装飾の造形とか、寺のそこかしこにいる龍やら亀やらガルーダやら魔女ランダやらの石像とか、実に魅力的。日本の静寂に満ちた仏教寺院に対して、ダイナミックで鮮やかな寺院、といった印象である。特にモンキー・フォレスト内にある寺院には、どことなく水木しげるの妖怪風な石像(
27日の日記を参照)があちこちに並んでいて、これがなんともいい顔をしているのだ。
しかし考えてみれば、こういうのって、欧米人から見たら「邪教」に見えるんだろうなあ。そういえば、多神教でごてごてしたヒンドゥー寺院(しかもリンガとヨニを祀ってたりする)って、ハリウッド映画などに登場する「邪教の寺」のイメージそのものかもしれない。
▼さて、ホテルで一休みしてから再び街に繰り出し、ケチャを見に行く。チケットはどこで買うんだろう、と思っていたのだが、まったく心配することはなく、道を歩いていればチケット売りの親父や子供が口々に声をかけてくる。
さて初めて見たケチャはというと、これは完全に観光客向けのショーですね。しかも、道路のすぐ脇の集会場で行われるので、バイクや車の音がうるさいこと。これでは神秘性なんてかけらも感じられない。実際、ケチャは伝統芸能なんかじゃなく、サンヒャンという古くから伝わる秘儀をもとに、1930年代にドイツ人の画家が観光芸能として作ったものらしい。意外に新しいのだ。
この島で観光客向けに行われている「伝統芸能」と称するものは、たいがいがそうらしい。ガムランにしたって、今演奏されているスタイルが確立したのは20世紀に入ってから。美術館に並んでいるバリ絵画も、西洋絵画の影響を受けて成立したものだ。観光という視点なくしては今のバリの「伝統」は存在しないのである。つまり、我々観光客がバリの伝統を作り、しかも観光客が押し寄せることで同時にバリの伝統を破壊している……観光と伝統は、なんとも悩ましい関係にあるのですね。
▼ケチャが終わったあとは、モンキー・フォレスト通り沿いにあるレストラン「カフェ・ワヤン」で食事。入り口が狭いしお客さんが多い様子なので入れるのだろうか、と思っていたのだが、この店、おそろしく縦に長いのですね。入り口から延々と歩き、案内されたのはいちばん奥の、屋根もない芝生の上にテーブルが置かれた席(バリでは、すべてのレストランがオープンエアなのだが、屋根すらなかったのはここだけである)。照明は芝生やテーブルに置かれた蝋燭だけ。なかなかいい雰囲気である。
ここは、ウブドでももっともうまいと言われる店で、日曜日の夜にはインドネシア料理のバイキングが食べられる。これが確かに評判どおり美味。今まで日本で食べたどのインドネシア料理よりもうまい。ただし、いちばん奥の席だったので、暗い道をはるばる料理を取りに行くのが大変だったけれど。
▼藤岡真
『六色金神殺人事件』(徳間文庫)(→
【bk1】)読了。前作『ゲッベルスの贈り物』に輪をかけてスケールの大きいバカ話である。なんせ今度は160億2400万年前の宇宙開闢以来の歴史を記し、人類はエイリアンの末裔であると主張する古文書をめぐる連続殺人が発生、人が宙に浮き、UFOまで飛びまわってしまうのだ。しかもこれ、SFではなく純粋なミステリである。
登場人物がやたらと多いわりに書き分けがうまくいっていないので、誰が誰やらわかりにくいし、メインとなるアイディアにしてもだいたい想像がついてしまう……と、決して完成度が高い作品とはいいがたいのだが、ただただ読者を騙すことだけを目指す稚気はむしろいさぎよいくらい。読みなおしてみれば実はダブルミーニングだった箇所があちこちに発見できる、という再読の楽しみは、前作と変わっていない。
前作は「緻密」と「目茶苦茶」が両立した珍しい作品だったけど、今度は緻密さより目茶苦茶さが前面に出た作品。でも、あまりのバカバカしさは好みが分かれそう。
しかし、この作者、タイトルで損をしているとしか思えない。『ゲッベルスの贈り物』じゃ国際謀略ものみたいだし、『六色金神殺人事件』に至ってはまったく意味不明。こんなタイトルで、実際はバカ本格ミステリだと誰が思うだろうか。
▼梅原克文
『サイファイ・ムーン』(集英社)、乙一
『暗黒童話』(集英社)、S.P.ソムトウ
『ヴァンパイア・ジャンクション』(創元推理文庫)、北野勇作
『クラゲの海に浮かぶ舟』(徳間デュアル文庫)購入。
▼深海生物フィギュアは、テンガイハタ(幼魚)、テンガンムネエソ、ギンザメ×2、深海探査艇(白)、マッコウクジラ。
▼さて、明日から旅行に出るので、更新はしばらくお休みします。
一応飛行機に乗る予定なのだけれど、何日か前の夕刊紙の見出しに「第2弾テロ22日」と大きく書かれていた上、asahi.comにまで
こんな記事が出ていてちょっとドキドキ。明日日航機が米軍基地か都庁にでも突っ込んだら、私のことを思い出してください。で、何も起こらなかったら、私が勇敢に戦ったのでテロが未然に防がれたのだと思ってください。嘘でも思え。