▼テロ事件を二度と起こさないようにするにはどうしたらいいか、私も微力ながら知恵を絞ってみました。
私が考えるに、「テロ」という言葉がいけないんじゃないだろうか。「テロリスト」とか「テロリズム」とかいう単語には、なんだか浪漫の香りがしないですか。自由を抑圧する国家権力に対して挑む闘士、というようなイメージ。テロリストを美化した小説や映画は多いし、テロリスト、というとなんとなくかっこいいイメージすらある。これがいけない。
要するに、「テロリズム」という単語にまとわりつくロマンティシズムを一切剥ぎ取ってしまえばいいのだ。「暴走族」を「珍走団」に言い換えよう、という運動が2ちゃんねるにあるけれど、これと同じように、「テロ」もかっこ悪い言葉で言い換えてしまったらどうか。
たとえば、こんな名前はどうだろう。
「ケロ」
IRAのケロリスト
同時多発ケロ
ケロリストのパラソル
ケロルの現象学
どうですか。
同時多発ケロというと、なんだか無差別に
プリンにカエルを入れる集団のようである。
これでまだ生ぬるいというのなら、「ゲロ」はどうか。
美貌のゲロリスト
ゲロリストに薔薇を
アメリカで同時多発ゲロ
大使館に自爆ゲロ
同時多発ゲロは東京では毎晩のように起こっていそうです。自爆ゲロはいやだなあ。
ただ、これは日本国内でしか有効でないのが難点。
▼藤岡真
『ゲッベルスの贈り物』(創元推理文庫)(→
【bk1】)読了。
やられました。タイトルからしてナチネタの謀略ものかと思っていたのだけれど、こんなにお気楽かつおバカな本格ミステリだったとは。確かに、ヴァーチャル・アイドルというアイディア自体は今となっては陳腐だし、物語にしてもスケールだけはむやみに大きいもののツッコミどころも多く、かなり大ざっぱな話である。しかも、あっと驚くような大ネタがあるというわけでもない(タイトルの「ゲッベルスの贈り物」の正体はちょっと腰砕けだったし)。
それでも結局小気味よく騙されてしまったのは、トリックの組み合わせ方が絶妙だったからでしょうね。冷静に考えればひとつひとつは大したことがない仕掛けなのだけれど、合わせ技一本、というところですか。再読してみると、なるほど、ここが伏線だったのか、と気づく記述があちこちに。解説の千街晶之氏が書いているとおり、「目茶苦茶」かつ「緻密」な、奇怪な本格ミステリであります。
▼中井紀夫
『イルカと私が歩く街』(EX novels)(→
【bk1】)、林譲治
『暗黒太陽の目覚め 下』(ハルキ文庫)(→
【bk1】)、高瀬彼方
『カラミティナイトII』(ハルキ文庫)(→
【bk1】)購入。
▼当直。
▼吉川良太郎
『ボーイソプラノ』(徳間書店)(→
【bk1】)読了。ううむ、私にとっては残念なことに、前作にも増してSF度は薄くなってますね。この人はこのまま非SF方面に行ってしまうんだろうか。
SF的アイディアといえば「犯人」の正体くらいのもの。主役も前作の特異な性格の「猫」から、ごく普通の探偵に移り、近未来フランスの都市国家パレ・フラノを舞台にしたハードボイルド・アクション小説になってます。ブンガク的だった前作に比べて、なんだか普通になったなあ、という印象。前作の主人公であるペローも登場するけど、前作で「全仕事」を終えただけあって、全然仕事しません。
一応主人公は探偵なのだけれど、この物語の真の主役は、パレ・フラノという都市そのものだといっていいでしょうね。ただ、(これは意見が分かれるところだろうけれど)パレ・フラノという街にそれだけの実在感と魅力があるのならともかく、私にはエフィンジャーのブーダイーンやブレードランナーのロスなどの寄せ集めのようにしか見えず、それほどのオリジナリティや魅力は感じられないのが残念。
都市国家パレ・フラノの「理性」としてパパ・フラノが君臨しており、それに対する抑圧された無意識として「犯人」が反乱を起こす、という構図は何度となく説明されるのだけれど、「理性」たるパパ・フラノの存在感が薄く、意識と無意識の葛藤が物語の中で動的に発展していかないのも物足りないなあ。
▼製薬会社の人にポスターをもらった。アリセプトというアルツハイマー型痴呆の薬のポスターである。どこかに貼っておいてください、と製薬会社の人はいうのである。
しかし、こんなポスターをいったいどこに貼ればいいのか、と私は途方に暮れてしまった。なんせ、ポスターにでかでかと写っているのは加山雄三なのだ。それはもう、毛穴さえくっきりと見えるほどの巨大な加山雄三の顔なのである。
なぜに痴呆薬のポスターに加山雄三。父親上原謙の離婚劇でワイドショーの話題になってたけど、介護とは別に関係なかったような気もするのだが。介護で話題になったといえば、舛添要一あたりの方が適任ではないか。毛穴さえくっきり見えるほど巨大な舛添要一の顔。それはそれでイヤだし、森繁久彌とかだったらこれはまた別の意味でシャレにならない。岡田美里もダメだ。やはりここは加山雄三くらいが妥当なところか。
ポスターの隅にはURLが掲載されている。
www.e-65.net。「いい老後」だそうだ。ふざけていますか。
それ以上に気になったのは、このポスターでもサイトでも一貫して使われている「痴ほう」という表記である。「痴呆」ではなく「痴ほう」。ああ、「呆ける」という漢字を嫌ったのかな、とも思ったのだが、考えてみれば「痴」の方がよっぽどイメージが悪いし難しい字ではないか。
かといって、「ち呆」でもなんだか間抜けである。「痴漢」を「ち漢」と書くようなもので、かえって意味がわかりにくい。
しかし、「痴」も「呆」もダメとなると、「痴呆」はこう書かねばならなくなる。
ちほう。
これじゃよくわからない。
精神分裂病だって、イメージが悪いというので改称の方向に向かっているそうなのだから、「痴呆」だって、もう少し響きのいい病名に改名してもいいんじゃないのかなあ。
▼休日出勤。
▼回診で各病棟を回ると、病棟の壁に患者さんの書いた習字が貼ってあることがある。だいたい、「光明」とか「良好」とか、ああ、回復してきてるんだろうなあ、という習字が多いのだが、今日回ったある病棟には、こんな習字が貼ってあった。
「タリバン万歳」
ウケを狙ったのかなあ。それとも事件がこの人の攻撃性を刺激したんだろうか。
テロは精神科の患者にこういう影響も与えている、ということで。
▼体調悪し。ほとんど一日寝て過ごす。
▼さだまさしに「パンプキンパイとシナモンティ」という歌がある。さだまさしの曲の中でもそれほど有名じゃないので、知らない人も多いかも。この歌に出てくる喫茶店の名前が「あみん」で、岡村孝子のいたデュオ「あみん」の名はここから取られているのだけれど、最近じゃ「あみん」自体知らない、という人もいそうだなあ。ううむ。
まあ、これまでも一部の人にしかわからない話ばっかりしてきたので、今回も気にせず行きます。今日は「パンプキンパイとシナモンティ」を知らないとよくわからない話なので、そのつもりで。
というわけで、ようやく本題に入るのだけれど、妻はつねづね、この歌の歌詞は間違っている、と主張している。
はて、どこかおかしいところがあるだろうか。そうか、「パーンプキンパイとシナモンティに/薔薇の形の角砂糖二つ〜」というサビの部分かな。薔薇の形なのに「角」砂糖とはこれいかに、と妻に言ってみたところ、妻は、確かにそこもおかしいが、もっと変なところがあるという。
妻が指摘するのは、そのサビの続きの「シナモンの枝でガラスに三度/恋しい人の名を書けば〜」という部分。シナモンティについてくるアレは「シナモンの枝」ではなく「皮」だ、と妻はいう。さだまさしのせいで多くの人がアレを枝だと思っているが、あれはシナモンの樹皮をはがして丸めたものであり、枝ではない、というのである。
確かに。
でも、「シナモンの皮でガラスに三度〜」では、なんだか愛がかなえられそうにないような気もするのである。
▼BS1で、アメリカの同時多発テロの追悼式を見ていたのだが、ブッシュ大統領の演説のあと、みんなで起立して歌い出したのが「まーるい緑の山手線」もしくは「おたまじゃくしは蛙の子」の歌。教会でみんなが厳粛な表情をしてあの歌を歌っている光景ってのは、日本人にとってはなんともシュールなものである。いや、もともとは「リパブリック賛歌」だってことは知ってるんですが。
▼有栖川有栖編
『有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー』(角川文庫)(→
【bk1】)読了。こちらは、北村薫とは違ってごくオーソドックスな本格ばかり集めたアンソロジー。やっぱり私は、本格ミステリに論理性よりも意外性を求めているのだな、ということがよくわかった。なんじゃこりゃ、というようなぶっとんだ作品は少なくて、端正な本格ミステリばっかりなのがどうも物足りなく感じてしまうのだ。
中では、古今のミステリのワトソン役ばかりが大集合するW・ハイデンフェルト「〈引き立て役倶楽部〉の不快な事件」、あまりにも下らないトリックのビル・プロンジーニ「アローモント監獄の謎」がバカバカしくてよし。
▼宮沢章夫
『青空の方法』(朝日新聞社)(→
【bk1】)、吉川良太郎
『ボーイソプラノ』(徳間書店)購入。早くも第2作。早いなあ。
▼世界は激しく動いているけれど、それでも私はいつものようにSFを、ホラーを、ミステリを読む。
ということで、グレアム・マスタートン
『黒蝶』(ハヤカワ文庫NV)(→
【bk1】)読了。なんだか地味な話である。登場人物はステレオタイプだし、家庭の問題やオカルト的な小道具にしたって、ごくごくありきたりで従来作品の域を出ていない。その上、展開もとことんまで地味で、淡々と始まって淡々と終わってしまう。ヒロインが殺人現場専門の清掃業者だというあたりがちょっと新しいくらい。これって、多作家のマスタートンが適当に書き飛ばした中篇なんじゃ……。うーむ、こんな作品映画化してどうしようっていうんでしょう。
それほど魅力的ともいえないヒロインなのに、周囲の男たちにもてもてなのが謎。
▼掲示板で要望があったので、ページの下にも「←前の日記」をつけてみました。とりあえずこの最新日記だけですが(全ページにつけるのはたいへんだなあ)。
▼台風一過。なんてニュースはどっか行ってしまったようですなあ、もう。
「これは善と悪の戦いになるでしょう。しかし、善が必ず勝つはずです」などと、自分の側が善だと信じて疑わず、高らかに報復を宣言するブッシュ大統領も怖いし、ふだんならブッシュに反対するはずの民主党も大統領の姿勢を支持しているのも怖い。まるで大政翼賛会。
ニュースに犠牲者の奥さんが出てきて語っていた。彼女の夫は、ハイジャックされた旅客機のトイレから携帯電話で連絡をしてきたという。
「これでもう最後になるかもしれないから言っておく。君を愛してるよ」
泣けてきます。
▼大事件のせいですっかり忘れていたけれど、昨日の毎日新聞夕刊になんと菅浩江さんのSF大会レポートが載っていたのだった。タイトルは「楽しんだ21世紀のSF大会 40回記念 ファンによるファンのためのお祭り」。こ、こんなに大きく載っちゃっていいんですか。
毎年夏になると私は、SFファンでよかった、と思う。「日本SF大会」がどこかの街で開かれるからだ。
とはじまって、SF大会の歴史、「ライブ版『教養』」、さまざまな企画、「SF広場」、名刺交換、星雲賞などが要領よく紹介されている。最後に記されているのが、広場のモノリスの変容ぶり。
最初は「2001年宇宙の旅」に登場する、人類進化を促す黒い板を再現していただけだった。しかしいつの間にかその傍には、サルの着ぐるみ、お賽銭、願い事を書いた何百枚もの名刺が置かれていき、ついには注連縄が張られた。モノリスは神格化すべき物体――その共通認識のもとに参加者たちは自主的に洒落た遊びを展開したのだ。
モノリス、全国紙デビュー! いったい、一般読者はどんな光景を想像したんだろうか。
▼本の雑誌10月号の特集は、「新世紀探偵伝説」。日下三蔵氏が「職業別名探偵の系譜」を系図つきで解説しているのだけれど、小森健太郎の作品に登場する名探偵、溝畑康史も紹介してほしかったなあ。職業的にも珍しい編集者探偵だし。
▼バーナード・ケイプス怪奇小説選
『床に舞う渦』(鳥影社)(→
【bk1】)、ピーター・アクロイド
『切り裂き魔ゴーレム』(白水社)(→
【bk1】)、山田風太郎
『忍法創世記』(出版芸術社)(→
【bk1】)購入。
▼今日のスタトレ・ヴォイジャーには、なつかしのケスが再登場。しかし……この登場のさせ方はひどすぎる。あまりに後味の悪い結末。こんな話を喜ぶファンがいるんだろうか。
▼当直。
▼回診を終えて当直室のテレビをつけると、ああっ、なんかアメリカが大変なことに!
『インデペンデンス・デイ』というか『アルマゲドン』というか『マーシャル・ロー』というか、『ダイ・ハード』1〜3を全部足したものというか、まるでハリウッドの大作映画のクライマックスシーンのような光景。
4機もの旅客機が同時にハイジャックされて、しかもそのうちの2機が貿易センタービルに突っ込み、ビルがあとかたもなく崩壊するなんて脚本を書いても、ハリウッドでもリアリティがないとか言われて却下されそうである。
そういえば、地下鉄サリン事件のときも、宗教団体が地下鉄に劇薬を撒くなんてなんだかリアリティがない、と思ったものだったなあ。
フィクションの、そして現実のリアリティというものはいったい何なんだろう、と考える。何か不吉な時代の始まりを目の当たりにしているような震えを感じつつ。