きのうの毎日新聞の「いのちの時代に」という特集記事に、ある精神科の研修医が取り上げられていた。記事によれば、彼には小さい頃から「支配者願望」があり、人と同じことをするのが大嫌い。企業の社長や芸能人にあこがれ、オーディションを受けたことも一度や二度ではないとか。精神科を選んだのも、内科や外科では目の前の一人の人間しか救えないけど、精神科ならネットやメディアを通じて大勢を相手にできるからだという。そして、彼は自ら「静心科医」を名乗っている……と記事にはあった。
静心科医ねえ。なんだそりゃ。「人の心を静かにする」という意味だそうだが、なんだか清涼院流水みたいなセンスの当て字である。それに、私なぞ、目の前の一人を治療するのにも四苦八苦しているのに、メディアで大勢を救うことなんて本当にできるのだろうか。まあ、記者がまとめた記事なので、本人の主張とは隔たりがあるのかもしれないけれど。
記事には「ネットを通じて」などと書いてあるので、どっかにこの方のページがあるはず、と思って検索してみたら、ありました、ありました。「静心科医ユウ」。それから「世界史上最大世界史上最強!!!」もそうらしい。メールマガジンを主体に活躍されている方のようだ。彼が「静心科医」を名乗る前のハンドルは「世界史上最大の男」。うーむ。なんだかなあ。
正直言って、記事を読み、こうしたページを一読した私が感じたのは強い拒否感である。支配者願望? そんな誇大的で未熟な自我をかかえたままで、精神科医としてやってけるのか、とすら思ってしまった。私もえらそうなことを感じるようになったものである。
ただ、よく考えてみれば、これは、彼と私では精神科医としてのスタンスがあまりにも違うので、思わず拒否反応を起こしてしまったせいかもしれない。もうちょっと冷静になってから思い出したのは、大塚英志が小説『多重人格探偵サイコ』のあとがきで書いていた「速度」というキーワードだ。実を言うと、まだ小説自体は読んでいないのだが、このあとがきは印象的だったのでよく覚えている。
そう、重要なのは消費される小説だけが持ちうる速度だ。
屑さえも書物に仕立て上げる速度だ。
その速度に乗せなければ届かないことばというものがある。
その速度に乗せなければ届かない遠い場所に読者がいる。
もちろん『サイコ』の届く読者層と「静心科医」氏のことばが届く層は違うだろうが、もしかすると、「静心科医」氏のような速度で語らなければ救えない魂というものもあるのかもしれない。そして、おそらくそうした魂には私のことばはもう届かない。
私と彼の立つ位置はあまりにも違うけれど、今年研修医になったばかりの「静心科医」氏には、彼にしか救えないそのような魂を救ってほしい、と心から願うのである(でも、やっぱり支配者願望はどうかと思うが)。
2001年4月21日追記 静心科医氏本人からの要請により、一部修正しました。
駒込の「カトマンドゥ」という店にネパール料理を食べに行く。駅から少し離れたところにある目立たない店だけど、狭い店内はお客さんでいっぱい。かなり繁盛しているようだ。
ネパールのカレーはインドのものよりはさらっと水っぽく、辛さもかなりのもの。店内は冷房がないので汗がだらだら出るけれど、暑い中で食べるカレーってのもなかなか美味。食べ終わった後もしばらく口の中はひりひりしているけど、食後の熱いチャイとアイスクリームですっきり。
辛いもの好きなら一度は食べに来る価値のあるお店。ここはなかなかの穴場である。
春日武彦『不幸になりたがる人たち』(文春新書)、荒俣宏『レックス・ムンディ』(集英社文庫)購入。
『イシャー』を読んだら次は当然これでしょ、ということで、 A・E・ヴァン・ヴォクト『武器製造業者』(創元SF文庫)読了。これはさすがに、今読むにはきつい。続編とはいうものの、実は前篇の5年前に刊行された作品だけあって、『イシャー』と比べるとプロットは単純、展開はほとんどいきあたりばったりでむちゃくちゃ。まあ、『イシャー』も充分むちゃくちゃな話ではあるのだが、それでもはお色気サービスシーンがあったり壮大なラストで驚かせてくれたりと読者を飽きさせないテクニックが随所に見られた。しかし、こちらはそういうサービスもない上に、主人公が何をしようとして暗躍しているのかさっぱり理解できないし、最初から最後まで緩急なく同じテンションで物語が進むので、平板な印象すらある。ヘドロックと女帝イネルダのかけひきのあたりをもっと書きこんでくれれば、今でも充分読める作品になっていただろうになあ……。
小俣和一郎『精神病院の起源 近代篇』(太田出版)、エイドリアン・マシューズ『ウィーンの血』(ハヤカワ文庫NV)、響堂新『超人計画』(新潮社)購入。そういえば、東野圭吾の『鳥人計画』も同じ新潮社だったよなあ。ちょっと紛らわしいかも。
A・E・ヴァン・ヴォクト『イシャーの武器店』(創元SF文庫)読了。十数年ぶりの再読だが、これは今読んでも面白かった。再読した『スラン』がそれほどでもなかったので、もうヴォクトを面白がれないくらい年をとってしまったのか、と寂しく思っていたのだが、私もまだまだ大丈夫のようだ。
次から次へと惜しげもなく投入されるアイディアは、まさにSFの醍醐味。莫大なエネルギーを体内に蓄積しつつ、何十兆年もの時間を振り子のように往復する男なんていう魅力的なアイディアすら、ごくごくあっさりと片付けられてしまう(確かに効果的な使い方ではあるのだが)。都会的な洗練なんぞからはほど遠い、濃厚なこてこてのSFである。これだよ、こういうSFが読みたかったんだよ。大原まり子の『アルカイック・ステイツ』も、ヴォクトっぽいものを書こうとしているのはわかるのだが、やっぱりどこか違うんだよなあ。
ただ、「武器店独特の物質空間伝送機で、書類は遠い情報センターから、たった二分で送られて来た」というくだりには、思わず「二分もかかるんかい!」とツッコミを入れてしまいましたが。
黒田研二『ウェディング・ドレス』(講談社ノベルス)読了。作品全体に仕掛けられたトリックは前例のある有名なものなのですぐわかってしまう人も多いはず(『○○れた○○』ですね)。ただ、あまりにもバカバカしいサブトリックは買います。このトリックだけ独立させて短篇にした方がよかったかも。レイプだ復讐だというどろどろとした話なのに、登場人物がみんな異様に淡白なところが、かえってちょっと後味が悪い。まあ、新本格ミステリとしてはうまくまとまっている方なんじゃないでしょうか。
今日は月蝕。赤く禍々しい月が見える。
月蝕は重要ですね。SF者たるもの、タイムトラベルするときに行く先の日月蝕の正確な日時を覚えておくのは基本的な心得といっていいでしょう。現地でトラブルに遭い、捕まって処刑されそうになったときに、「私は予言者である。私を処刑すれば神がお怒りになるぞ」といって窮地を逃れるのはタイムトラベラーの常識。
そんな都合のいい日時に月蝕なんか起こるか、という疑問はあるが。
突然ですが、土曜日から10日間、アイルランド旅行に行くことになりました。ダブリンからゴールウェイに行き、アラン島を見てからキラーニーへと回る予定。ちょうどゴールウェイではアート・フェスティバルの期間中なので街中でダンスや音楽が見られるはず。
知り合いに「アイルランドに行く」と話したところ、何人かから「危なくない?」と聞かれたのだが、なんで危ないと思うかな。IRAのイメージがあるからだろうか。でも、いくらIRAが過激でも、自分とこの国でテロ活動したりはしないよなあ。実際のアイルランドは、ヨーロッパでももっとも治安のいい国のひとつなのに。
加納朋子『魔法飛行』(創元推理文庫)、『ガラスの麒麟』(講談社文庫)読了。『ななつのこ』のときは、「単なるいい話」としか思わなかったのだが、この人、作品数を重ねるごとにうまくなっていきますねえ。どちらも連作短篇集ながら、最後の作品で今までの短篇に隠されていた伏線が明らかになり、まったく違った絵が見えてくる、という構成の作品。
『魔法飛行』もたしかに巧妙ではあるのだけど、論理にやや甘さがあるのと、探偵が傍観者であり事件に直接関わりを持たない点が気になる。でも、『ガラスの麒麟』の方は非常に完成度が高く、緻密な構成といい読後感といい絶品。独立した短篇が最後にまとまってひとつの物語になる、という形式は以前からあったけれど、今やこの形式を操らせたら、加納朋子の右に出るものはいないようだ。
また、『魔法飛行』の解説で有栖川有栖も指摘しているが、加納ミステリでは、謎解きはイコール犯人への勝利ではなく、今まで見えていた世界とはまったく違った世界を見るための魔法なのですね。結末の探偵役のちょっとした言葉によって、物語がくるりと逆転する感覚がすばらしい。
『ガラスの麒麟』は、ミステリとしての精緻さと、物語としての深みをともに兼ね備えた稀有な傑作。「癒し」とかそういう甘ったるい言葉が大嫌いな人も、純粋にミステリとしてきわめて緻密な作品なのでぜひ読んでほしい本である。
南條竹則『恐怖の黄金時代』(集英社新書)、スーザン・ブラックモア『ミーム・マシーンとしての私』(草思社)購入。
岡田さんの読書日記@井の頭公園前から、ヘップバーン新歳時記へ。以前日記でも紹介したことのある「その後の男の涙冴え返る」なる謎の句を詠んだ黛まどか氏のサイトである。
このサイトにある、「これまで提案された新季語集」がすばらしい。「オープン戦」「冷やし中華」「福袋」なんかは季語として扱って全然かまわないと思うのだが、「クリオネ」「フリスビー」「ダイエット」「B面の夏」「ミルクティ」「レモンティ」「かくれんぼ」「寅さん」「保湿」ってのはいったい何だろう(ちなみにそれぞれ春、春、夏、秋、秋、秋、秋、冬、冬の季語だそうな)。紅茶は秋の飲み物ですか。イギリス人もびっくりである。それから、「山下達郎」が夏と冬の両方に入ってるのも不思議。人の名前を季語扱いするなよ。「辛島聴く」が冬の季語なら、「広瀬聴く」も冬に入れていいと思うがなあ。それに、「ホエールウォッチング」「ガーデンウェディング」ってのはいくらなんでも長すぎやしないか。
そこで、私も黛氏にならって新季語を考えてみることにした。
「24時間テレビ」(夏)、「27時間テレビ」(夏)、「風呂のカビ」(夏)、「釈由美子」(夏)、「SF大会」(夏)、「SFセミナー」(春)、「鳥人間」(秋)、「染之助染太郎」(新年)、「小渕忌」(春)、「食中毒」(夏)、「SF」(冬)。
夏ばっかりなのは、単に身の回りで目についたものを拾っているからです。想像力がないですね。
本屋では見つからなかったA・E・ヴァン・ヴォクト『スラン』(ハヤカワ文庫SF)は、結局ちはらさんからお借りして(ありがとうございました)、無事原稿は書けたのでした。『スラン』を読んだのは中学生のとき以来だから、十数年ぶりの再読になる。うーん、昔はもっとおもしろかった気がするんだけどなあ。新人類ジョミー・クロス君の逃亡を描く物語なのだが、脈絡はあってないようなもの。まさに「熱に浮かされたような」という表現がふさわしい文体で書かれた物語である。章の終わりには必ず「引き」があって興味をつなぐという典型的な連載小説の手法で書かれていて、確かに飽きずに読ませることは読ませるのだが、この年になってから読むと、どうしてもずさんなところとか、つじつまがあわないところが気になってしまう。ラストで、死んだはずの人物が実は……というのも、いくらなんでもなあ。
やっぱり名作には、読むべき時期というものがあるようだ。すでにヴォクトを虚心に楽しめなくなってしまった自分がちょっぴり寂しい。
スポーツ紙ってのはよっぽどヒマなようで、藤原紀香が競走馬の名前をつけたなんていう記事が大きく紙面をとっている。で、その馬の名前が
ロイヤルキャンサー
直訳すれば
皇室の癌
いったい誰のことなんだろう、などと考えていると、怖い考えになってしまうのだが、これは別にそういう意味ではなくて、藤原紀香は自分が蟹座生まれだから「キャンサー」とつけたんだとか。でも「キャンサー」といえば普通、癌だよなあ。そう思うのは医学関係者だけ?
でもたとえ蟹だとしても、「高貴な蟹」なんていう名前をつけられた馬の気持ちを考えると、なんだか不憫になってくるのである。きっと、馬は「オレは蟹かい、あんな下等な節足動物といっしょにしないでくれ」と思っているに違いない。まあ、かといって「ロイヤルホース」なんて名前も間抜けではあるのだが。
遊佐未森とか米村裕美とか相馬裕子とか鈴木祥子とか渡辺満里奈とか、昔よく聴いたCDを聴きかえして、戻らないあのころを懐かしみながら原稿を書く。最後まで残っていた2本を書き上げてメール送信。これで締め切りから解放されました(ちょっと直すものはあるけれど)。
「大好きなシャツ(1990旅行作戦)」はやっぱり名曲だなあ、とか、米村裕美は今どうしているのだろう、とか。
きのうbk1で注文した福澤徹三『幻日』(ブロンズ新社)が早くも届く。さすが「24時間以内出荷」だけのことはある。話題のストラップつきブックカバーも。なかなかセンスのいいカバーだけど、首にかけて使うことはないだろう。
キーワード「ベルダンディー|陵辱」で検索していらっしゃったお客様、ご期待に添えなくてすいません。ここはそういうページではありません。
引っかかったのはこのへんの記述ですね。しかし、私の日記を引用したばかりに、同じキーワードでヒラノさんのページまで引っかかってしまうとは、申し訳ないことです。
おまけに、そのへんの自分の日記を読み返してみたら、ヒラノさんから借りた『ナビィの恋』のサントラをまだ返していないことに気づきました。かえすがえすも申し訳ないことです。
打ち上げに成功した、国際宇宙ステーションの居住棟の名前は「ズベズダ」。ロシア語で「星」を意味するそうな。ズベズダが星ですか。こんなに濁音ばっかりなのに。するってえと、ロシア人は「ズベズダがきれいだから歩いて帰ろうか」とか「君はズベズダみたいに美しい」とかいって愛を語るわけですね。星を「ほし」と呼ぶ国民と、「ズベズダ」と呼ぶ国民では、ものの考え方が違っても不思議はないような気がする。まあ、時速40キロで走れる靴を作る国だしなあ(根拠のない偏見)。
ホラー・アンソロジー『ゆきどまり』(祥伝社文庫)購入。ああ、タイトルが『○○け』じゃないなんて! CD店にて遊佐未森『空に咲く花』購入。
栗本薫『地上最大の魔道師』(ハヤカワ文庫JA)読了。前からあったけど、本文中で「**」とか使うのはどうもねえ。それに、うーむ、「150巻宣言」ですか。それともついに「200巻宣言」? ってことはこれが73巻だから、どっちにしろまだ半分もいってないの? 勘弁してほしいなあ。
bk1でいろいろ試してみる。ハーバート・リーバーマンの『死者の都会』と『地獄の追跡』が「2週間以内出荷」としてひっかかったのは、どう考えても絶版チェックミスとしか思えない(いちおう注文してみましたが)。あと、ダンセイニで検索したら、『高学歴男性におくる弱腰矯正読本』(ちょっと読んでみたい気もする)と『結婚その男性(ひと)に決めますか?』が出てきたのはまあわかるのだが、福島章編著『現代の精神鑑定』が出てきた理由は、その中に「47、XYY男性による反復殺人事件」という章があるからのようだ。さすが高機能検索エンジン。確かに優秀だとは思うのだが、いらないものまで引っかかりすぎのような気もする。
過去の日記目次