反社会性人格障害 Antisocial Personality Disorder

 池田の児童殺傷事件の犯人、事件当初は分裂病だのなんだのいろいろ言われていたけれど、徐々に明らかになってきた過去の経歴からすると、どうやら「反社会性人格障害」にあてはまるんじゃないかってことで多くの精神科医の意見は一致しているようだ。
 「反社会性人格障害」はDSM-IVに定義されている診断で、診断基準は次の通り。
A.他人の権利を無視し侵害する広範な様式で、15歳以来起こっており、以下のうち3つ(またはそれ以上)によって示される。
(1)法にかなう行動という点で社会的規範に適合しないこと。これは逮捕の原因になる行為を繰り返し行うことで示される。
(2)人をだます傾向。これは自分の利益や快楽のために嘘をつくこと、偽名を使うこと、または人をだますことを繰り返すことによって示される。
(3)衝動性または将来の計画をたてられないこと。
(4)易怒性および攻撃性。これは身体的な喧嘩または暴力を繰り返すことによって示される。
(5)自分または他人の安全を考えない向こう見ずさ。
(6)一貫して無責任であること。これは仕事を安定して続けられない、または経済的な義務を果たさない、ということを繰り返すことによって示される。
(7)良心の呵責の欠如。これは他人を傷つけたり、いじめたり、または他人のものを盗んだりしたことに無関心であったり、それを正当化したりすることによって示される。
B.その者は少なくとも18歳である。
C.15歳以前発症の行為障害の証拠がある。
D.反社会的な行為が起きるのは、精神分裂病や躁病エピソードの経過中のみではない。
 訳が硬いんだけど、まあだいたい意味は通るでしょ。これと犯人の経歴とを重ねてみると、ほとんどすべてが当てはまることがわかるんじゃないかな。
 この事件を「社会の病根」だとか「現代の病理」に結びつける人もいるけれど、こういう性格傾向を持つ人はどんな時代にもいたはずで、私は今回の事件は特に時代の病理とは関係ないと思います。
 ただこの「反社会的人格障害」、いろいろと議論の多い診断名なのですね。まず、明らかにわかるのは、人格障害のくせに、心理傾向じゃなくて行動で定義されてるじゃないか、ということ。ま、おかげでこの「反社会性人格障害」、人格障害の中ではいちばん診断の一致率が高いんだけど、どうも精神医学的というより社会的価値基準にもとづく診断だということは確かなようだ。
 また、この診断名はかつての精神病質(サイコパス)が名前を変えたものにすぎない、というのもこの診断に批判的な人がいる理由のひとつ。精神病質(サイコパス)という用語は、本来は人格障害一般をさす用語なのだけれど、アメリカでも日本でも、ほとんど今の「反社会性人格障害」と同義に使われてきたのですね。日本ではかつて「精神病質」と診断されて強制入院させられた患者たちが、司法の判断なく、もちろん当人の承諾もなく、ただ医者の判断のみでロボトミー手術をほどこされ、脳に永久的な損傷を受けた、という暗い過去がある。
 で、70年代の精神医学界では「精神病質」をめぐる大激論があったわけです。当時といえば「反体制」「反社会」という言葉が肯定的に語られていた時代なわけで、「反社会」を理由に「精神病質」と診断されてはたまらない、という空気が濃厚だったのですね(「保安処分」への反対もそのへんからきています)。そのせいもあって今では「精神病質」という診断は使われていないのだけれど、今に至るまで、「精神病質」に類する診断や、精神科医が「社会の安全」といった保安的な思想を持つことに批判的な人は多いのだ。精神科医はあくまで患者を社会の偏見や差別から守るべきであって、患者から社会を守る、という考え方はすべきでない、というのである。で、暗い過去を反省して、精神科医はあくまで医学的な立場にとどまり、社会防衛的な判断はなるべく避けるようにしてきたわけだ。
 ただ、そういう立場にはどうしても無理がある。患者の権利を守るという立場はもちろん大前提として必要なのだけれど、少数であれ精神障害にもとづく犯罪というものが存在する以上、精神科医もどうしても社会防衛的な判断をゼロにする、というわけにはいかないだろう。それに、いくら「精神病質」といった診断をなくしたとしても、そういう患者は現に医療の現場にしばしば登場する。こういう人たちにどういう名前をつけるにしろ(そして、内心こりゃ医療じゃなく司法の役目だろ、と思ったにしろ)、精神科医はそういう患者に対応していかなければならないわけだ。
 だいたい、人間というのは生物学的・心理的であると同時に社会的な生き物なわけで、精神医学の診断も純粋に科学的、というのはありえなくて、社会学的な視点を排除するわけにはいかないと私は思うのですね。そういうわけで、いろいろと批判を浴びながらも、今なお精神医学には、「反社会性人格障害」や「行為障害」など、もろに社会防衛的な意味合いのある診断が生き残っているのである。
 別に今の診断基準に問題がないとはいわないが、少なくとも、精神科医は純粋に医学的な見地からのみ診断・治療すべきだ、という不可能な理想論よりは現実的だと思いますね。
(last update 01/06/23)

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