DSM-IV Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders-IV

 アメリカ精神医学会が発行している「精神障害の診断と統計マニュアル」(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)のことを、略してDSMと呼ぶ。IVがついているのは、第四版だからだ。現在、精神医学の世界で最も大きな影響力を持った診断基準である。
 もともと精神科には、内科や外科のように明確な検査結果などはないわけで、お医者さんが患者本人の話を聞いたり、様子を観察したりして診断をするのである。といっても、もちろん、単なる勘で診断するのではなく、病気の原因についての理論にもとづいたり、患者の心理を読みといたりして診断を下す。しかし、確定的な理論がないのが精神医学の世界なのであって、そういう診断方法だと、よりどころになる理論とか学派の違いによって診断が変わってきたりするのですね。さらに、よりうまく心理を読みとける熟練した医者じゃないと「正しい」診断が下せなかったりしてくる。てなわけで、未熟な医者はえらい先達のもとでそこの学派の理論を学び、「正しい」診断ができるようにならなければならないわけだ。これではほとんど徒弟制度である。

 日本の精神医学の病気の分類ってのは伝統的にそういう病因とか心理とかをもとにしてきたし、アメリカ製のDSMもIIまではそうだった(日本の精神医学とか、アメリカの精神医学とか、フランスの精神医学とかいうことばが、なんの疑問もなくまかりとおってるあたりが、精神医学の摩訶不思議なところ。精神医学が科学なら、なんで国別になってるわけ?)。しかし、そこへ、コロンビア大学で精神分析を学んだあと、IBMでコンピュータ・プログラミングの研修を受けたという異色の精神科医スピッツァーという人物が乗り出してきて、すべてを変えてしまったのですね。
 病気の真の原因なんて、どうせわかんないんだから無視。患者の心理だってそんなもん読めるわけがない。そんなわかんないものを基準にするのではなく、はっきりとわかる症状だけをもとにして診断基準を作ろう、とスピッツァーは考えた。それぞれの病気に特徴的な症状をいくつもリストアップして、そのうちのいくつが当てはまったら、機械的にこの病気とする、という具合の基準を作って、しかるのちに、それぞれの分類にコードをつけた。スピッツァーさん、きわめてプラクティカルな人だったのですね。
 そうして出版されたのが1980年のDSM-IIIなのだけれど、当時はこれが非常に衝撃的であったらしい。私には、それまでのやり方の方が変で、こっちの方が当然の発想のように思えるのだけど。

 なんせ、今までは「患者の精神を直観的に了解する」などといった精神論まがいのテーゼがまかりとおっていた精神医学界、最初は(いや、今でも)拒否反応を示す医者もいたみたいだけど、なんといってもこれに基づけばだいたい90%は診断が一致するという便利さ、たかだかアメリカの分類にすぎなかったこの診断基準が、今では全世界を席巻している。
 現在はスピッツァーはスタッフから抜けており、新たなメンバーでニューバージョンのDSM-IVを出しているのだけれども、基本コンセプトは変わっていない。
 たとえば、フェティシズム(本当にそういう項目があるのだ)の診断基準はこんな感じ。
  1. 少なくとも6カ月間にわたり、生命のない対象物(例:女性の下着)の使用に関する、強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する。
  2. その空想、性的衝動、または行動が臨床的に著しい苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
  3. フェティシズムの対象物は、(服装倒錯的フェティシズムにおけるように)女装に用いられる女性の着用品、または性的感覚刺激を目的にして作られた道具(例:バイブレーター)のみに限定されていない。
 味気ないし、なんだか冗長な文章で、文学性のかけらもない。でも、DSMが精神医学界にもたらした一番大きな変革は実はこれなのですね。変な文学性や哲学性の排除。今まで、精神医学界(特に日本)には妙に味のある文章の論文を書いたり、哲学用語をこねくりまわしたり、詩の翻訳をして賞をもらったりという医者が多かったのだ。そういった医者が大きい顔をしていた日本では、このマニュアル的な(実際マニュアルなのだが)無味乾燥さ、というのが衝撃だったのである。

 もちろん、DSMにも欠点は多い。
 まず、診断が決まったからといって、それがすぐに治療に結びつくわけではないということ。もともと統計に便利なように作られた診断基準なので、治療のことはあまり考えていないのである。
 たとえば目に見える症状はアルコール依存症でも、その背後には、「うつ」であるとか別の病因があって、そちらを治療しないとまたすぐに再発してしまうというケースもありうる。だから、診断が決まったからといって、治療法まで自動的に決まるというわけではないのですね。
 さらにこのマニュアル、アメリカ製なものだから、薬物とかそういうところがやたらと詳しい。アルコール依存、アルコール乱用、アルコール中毒……とアルコール関連の障害が列挙されたかと思うと、次はアンフェタミンで同じような項目が並び、さらにカフェイン、大麻、コカイン、幻覚剤、フェンシクリジン……と、ほとんど同じ記述が延々と連なっている。こんなところはもっとすっきりさせてほしいのだが、そういうわけにもいかないのでしょうね。
 ここで抱く当然の疑問がひとつ。新しい中毒性物質が発見、あるいは発明されたら、その依存症はどこに入るのか。心配無用。「他の(または不明の)物質関連障害」という項目がちゃんと用意されている。
 実際、すべての大項目に、こうした「ゴミ箱」が用意されていて、「特定不能の精神病性障害」「特定不能のうつ病性障害」などと、並んでいる。これはちょっと(いや、けっこう)ずるい。
 そもそも精神疾患をこんなふうにクリアカットに分類できるのか、という疑問も当然ある。生物種ならリンネ流の分類学でうまくいくけれども、精神疾患の間には厳然とした境界などあるのか。例えばうつ病と分裂病と、それから人格障害が混じりあったような病態だったらどうするのか。DSMの答えは簡単だ。たとえゴミ箱を作ってでも、無理矢理分類してしまうのである。

 こういったいろんな問題があることは、作った方も当然承知の上だと思う。問題は多いにしても、ドイツの精神医学だのフランスの精神医学だのと国別に用語が違ってしまう今の状態を変革して、世界の精神科医が同じ言葉で会話できるようにするには、世界標準の診断基準を決めるのは必要なことなのだろう。
 そして、アメリカ標準がすなわちデファクト・スタンダードになってしまうのも、パソコンの例を引くまでもなく当然のこと。
 マクドナルドが世界を席巻したように、結局、精神医学界でもアメリカの優位は変わらないのである。
(last update 99/11/05)

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