精神病質(サイコパス) psychopath

 精神医学に「精神病質」という概念があった。昭和30年から40年代ごろに広く使われていた用語である。
 この言葉を聞いたことがない人も、「サイコパス」という言葉なら聞いたことがあるだろう。サイコサスペンスなんかでよく使われますね。『診断名サイコパス』なんていうノンフィクションもあった。「精神病質」というのは、その"Psychopath"の訳語である。しかし、この「精神病質=サイコパス」、現在の精神医学界では使われていない概念だということは知っているだろうか?

 「精神病質」も、かつては広く使われていた概念である。昭和30年から40年代ごろには「精神病質」と診断されたおかげで長いこと精神病院に収容されたり、ロボトミー手術を受けたりした人は数知れない。古い精神医学雑誌をめくれば、「精神病質」の文字は至るところに登場する。
 これほどまでに、精神科医の間では広く使われていた「精神病質」だけど、不思議なことにその定義がはっきりしなかったのですね。いくつかの論文に目を通してみたが、精神病と正常の中間、という人もいれば、そうじゃない、という人もいる。ドイツの精神医学界の大物シュナイダーの定義によると「生まれつき性格が正常から逸脱していて、その人格の異常性に自ら悩むか、あるいはその異常性のために社会が悩む異常人格」なんだそうだ。なんだかわかりにくいが、実際には、性格の偏りによって暴力や犯罪を繰り返して社会の迷惑になる人を精神病質と呼び、精神病院に収容していたのである。
 当時この「精神病質」について常識だったのは、生まれつきのものであること、そして治療は絶望的だということ。実際、病院に収容して社会から隔離するか、ロボトミー手術を施すくらいしか治療法はなかった。この「精神病質」患者にどう対応するかが、当時の精神医学界では大きな問題だったのである。
 さて、それではどんな患者が「精神病質」なのか。昭和33年の精神神経学雑誌に発表された辰沼利彦「親に対して攻撃、依存性を有する精神病質人格者について」という論文にある症例をみてみよう。

 まずは20歳の男性の例である。
 彼は中卒後菓子会社に入社したが、しばらくすると、仲間が学校では禁じられていた猥談を平気でやっているとか、政府が博打を禁じながら競輪や競馬をやっているなどという、学校教育と実社会の矛盾に思い悩むようになる。親に相談してもまったく悩みを聞いてくれない。自分で解決しようとしたが考えれば考えるほどわからなくなる。しまいには、ちょっとしたことでも無性に腹が立つようになり、親を殴ったりものを壊したりするようになる。
 すると、親はなんと彼を精神病院に入院させてしまうのである。昭和26年、彼が16歳のときのことである。昭和20年代の精神病院がどういう場所なのかはだいたい想像がつく。おそらくは暗く不潔で、16歳の少年にとってはきわめて苛酷な環境だっただろう。彼はここに4ヶ月間入院していたが、退院したときには「俺はこんな病院に入ってしまったんだ」と、入院前よりもさらに強い劣等感を感じ、人と会うことすら嫌になっていた。かといってこのままでは将来の生活をどうすればいいのかもわからない。どうすることもできない彼は、また以前のように親に暴力を振るうようになり、退院後4ヶ月で再び入院させられてしまう。
 ある日診察を受けているときにカルテに「異常性格」という文字を見つけ、彼は絶望する。昭和27年10月、彼は2度目の退院を果たし、仕事を始めるが、1年後には交際がうまくできない、という理由で会社へ行かなくなり、また家に閉じこもって親に乱暴するようになったため、今度は1年間精神病院に入院。入院中はおとなしく過ごしていたが、退院後半年でまた両親への暴行が始まったという。暴力の理由は「なぜ小さい頃俺を殴ったり飯を食わせなかったりしたんだ。そのせいで俺の性格はこんなに陰気になり、ひねくれてしまったじゃないか」という幼少期の親の育て方への不満で、精神病院退院後は、それに「なぜ精神病院なんかに入れたんだ」という理由が加わっているという。

 え、これが精神病質? と思った人も多いと思う。今ならアダルト・チルドレンとでも言われて、カウンセリングを受けているはずだ。三度も入院しなければならないほどの病気とはとても思えない。
 要するに、この頃の精神医学界の常識では、親に暴力を振るえば「異常性格」で「精神病質」だから、精神病院に入院が必要、ということになっていたわけだ。なんともいいかげんな診断としかいいようがない。

 さて、次に昭和34年の精神神経学雑誌に載っている加藤雄司「前部帯回切除術に関する研究 特に精神病質症例について」という論文をみてみよう。この論文には、ロボトミー手術を受けた精神病質患者が何人か紹介されている。

 まずは昭和8年生まれのA(男性)。中学に入ってからほとんど登校せず盛り場で遊んでいて、2年で中退。その後工員をやったが半年でクビ。家族が仕事を探してきても全然就職しない。昭和26年から覚醒剤を打ち始める。以前から遊ぶ金ほしさに両親を脅迫することがあったが、昭和30年になるとますます激化。両親に殴る蹴るの暴行を加え、家具を壊し、放火するぞと言って脅す。
 昭和30年5月29日、精神病院に入院。自己の非行に関する批判、反省はまったく欠如している。病棟内では他の患者をいじめたり暴行を加えたりし、看護者にはまったく従おうとせず、心理療法は無効。そこで7月1日チングレクトミー(ロボトミーの一種である)施行。すると「温和従順となり、看護上の扱いは容易となった」。術前は両親に不平不満を漏らし脅迫的になることが多かったが、術後はそのようなこともなく、家人もたいへん喜んで昭和32年4月退院となった。その後は父親とともに家業に励み、その仕事ぶりは積極的で勤勉であるという。

 次は、昭和8年生まれのB(男性)。中学生の頃から動機のはっきりしない家出があり、高校に進学するとそれが頻繁になってきた。高卒後、小学校教員を2年間やり、成績良好だったが、生徒から集めた金を持って同僚の女教師とともに出奔、金を使い果たしたあと自殺未遂事件を引き起こす。教員を辞め、地方の新聞社に勤めたが、ここでも社の金を横領し、昭和29年末、再び自殺未遂。最後に寿司屋の出前持ちになったが、昭和31年3月、またも店の金を持ち逃げ。その1週間後の深夜、酩酊して街を歩行中、通りかかった警官に「これから犯罪を犯すから今のうちに逮捕してくれ」と要求。警官には冗談と思われまったく取り合ってもらえなかったが、その直後、通行人をバールで殴りつけて逮捕された。
 昭和31年4月、この事件をきっかけに精神病院に入院、「他者に対する思いやり、人間的な温かさ、寛容さに全くかけており、入院前の非行に対する反省も不充分」ということで、10月にチングレクトミー施行、その後は素直に自分を反省するようになり、堅実な将来への計画を抱くようになったという。

 ほかにもたくさん例が載っているのだが、どれも似たり寄ったりだ。精神病質ってのは、まあ、こういう人たちである。病人というより犯罪者だよなあ、これは。きのう挙げた症例とは全然違うような気がするのだが、当時はどっちも「精神病質」ということでまとめられていた。当時は、こういう人は「精神病質」という病名をつけて精神病院にでも入れちまえ、という時代だったのだ。でも、受け入れた病院の方でも困りますね、これは。治療は難しいわ、他の患者に暴力を振るうわ、脱走するわ。まさに問題患者である。当時、病院で精神病質患者をどう扱うかが大問題だったのもよくわかる。実際、病院にとっても、こういう人をかかえた家族にとっても、ロボトミーはまさに福音だったんだろう。
 要するに、反省のない犯罪者は精神病院に入れて頭に穴でも開けちまえ、というわけ。そうすると怒りっぽくて暴力的なところもなくなってとってもハッピー。病院もハッピー、社会もハッピー。
 でも、本当にそれでいいんだろうか? もともと「精神病質」という診断自体あいまいなのに、そんなものに基づいて不可逆的な脳外科手術をしてしまっていいんだろうか。そして、性格が正常から外れているということだけを理由に「精神病質」なんて病名をつけてしまっていいものなのだろうか……などと、徐々に「精神病質」に対する批判が高まってくる。昭和40年代のことだ。

 昭和40年代といや政治の時代である。大学紛争やらなんやらで盛りあがっていた時期だけど、精神医学界も大揺れに揺れていた時期だってことはあまり知られていない。昭和44年の精神神経学会は、左翼系若手医師と執行部の間で激しい討論(というか吊るし上げに近い)が行われて紛糾したし、たとえば東大では、昭和43年10月、精神科医局が自主解散し、左翼系の医師たちが「東大精神科医師連合」なるものを結成。翌年には保守派の人たちが「教室会議」を結成し、東大の精神科は二分されてしまう。「精神科医師連合」は病棟をテリトリーとして彼らのいう「自治」を行い、一方「教室会議」は外来をテリトリーとして対立していたので、外来で診た患者を自分のところの病院の病棟に入院させることはできなかったし、病棟から退院した患者は別の病院の外来で診るしかなかったのである。
 これだけなら、やれやれ、紛争の時代だからねえ、と嘆いていればいいのだけど、驚いたことに、この状況はつい最近まで続いていた。当然ながら、患者にとっちゃきわめて不便である。東大精神科の外来と病棟がようやく統合されたのは今からわずか二、三年前のことなのだから驚きである。

 「精神病質」の話だった。昭和40年代ってのはこういう時代なわけで、当然ながら「精神病質」も左翼系の人たちの批判を浴びることになる。なんせ、その頃には、医学的というより保安上の理由によって、常習的に犯罪を繰り返す困った人たちを「精神病質」と名づけて入院させたりロボトミーをしたりしてしまうってことが普通に行われていたわけだから。
 昭和47年の精神神経学会では、「いわゆる精神病質について」というシンポジウムが行われ、保守派の先生方が、左翼系医師や学生によって吊るし上げられている。かわいそうにここで吊るし上げられているのは今もテレビでおなじみの小田晋先生。あくまで学問的な見地から「精神病質」という用語の価値を認める小田先生は、若手医師や学生からの厳しい追及に遭っている。ただ、吊るし上げる側のロジックがいかにもサヨク的で「オルグ学入門」にある議論の仕方そのまんまなので笑ってしまうのだけど。
 まあ、こういう経緯で、「精神病質」という概念のあやふやさと、その医学的と言うよりも保安的な意味合いが追及され、昭和50年代以降はこの言葉はほとんど使われなくなったわけである。
 ただ、「精神病質」という言葉は使われなくなったが、当然ながら、きのう書いたような、習慣的に犯罪を繰り返す人がいなくなったわけではないのですね。というわけで、精神病質は社会病質、反社会性人格障害と名前を変えながらも、今でも精神医学用語の中に生き延びている。頭に穴を開けることこそなくなったものの、いまだに「精神病質者」が精神医学の大問題であることは変わっていないのだ。

 ざっと、これが「精神病質=サイコパス」のたどった歴史である。
 「困った人」をサイコパスと名づけることは、自分たちとは違う存在と規定することだ。違った存在であれば、極端に言えば、収容所に入れても、頭に穴を開けても我々の良心は痛まない。
 常習的に犯罪を繰り返す人もいるだろうし、殺人を犯してもまったく反省しない人も確かにいるだろう。そういう人をどうすればいいか、ということについては、もちろんいろんな意見があっていいと思う。でも、少なくとも、サイコパスという言葉を使う人は、この用語がこれまで書いてきたような歴史を経て今では使われていない言葉だということくらいは認識しておいてほしい。そしてサイコパスの診断が極めてあいまいだということも。

(last update 00/08/20)

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