躁病 mania

 躁病についての研究は少ない。
 だいたい、躁ってのは見かけが楽しそうであんまり深刻そうには見えないせいか、不当に軽視されているようだ。実際、分裂病やうつ病の研究は山ほどあるし、うつ病がメインで躁には申し訳程度に触れただけの論文も掃いて捨てるほどあるんだけど、躁病に焦点をあてた研究ってのは非常に少ない。だから、代表的な論文を20本も読めば、躁病に関しては全貌が見渡せてしまうといってもいいくらいだ。
 まあ、実際純粋な躁病というのは少なくて、双極性の躁うつ病の10分の1か5分の1しかないようなんだけど(いちばん多いのは単極性のうつ病で、アメリカ人の15%が一生のうちに一度はかかるという)。
 そういう事情のせいか、DSM-IVでは、「単極性うつ病以外はすべて双極性」という定義が採用されているので、単極性の躁病は「双極I型」という分類に入ることになっている。なんだか理不尽だよなあ。

 陽気でとにかくしゃべりまくっているのだけれど、内容は支離滅裂でよくわからない。笑っていたかと思ったら急に怒り出したりする。そんなおばさんが、心配そうな家族に連れてこられたとすれば、だいたい「これは躁状態だな」と診断することになる。たいがい、こういう人は自分は絶好調で入院なんか必要ないと思っているので、入院させて薬を飲ませるのはけっこうたいへんである。
 分裂病の幻覚妄想状態も、躁状態も、興奮してよくわからないことをしゃべっている点は同じで、確かに見分けがつきにくいこともあるのだけれど、やっぱり違いはなんとなくわかることが多いですね。冷たく非人間的な印象のある分裂病患者に比べ、躁状態の人の方が「人間的」なのだ。ひとことでいえば「プレコックス感がない」ってことになるかな。
 そして、軽快したあとも、躁状態の人はなんだか人当たりがよくて人を惹きつける魅力のあるタイプが多い。外来でも、気楽に肩の力を抜いて話せるような患者さんが多いのですね。
 こういう性格を、うつ病の研究で有名なテレンバッハはマニー型と名づけている。森山公夫は「両極的見地による躁うつ病の人間学的類型学」という論文の中で、こんなふうに描写してますね。
 負けん気が強く、強気で、鼻っ柱の強さの陰に小心さがかくされており、積極的・活動的である。物事に熱中しやすく、一度やり始めるととことんまでやらないと気がすまない。常識的である反面、理想を追い求め、正義感が強く、潔癖で非常に気をつかい、几帳面である。
 いい人じゃないですか。親しみやすい性格、といってもいいんじゃないかなあ。
 しかし、岡本透は、「躁病ゲームについて」という論文の中で、
 躁病者は相手のゲーム、周囲のゲームに対して「立法者」ないし「法の番人」としてふるまう傾向があるといえよう。躁病者は、「私がルールブックだ」とかつて宣言したあの高名なアンパイアにどこか似ている。
と、書いている(どうでもいいが、全然論理的じゃないですな、この論文)し、藤縄昭は森山論文を受けて、「几帳面」「活発で精力的」「自己中心的な攻撃性」「秩序との同一視についての疑惑、あるいは両価性」とマニー型の特徴をまとめている。こうなると、あんまりいい人っぽくないですな。最後のはちょっと解説が必要かな。仕事熱心で几帳面なんのだけれど、実は組織に対しては反抗的とか、そういう性格ということらしい。こういう人が、「秩序」の担い手になったときに躁状態になることが多い、ということのようだ。
 このように、躁病は、マニー型の人に何かの負荷がかかったときに発病する、という例が多いのですね。うつ病では「昇進うつ病」とか「引っ越しうつ病」というパターンが知られているが、これが躁だと(名前は悪いが)「葬式躁病」とか「水害躁病」、阪神大震災のときには「ボランティア躁病」(!)なんてのも報告されてたりしますね。これは、神戸の複数の病院の先生方が学会で報告しているもの。「災害躁病」という報告で、保坂卓昭はこんな事例を紹介している。
 震災の惨状をテレビで見て、北関東から神戸に駆けつけた29歳のA氏、泊まり込みでボランティアをしていたが、トラブルを起こして一旦は家に帰る。しかし震災16日目に再度神戸を訪れるが、またも暴行事件を起こし、翌日には川に飛び降りる行為を繰り返し、とうとう入院になってしまった。入院後も攻撃的で暴力があったけれど、治療によって鎮静化、入院20日目には退院して帰省することができた。しかし退院して16日後、またも軽躁状態で神戸を訪れ、5日間入院。
 テレビの中の廃墟の風景を見て、不謹慎にもわくわくしてしまう気分はわかるのだが、なんともはた迷惑でお気楽としかいいようがない。
 さらに被災者の中にも躁状態になる例が多く、神戸大学精神科では、震災の影響を受けた入院事例では、精神分裂病よりも躁うつ病の躁転が多かったそうだ。兵庫医科大学でも、躁うつ病の通院患者53名のうち、震災後1ヶ月の間に12名が躁状態になったが、前年の同時期では3名にすぎなかったという。こちらは、震災のショックからの防衛機制という要素が強いようだ。
 性格的には、「ボランティア型」は共感性、正義感が強く熱中巻き込まれ型(マニー型に近いかな)、「被災者型」は几帳面、まじめな性格が特徴的だったそうな。
(last update 99/11/05)

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