私が研修医時代に教わった精神医学用語のうち、いちばん釈然としなかったのがこの言葉である。
「プレコックス感」とは、1941年ごろにオランダのリュムケという精神科医が言い出した言葉であり、簡単に言えば
分裂病の患者と面と向かったときに感じるなんとなくいやーな感じのこと。なぜそんなものに「プレコックス感」などという大仰な名前がついているのか、私にはさっぱりわからなかった。しかも、それが
分裂病の診断に有用だときいて私はのけぞった。
「なんとなくいやーな感じ」で分裂病を診断していいんかい、おい。
二種類の精神医学事典で「プレコックス感」を引いてみたが、載っている説明はおそろしく歯切れが悪い。「分裂病者に相対したとき観察者のうちに起こる
一種言いようのない特有な感情」(弘文堂)、「〈その感じ〉は
言葉ではなんとも表現しがたく、表情のかたさ、冷たさ、態度のぎごちなさ、感情疎通性のなさ、奇妙な唐突さなどとともに〈分裂病らしさ〉として分裂病者の人格全般から直観的に把握される総合的な感じ」(講談社)だそうだが、両方とも「一種言いようのない」「言葉ではなんとも表現しがたく」とはなから定義をあきらめているし、〈分裂病らしさ〉なんてのはトートロジーもいいところ。そういや「プレコックス感」という言葉自体、もともとは「分裂病的な感じ」という意味だったっけ。
なんでも言語化不可能な微妙な「感じ」らしいのだが、そんなもので診断されてはたまらないと思うのは私だけではあるまい。
はっきりいって、私は今まで百人を超える分裂病患者を診てきたが、「プレコックス感」がどんな感情なのか、いまだによくわからない。確かに面と向かったときに「交流が不可能なような冷たい感じ」を抱くことはあるが、分裂病であってもそれを感じない患者もいるし、それが分裂病に特異的とも思えないから、診断基準として有用とはとても思えない。
「熟達した精神科医ならば必ず感じる」などと書いてある本もあったりするので、単に私がまだ熟達していないせいだけかもしれない。でも、「熟達した者だけが感じる」ような、再現不可能なベテランの勘にすぎないような診断にはあまり意味がないのではないか。
「プレコックス感」というものはたぶん存在するのだろうし、それが診断の助けになることもあるのだろうけれど、あまりにも主観的なその感覚が、いまだに重要な指標として教えられている日本の状況はどうもおかしいのではないかと思う。
「客観的」を標榜する精神科診断基準であるDSM-IV(これにもいろいろと問題はあるのだけれど、それはまたいずれ)に基づいたアメリカの文献は、プレコックス感にはきわめて冷たい。
タスマンの教科書は、上下二巻という大冊であるにも関わらず、プレコックス感についてはひとことも触れていないし、邦訳のあるカプランの教科書では、「臨床家のなかにはプレコックス感というものを報告する人々がいるが、
これが精神分裂病の妥当な、あるいは信頼の置ける診断基準になるという資料はない」と一言のもとに切り捨てられていて、これはこれで小気味よい態度である。
(last update 99/11/05)