言語新作の項目を書いたとき、44歳の男性分裂病患者のこんな妄想を紹介した。
数億年前、宇宙人が地球に降下し、真にして善なる国を建設した。その末裔がイザナギ、イザナミの命であり、この血脈はさらにアマテラスとスサノオ、ヤマトタケル等を経て天皇一家に伝えられているが、われわれ人類も多少ともその血を継いでいる。しかるにいつの頃からか、次第に邪悪な力が世界を堕落させ、現在は虚偽を打破して昔のような真実の世界に戻そうとする大いなる全能者(彼はそれを「おやじ」と呼ぶ)と、ますます堕落させようとする力が戦っている最中である。彼は生後間もなく「おやじ」に戦いに参加するよう求められ、「おやじ」に心身ともに委ねて、その指示通り働くことを約束した。そして「おやじ」の指令により、「人間構成の素粒子論」や「心理プラズマ」や「運動の周期律」等々を研究する。新しい言葉(漢字)を創るのも「おやじ」の要請で、すでに腐敗した既成の文字では新しい世界の真理を発見できないからであるという。
まるで、40年代のスペースオペラみたいではないか。書きようによってはヴォクトばりのワイドスクリーン・バロックになるかもしれない。
考えてみれば、分裂病患者は異常体験を説明するのに「電子頭脳」や「テレパシー」などSFの言葉を使うことが多いが、「魔術師に魔法をかけられた」などとファンタジー用語を使う人は見たことがない。
これはなぜだろう。
それはたぶん、SFと分裂病の妄想との間には共通点があるからなのだろう。
まず、SFは世界を描く小説だということ。ファンタジーではあくまで異世界における人間が描かれるのに対し、SFには世界そのものを疑い、新しく構築しようとする意志がある。一方、分裂病患者に特徴的とされている症状に、
世界没落体験というのがある。これは「世界はいまや危機に瀕している。世界の終末は近い」という、周囲から迫ってくるような絶対的な確信のこと。分裂病患者にとって、世界はグロテスクに変貌をとげつつあるのだ。それじゃホラーじゃないか、だと思われるかもしれないが、ホラーの理不尽な世界で人間が長いこと生き続けるのは難しい。グロテスクで不条理な世界の中で自己を守るためには、SF的な論理を使ってでも世界を論理の中に位置づけるしかないだろう。それが、分裂病者がSF用語を選ぶ理由なんじゃないだろうか。
さらに、SFには、形而上的なものを強引に形而下に引きずり下ろしてしまうという特徴がある。抽象的な思想も無理やり「絵」として見せてしまう。バリントン・ベイリーの諸作を思い出してもらえばわかるように、これはSFのパワーであると同時に安っぽさの源泉でもあるのだけど、一方で分裂病の思考には
コンクレティスムス(Konkretismus(独) 英語ではconcretism。
具象化傾向と訳されている)という特徴がある。分裂病者は比喩や抽象を理解できず、そのまま具体的に受け取ってしまうというのだ。
たとえばこんな例がある。
雑誌『精神療法』1992年9月号の「海外文献抄録」というコーナーに、「抑圧と分裂――言語構造論的端緒に基づく神経症と精神病の境界設定に関する考察」という、やたらと長ったらしいタイトルの、ドイツ語の文献の抄訳が載っている。
この文献で取り上げられている患者は20歳で、10歳のときからペリー・ローダンを読み始めたので、「人生の半分はペリー・ローダンのことばかり考えてきた」のだという。そして、「15歳のとき女の子と恋愛関係を持ったことがあるが、その後学校へ行けなくなり、ますますSFにのめりこむようになった」「友達と会うでもなく、ペリー・ローダンのことにだけ専心するようになった」のだそうだ。ついには、入院していた病棟を抜け出し、ちょうど行われていた講義に侵入し、マイクを奪って「ペリー・ローダンは私の精神の父です。電波をかわし合う相互関係が、私とローダンとの間にはあるんです。私は過去、現在、未来です。私は3次元で神のようなものです。自分は神だと思います」と叫んだという。
つまりこれは、
「ペリー・ローダンを神とし、ついにはペリー・ローダンと自分とを同一視するようになった」という症例なのである!
医師との会話がよく理解できなかったこの患者が、窓辺で何かを飲み込むような動作をして「情報を飲み込んでるんです」と言った、というのがコンクレティスムスの典型例。それどころか、この事例をもとにして、1982年、ホルム-ハドゥラという医師が「コンクレティスムス」の概念を導き出したのだった。
コンクレティスムスの概念誕生とSF小説との間に密接な関わりがある、というのも何かの因果というべきか。しかし、この患者の場合、これは本当に分裂病独特の思考なのかな。この思考は、この患者が分裂病だったことより、SFファンだったことの方に関係あるような気もするんだけど……。
ただし、SFと妄想に共通点があるからといって、分裂病者の妄想を病者の豊かな想像力のあらわれだと考えるのは間違いである。彼らは決して、想像の翼を羽ばたかせているわけではない。彼らはこのような観念の中で身動きが取れなくなっているのであり、それは想像力とは正反対のものである。彼らは、妄想世界を想像しているのではない。妄想世界を生きているのだ。
そして、その妄想に触れ、驚異を感じたりユーモラスに感じたりと、いろいろと想像を働かせることができるのは、我々非分裂病者の特権なのである。
しかし、例外というものは必ずあるもので、きわめて豊かな想像力を感じさせる症例もごくまれにだが存在する。
たとえば、1958年の「精神神経学雑誌」に載っている
「Neophasieの生成機序について」という論文に紹介されている症例がそうだ。地味なタイトルだが、これが、言語新作から始まり、ついにはまるまるひとつの惑星と文明を創造してしまったという驚くべき人物を紹介した論文なのだ。
著者はヤラスラフ・ストックリックといって、チェコのプラハ精神衛生研究所の主任教授。ふつう、日本の専門誌に外国人の論文が載ることはあまりないのだが、この論文は、著者が特に日本の精神医学雑誌への掲載を希望して寄稿したものなのだという。なんでわざわざそんなことをしたかというと、この論文で扱っている症例が日本に縁があるからということのようだ。
症例はチェコ人の患者で、名前はドクター・D・ドッド(仮名)。1910年生まれの一人っ子。幼少の頃から数々の重い病気にかかったが、よく勉強し、大学は医学部に進学。医学のさまざまな分野について非凡な知識を習得し、結局精神科医になったというエリートである。
彼は医学論文を書き、音楽を作曲し、独特な速記術を編み出すなど多彩な才能を発揮し、特に、夢の解釈、ロールシャッハ・テスト、脳腫瘍その他について大きな著作をものしている。順風満帆な人生である。
しかし、1945年のこと、広島に原爆が落とされたことを知った彼は激怒し、たったひとりである強烈な平和運動を開始する。宣伝ビラを街中に貼り、教会の円頂に声明文をひろげる。大統領やローマ法王にも激しい手紙を送りつけ、友人や親戚には新しく築かれた国家では官職に任命することを約束した。そんなことをしているうちに法に触れ、精神鑑定を受け、患者として釈放されたのだそうだ。そんなに変じゃないように思えるんだがなあ。
このときに彼が担当の精神科医に語ったのが、実に驚くべき物語なのであった。
1942年のある日のこと、プラハ近郊に惑星間を飛ぶ航空機が墜落して燃え上がった、と彼はいう。彼は急いで燃えている機体に駆け寄ったが、救い出せたのは一人の少女だけ。少女の名はDehorjane(読めん)。アストロンという惑星(一名テティスともいうらしい。「地球」と「世界」みたいな関係のようだ)から来たという。彼女は徐々にチェコ語を覚え、彼に身の上話をした。父はアストロンの大学教授であり、彼の最初の惑星間飛行で命を落としたのだという(その後いろいろと長い話があるらしいのだが、この論文には書かれていない)。
その後彼はDahorjaneと結婚、アストロンの歴史や文化について教わるのだが、そうしているうちに、彼は徐々に前世をアストロンで過ごしていたことを思い出していく。彼はアストロン人の生まれ変わりであり、来世には再びアストロンに戻り、日本とテティスの皇帝として君臨するのだ。彼によれば、日本人は惑星系を支配する任を追うべき運命にあり、彼自身がその指導者なのだ!
なんだか日本のアニメのようなストーリーである。
さてなぜ彼が日本にこだわるかといえば、彼の自伝(長大な自伝を書いているのだ!)によれば「4歳から6歳にかけて、母の買ってくれた日本人形を愛し、着物を着替えさせながら愛撫した。こうして日本女性の形象によって、早い時期に性愛がめざめた」からだという。「子供の頃から天皇が陽の女神の後裔であることを、単なる象徴ではなく事実であると信じた。その力は世界支配に適うものである」とも書いているらしい。なんともなあ。
6、7歳の頃、一人っ子だった彼は、人形や箱で街を作っては一人遊びをしていたという。さらに住人のいうことを親に理解できないようにするために、彼は自分で新しい言葉を考え出したという。しばらくしてこの遊びはやめてしまったが、大人になるまで新しく作った言葉のことは忘れず、Ishi語と名づけて徐々に洗練させていき、ついにはこのIshi語で小説や科学論文を書いたり、福音書を翻訳したりもするようになった(論文には、彼の書いたIshi語の文章が図版として掲載されている。見たこともない文字だが、きわめて整った字で、ひとつも訂正がない)。
そんなときに、彼はDahorjaneと出会い、自分の考え出した言語は、前世の記憶であったことを悟るのだ。
その後、彼は、アストロンのさまざまな民族の言語を作り上げた(というか、思い出したんだな、前世はアストロン人なんだから)。しかも、彼はそれぞれの言語がどのように発生し、利用され、消滅していったか、そしてどの言語でどんな古典的著作が書かれ、どこに保管されているか、などすべて具体的に述べることができる。つまり彼は、言語だけではなく、惑星アストロンの歴史をまるごと作り上げてしまったのである。
Barnum語は名詞には8つの語尾変化があり、性の区別がある上、生物は無生物とは違った語尾変化を示す。合計22の語尾変化があるのだそうな。動詞はきわめて不規則に変化し、214の異なった変化形がある。その上、6つの完了形、3つの未来形、3つの条件形などがあるのだとか。こりゃ難しそう。
Tvad語は現在は死語だが、かつてはアストロンの強大な種族の言語だった。この言語の言葉は2音節からなり、例外なく子音で始まり子音で終わる。
Kimbal語はKim語とも言われ、アストロンの黒人種の言葉である。わずか666語からなり、象形文字で書かれる。
などなど、ドクター・ドッドが作り上げたさまざまな言語が、論文には紹介されている。精神病であったにせよ、そうでなかったにせよ、少なくともこのドクター・ドッド、非凡な才能の持ち主であることは確かなようだ。彼の書いた膨大な量の自伝というのを読んでみたい気がする。
なお、この論文の最後には、「きのうは一日中雨が降った」という文をアストロンの各言語に訳したもの、というのが載っている。
Ishi語……Rububi irsxhwae sut o dyn
Stehut語……Betschive giphir savjeijifopu
Barnum語……Rukabut kab matschcharjapan
Kimbal語……Schescho kschajikofba onom
Mirrsch語……Dom lechi kafimriju siba pseche
Tobol語……Dajpi bintiti rinuch pjar
Rischi語……Bareck kulka aba tantaharetanra
Kvad語……Meop kidzuntschopon nomoma
はあ。もう、ここまで来ると著者ストックリック先生も、医学的考察なんてどうでもよくなってますね。分析も考察もせず、「ただ発明の産物として驚嘆に値する」とだけ書いて終わりにしてしまってるし。
一つ気になるのは、この人、スペオペを読んでたのかなあ、ということ。1940年代のプラハでSFは手に入ったんだろうか。語学に通じた彼のことだから、たとえチェコ語に訳されてなかったとしても、英語のままですらすら読んでしまいそうである。「Kimbal語」なんていう名前をつけてしまうあたり、E・E・スミスくらい読んでそうな気もするんけどなあ。まあ「Kimbal」の一語で決めつけるわけにはいきませんが。
(last update 01/04/01)