人格障害 Personality Disorder

 反社会性人格障害については別項目で書いたけれど、今度はちょっと範囲を広げて「人格障害」の話。
 精神医学では、「人格障害」というのは、「精神病じゃないんだけど、性格が正常範囲から逸脱しているために周囲が迷惑したり自分で悩んだりしている人」をさします。
 「反社会性人格障害」のほかには「自己愛性人格障害」や「回避性人格障害」などなど、DSM-IVには全部で10種類(+「特定不能の人格障害」)がリストアップされてます。日記でとりあげた「境界例」もDSM-IVでは「境界性人格障害」という診断名になってますね。「反社会性人格障害」はたまたま攻撃的で危険な性格だったけど、人格障害すべてが危険というわけではないので誤解のないように。
 しかし、「人格障害」というのはなんともショッキングな用語ですね。なんせ「人格」の「障害」である。「あなたは人格障害です」と言われた人は、まるで人間性そのものを否定されたような気持ちになるんじゃないだろうか(このように、精神医学の診断名には、どうもデリカシーに欠けるものが少なくないのですね。「精神分裂病」とか「悪性症候群」とか、なんともおどろおどろしいネーミングじゃないですか)。
 実は、ここでいう「人格」はpersonalityの訳語。日常語の「人格」とは関係なく、性格とか個性といった意味です。つまり、「人格障害」(personality disorder)とは、性格・個性(personality)が〈普通〉の範囲(order)から逸脱(dis-)している、という意味。これはどう考えても訳が悪いですね。だから、「人格」を避けて「パーソナリティ障害」と訳している人もいます。こっちの方がソフトかな。

 この「人格障害」という概念、よーく考えてみると謎が多い。「性格が正常範囲から逸脱している」なんてどうやってわかるんだろう。だいたいどこまでを正常でどこからを異常とみなすんだろう。性格の偏りを精神疾患扱いするってのは、診断の名のもとの差別じゃないんだろうか。第一、きのうの診断基準をみればわかるとおり、臨床上の人格障害は、統計的に考えて正常範囲の外、というふうに定義されているわけじゃないのですね。「人格障害」とは何かについて考えていくと、何を正常で何を異常とみなすか、という答えの出ない問題にぶちあたってしまうのだ。
 この問題は、学問的というよりむしろ政治的な対立になってしまっていて、2000年5月の日本精神神経学会では「人格障害」をテーマにシンポジウムが行われる予定だったのだけど、この診断に反対する精神障害者団体の人たちが壇上を占拠したため中止になってしまった(その前年には「触法精神障害者」のシンポジウムにも同じように障害者団体が乱入して一時中断になっている)。
 実際、性格の正常異常を定義するのは非常に難しい。価値判断は抜きにして統計的に正規分布の端っこを異常とみなすことにしようと思っても、そもそも性格をどうやって数量するんだ、という疑問があるし、それだと道徳心がない人も道徳心が強い人も同じように異常ということになってしまう。「人格障害」とされて医療の対象になるのは、正常からの逸脱のうち、マイナスの価値を持つ方だけなんだから、やっぱり社会的な価値判断なしには人格障害は定義できないことになってしまう。
 だいたい性格にかぎらず、統計的に異常を定義すること自体に無理があるのですね。「虫歯がある人」は統計的には日本人の大多数を占めるので正常になるけど、やはり病理学的には異常とみなすべきだろう。そこには「虫歯は人間にとって不都合な状態である」という価値判断がある。人間が関わってくる場合、なんらかの価値判断抜きには異常は定義できないのである。

 このように、異常とは何か、という問題になるとなかなか答えが出せないのだけど、一般的な感覚として「性格が正常範囲から逸脱している人」はやっぱりいる、と感じる人が多いんじゃないだろうか(だから「身の回りの困った人」についての本があんなに売れているのだ)。私としても、それが「異常」「障害」かどうかはともかくとして、「境界性人格」「反社会性人格」といった人格特徴はあると思うし、そういう類型を使うと何かと便利なことも多いように思いますね。もちろん類型にとらわれて患者本人を見ないのでは問題だけど、類型は患者を理解する助けにはなると思うのだ。
 実際のところ、病院で診療をしていると、こうした「人格障害」に当てはまる人が外来を訪れたり入院したりすることは多いし、うつ病や神経症などでも、背景に「人格障害」的な要素がある場合は多いのですね。そんな場合、「人格障害なんてものはありません」とか「人格障害は性格の特徴だから治療の対象ではありません」と帰してしまえれば楽なのだが、実際彼らだって悩み苦しんで精神科を訪れるわけだから、門前払いするわけにもいかないし、人格も精神の重要な一部分なのだから、無視するわけにもいかない。
 ただ、人格障害の患者が入院するとはいっても、それはたとえば境界例の人が自殺衝動をどうしても抑えられないときや大量服薬をしてしまった場合など、あくまで緊急避難的な意味合いであって、別に入院によって人格障害を治そうと思っているわけではない。自傷や自殺の衝動が収まってきたり抑うつ感が改善すれば退院となるのが普通である。つまり、人格障害自体が治療対象ではないのである(もちろん少数ではあるが、人格障害自体の入院治療に取り組んでいる病院もあるが)。
 人格障害自体の治療は、外来でのカウンセリングが中心になることが多いのだけど、これは治療者によって技量の差もあるし、治療者と患者の相性もあるのでなかなか難しい(基本的に精神科医はカウンセリングの専門教育は受けてません)。精神科医の方でも抑うつとか摂食障害とかわかりやすい症状だけを治療対象にすることが多く、根底にある人格障害の部分にはなかなか触れたがらないのが現状ですね。人格障害を得意とする精神科医はあんまりいないのだ。
 ただ、精神科でも一般社会でも、これからますます人格障害が重要になってくるのは間違いないと思います。
 21世紀は人格障害の時代なのだ……たぶん。
(last update 01/06/23)

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