ホーム  話題別インデックス  書評インデックス  掲示板

←前の日記次の日記→
4月20日(木)

 たまたま早く帰ってきたので、今日から始まった新番組『クイズ$ミリオネア』を見る。15問連続正解すれば1000万円もらえるというのだが、あまりにも簡単な問題ばかりで呆然。「チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた文明は?」とか(しかも4択)。こんな問題ばっかりで人に金をあげてしまっていいのか。当然、出場者もみんな10問くらいまでは簡単に正解して楽々100万円を獲得していく。その上、間違えた問題も、なんでこんなので間違えるんだ、という問題ばかり。はっきり言って、挑戦権さえ獲得できれば100万円ゲットは確実。クイズ研究会出身者なら簡単に15問正解できるのではないか。こりゃ、出場希望者殺到だろうなあ。

 斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)を読了したのだけど、これについてはちょっと感想を書くのが難しいので、もう少し先送り。精神科医によるオタク論としては出色の作品とだけ言っておこう。
 あと、どうでもいいけど"Buffy the Vampire Slayer"を「ヴァンパイア退治のバフィー」と直訳するのはどうかと思いました。

 『ウエストワールド』(1973年米)を見る。今をときめくマイクル・クライトン監督・脚本の古典的SF映画である。主演はリチャード・ベンジャミン。そういやこの前見た『シーラ号の謎』の主演もこの人だった。そんなに魅力的な俳優とも思えないのだが。
 有名な作品なので粗筋ははぶくが、巨大なアミューズメント・パークの崩壊というメインアイディアは、のちにクライトンが書く『ジュラシック・パーク』にもそのまんま受け継がれているし(「なぜ崩壊するのか」という理由づけが弱いところまでそっくり)、ユル・ブリンナー演じるアンドロイドが倒しても倒しても追いかけてくるあたりは、明らかに『ターミネーター』に影響を与えていますね。
 さすがに古い作品だけあって映像は安っぽいし、テンポも今一つだけど、当時としては斬新なアイディアにあふれた映画であることは確かである(★★★)。
4月19日(水)

 妻が、クイーンの"WE WILL ROCK YOU"というDVDソフトを買ってきた。
 妻の影響でクイーンの映像はいくつか見たのだが、どうしてまたフレディ・マーキュリーは、いつもランニングシャツ一枚で歌っているのだろうか。もちろん違うコスチュームで歌っているのも見たことがあるのだが、たいがいはランニングである。しかもいつも白。まるで紳士下着売り場に三枚千円で売っていそうな代物である。何かランニングに思い入れでもあるのだろうか。
 私は、ランニング一枚で歌う人を、フレディと「たま」の太った人(「さよなら人類」で「木星についたよー」のあと「ついたー」と叫ぶ人)以外知らない。いくらなんでも芦屋雁之助も、「娘よ」を歌うときはランニング一枚ではなかったはずだ。

 こないだ観た香港映画『風雲』がむちゃくちゃ面白かったので、中野ブロードウェイの中華CD、DVD専門店「茉莉花茶」にDVDを買いに行くが残念ながら在庫なし。かわりに『中華英雄』『B計劃』(オウム真理教事件をモデルにしたアクション大作)を購入。どっちも日本未公開。当然日本語字幕はないが、オールリージョンだし英語字幕はついているので問題なし。

 あと、室井尚『哲学問題としてのテクノロジー』(講談社選書メチエ)、新保良明『ローマ帝国愚帝列伝』(講談社選書メチエ)、牧眞司『ブックハンターの冒険』(学陽書房)を購入。
4月18日(火)

 当直。一晩中電話の相手をしたり病棟に呼ばれたり。
 さて、最近はビデオでは古い映画ばかり見ている私。きのう見たのは『大怪獣バラン』(1958年日本)。同じ1950年代の怪獣映画でも、『ゴジラ』に比べてマイナーな作品である。
 なんでこんなにマイナーなんだろうと思っていたのだが、見終わって納得。だって、これ、ただの怪獣イジメ映画なんだもん。見ていてこれほど怪獣が哀れになってくる怪獣映画はほかにあるまい。
 映画が始まると、いきなり舞台は「日本の秘境北上川上流」と言われて面食らう。そんなにものすごいところだったのか、昭和30年代の東北は。
 さてその山奥の村で「バラダギ様」として信仰を集め、湖の底でひっそりと暮らしているバラン。聖地に土足で踏み込んで死んだ科学者の死因を探るため、調査に訪れた主人公と恋人の女新聞記者は、「バラダキ様がお怒りになるぞ」と村長が止めるのもきかず聖地へ向かう。おまけに、「そんな愚にもつかない迷信を信じるのはやめなさい」と村人たちを扇動し、村人全員を連れて湖のほとりで大騒ぎ。あまりの騒々しさに湖底に眠っていたバランが目覚め、村は壊滅、ただ一人村に残ってバラダギ様の怒りを鎮めるべく祈祷をしていた村長は踏み潰されて死亡。どう考えてもこりゃ主人公たちのせいだと思うんだがな。
 さらに、主人公たちは「これは恐ろしい怪獣だ、大都会を襲ったら大変だ」と、東京に戻って自衛隊の出動を要請、せっかくふたたび湖底で眠っていたバランに集中爆撃を浴びせて湖から追い出してしまう。住みなれた湖にいられなくなったバランは、ムササビのような羽根を広げて空に飛び立つ。バランが逃げたのは海の中。ようやく海の底で安住の地を見つけたか、と思っていたら、今度は海上自衛隊が爆雷を投下。とても海中にはいられなくなったバランが、たまたま低空飛行していた自衛隊機にひょいと手を出したところ、自衛隊機は墜落、大破。これでもうバランは完全に凶悪怪獣扱いにされてしまう。
 さんざん自衛隊に追いまわされたバランは、仕方なく羽田空港に上陸。東京が危ない! 自衛隊は色めき立つ。でも、そりゃあんたらが追いまわしたせいじゃないか。とにかく、自衛隊は、平田昭彦が開発した新型爆弾をバランの腹の下で爆発させるがまったく効果なし。最後の手段として、バランが光るものを好む習性を利用して、照明弾に新型爆弾に取りつけたものを飲みこませることに成功、爆弾をバランの体内で爆発させる。さすがのバランもこれには大きなダメージを受け、よたよたと海中に逃げる。その瞬間、飲みこんだもう一発の爆弾が爆発し、バランは木っ端微塵に。それを満足そうに見つめる主人公と女新聞記者。「終」。
 おい、それで終わりかい! バランは何も悪いことしてないじゃないか!
 どうしても怪獣側に感情移入してしまう、どろみちゃん((C)永野のりこ)みたいな子供が見たら、立ち直れないほどのトラウマになること必至の映画である。そうでなくても、昔からの言い伝えを馬鹿にし、怪獣を殺すことや特ダネをつかむことしか考えていない主人公や女新聞記者の傲慢な態度には思わずムカムカしてしまう。逆にいえば、これほど「怪物の悲哀」が肌で感じられる映画もないかも。ティム・バートンなんて目じゃないよ。だって、誰一人として怪獣の側に立つ人物が登場しないんだもの(★☆)。
4月17日(月)

 ちはらさんビックリマンチョコの話を書いていたので思い出したのだが、私も子どものころによくビックリマンチョコを買ってシールを集めたものである。ただし、私の時代のビックリマンチョコに入っていたのは、天使と悪魔のキャラクターのシールなどではなかった。シールがおまけについていたのは確かなのだが、それは「どっきりシール」というものだったのである。
 たとえば、コンセントとか、たばこの吸い殻とか虫とかのリアルな絵が描かれたシールで、これを床や壁などに貼ってビックリさせよう、というのが「ビックリマン」という名前の元々の意味なのだった。つまりはトロンプ・ルイユ(だまし絵)ですね。
 子どもの頃からパズルやだまし絵が大好きだった私は、このシールを家のあちこちに貼ってまわり、「はがすのがたいへんなんだから」とあとで母親にこっぴどく怒られたものである(当然ながら、誰ひとりとしてだまされた家族はいなかった)。
 今じゃビックリマンチョコといえばすっかりキャラクターシール入りのチョコのことになってしまい、この初代ビックリマンチョコの話を知っている人も少ないみたいなんだけど、もしかすると、これは今やもう、失われた知識の領域に入ってしまったんだろうか。たとえば、『DAISUKI!』(いつのまにか終わっていて驚きましたよ)の初期のレギュラーは吉村明宏と風見しんごだったという事実のように。

 さて、以上の日記を書いたあとで検索してみたら、冷やしたとまとさんという方の「どっきりシールギャラリー」というサイトを発見。なんと、全てのどっきりシールの画像を収録した労作。すばらしいサイトである。昔壁に貼った覚えのあるシールもあれば、全然見たことのないシールもある。でも今見ると、どう考えても使いようがないようなシールも多いね。

 クイーン(といってもエラリイに非ず)ファンの妻は、最近トヨタのCMを見るたびにのたうちまわっている。車が颯爽と走るバックで流れるのはクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」。確かに名曲ではあるのだけど、これは人を殺した青年の歌で、CMで使われている部分ではこう歌っているのだ。"Mama,I don't want to die, I sometimes wish I'd never been born at all"。確かにCM向きな歌じゃないよな。歌詞の意味をわかって使ってるんだろうか。

 斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)、ペレス・レベルテ『ナインスゲート』(集英社文庫)購入。後者は『呪のデュマ倶楽部』の文庫化。映画化に合わせて改題、ということらしいんだけど、これではあまりにもイメージ違いすぎでは。
4月16日()

 ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』(創元SF文庫)読了。今回登場するネタは超小型ロボット。「工作員」と呼ばれるわずか数センチのロボットは人間が直接神経接続して動かすことができる。ほとんど敷地も必要なくテーマパークが作れるし、昆虫狩りだって楽しめる。なんだかとても楽しそうではないですか。
 しかし。しかし。なんでこんな話にするのかなあ、ホーガン。『仮想空間計画』のときも、「アイディアはいいのに、なぜそれを充分展開させようとせず、発明をめぐるちまちました権力争いの話にしてしまうんだ!」と憤慨したものだが、今回もまったく同じ感想。もっとロボットを活躍させてくれよ。テーマパークなんて全然出てこないのに、こんなタイトルにするなよ。
 それに、こないだ読んだソウヤーの『フレームシフト』に引き続き、この作品にもクライマックスに大爆発シーンが登場するのにはうんざり。ハリウッド映画ならそれでいいのだろうが、小説には映画とはまた違う盛り上げ方があるはずでは。でも、そういう批判はおそらくあたらないのだろう。だって、この作品がハリウッド映画を強く意識していることはあまりにもあからさまだから。主役は子供だし、キャラクターの善悪の区別ははっきりしてるし、狙いとしてはディズニーあたりのファミリー映画でしょう。もしかして、映画化で一発当てようとしてるのか?>ホーガン。慣れないことはやめといた方がいいと思うんだけどなあ。
4月15日(土)

 今日から公開の映画には話題作がいっぱい。オタク的には『アイアン・ジャイアント』か『風雲』かと迷った挙げ句、結局、雨の中新宿まで出て香港映画『風雲 ストームライダーズ』を観る。ちょうど初日で千葉真一の舞台挨拶があり、場内は立ち見まで出る盛況……とはいえ、満員だったのは初回の上映だけだったようで、舞台挨拶が終わったら客がどっと出ていって2時からの回は空席もちらほら。なんでこんなに面白い映画なのに満員にならないんだ。
 舞台挨拶に登場した千葉真一はレモンイエローのジャケットに身を包み、にこやかに挨拶してました。意外に腰の低い人で驚く。千葉真一がこの映画に出演することになったのは、原作マンガの敵役「雄覇」のイメージにぴったりだと監督自ら千葉真一を指名したかららしい。メイクをして衣裳を身につけた千葉真一を見て、主演のアーロン・クォックも「すごい、そっくりだ!」と叫んだとか。
 映画の方は評判通り。香港映画のお家芸ともいえるワイヤーアクションに新しい試みとしてCGを組み合わせた壮大なファンタジーアクション映画である。2時間の間まったく目が離せない。まるで格ゲーの世界をそのまま映画化したような作品である。『マトリックス』も洗練された映像の美しさはすごかったけど、次から次へ繰り出されるアクションの迫力という点ではやはり本場香港にはかなわない。
 『マトリックス』では最終的に「人間が空を飛ぶ」というところに至るまで、2時間分もの理屈づけが必要だったのだけど、その点香港映画は違う。最初からもう当然のことのように人は空を飛ぶし、おまけに、それを誰も不思議には思わない。技を極めれば空も飛べるし、気の力で相手を倒せる。コンピュータ内の世界なんていう理屈はいらない。これはハリウッド映画には絶対に真似できないところ。
 ストーリーは、原作のマンガの要素を2時間に無理矢理押しこんだようで、キャラクターも多くかなり唐突な展開も多いのだが、そのめまぐるしさが逆にジェットコースター・ムービーにはふさわしい。次々と展開する華麗な映像をただただ堪能すべし。異様な存在感を見せる千葉真一を始め、主役を演じるアーロン・クォックとイーキン・チェンの二人もアイドル顔でむちゃくちゃかっこいい。こりゃもうアイドル映画のノリですね。ジャニーズ者の妻は、「これはジャニーズなら○○の役」などと喜んでおりました。
 最近は香港のスタッフがどんどんハリウッドに流出していて本場の香港映画は沈滞気味かと思っていたのだけど、まだまだ香港アクションは死んでいなかった。傑作(★★★★★)。

 同じ劇場でレイトショーの『発狂する唇』も観る。なるほど、こりゃ確かにデタラメな映画(誉め言葉)だわ。妙に古くさいオープニングから始まって、殺人あり、オカルトあり、歌あり踊りあり、レイプあり、意外な犯人あり、唐突なカンフーアクションありのとうてい先の読めないすさまじさ。ただ、『恐怖奇形人間』などの70年代カルト映画のノリを狙っているのだろうけど、最初から笑わせてやれ、と計算ずくなところがちょっと興ざめ。例えば、三輪ひとみのミュージカルシーンではわざと下手なバージョンを使ったとかいう作為が、どうも鼻についてしまう。
 この手の映画の魅力というのは、ここで笑って本当にいいのか、というためらいであり、真剣に作ったんだろうけどどうしても笑えてしまう、というどこかもの悲しさの漂うトホホ感でしょう。カルトを目指して作ったような映画には、そんなもの悲しさが足りないんだよなあ(★★★☆)。
4月14日(金)

 Niftyの某フォーラムを見ていたら、「円周率を計測するための真円はどこに存在するのでしょうか?」という質問が書きこまれていた。この人は、円周率は実際の円を使って計測していると思っているらしい。よっぽど「『円周率原器』というのがあって、円周率条約に加盟している各国に配布されています。直径1メートルの白金イリジウム合金の円盤で、この円の円周と直径の比を円周率とみなすことに決められています。ただ、近い内に日本はこの条約から脱退し、小学校では円周率を3として教えることが決まっています」とか適当なことを書きこんであげようかと思ったのだが、なんだかかわいそうなのでやめました。4月1日は過ぎてしまったし。

 『「探偵趣味」傑作選』(光文社文庫)、クリストファー・プリースト『イグジステンズ』(竹書房文庫)を購入。あのプリーストがノヴェライズの仕事をしているとは。しかも訳は柳下毅一郎。まあクローネンバーグ映画のノヴェライズをプリーストがするというのはわからなくもないのだけど、同じ竹書房文庫から出ているエリザベス・ハンドの『アンナと王様』ってのは何なんだろうね。生活に困っているのかハンド。あとは、『バットマン:アーカム・アサイラム』(小学館プロダクション)も購入。
4月13日(木)

 多重人格を扱った古典的な映画『イブの三つの顔』(1957年アメリカ)を見る。実話を元にした映画なのだけど、原作『私の中の他人』を読んでいないので、どの程度まで事実に基づいているのかは不明。
 このころの多重人格といえばまだまだ、ごく珍しい現象といった扱いである。その後患者が爆発的に増えて社会現象にまでなってしまうことなんか、誰ひとりとして予想していなかった。それだけにこの映画では、現代的イメージに汚染されていないピュアな多重人格像が描かれていて、今見ると逆に新鮮かも。なんせ、この物語には幼児虐待という言葉はひとことも出てこないのだ。いちおう最後にはそれらしいトラウマが明らかにされるのだけど、レイプだ虐待だという現代に比べるとなんとも牧歌的で拍子抜けしてしまうほど。のどかな時代だったんだなあ(語られていないだけで実際は虐待があったのかもしれないが)。
 最近ありがちな多重人格ネタのサイコスリラーなぞとは違い、素材やトリックとしてではなくて、多重人格を正面から丁寧に描いているあたりには好感が持てる。でも、過去を思い出し、人格が統合されておしまい、というのはあまりにも問題を単純化しすぎだと思うけど。
 主演のジョアン・ウッドワードはポール・ニューマン夫人でもあり、この作品でアカデミー主演女優賞をとったとか。表情の違いで三つの人格を演じ分けるというのは、プロの役者としてはチャレンジしがいのある役だったろうね(★★★☆)。
4月12日(水)

 4月から異動で老人病棟の担当になりました。
 今までは急性期閉鎖病棟で患者ひとりひとりにけっこう時間をとる必要があったため、担当患者数は12人程度だったのだけど、4月からは一気に増えてなんと70人! ほぼ6倍という恐ろしい患者数である。当然まだ全然名前と顔が一致しない。話しかけられても、名前の書いてあるサンダルをちらりと見ないと誰だかわからない。お年寄りはみんなおんなじような顔に見えてしまうよ。
 でも、毎日何人もの入退院があって目まぐるしいくらいだった前の病棟とは、同じ病院とは思えないほどのんびりとした雰囲気である。入退院もほとんどないし、長い人になると昭和30年代の入院という患者さんまでいたりする(ロボトミー手術を受けた人も何人かいる)。もう身寄りもなくなり、どこにも行き場のない患者さんも多い。まるで、かつての精神医療の負の遺産をそっくり抱え込んだかのような、時が止まったかのような病棟なのである。
 仕事も、今までの病棟とは違って、ひとりひとりからじっくり話を聞いていくようなことはできなくなってしまったし(そもそもちゃんと話せる人自体少ない)、書類を書いたり検査結果をチェックしたりといった事務的な仕事が中心になってしまうのがちょっと残念。それに、薬の量も若い人よりも少なめにしないと副作用が強く出すぎてしまうし、いったん体調を崩すと回復するまでがたいへん、と老人ならではの苦労もあるのだけど。
 でも、まあこういうのんびりした雰囲気は嫌いじゃないので、しばらくはお年寄りとつきあってみるとするか。

 トマス・ハリス『ハンニバル』(新潮文庫)購入。「ジャック・クローフォド」が「クロフォード」に。他にもいくつか固有名詞に変更があるみたい。確かに、いくらなんでも「クローフォド」はないよな、と『羊たちの沈黙』を読んだときから思っていたよ。菊池光表記?
4月11日(火)

 『悪魔の赤ちゃん』という映画を見た。1973年のアメリカ映画。原題は"It's Alive"。いかにもB級ホラー然としたタイトルですね。監督はラリー・コーエン。
 ロサンゼルスに住む平凡な夫婦の間に生まれたのは、奇怪な姿の赤ちゃんだった。赤ちゃんは、生まれ落ちるやいなや医師や看護婦を惨殺し、分娩室から姿を消す。ただちに全市街に包囲網が敷かれるが、赤ちゃんによる殺人は次々に続くのであった。一方、薬品が奇形の原因と知った科学者たちは、赤ちゃんを抹殺しようと企む。
 マスコミに追われ、会社まで解雇されてしまった父親は、かたくなに怪物を自分の子供とは認めようとしない。誰もが赤ちゃんを敵視する中、母親だけは赤ちゃんを守ろうとして、ひそかに地下室にかくまう。しかし、地下室で赤ちゃんの声を聞いた父親はためらうことなく銃を発射、赤ちゃんは血を流して泣きながら逃げ去る。
 そして、ついに警官隊によって下水道に追い詰められた赤ちゃん。警察よりも早く赤ちゃんを発見し、初めてその異形の姿を目にした父親は、我が子への思いが胸にあふれてくるのを感じる。銃を置き、赤ちゃんを抱き上げる父親。しかし、そのとき警察がふたりを取り囲む。はたして、父親は赤ちゃんを守りきることができるのか?
 珍しくあらすじを紹介してしまったのは、期待していなかったわりにはなかなかおもしろかったからだ……ストーリーだけは。物語のパターンとしては、異形の者の哀しみを描く、フランケンシュタインやキング・コングの変形ですね、これは。赤ちゃんはほとんど映さず、心ならずも怪物の父親になってしまった男の葛藤に焦点をあてているところもなかなかのアイディア。まあ、実際は見せるとあからさまに作りものだということがわかってしまうからなのだろうけど。
 ただし、実際に見ている分にはそれほどおもしろい映画ではないんだよね。演出は単調だし、何より赤ちゃんの造形があまりにもちゃち。物語も、設定を充分生かしているとは思えない。もうちょっと夫婦の心理を丹念に描けばもっとおもしろくなっただろうになあ。まあ、B級ホラーにそこまで求めるのは酷か。
 おもしろがるためにはかなり深読みする必要がある映画である。ティム・バートン監督でリメイクしたら恐ろしくも哀しい物語になりそう(★★)。
過去の日記

過去の日記目次

home