精神分析についていろいろと考えるうちに、これってあるジャンルに似ているんじゃないか、と気づいた。
推理小説だ。
まず第一に、名探偵の祖シャーロック・ホームズと精神分析の祖フロイトには共通点が多い。コカイン中毒の治療のためシャーロック・ホームズがフロイトのもとを訪れる、という物語を書いたのはニコラス・メイヤーだったが、実際、初期のフロイトはコカインの治療効果を信じ、神経症やうつ病の患者にコカインを使っていた。おかげでコカイン中毒患者が続出し、妻や医者仲間にまでコカインを薦めまくっていたフロイトは、医師生命の危機に立たされることになるのだった。ついでにいえば、フロイト自身コカイン中毒だった、という説もあるくらい。ホームズとフロイトは、ともにコカインに縁が深いのだ。
さらに、フロイトの精神分析とシャーロック・ホームズの推理法もよく似ている。このふたりの結論の導き方は、演繹的というより直感的であり、よく考えればけっこう穴があって厳密性には欠けるのですね。握手しただけで「アフガニスタンに行っておられましたね」と結論するのと、子供が馬を怖がっているのは父親=馬を殺して母親と寝たいと思っていたからだ(フロイトはそういう論文を書いているのだ)、と結論するのは五十歩百歩のような気がする。ほかの可能性もあるかもしれない、ということは一切考えない。超人探偵であるためには、可能性をひとつひとつ消していくような地味なやり方ではなく、直感的な推理が必要なのである。実際、フロイトはドイルのホームズものを読み、ある程度その推理方法を意識していたらしい。
そしてまた、「超人的治療者が悩める患者の無意識を解き明かす」というフロイトの描いた精神分析のモデルは、「超人的な探偵が事件の謎を解き明かす」という古典的探偵小説のパターンそのもの。精神分析と推理小説は、19世紀末ヨーロッパの風土が生み出した双生児なのである。
さらに、精神分析は発祥の地こそウィーンだけど、ドイツやオーストリアではそれほど流行らず、イギリス、アメリカと(フロイトが晩年ナチスから逃れてイギリスに移住したせいである)、主として英米圏で発達している。これも、英米中心に発達してきた推理小説と共通しているところ。そう考えると、同じ精神分析とはいいながらもどこかテイストの違うフランスのラカンは、さしづめフレンチ・ミステリにあたるのかもしれない。
その後、分析の発展とともに、「超人的な治療者」というモデルが力を失い、患者と接したときの「治療者の心の動き」が重視されるようになってきた、という点も、超人的探偵の活躍するパズラーの衰退から現在に至る推理小説の変化を思わせる。
なぜ推理小説と精神分析が英米で流行ったのかは正直言ってよくわからないけれど、なんとなく英米人のプラグマティズムと関係があるような気もする。人の心なんてのはあいまいなものの究極ですからね。あいまいなものを嫌う彼らは、なんだかわからないものをクリアに説明してくれる分析理論にとびついたのではないだろうか。人の心にしても犯罪にしても、複雑でよくわからないものの根本には謎があり、しかもそれは論理によって解き明かすことができるものである、というモデルが英米人の嗜好には合うのかもしれない。
おそらく彼らは、よくわからないものをよくわからないままに把握する、というやり方は苦手なのでしょうね。心のような複雑なものを考えるときは、そういうやり方しかないような気がするのだけれど。
さて、最後に推理小説からは離れてしまうが、最近のアメリカの精神分析事情についてひとこと。
現在のアメリカでは、精神分析は治療効果に疑問があるとされて徐々に衰退しつつあり、
DSMやEBM(根拠に基づく医療)など診断や治療のマニュアル化(マクドナルド化、と呼ぶ人もいる)が進んでいる。精神分析とマニュアル医療というと、一見まったく逆の現象のように思われるが、実は根っ子の部分では共通するものが流れている。つまり、あいまいで複雑なものを単純化してクリアに理解する、ということ。
両者が同じ傾向の二つの形であるとすれば、アメリカ人が分析から離れつつあるように、今流行りのマニュアル治療もいずれ同じようにどっかで挫折して捨て去られるような気がしますね。
(last update 01/04/09)