変質者 dégénéré

 変質者の話である。
 まず、だいたい、変質者といって誰もが連想するのは、このサイトに列挙されている例のようなものだろう。  人通りの少ない路上に出没していきなり体を触ったり性器を露出したりする性犯罪者、といったイメージ。特に幼い女の子を狙うぺドフィリアめいたイメージもあるし、さらには「変質」という言葉には、どこか精神に異常をきたしている、という含みもあるようだ。「痴漢」ならばふだんはごく普通のサラリーマンをしていてもいいけれど、「変質者」はおそらくふだんから変質者だ。そして幼い子どもを求めて路上を徘徊しているのである。そういえば私も、かつて紅顔の美少年だった頃には、母親に「暗い道を歩くときは、変質者が出るから気をつけなさい」などと言われたものである。
 同じ性犯罪者でも、職場でセクハラをしたり知り合いを無理矢理レイプしたりする場合は、あまり変質者とは言われない(先にリンクしたページでもタイトルには「変質者・ストーカー」と併記されている。ストーカーは変質者に入らないのである)。
 内閣府が平成6年に行った「国民の生活安全に関する世論調査」では、「ちかんなどの性的犯罪」と「子どもに対するいたずらなど変質者による犯罪」は分かれた項目として分類されており、どうやら内閣府の見解としては、変質者はちかんとは違い、「子どもに対するいたずらなど」を行うものらしい。大阪のある高校の校長先生の通達では、変質者はセアカゴケグモと同列に並べられてしまっている。クモと同列とは、なんだか哀れな気もする。

 しかし、それでは変質者はいったい何が変質しているのか、変質とはいったいどういうことなのか、と訊かれると、答えられる人は少ないに違いない。広辞苑を引いてみても、
へんしつしゃ【変質者】性格・気質の異常な者。
 とそっけない語釈が載っているだけで、変質とは何のことなのかさっぱりわからない。
 実を言うと、「変質者」という言葉は、今じゃすっかり日常語のような顔をしているけれど、実は長い歴史を持った用語である。「変質者」はきわめて由緒正しい精神医学用語なのだ。
 その歴史はなんと150年。「精神分裂病(統合失調症)」などより、はるかに古い言葉なのだ。19世紀中頃のフランスで産声をあげ、たちまちヨーロッパの学界を席捲、精神医学に限らずさまざまな分野に大きな影響を与えたものの、20世紀初頭には捨て去られてしまった理論。その残影ともいうべき用語こそが「変質者」なのである。理論が過去のものとなったあとも、「変質者」という言葉だけは脈々と生き残り、2つの世紀を越えた現在もなお使われ続けているというわけだ。いうなれば、「変質者」は19世紀から現在に至るまでのヨーロッパ精神医学の歴史と伝統を一身に背負った言葉なのである。
 では、変質者とともに精神医学150年の旅に、いざ赴かん!(イヤな旅だな)

 「変質者」に関する学説を初めて提唱したのは、19世紀フランスのベネディクト・オーギュスタン・モレル(1809-1873)という精神科医である。
 フランス各地の精神病院に派遣されることが多かったモレル。彼は、精神薄弱や精神病の患者があまりにも多いのにショックを受ける。しかも、どうやらそうした患者は増加の一途をたどっているようだ。そういえば自殺や犯罪、兵役に耐えられない軟弱な若者も増えている(どうも、当時のフランスも今の日本も、社会問題は同じだったようである)。モレルは危機感を覚える。
 人類の将来が危ない!
 そこでモレルはこう考える。精神病の蔓延、麻薬中毒者や犯罪の増加、若者の軟弱化などはどこかでつながっているのではあるまいか。これらはすべて、人間という種全体の堕落を物語っているのではないか。そしてモレルはありとあらゆる「人類の正常型からの病的な偏り」すべてを「変質」(dégénérescence)と命名する。そしてその「変質」を持った人間が、「変質者」というわけである。ちなみに、敬虔なクリスチャンであり愛国者であったモレルにとって、「正常型」というのは神が創りたもうた人間の原初型であり、変質とは人間の原罪がもたらす根源的堕落なのだった。
 ちなみに、「変質」を英語で言えば"degeneration"。発生、生殖を意味する"generation"に衰退、分離を意味する接頭語"de-"がついた言葉である。"degeneration"という単語は、日本語では変質、退廃、退化などとさまざまな言葉で訳されているけれど、すべて原語では同じ言葉。すなわち、変質者というのはもともと退廃者であり、退化者なのであった。

 モレルのいう「変質」には、精神病ばかりではなく、アルコールや麻薬中毒、有害な職業、不潔な住居、道徳的欠陥、先天性の障害などなど、脈絡なくさまざまなものが含まれる。つまりは、人間に悪い影響を与えるものはなんでもかんでも「変質」というわけ。モレルによれば、精神病者や犯罪者などの「変質者」は、何代も前の先祖からの悪い素因が凝集したものだという。しかもその「変質」は遺伝し、世代を重ねるごとに進行していき、やがては種の保存能力を失って絶滅にまで至るのである。なんともペシミスティックで絶望的な理論である。
 さらには変質者でない人も、有害な環境(貧乏とか不潔とか土壌の毒物とか)にさらされると、その障害が子孫に伝わって変質者になってしまう。また、変質者には「変質徴候」(stigmata)という身体の形態異常があるから、外見からわかるはずだというのである。このように、変質理論というのは遺伝という名のもとにありとあらゆるものを詰め込んだ、なんでもありの理論なのであった。

 今から見ると、なんとも穴だらけのできの悪い理論としか思えないのだけれど、当時といえば徐々にペシミズムや退廃的な風潮がヨーロッパに広がり始めた時代。たぶん多くの欧州人がヨーロッパの将来に危機感を抱いていたのだろう、1857年に発表されたこの変質理論は、たちまちのうちに全ヨーロッパを席捲していく。しかも、ちょうど2年後の1859年に出版されたダーウィンの進化論と結びつき、実に壮大な理論へと発展して。
 モレルの後継者であるマニャンは、モレルの変質理論から宗教的な性格を一掃、最新科学の装いをまとわせることによって、変質理論の発展に一役買うことになる。
 マニャンによれば、人類は徐々に進化の方向へと向かっているが、それを妨げて退化へと向かわせる力があり、それが「変質」だという。すなわち、人類という種を舞台にして、退化と進化という二つの遺伝的な力がせめぎあっているのである。人類は、退化の力を排除し、進化していかなければならないのだ。
 ここに、変質者は、人類という種全体を舞台にした戦いの一方の主役に躍り出たのである!

 ドイツでは、クラフト=エビングら多くの精神科医が変質説に心酔、ドイツ精神医学は変質説の支配下におかれることになる。クラフト=エビングは変態性欲総まくりカタログともいうべき『変態性欲心理』(1904)の著者として有名だけれど、彼の考えによれば、自慰者も同性愛者もサディストもマゾヒストも早漏者も、全部「変質者」なのである(ちなみに、「マゾヒズム」はクラフト=エビングが命名した言葉である)。
 さらに、精神病者や犯罪者には見た目でわかる特徴があるはずだ、という「変質徴候」の考え方は、イタリアのロンブローゾの「犯罪者は遺伝的に犯罪者になるべくして生まれてくるのだ!」という生来性犯罪者説や、クレッチマーの体格と性格の研究へと発展していく。彼らは一生懸命、多数の犯罪者の頭蓋の大きさを測定したり精神病者の体格を測定したりして、犯罪傾向や病との関連を導き出した(もちろん、今じゃすべて否定されてますが)。
 もちろんお膝元のフランスでも、粗雑だったモレルの学説を後継者マニャンがブラッシュアップ、「変質者が増えれば人類は滅亡への道を歩むから、社会は変質者から自らを守らなければならない」という結論を導き出す。ここから優生学まではもうあと一歩である。
 1892年にはドイツの医師マックス・モルダウが、モレルやロンブローゾの影響のもとに"Degeneration"(『退廃』とか『退化論』とか『変質論』とか訳されてます)を刊行、"degeneration"は、世紀末の芸術を語るキーワードになっていく。さらには、この本の中で「変質者(退廃者)は必ずしも犯罪者、娼婦、無政府主義者、狂人とは限らず、芸術家であることも少なくない」と主張したことが、のちのナチの退廃芸術排斥につながっていくのである。
 変質理論は文学界にも影響を与えていて、小説家エミール・ゾラは変質説をもとに全20巻にも渡る「ルーゴン=マッカール叢書」を書いている。この連作の中で、アルコール中毒者マッカールを祖とする「悪い遺伝」を持った一族は、貧困のうちに死んだり自殺したり殺人者になったりと悲惨な運命をたどることになるのである。
 当然ながら、社会運動家は勢いづく。挑戦しがいのある目標が差し出されたことになるのだから。スラム街は一掃し、犯罪は防止し、アルコール中毒のような悪癖は根絶しなければならない。なぜならそれらは遺伝して種族の衰退につながるからだ。人類の正しい進化のため、諸悪を根絶するための行動を起こさなければ!
 しかしその一方で、精神病の治療という面では、何をやっても無駄、というニヒリズムが精神科医たちを支配することになる。変質は何代も前からの素因が凝集したものであり、宿命なのだから、治療したって仕方ないのだ。獲得された変質が遺伝しないよう、隔離しておくくらいしか、精神科医がすることは残されていないのだった。
 このように、「変質者」の理論は、ダーウィンの「進化論」に呼応する「退化論」として、19世紀後半のヨーロッパで大ブームを巻き起こしたのである。

 もちろん、20世紀に入って遺伝学が発達するにつれ、結核が遺伝して精神病、痴呆になって種の絶滅に至るなどという無茶な変質学説は否定され、医学界ではすみやかに過去のものとなっていく。しかし、いったん一般大衆の間に広まった概念はそう簡単に消えるものではない。絶滅を回避するためには、変質者は排除する以外ない。こうした宿命論的な世界観は優生学へと引き継がれ、ナチの大量虐殺へと結びついていく。ちなみに、ナチがシャガール、クレー、ゴッホ、ピカソ、カンディンスキーなどの絵を展示した「退廃芸術展」は、英語で書けば"degenerate art"。「退廃芸術」=「変質芸術」なのであった。

 さて、この理論がドイツ経由で明治期の日本にも輸入され、晴れて「変質者」という訳語が生み出されることになる。明治35年(1902)の「神経学雑誌」第1巻第1号には子ツケー(ネッケーと読むのである)「変質者ノ睾丸摘出ト社会保護」なるぶっそうな題名の論文が抄訳紹介されているので、明治30年代の精神医学界ではすでに「変質者」という訳語が使われていたことになる。
 ちなみにこの論文には、こんなことが書かれている(原文は漢字カタカナ混じりで句読点もないので引用者が適当に直した。また漢字もひらがなに開いた)。
如何にして、この危険なる変質者を削減するを得んか。社会的衛生の発達は、よくこれが目的を達しうるか。法律を以て彼らの間に結婚を禁じ、あるいは生殖機能ある間は変質者を幽鎖し、あるいは受胎抑制の方法によりて生殖を防がんか。これを実行する蓋し容易の業にあらず。最簡最廉にして有力なる社会保護となるものは、奄術(引用者註:去勢のこと)に如くものなかるべし。そはすなわち、犯罪的性質を帯ぶる痴愚癲癇ある種の精神病及び不治の中酒症にはことごとく奄術を行うにありて、ただし女子に向かいてはこれに施すべき安全にして適当の方法なきがゆえに、男子にのみこれが制裁を加うるなり。
 ちなみに、「奄術」には「カストラチヲン」というルビが振ってあったり。つまりはカストラートのアレですね。
 性犯罪者を去勢せよという声は今もあるけれど、この時代の「変質者」はアル中から精神病まで広い範囲を含んでいたことに注意。性犯罪を防ぐためというよりは、変質性を子孫に残さないための去勢なのである。

 しかし、「変質者」という言葉が広く一般にも使われるようになったのは、大正に入ってからのことだろう。大正13年(1924)に発行された『現代新語辞典』には、「変態心理」「変態性欲」と並んで「変質者」も収録されているそうだから(実物を見ていないのでどういう語釈なのかはわかりません)、この頃の新語だということは間違いない。おそらくは、先にも述べたクラフト=エビングの『変態性欲心理』が大正2年(1913)に翻訳されたときに、「変態性欲」とともに一般化された言葉なのではあるまいか。
 日本語の「変態」というのはもともとは「異常」という意味である。『変態性欲心理』の「変態」も、「異常」という意味にすぎないのだけれど、この本をきっかけにして、大正〜昭和初期の日本では一大変態ブームが巻き起こることになる。「変態」をタイトルに冠した本や雑誌が山ほど出版され、「変態」=「変態性欲」という意味になってくるのですね。ただし、大正6年(1917)には精神科医中村古峡が、日本精神医学会の機関誌として「変態心理」を創刊しているけれど、これは異常心理を扱った真面目な雑誌であって、別にエロ雑誌ではない。大正15年(1926)に創刊された梅原北明の「変態資料」になると、完全にエログロ雑誌になってしまう。
 そしてまた、「変質者」もその影響を受けて性的異常者を意味するようになったんじゃないだろうか。
 昭和6年(1931)に書かれた梶井基次郎「桜の樹の下には」には、
 俺はそれを見たとき、胸が衝(つ)かれるような気がした。墓場を発(あば)いて屍体を嗜(この)む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
 とあり、この時点ですでに「変質者」がネクロフィリアのような変態性欲者という意味で使われていることがわかる。

 さて日本の医学界での「変質者」の扱われ方はというと、昭和2年の神経学雑誌には、森田正馬(森田療法で有名な精神科医である)の「変質者ノ分類ニ就テ」という論文が掲載されている。この論文での変質者の定義は、
 変質者とは、其生活に対する能力及び形質に於て、常人即ち健者に比し劣りたる若くは変質せる先天性の素質者の謂である。
 というもの。「退化」というニュアンスはなくなっているものの、変質者とは先天性で治療不能だという観念は変わらない。森田先生による変質者の分類は、
第一類 精神発育制止(量的)
 第一 白痴(普通児童の七、八歳程度の能力に達し得ざるもの)
 第二 痴愚(同じく十四、五歳迄程度のもの)
 第三 魯鈍(同じく十七、八歳迄のもの)
第二類 変質者(質的)
 第一 神経質
 第二 ひすてりー
 第三 意志薄弱性素質
 第四 感情発揚性素質
 第五 感情抑鬱性素質
 第六 感情執着性素質
 第七 乖離性気質
 となる。ちなみに「乖離性」というのは「解離性障害」とは何の関係もなく、今の「分裂気質」に近い概念。どうやら、昭和初期の精神医学界における「変質者」は、現在で言えば精神発達遅滞と人格障害を合わせたような概念であるようだ(「ひすてりー」など、首を傾げざるを得ないものも含まれているが)。つまり、精神病とはいいがたいものの、先天性で治療しようのない(と思われていた)状態の総称なわけだ。

 その後の日本での「変質者」の使われ方についても、調査不足。当時の雑誌や探偵小説などを調べてみれば「変質者」の用例はいくらも出てくるのだろうけれど、さすがに調べきれません。一方の「変態」が「ヘンタイ」「H」と変化し、どんどん意味が軽くなってきたのに対し、「変質者」は当初の怪しく危険な雰囲気を残したまま現在に至っているのはどうしたわけなのか、昭和30〜40年代あたりまでは「変質者」という言葉は普通に新聞でも使われていたようなのだけれど、いつ頃からなぜ使われなくなったのかも、今のところよくわからないのが実情。もうしわけない。

 ともあれ、変質説ははるか昔に学説としては廃れてしまったのだけれど、生まれ故郷のフランスから遠く離れた日本では、「変質者」という言葉は今なお使われ続けている。さらに、変質説が一般大衆に植えつけた観念、「狂気は遺伝により決定されている」「狂気は宿命である」という悲観論もまた、それらが否定された現在もなお、私たちの心の中にしぶとく生き続けているのである。
 現在、なにげなく使われる「変質者」。その言葉の中には、生来性犯罪者説、ナチのホロコースト、障害者野放し論などなど、精神病者と社会をめぐる、150年にわたる歴史がつまっているのである。
参考文献
(last update 03/05/25)

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