生物学的精神医学と精神病理学 biological psychiatry vs. psychopathology

 精神医学界内部には、生物学的精神医学と精神病理学という根の深い対立がある。
 といっても、一般の人は業界内部の対立なんぞについては全然知らないと思うので、ちょっとこの対立について説明しておく。ものすごく簡単に言ってしまえば、この対立、ものを考えているのは脳かこころか、という問題なのですね。生物学的精神医学というのは、自然科学の方法論に従って脳科学の方面から精神異常を研究するというもの。欠点としては、患者の個別性とか社会性が無視されてしまうところ。一方、精神病理学はというと、精神病はこころの病気だとして、哲学(特にフッサールなどの現象学)をよりどころにして、主観的、直観的な見方や疾患の「全人間的な把握」を重視する。こっちはこっちで、遺伝など生物学的要素を無視しがちだし、観念的で難解な議論におちいりやすいという欠点がある。
 この両者の対立というのは非常に根深いものがあって、「精神病は脳病である」という、19世紀ドイツの精神医学者グリージンガーの言葉ひとつが、生物学的精神医学陣営では肯定的に引用されるし、精神病理学の文献では否定的に(いかにも憎々しげに(笑))引用される始末である。
 私はといえば、精神病理学の医局で研修を受けたものの、精神病理は科学的方法論を軽視(というか否定)しがちで、何の根拠もない空論を積み重ねているだけのようで、どうしても馴染めなかった。精神病理学の方法には、下手をすれば「トンデモ」になりかねない危険性すら感じた。人間全体を見ることは確かに重要だけれど、それはあくまで科学的知見を基礎にしてでないと、まったくの見当はずれになりかねないと思うのだけどな。メランコリー型性格のところで書いたように、高邁な思索から導き出された結論が、統計的な研究ひとつで覆されたりするわけだし。
 というわけで、私は精神病理学と生物学の折衷派である。まあ、どんな精神病理学者だって、生物学の恩恵である薬を使わないわけにはいかないわけで、一部の原理主義者以外は、たいがいの医者がそうだと思うが(笑)。はっきりいって、生物学の知見を取り入れなければ、精神病理学の未来はないだろうし、実際精神病理学は今や風前の灯である(精神病理学の牙城だった私のいた医局もあと3年くらいでなくなってしまう)。
 折衷派といってはみても、精神病理学と生物学的精神医学の間には矛盾もあるし、両者の間の溝はなかなか埋まりそうにない。いくら生物学的研究で、精神分裂病ではドーパミン受容体が増えていることがわかっても、そこから妄想や幻覚といった精神症状、ましてや底知れぬ孤独感や恐怖といった主観的な体験を説明するところまでの間には、深くて暗い溝が横たわっているのである。
 ちょっと逆説的だけど、分野そのものの中に巨大な謎や矛盾を抱えていることこそが、精神医学という学問がほかの学問と違うところであり、最大の魅力だと私は思っている。
(last update 00/08/20)

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