「異食」と呼ばれる症状がある。
異食とは、普通は口にしないもの、たとえば鉛筆や粘土、砂、毛髪、ゴミといったものが食べたくなったり、実際に食べてしまったりすること。この症状、回虫などの寄生虫感染者にしばしば見られるほか、精神科領域では、ヒステリーや精神分裂病、老年痴呆などの患者に見られることがある。妊婦がすっぱいものを食べたくなるってのも軽い異食ですね。
ちなみに、英語名の"pica"は、ラテン語でカササギのこと。なんでも、カササギは何でも食べる鳥とされているのだとか。
さて、精神科治療学という雑誌の2000年9月号に、福島春子らの
「自殺企図として、重篤な異食行為を呈した一症例」という論文が掲載されている。
症例の女性は、摂食障害で60キロから28キロまで体重が減少して入院、退院後もリストカットを繰り返した。カッターで何度も手首を切り、血を見るとほっとした、という。ここまではそんなに珍しくない話なのだが、壮絶なのはそのあとだ。
彼女が31歳のときのこと。「生きていても仕方がない」と思った彼女は、夜中になると、ホッチキスの針や釘などの金属を飲み込むようになったのである。半月ほどの間に彼女が飲み込んだのは、フォーク、釘、ホッチキスの針無数、縫い針100本、ガラス……。もちろん、腹痛のためその間食事はほとんど何も食べられなかった。サランラップのカッター部分を飲み込んだあとから腹痛がひどくなり、某大学病院救急部を受診、即日異物除去手術が行われることになった。
胃の中では胃酸とアルミニウムが反応して水素ガスが充満していた。電気メスで切開したときには爆発音がしたという。胃の中では金属がからみあって握りこぶしほどもある腫瘤を形成していた。論文には胃のX線写真が掲載されているが、胃の中は金属片が充満しており、かなり太い釘のような金属棒や、4本の先端のあるフォークらしきものまで見える。
「そういえば、夜中にトントンと金槌で叩く音がしていた」と同居していた母はのちに語っている。彼女は、母が眠っている隣の部屋で金槌で釘やフォークを砕いては、口の中に入れていたのである。ひたすら金属を口に入れつづける娘、奇妙な音に気づきながらも何も娘に言おうとしない母親。寒々とするような家庭風景である。
彼女はそれから半年近く入院するのだが、しばらくは小石を口に入れようとしたり鋏で手首を切ろうとしたりといった行為が続いた。さらに、彼女は医師に対してこうも訴えていたという。
「針千本飲まないといけない」
これを読んだとき、私は牧野修のホラー小説『病の世紀』を思い出した。この小説に、ある女性が別の女性に拘束され、無理矢理千本の針を一本一本飲み込まされる場面があるのだ。その理由は、「『嘘ついたら針千本飲ます』と約束したのに、約束を破ったから」。
事実は、ときに小説の想像力をも上回る。それとも、ここは牧野修のリアリティを称えるべきだろうか。
(last update 01/04/16)