狂人塔 Narrenturm

 18世紀後半、ヨーロッパでのことである。
 ときのオーストリア皇帝ヨーゼフ2世が、パリにいる妹のマリー・アントワネットを訪ねたときのこと、社会福祉施設についての話が話題が上ったのだそうだ。
 帰国後もそれを覚えていたヨーゼフ2世は、やがて宮廷医フォン・クアリンとの談議を経て、ウィーン市内に新施設の建設を命じる。それまで犯罪者や浮浪者、反政府主義者と区別なく刑務所にぶちこまれ、鎖につながれていた精神病者を新しく収容するための施設である。
 それから何年かがすぎた1784年、ついに煉瓦造り、5階建ての新しい建築物が総合病院の隣りに完成。全市内の精神病者たち(精神病の聖職者は別の病院に収容されたので除く)がその中に集められた。
 その建物を、ウィーン市民たちはこう呼んだ。

 ――Narrenturm(狂人塔)

 実際の「狂人塔」は、画像を見ていただければわかるとおり、塔というにはずいぶんずんぐりとしていて、丸いクリスマスケーキのような円柱状をしている。中央部は中庭で、円周に沿って内側は廊下、外側には28部屋の個室が並んでいた。それが5階分積み重なっており、1階の1部屋分は玄関になっているので全部で139室。その中に200から250名の患者が収容された。各部屋の大きさは2.5m(高さ)×3m(奥行)×2.25m(幅)。日本の間取りだと4畳くらい。患者2人が入ったらかなり狭苦しそうだ。
 ドアは木製の頑丈なもので、上方と下方に格子ばりの小窓が開いている。また、床上2mの高さには、縦1m、横50cmの縦長の格子付き窓があったという。部屋の中には固い寝台と便所。便所の配管にも鉄格子がついていた。床と壁には鉄の環が埋め込まれており、患者が狂乱した場合にはそこに拘束した。看護者は各階3名で、一等患者にかぎり専従の看護者がついたという。
 この「狂人塔」、19世紀中葉には閉鎖されたものの、その後ウィーン大学に移管され、看護婦や医者の宿舎、あるいは倉庫として使われていたそうだ。

 では今は? というと、この建物、まだウィーン市内にあるのです(現在の「狂人塔」の写真)。
 しかも、1971年からは病理学・解剖学博物館となって一般に公開されているのである。そこに収められているのは、水頭症やシャム双生児の胎児の標本、せむしの骨格標本、性病にかかった性器の模型などなど。ウィーンを訪れることがあれば、ぜひ行ってみたい名所のひとつである。
 ただし、開館しているのは水曜日の15〜18時、木曜日の8〜11時、毎月第1土曜日の10〜13時だけだというから、スケジュールを合わせておかないと入れなさそうだ。

(last update 02/03/27)

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