多重人格についてのもっともまとまった成書という評判の、フランク・W・パトナム
『多重人格性障害』(岩崎学術出版)(→
【bk1】)(若くして亡くなった精神科医、安克昌先生の最後の訳書でもある)を読んでいたところ、なかなか面白い記述を見つけた。
患者が多重人格かもしれないと思った場合、治療者が交代人格を引き出すためにはどうすればいいか、という章に書かれている記述である。
いるのではないかと推測される交代人格は、直接に特性を挙げれば挙げるほど、その出現を誘発できるチャンスが大となる。固有名詞は一般にもっとも強力な刺激であるが、特性や機能を表す言葉(たとえば「暗い人」「怒っている人」「小さい女の子」「管理人」など)を繰り返して言うことも有効である。この第二の人格に会いたいと求める時の語調は、命令的ではよくなく、招くような語調でなければならない。
多重人格者は、交代人格を引き出そうと粘り強く試みれば非常な不快感を示すことが少なくない。それは患者の態度をみればわかる。時にははなはだしい苦しみを示すように見える。さらに患者がトランス状態に入って無反応となることもある。(中略)患者がどんなに大きな苦痛を示しても、私は執拗に求めつづけなさいという。
この記述を読んで、なにか似たものを連想しないだろうか。
患者が劇的に変身して「こんにちは。私の名前はマーシーです」などと言う場合、治療者は第一関門を通過したのである。患者が不快なようすだったり、人格変換したようだがはっきりしない場合には、私はよく「今、どのような感じですか?」と尋ねる。患者は「混乱している」「怖い」「腹が立つ」などと答えるはずである。
交代人格は「出ていない」とき(すなわち、公然と身体を支配していない場合)でも話すことがある。この時の音声化は何とも不気味であって、患者は非常に恐ろしがるであろう。たとえば、ある症例で、私が最初に出会った交代人格は「死んでいるメアリー」と名のり、脅えた主人格を通じて音声化した。この「死んでいるメアリー」は最初、患者に対する憎しみについて語り、「真黒な灰になるまであの女の身体を焼き」たいと言った。
なんだか19世紀の降霊会みたいではないか。交代人格を霊、患者を霊媒と読みかえれば、これは降霊会の記述そっくり。交代人格を呼び出す方法が、100年も前の降霊術とそっくり、というのはなんだか奇妙な感じである。もちろん、この本自体は1989年に書かれた真面目な医学書であって、降霊術のことなんてまったく書かれていない。
しかも、この章にはこんな記述まであるのである。
交代人格とコミュニケートするためのもう一つの手段は、自動書記automatic writingである。これは、明確な意志に制御されない応答を患者が筆記するものである。
観念運動シグナル法ideomotor signalingは催眠とともに用いると非常に有効な技法であるが、これもまた未出現の交代人格と、ある限度内ではあるが、コミュニケーションの手段を与えてくれる。観念運動シグナル法とは、あるサイン(たとえば左の人差し指を挙げる)がある発言(たとえば「はい」「いいえ」「やめ」)を意味するという取り決めをすることである。
自動書記にテーブルターニング。これはまさに降霊術の手法そのままではないか。
そういえば、多重人格者にも霊媒にも女性が多いし、降霊術が盛んだった19世紀といえば、ヒステリーや多重人格といった解離現象が最初に注目された時代だった。心霊術と解離は、19世紀ヨーロッパという同じ根っこから生まれた兄弟のようなものなのであり、心霊現象と解離現象は、同じものを別々の側面からみたものともいえるのである。
「霊媒」とは、つまりは多重人格者のことだったのかもしれない。
(last update 03/10/26)