多重人格 multiple personality

 我孫子武丸さんの日記に、松岡圭祐『催眠』の感想として次のように書かれていた。
 余計なことが多い割に、肝心の多重人格者は「そういうもの」としておざなりでご都合主義な設定がなされているだけ。普通ミステリ作家なら、もう少しトラウマらしいトラウマ、それもできるだけ衝撃的なものを考えるところだが、この人の書きたいものはそんなところにはないらしい。
 これを読んで思ったのは、なるほど、ミステリ作家というのはそういう考え方をするのか、ということ。確かにミステリに出てくる多重人格者にはたいがい衝撃的な幼時体験があったりするものだし、そうでなければなんだか「リアリティ」がないような気がしてしまう。しかし、実際にはどうなんだろうか。本物の多重人格者にはほんとうにそんなにトラウマらしいトラウマがあるものなのだろうか。ちょっと気になったので、多重人格を扱った論文をあさってみた。
 多重人格は、欧米では19世紀半ばから数多く報告されてきたものの、20世紀後半になると激減。しかし、1980年代になると、どういうわけか突如としてアメリカで爆発的に増加。今ではちょっとしたブームになっているのは周知のとおり。児童虐待との関係も取り沙汰されているものの、激増の原因はさだかではない。
 ただし、日本ではまだまだ多重人格は少なくて(最近少しずつ増えてきているようだが)、もちろん私も一例も診たことがないし、症例報告はまだそれほど多くはない。ここでは、その中から3例を紹介してみる。

 まずはアメリカでの爆発的ブーム以前の、1978年の斉藤正武ら「多重人格の1症例」(精神医学1978年3月号)。この論文では、意に添わない結婚をきっかけに多重人格になった20歳の女性N子が紹介されている。
 N子は高校卒業後就職するが、その数日後から中学校の同級生だったTとつきあうようになる。N子によれば、TはN子に強引に交際を求め、N子が誘いを断るとTは自暴自棄になり、Tの母親からは「あなたのせいで息子は悪くなった」との非難の電話が勤務先にまでかかってくるようになったという。閉鎖的な土地でもあり、Tの母の人柄をよく知っていたN子は、悪口を言いふらされるのではないかと極度に恐れ、以後Tの言葉には抵抗できなくなってしまう。N子は何度か関係の精算も考えたものの、ついにTの熱意に負け結婚することになる。そして結婚数日後から第2人格が出現し、夫に向かって、ふだんでは考えられない乱暴な口調で「あいつはおまえと結婚したがおいらはしていない」「あいつはおまえを無理して好きになった」などと言い、物を投げつけたり殴りかかったりするようになるのである。
 この女性の場合、幼児期のトラウマは特にないようである。つまり、「意に添わない結婚」が多重人格のきっかけということになる。これはとても「衝撃的なトラウマ」とはいいがたいが、人はそんなことでも多重人格になるもののようだ。

 次は、精神医学1993年4月号に載っている中島一憲ら「多重人格を呈した解離型ヒステリーの1例」。ここでは19歳の女性J子の例が紹介されている。
 J子が13歳のときに母親がくも膜下出血で死亡。18歳のときには職場の同僚Aと知り合い、初めての男女交際を経験したが、わずか1ヶ月でうまくいかなくなり、関係は冷えてきていた。そんなある朝、通勤途中の駅にJ子がたたずんでいるところをAが見つけるが、J子は自分が誰だかわからない、Aの顔も見覚えがないという。そしてその頃からAの自宅に「さやか」と差出人の名が書かれた、J子とはまったく違う字体の手紙が届くようになるのだった。
 1ヶ月後、Aの自宅に突然J子が現れ「私はさやかという名前で25歳、あなたに逢いたかった」と語った。そのときの様子は、目つきが鋭く、声は低くなり、言葉遣いもふだんのJ子に比べて乱暴だったという。その後人格は頻繁に交替するようになり、「さやか」になったときにAに会いに行き、数時間から一日程度で元に戻ることが何度も繰り返されるようになる。
 人格が交替したときには、「私はさやかよ。J子にはスキがあり、J子の体には入りやすかった。私は2年前に23才で殺された。霊界での居場所ができるまでJ子の体を借りるよ」と語り、自分はJ子に取りついた霊だと主張、Aに対しては常に露骨に恋愛感情を示し、すりよって「抱いてくれ」と執拗に迫ったという(実際Aが「さやか」を抱いたかどうかは書かれていない)。
 「さやか」からJ子に戻るのは、「さやか」とAが口論になり「さやか」が不利な状況に追いこまれたときが多く、そんなときには倒れて気を失ったり、うずくまって頭をかかえて、気がつくとJ子に戻っているのだそうだ。J子に戻ったときには「さやか」だったときの記憶はまったくない。
 J子は「さやか」の存在に対しては当惑しているものの、「さやか」の行動にはどこか羨望を感じていたという。
 これは彼に振られたショックによって多重人格になった例。母の死がトラウマになっていたのではないかと推定されているが、それにしてもそれほど強烈なトラウマとはいいがたい。もしこういう小説を書いたら、なんだこりゃリアリティがない話だなあ、などと言われかねないかも。

 最後に、中西俊夫ら「多重人格の一例」(臨床精神病理97年8月号)に登場する26歳の女性Aは、16歳のときのレイプ体験をきっかけに第2の人格Bが誕生したという。最初、気を失ったAに変わってBはこの交渉を楽しんでいたが、少しするとやくざのような口調で男性を脅し、追い払ったという。その後、ホームステイ先のアメリカの老人に迫られたときもAを助けるためにBが突然出現、彼を拒絶して帰国したとか。
 この場合はレイプというショックを受け入れられないため人格が解離したというわけで、前の2例に比べれば小説的「リアリティ」が感じられるかな。ちょっとありきたりすぎる気もするが(こういうマンガを読んだことがあるような気もするなあ。タイトルは思い出せないけど)。

 3つの例に共通しているのは、おとなしく消極的な第1人格に対し、第2人格は攻撃的、積極的で、第1人格ではとてもできないようなことをやすやすとやってのけてしまうということ。第2人格は第1人格の弱点を補う形で登場しているのですね。
 というわけで、実際の多重人格者は、それほどトラウマらしいトラウマを持っているわけでもないようである。ミステリに出てくる、ドラマティックなトラウマを持った多重人格者は、あくまで小説的な「リアリティ」の産物であって、実際にはそうした多重人格者はむしろ少ないんじゃないだろうか。
 つまんないかもしれないが、現実なんてこんなもんなんです。
(last update 01/04/17)

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