親も知らない子どもの正体 尾上進勇 講談社 98/1/20発行 1600円

 ふだんなら絶対買わないたぐいの本なのだけれど、思わず買ってしまったのは、1月26日の日記で書いたように、本屋で立ち読みしていて、巻末の「わが子がわかる50のチェックテスト」のあまりの内容に目を見張ったからだ。
 いくつかの項目を抜粋してみる。もちろん、3点がいちばんよくて、マイナスだと問題あり、ということになっているのだ。

3点2点1点-2点
明るさ明るくよくしゃべる明るいがあまりしゃべらない 暗いところがありしゃべらない 親から見てつかみどころがない子供である
生活態度不満をいったことがないときどきいう いつも不満をいう
生活スタイル勉強もスポーツもゲームもほどほどにするゲームばかりしている パソコン・ビデオにのめりこんでいる(オタク的である)
勉強面白くてやっている義務だと思うからやっている嫌い したことがない
スポーツ大好きでやっているつきあいでやっている関心はあるがやっていない 嫌いでやっていない
趣味の仲間いないいる しばしば集まっている
地域のクラブ積極参加し高校のスポーツ推薦をねらっている仲間にさそわれて参加している
貸しビデオ全く見ないときどき利用するいつも利用するポルノ、ホラーものばかり利用する
日曜日のすごし方計画的にすごす友人や家族とすごす家でだらだらしているどこでなにをしているのかわからない
芸能界関心がない憧れのスターがいる芸能人になりたがっている

 私の子ども時代を思い出して点数をつけてみたところ、惨憺たる成績になってしまった。あなたは何点でしたか?(笑)
 24点以上なら「模範生」、20点前後なら「いい子」、10点以下は問題あり、たとえ総得点がプラスでも、ひとつでもマイナスがある場合はかなり深刻だそうだ。「模範生」がいちばんいいことになっているところなど、目を疑ってしまうのだが、著者は本気である。親から見た「模範生」こそが実は危険だ、というのはもう常識になっていると思っていたのだけどなあ。
 著者は教育雑誌の編集長、教育ソフトの開発、学習塾の経営などの経験を持つ教育評論家。「生きた子どもの実態を最もよく知る実践的な教育評論家」だそうだ。私は名前も聞いたことがなかったが。

 読んでみると、私の(オタクな精神科医の)立場とは、もう対極といっていいほどに違うので、逆に新鮮な驚きを感じた。
 教育家である著者は、徹底的に子ども性善説に立っている。子どもは基本的には「素直」で「明るい」。これが大前提である。「いつも群れたが」って、「強いものが好き」で、「臆病」で……とマイナス面も取り上げてはいるものの、素直で明るいのが子どもの本分だと、著者は主張する。
 そうかなあ、と、私は自分の子ども時代を思い返して思ってしまうのですね。「子ども」ってのは、そんなに十把一からげに扱えるものなんだろうか。確かにこれが当てはまる子どももいるだろうが、当てはまらない子どもだっているはずである(昔の私のように)。
 もちろん、これに合致しない子どもがいることは、著者もわかっているようだ。この問題に対する著者の解決法がすごい。そういう子どもたちは子どもではない、「子どもモドキ」であると定義してしまうのだ。確かにこの定義なら「子どもはすべて明るくて素直」という命題は必ず真となる。そんな命題に意味があるのかどうかは疑問だけど。

 日本が豊かな情報化社会になるにつれ、大人以上にクールな精神と醒めた眼を持つ「子どもモドキ」が増えてきた、と著者はいう。子どもモドキ、という言葉にはちょっと賛成できないけど、この認識自体は私も正しいと思う。情報化社会自体は止めようがないのだから、著者のいう「子どもモドキ」をどう教育していくのか、というのがこれからの問題になるはずなのだが、どうしたわけか、著者は全然そういうことを語ろうとしない。
 「孤高の子どもなどというのはもともといません。もしいたとしたらそれは成長の早い『子どもモドキ』です」とか、「子どもは明るいものです。暗い子どもは病気です。または早熟な『子どもモドキ』です」などといって、それっきり論じる対象から除外してしまうのだ。そして、かつての自分の経験をもとに、クラシカルな「子ども」の特長や教育法ばっかり延々と語る。

 小さい頃、クールで醒めた子どもだった私は、これを読んでかなりショックを受けましたよ。「子どもモドキ」と一刀両断されて、病気か危険分子扱いされてしまっているのだから。いまだにこんな考えを持った教育者がいるということ(そしてたぶん少数ではないということ)が、私にはとても恐ろしい。
 そして、それよりも、自分の子どもを理解できないばかりに、「わが子がわかる50のチェックテスト」なんぞをひとつひとつチェックして、その結果を鵜呑みにしてしまう親の方がもっと怖い。そういう親は、現実の子どもを相手にせずに、チャートの点数で表された特徴から子どもを理解した気になっているだけなのである。

 「現実と虚構を区別できていない」というのは、そういう親のことをいうのだ。
 

前に戻るホームに戻る