ノブアズロール®
1921年 神経学雑誌
水銀注射剤。水銀や砒素などの毒物も、当時は梅毒などの感染症の治療薬として広く使われていた。なお、「刀圭界」という聞き慣れない言葉が使われているが、「刀圭」とは薬を盛るさじのことで、「刀圭界」とは「医者の世界」ということ。
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オプタルソン®
1923年 神経学雑誌
こちらは砒素注射剤にストリヒニン(ストリキニーネ)を加えたもの。ロゴの字体が怖い。
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パボン®
1923年 神経学雑誌
阿片アルカロイド製剤。催眠鎮痛剤として使われていた。この絵がいったい何なのかよくわかりません――と書いたらメールで教えてもらいました。阿片を取る芥子の実だそうな。
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テトロドトキシン®
(テトロドトキシン)
1931年 神経学雑誌
広告にも「純正河豚毒素」とあるとおり、フグの毒素を抽出したものである。致死量は2〜3mg程度。青酸の1000倍の毒性で知られる猛毒である。テトロドトキシンは神経毒で、神経伝達を遮断する効果があるため、当時は鎮痛剤として使われていた。
広告にも「有力なる鎮痛麻酔剤 モルヒネの及び得ざる作用を補充す」とあるとおり、モルヒネのような習慣性がないため、鎮痛薬として重宝されたようだ。「各種神経痛、ロイマチス(リウマチ)諸症、喘息、胃痙攣、破傷風其他の痙攣諸症、夜尿症、掻痒性皮膚諸症の頑固なる場合等」に効くという。もちろん現在は医薬品としては使われていない。
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ブロムラール®
(アルファモノブロムイソワレリアニール尿素)
1931年 神経学雑誌
催眠鎮静剤。当時は精神病薬などは存在しないから、いかにして患者を鎮静させるかということが医者の主な関心事になってくる。雑誌に載っている広告も、鎮静剤が中心である。いかにも昭和初期らしい雰囲気のある枠模様が美しい広告である。
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トリアノン®
(アルファモノブロムイソワレリアニール尿素)
1931年 神経学雑誌
戦前のものとしては珍しくデザインに気をつかった広告なので取り上げてみた。何の薬なんだかよくわからないが。
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エスチモン®
1931年 神経学雑誌
卵胞ホルモン。つまりは女性ホルモン剤である。
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カルモチン®
1934年 神経学雑誌
日本文学好きの人なら、この薬の名前を聞いたことがあるに違いない。昭和初期の作家たちに愛用者が多く、太宰治、金子みすゞらが自殺に使ったことでも有名な睡眠薬である。夢野久作も「猟奇歌」で「カルモチンを紙屑籠に投げ入れて又取り出してジツと見つめる」という歌を詠んでいる。当時の睡眠薬の代名詞といってもいいだろう。
成分はブロムワレリル尿素。ただし、太宰治も3回も自殺に失敗しているように、実を言うとカルモチンは、きわめて大量に飲まなければ、それほど致死性の高い薬ではない。致死性という点では、呼吸抑制を起こしやすいバルビタールやイソミタールなどバルビツール酸系の薬物の方がよっぽど危険である。とはいえ、依存性、耐性を生じやすく、中毒を起こしやすいことは事実で、こうした危険性があるため、今ではベンゾジアゼピン系の薬に取って代わられていて、あまり使われなくなっている。 それでもカルモチンと同じ成分は、リスロン(2001年に製造中止)やウットという市販薬にも含まれているし、処方薬としてはブロバリンという名前で今でも売られている薬である。さすがに普通の不眠症の患者に対して処方するような薬ではないが、精神科の病院では、どうしても眠れない患者に対して不眠時頓服薬として使っていることもけっこう多かったりする。古い薬のようだが、カルモチン(の成分)はまだ現役なのである。 |
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ラウミン®
1934年 神経学雑誌
「長崎醫科大學教授醫學博士高瀬清氏多年の研究に基きて創製せられたる新鎭痙、鎭靜、鎭痛劑」だそうである。大学教授の名前を出して権威づけしているものが多いのが戦前の広告の特徴。今の健康食品の広告と同じである。
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エナルモン®
1934年 神経学雑誌
こちらは「東京帝國大學醫學部泌尿器科教室」のお墨付き。「生殖器性神経衰弱」なる謎の症状に効果があるとされている。大正から昭和初期にかけては、男性ホルモンが精神病から老化防止にまで効果のある万能薬として、一種のブームを起こしていたようである(こちらも参照)。
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キナポン®
(ストリキニーネ)
1943年 精神神経学雑誌
黄金時代の探偵小説家たちに愛された劇薬ストリキニーネは、かつて興奮剤として使われていたもの。それだけではなく、この広告をみると、キニーネとともにマラリア治療薬としても使われていたようである。致死量と治療域が近くて危険なので、現在は医薬品としては使われていない。
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松澤式電氣衝撃器
1949年 精神神経学雑誌
精神病院の代名詞として知られる松沢病院の名を冠した電気ショック装置。抗精神病薬のない時代には、電気ショックは精神科の代表的な治療法だった。電気ショックは今も治療法としては現役で、装置の構造もほとんど変わっていない。
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イスジリン®
(インスリン)
1949年 精神神経学雑誌
インスリンは糖尿病薬なのだが、精神科領域では「インスリンショック療法」という治療に使われていた。精神病患者にインスリンを注射してわざと低血糖ショックを起こし、昏睡状態にすると、患者が昏睡から覚めたとき、精神症状はなぜかよくなっているのである(理由は今なお不明)。当然ながらこの治療法はきわめて危険で、致死率は100人に1人もあったため、しだいに同じショック療法でも、より安全な電気ショック療法やカルジアゾール痙攣療法に取って代わられることになる。
さて、そのインスリンの広告になぜまた魚の絵が使われているかといえば、このインスリンが魚から抽出されているから。インスリンは普通はウシやブタの膵臓から抽出するのだが、戦争に伴い1938年に海外からのインスリン輸入が途絶えた日本では、魚の内臓からのインスリン抽出が研究されていたのだ。1929年に創立され、マグロの油漬缶詰を開発した清水食品は、1939年、入社したばかりの福屋三郎氏にインスリン抽出の研究を命じる。福屋は2、3名の助手とともに実験を重ね、2年後、ついにマグロからのインスリン抽出に成功。1941年5月には清水製薬株式会社が設立され、製品は「イスジリン」の商品名で市販されたのである。福屋氏は国家命令の試験研究に従事していたので兵役は免除されていたが、3年間の期間が切れた途端に召集されたという。「プロジェクトX」の題材になりそうないい話じゃないですか?(私の糖尿病50年(糖尿病NET)より) |