精神分裂病の患者さんは、最初の頃こそ幻覚やら妄想やらが出現したり、あるいは興奮して暴れ出したりして、我々精神科医を楽しませたり苦しませたりしてくれるのだけれども、発症から十年二十年とたった患者さんの中には、派手な症状は影を潜め、ただぼーっと一日を過ごすようになる一群がある(もちろん治る患者さんもいるし、幻覚妄想が残る患者さんもいる)。思考や感情は平板化して、人との接触も少なくなる。これを、伝統的なドイツ系の用語では
欠陥状態(Defekt)というのだけれど、いくらなんでも欠陥はないだろ、欠陥は、ということで、最近ではアメリカ流に
残遺状態と呼ぶことが多い。
かつて担当していた患者さんに、もう十数年閉鎖病棟に入院している分裂病の女性患者がいる。最初話したときには、何を聞いても無表情に「はい」か「いいえ」と簡単な返事をするばかりで、典型的な残遺状態にみえた。しばらくそんな無味乾燥な面談を続けたあと、あるときふと、週に一度行われる売店での買い物について聞いてみた。すると彼女は急にいきいきとした顔になって、その日売店で買ったものを列挙し始めた。そしてそれからは自分からうれしそうに買い物について話すようになったのである。長い間入院している彼女にとって、たぶんそれが唯一の楽しみなのだ。
またあるとき、彼女に睡眠について尋ねると、ひとこと「夢を見ました」という。私が「どんな夢を見たの?」と聞くと、困った顔になって「わかりません」という。それから毎回のように「夢を見なくなりました」「まだ夢を見ます」と報告してくれるのだが、内容はいつも「わかりません」である。もしかしたら悪い夢でも見ているのではないか、と思って「夢を見るとつらいですか」と聞いてみたら、「夢見て楽しんでます」とにこやかに答えたのでほっとした。
彼女の夢というのはいったい何なのだろう? 毎回自分から報告するということは、彼女にとっては重要なことに違いない。たぶんそれは何か言語に絶する体験であり、彼女はそれを表現する言葉を知らなかったため「わかりません」としか言えなかったのだと思う。少なくとも、我々非分裂病者の「夢」とは違ったものにちがいない。我々の言語は、分裂病の体験を的確に表現するには、あまりにも不完全なのだ。だから、ある種の分裂病患者は奇妙な言葉や文字を作って説明しようとするし、それよりも表現力のない彼女のような患者は、説明しかねて押し黙ってしまうことになる。
彼らの体験は、おそろしいものであることがほとんど(誰かに見られているとか迫害されているとかいうように表現されることが多い)だが、中には彼女のように楽しい体験だと語る患者さんもいる。彼女の体験している世界を少しだけでいいからのぞいてみたいと思うのだが、たかだか非分裂病者でしかない私にはそれは到底不可能なことなのである。
(last update 99/11/05)