酒鬼薔薇事件だとかバスジャックとか、少年による凶悪な事件が起こるたびに耳にするのが、「行為障害」という病名である。
バスジャック事件のときには、「家庭限局性行為障害」なんていうわけのわからない病名まで登場した。なんでも入院した少年を、病院側ではこう診断したのだそうだ。私は、「家庭限局性行為障害」なんていう病名を聞いたのは初めてだったので、「……勝手に作ったんとちゃうか」とすら思ったのだけれど、これは私の不勉強でして、「家庭限局性行為障害」というのは国際分類であるICD-10にちゃんと載っている診断名である。
さて、そのICD-10では、「行為障害」の定義はこうなっている。
他者の基本的権利を侵害するような、または年齢相応な社会的規範や規則を破るような行動パターンが繰り返し持続的にみられるもので、少なくとも6ヶ月間持続し、その間に以下の症状のうち、いくつかが存在すること。
1)その小児の発達水準にしては、あまりにも頻繁で激しい癇癪がある。
2)大人とよく喧嘩する。
3)大人の要求やルールを積極的に否定したりすることが多い。
4)明らかに故意に、他人を苛立たせるようなことをよくする。
5)自分の間違いや失敗を他人のせいにすることが多い。
6)短気なことが多く、他人に対してすぐイライラする。
7)よく怒ったり腹を立てることが多い。
8)意地が悪く、執念深いことが多い。
9)物を手に入れたり好意を得るため、または義務から逃れるために、嘘をついたり約束を破ったりすることが、よくある。
10)頻繁に自分から喧嘩を始めることが多い(きょうだい喧嘩は含まない)。
11)他人に大きな怪我をさせる可能性のある武器を使用したことがある。
12)親から禁止されているにもかかわらず、暗くなっても帰らないことがしばしばある(13歳前に始まるものについて)。
13)他人への身体的残虐行為。
14)動物への残虐行為。
15)他人の所有物を故意に破壊(放火によるのでなく)する。
16)深刻な被害をもたらす恐れのある、またはそれを意図した故意の放火。
17)家庭内または家庭外で被害者とは直面しないようにして、高価なものを盗む。
18)13歳以前にはじまる頻繁な怠学。
19)親または親代わりの人の家から、少なくとも2回家出したことがある。また1度だけでも2晩以上いなくなったことがある(身体的・性的虐待を避けるためではない)。
20)被害者と直面するような犯罪。
21)性的行為を要求する。
22)他人を頻繁にいじめる。
23)他人の家、建物、または車に押し入る。
要するに、反社会的行動のバリエーションのリストですね。別に原因についての仮説が述べてあるわけでもなければ、病気扱いする根拠が書いてあるわけでもない。ただの羅列。すぐキレて、カツアゲとケンカ、サボリを6ヶ月間続ければ、誰でも行為障害である。中高生の頃を思い出してみると、けっこう当てはまる、という人は多いのではないだろうか。大人に反抗し、学校の窓ガラスを割ってまわった尾崎豊の「卒業」の主人公なんて、まさに「行為障害」である。
要するに、行為障害ってのは、「非行」なのだ(もちろん正確にはイコールではない。単発の反社会的行動は非行であっても行為障害ではない)。「非行」を精神医学の枠組みに押し込めて病名をつけてしまったのが、「行為障害」なのである。そして「家庭限局性行為障害」ってのは、つまりは「家庭内暴力」のことだ。
「行為障害」という病名がマスコミに盛んに登場するのは、異常な犯罪を起こした少年に病名をつけてレッテルを貼り、私たちとは違う異常な存在だということにして安心したいからなのだろう。でも、「酒鬼薔薇は実は行為障害だった!」というのは「酒鬼薔薇は非行少年です」というのと同じことだし、「バスジャック少年には家庭限局性行為障害という診断がついていた」というのは、「少年は家庭内暴力をしていました」というのと同じことなのである。
「行為障害」ときけばなんだかおどろおどろしいが、実際はごくごくありふれたものなのである。
栗田広によれば、「アメリカでの有病率は近年上昇しており、18歳未満の男子人口の中に6〜16%(女子はその半分程度)、最も多く診断される児童期の精神障害である」そうだし、野村俊明らによれば、「ある少年刑務所ではランダムに取り出した収容者の90%以上が行為障害の診断基準を満たした」のだそうだ。
また、Mandelという学者は、行為障害のリスク因子として学業の不振を重視しているのだそうだけれど、これはつまり、非行少年は勉強ができない者が多い、という当たり前のことを言っているだけである(ただし、学力不振の知能的影響は約25%で、残りの75%は知能以外の要因で、適切な家族環境、学校教育の構造、有能な教師、友人関係における競争や励ましあいなどが有用なのだそうだ。これも当たり前のことを言っているような気がする)。
しかし、非行少年を「行為障害」と診断して精神障害扱いすることに何か意味があるのだろうか?
もちろん精神科業界的には大いに意味がある。この病名が登場したのは、1980年のDSM-III診断基準からなのだけれども、病名をつけさえすれば保険診療ができるし、薬も出せる。診断基準があれば、さまざまな疫学研究が行えるし、遺伝子研究だってできる。分裂病とか躁うつ病とかクラシックな病気ばっかり扱ってちゃ精神医学も頭打ちなんで、今まで病気とされていなかった現象に病名をつけさえすれば、精神科業界としては新たな顧客を獲得でき、研究範囲も広がるというわけだ。涙ぐましい営業努力とでもいいましょうか(ちなみに、PTSDという病名が登場したのも、1980年のDSM-IIIからである)。
まあ、それは半分冗談ではあるのだけれど、実際、アメリカでは非行に走ったり引きこもったりする生徒は、学校側から精神科が紹介され、親とともに治療を受ける、というようなことになってます。治療を受けることを拒否すれば退学にだってなりうる。
よくも悪くも、アメリカの精神医学というのは、病気か正常かをその意図や内心の思いではなく、行動など目に見えるもので判断しようという傾向になっており――「行為障害」という病名は、まさにそれを示している。非行に走った少年なりの心情や理由じゃなくて、その「行為」そのものが問題なわけですね――そして、診断基準と病名をつければ、その生物学的な原因とか薬物治療が検討される……というようになっている(当然ながら、アメリカではPTSDの脳科学的研究だって進んでます)。
「行為障害」という診断は、そんなアメリカ的思想の産物なのである。ちなみに、行為障害の近縁の障害として、親や教師などへの著しい反抗で特徴づけられる「反抗挑戦性障害」なんていう診断名もあるんだけど、これも「本当にそれが病気なの?」と言われれば首をかしげるほかはない。
『病の世紀』という小説のあとがきで牧野修も述べているように、WHOでは、健康とは「肉体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病や虚弱さがないというわけではない」と定義されていて(これに「霊的(spiritual)」を加えようという動きもある)、これは裏を返せば、WHOでは、肉体的、精神的、社会的、そして霊的に不健康な状態をも「病」の範疇に含める、ということになる。そして、最初に書いたICD-10という診断基準を作っているのはWHOである。
かくして、精神医学は心の現象を「疾病化」していくわけである。
もしかすると将来的には、非行も、暴力も、犯罪も、落ち込みも、やるきのなさも、すべてが精神医学の枠組みの中で扱われ、治療されるべき病とみなされることになるのかもしれない。
まさかそこまでとは、思うものの、現在のアメリカの風潮を見ると、あながち冗談とも言いきれないのが怖いところである。
(last update 02/03/25)