「最近イライラするんだ。カルシウムが足りないからかなあ」
などという台詞をよく聞くのだが、あれはいったい誰が言い出したことなのだろう。少なくとも私は、カルシウム欠乏により不安焦燥症状が出るという話は学生時代の講義では習ったことがないし、イライラを訴える患者さんにカルシウム剤を投与したこともない(そもそも保険で通らない)。
はたして、本当にカルシウム不足とイライラには関係があるのだろうか。血中のカルシウム濃度が低下する低カルシウム血症という病気では、けいれんとか白内障、行動異常、精神異常、知能低下をきたす、と教科書には書いてあるけれど、ここまで来るととてもイライラなどというなまやさしいものではない。だいたい、カルシウムは口から摂取されなければ骨からも供給されるわけで、少々の不足くらいでは血中濃度はびくともせず、ホルモン異常でもなければほぼ一定に保たれているはずなのだが。
「イライラ=カルシウム欠乏説」というのは、もしかしたら都市伝説の類いなのではないか。以前からそう思っていたところ、ちょうど日本醫事新報の99年6月26日号の質疑欄にこんな質問が載っていた。
「カルシウムの欠乏は、イライラなど精神面に支障を来すといわれるが、その発症機序について」
おお、これこそ私の知りたかった疑問ではないか。
これに対して、広島大学神経精神医学科の山脇成人教授がこう回答している。
イライラなどの精神症状は、健常人でもストレス負荷時に認められるものであるが、精神科領域では強い不安、焦燥、抑うつなどを呈するうつ病などの感情障害の発症に細胞内カルシウムイオンの調節異常が関与していることが報告され、注目されている。
確かにそうだけどさ。細胞内カルシウムイオンの調節異常とカルシウムの欠乏じゃだいぶ遠いような気がする。
うつ病ではセロトニンの神経終末からの放出や再取り込み、セロトニン受容体の細胞内情報伝達系がカルシウムイオンの調節異常によって障害され、ストレスによって惹起された不安、焦燥、抑うつなどの感情が回復することができなくなっているのではないかと想定されている。
だからそれはうつ病の話でしょ。それにカルシウム欠乏とイライラとの関係については何も述べていないし。
しかしながら、カルシウムの欠乏がただちに精神機能に影響するかというと、そう単純なメカニズムではなく、神経細胞内のカルシウムイオンの微妙な調節が複合的に障害され、適応力の限界を超えた場合に、精神機能にも影響が出ると考えられる。
おいおい。それを先に言ってくれ。「微妙な調節が複合的に障害され」というあたり、何ともあいまいな表現で何を言いたいのかさっぱりわからないのだが、結局のところカルシウム欠乏とイライラの関係はよくわからないということのようだ。
だとすると、この俗説がここまで広まった原因はいったい何なのだろうか(「おもいっきりテレビ」とか「あるある大事典」とかのテレビ番組か?)。
百歩譲ってカルシウム不足がイライラの原因になりうるとしても、イライラするのがカルシウム不足のせいとはいえないのは自明の理ではないのかな。逆は必ずしも真ではないのだ。
(last update 99/11/07)