べドラム bedlam

 "bedlam"という英単語がある。
 リーダーズ英和辞典によれば、意味は「気違い沙汰、騒々しい混乱の場所」。Infoseek英語版で調べるとこの単語を使ったページが山ほどヒット。BEDLAM A GO GOなんていうページもあったし、そのものずばりBEDLAMというアクションゲームもあるらしいなあ。
 でもねえ、この単語、ほんとは"Bethlehem"がなまったものなのだ。つまりベツレヘム。キリストが生まれた場所ですね。
 それがなんでまた「気違い沙汰」なんて意味になったかというと、それはロンドンにあった「ベツレヘム聖マリア慈善病院」という病院に由来する。この病院は、もともとは1247年にロンドンのビショップスゲイトに作られた修道院だったのだが、15世紀初頭には精神病患者を収容するようになった。つまり、これこそ世界初の精神病院のひとつ、そしてその通称が"Bedlam"=べドラムだったというわけなのだ。精神病院だから「気違い沙汰」。わかりやすすぎるというか何というか……。
 べドラムは1666年のロンドン大火で一度消失、1676年にロンドン郊外のムーアフィールズという場所に再建されているが、このとき設計にあたった建築家の名がロバート・フック。理系の方なら、どっかで聞いたことのある名前では? 実は彼はニュートンのライバルとして知られる科学者でもあるのだ。バネの伸びについての「フックの法則」で名を残しているし、顕微鏡を覗いて細胞を発見し"cell"と名づけたのもこの人。人間の呼吸のしくみについての本も書いている。驚くほど多彩な人物ですな。こういう人物が活躍できた時代がうらやましい気がする。
 さて、このフックが新築したべドラムは、100人から150人もの精神病者を収容できるようになっており、門の上には、鎖に繋がれ叫び声を挙げる男と、憂鬱に打ちひしがれる男の石像が設置され、入る者を見下ろしていたとか。まさに狂気の世界への入り口である。
 この新べドラム、「パリのチュイルリー宮にも較べられる壮麗な建築」(ってどんなだ)で、ロンドンの新名所として多くの見物客を集めた。病院側も見物人からひとり1ペニーの金を取って、独居房に鎖で繋がれた狂人を見物させたという。病院の1年の観光収入は400ポンドにも上ったというから、年に10万人もの人々が訪れたという計算になる(らしい。イギリスの通貨単位はよくわからん)。つまりこの時代、精神病院はロンドン子たちの娯楽施設だったのである!(ホガースという画家は二人の着飾った貴婦人がべドラムの狂人を見物している絵を描いている) 今でいえば、これにいちばん近い施設は動物園ということになるだろう。
 べドラムの話ではないが、フランスのビセートルという施設では、猿回しのように、患者を鞭で打って踊りや曲芸をさせて名声を博した番人もいたらしい。うーん、まさに大槻ケンヂの「くるぐる使い」を地で行く世界ですな。
 精神病院は動物園、というのは別に単なる思いつきではなくて、実際患者は動物なのだった。この頃の常識でいえば、狂人は正気を失った人間ではなく、自然な凶暴性を示している動物なのである。狂人は人間ではないのだ。
 狂人たちが、家畜小屋のような部屋で首に鉄の輪をはめられ、鎖に繋がれて収容されているのはそういうわけなのであった。
 精神病患者を動物扱いとは許しがたい人権蹂躙、と現代の感覚で憤り、患者たちの悲惨な運命に心を痛めるのは簡単だが、あんまり意味のあることとは思えない。倫理観というのは時代によって変わるもの。今の基準だって決して絶対ではないのだ。いずれ、動物園で動物を見るのが許しがたい行為だと言われる時代にならんとも限らないのだから。
(last update 99/11/05)

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