アダルト・チルドレン adult children

 はじめに言っておくが、私はアダルト・チルドレン(以下AC)にはそんなにくわしくはない。
 実をいうと、ACというのは、精神医学界では冷遇されている概念なのだ。なぜかというと、ACはもともと、アルコール依存症に関わるケースワーカーとか臨床心理士とかの方面で生まれた言葉であって、正統的精神医学の中から出てきた概念ではないからである。だから、いまだにACは精神医学からは継子扱いされているわけ。学会なんて、こんなもんです。中には、ACとそうでない人々の間に統計的有意差はなく、ACなんてものは存在しないと主張する研究者もいたりする。
 まあ、精神分析だって今世紀初頭には正統精神医学から差別され無視されていたけど、今では精神医学の中で一定の地位を占めているわけだし、ACだっていずれはしぶしぶながら精神医学界に受け入れられるでしょうが(必ず、そんなものは絶対に認めないという精神科医が残るのもお約束)。というわけで、一応硬直した精神医学界に属する(笑)私は、ACにはあまり詳しくない。通り一遍の解説くらいしかできないので、ちゃんと知りたい人は斎藤学さんの本でも読みましょう。

 「アダルト・チルドレン」という言葉だけを聞くと、なんだか「子供のまま成長した大人」みたいな人が思い浮かんでしまうのだけれど、ほんとのところそういう意味はまったくない
 ACというのは、もともとは、Adult Children of Alcoholics(ACOA)の略で、アルコール依存症の家庭に育った人のこと。「チルドレン」には、子供っぽいという意味はまったくなく、単に「アルコール依存症患者の子供」という意味にすぎない。こういう人たちには、ある一定の性格や行動の特徴があることから、1960年代末ごろからアメリカで注目され始めたのだけれど、その後、アルコールにかぎらず、機能不全を起こしている家族(親の暴力、虐待、厳しすぎる教育など不安や緊張の強い家族)で育った子供に同じような問題が見られることから、"of Alcoholics"がとれて、「アダルト・チルドレン」と呼ばれるようになったというわけ。私としては、この呼び名は最初に書いたような誤解を受けやすいので、あまりいいネーミングじゃないと思うけど。
 ACの性格特性としてよく挙げられるのが、人と親密になったり親密になることが困難、相手をコントロールしようとする、コミュニケーションが苦手で本当に言いたいことが言えない、自分自身のアイデンティティがあいまいで自己評価が低い、などなど。子供時代を子供としてすごすことができなかったことから、大人になっても自分の感情をうまく表現することができないし、他人を心から信頼できず、「生きづらさ」をかかえている、などと説明されている。
 まあ、何にせよきわめて漠然とした用語であることは間違いない。機能不全家族の定義からしてあいまいだし。このへんに、誰もが「私はアダルト・チルドレン」と言ってしまえる下地があるのですね。そう言ってしまっても間違ってはいないけど、他人に対しては何の言い訳にもならないし、何も説明しているわけではないのは言うまでもない。
 ここで重要なのは、「他人に対しては」というところ。ACという概念は、そもそも他人のための用語ではないのだ。あくまで「自分のための」用語なのである。ACという言葉を使うことによって、もやもやとして形がなかった自分の問題に名前をつけることができるわけである。ACというのは、自分がACであることに気づき、そして認めることに意味がある言葉なのだ。
 ACという概念が精神医学に馴染まない理由はそこにある。ACは、あいまいすぎて、精神科医が診断や分類に使っても何の意味もない用語である。そうではなく、ACというのは、治療用の、というか患者のための概念なのである。例えば「精神分裂病」というのは、分類・診断用の用語である。分裂病患者が「自分は分裂病だ」と認識することには治療的にあまり意味がない(まったくないとはいえない)けど、ACが「自分はACだ」と認識することは、それ自体が意味のある治療なのである。この違いをわきまえないと、「ACなんてものは存在しない」と主張する研究者のような滑稽なことになってしまう。

 診断と分類を重んじる伝統的精神医学の概念で、ACにいちばん近いものはというと、それは「境界性人格障害」、いわゆるボーダーラインでしょうね。私の見たところ、ACの性格特徴とボーダーラインにはけっこう重なるところが多いようである(母親からの見捨てられ体験とか、自我の脆弱性、空虚感、感情の制御の下手さとか)。しかし、両者はアルコール依存症の家族研究と精神分析という、全然違う分野で独立に発案された概念なので、どうもまだすり合わせがうまくいっていないみたいで、ACとボーダーラインの関係を論じた文章はほとんど見たことがない。このへん、まだ研究の余地がありますね。
 ボーダーラインというのもまた、誤解を生みやすいネーミングだし(正常と異常の境界、という意味ではない。神経症と精神分裂病の境界、つまり精神分析の対象か対象外かの境界、という意味)、エヴァとか最近の社会病理とかの関係でいろいろと語られたりしているのだけれど、これはまた別の話。
(last update 99/11/05)

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